あやかし吉原 ~幽霊花魁~

菱沼あゆ

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第二章 覗き女

これが現実ですよ

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 彼女には生きた人間は見えないようだった。

 死んだ遣手も此処に居て、時折、彼女を折檻しているのでは、と思わせる緊張感が漂っていた。

 死んでなお、なにかに追われているような彼女を哀れに思ったそのとき、いきなり、
「ねえ」
と耳許でした。

 横の女はまだ、しゃがんだままぶつぶつ言っている。

 今、咲夜に呼びかけてきたのは違う女だった。

 女は布団に腰掛けると、咲夜の肩にゆっくりと手が回してくる。

 咲夜は動かず、じっとしていた。

 気づかないフリして無視するのがいいと思ったからだ。 

 女の白い手が咲夜の胸元の合わせの隙間に滑り込んでくる。

 霊だというのに、地肌に触れてきた冷たいその感触は生きた人間のもののようだった。

「ああ、あたたかい……」
と耳のすぐ側で聞こえた。

「奇麗な身体だね。
 あんた、その年でまだ生娘なのかい?

 こんなところに売られてくるなんて可哀想に。
 私と同じだね」

 咲夜は同情しかける心をなんとか押し留めた。

 此処の女たちの業は深すぎて自分などにはなにもしてやれない。

 思い入れを強くすると、引きずり込まれるだけだ。

 冬の日、道端で地蔵に手を合わせていた幼い子の霊。

 親もなく、食べるものもなく死んだ子の霊。

 それに比べたら、この女は病気を患い、此処へ押し込められる前は、この吉原で頂点を極めた女の匂いがした。

 女の手が咲夜の生きた身体を確かめるようにまさぐる。

「あんた、奇麗な女だね。
 いい身体だ。
 私にちょうだいよ」

 いらないならちょうだいよ、と女は言う。

 いやいやいや。
 いらないなんて、一言も言ってませんけどっ、
と思いながら、咲夜はその女の暗い情念に乗っ取られないよう、意識を他所に向けようとした。

 何故か那津の顔が浮かぶ。

 それでというわけでもないのだろうが。

 からりと戸が開き、光を背に那津が入ってきた。

「行ったぞ。
 大丈夫か、咲夜」

 その声にほっとしていた。

 だが、この部屋の放つ闇に、はっきりと見えた。

 この人、また姉さんを背負ってる……。

 明野は、まだ那津の背にぶら下がっていた。

「余程、相性がいいみたいね」
と嫌味のように言ってしまう。

 自分の視線を追って振り返り、なにが居るのか察した那津が困った顔をする。

 その表情に、ちょっと笑ってしまった。

 外に出て戸を閉めたが、那津は中に居る女の霊たちが気になるようだった。

「仕事じゃないけど、上げてあげる?」

「……いや、もうちょっと置こう。
 負の意識が強すぎて、生々しい」

 俺にはどうにもできそうにない、と那津は言う。

 申し訳ないが、ちょっとホッとしていた。

 さっきの女が、自分が認識できる那津に迫りそうな気がしていたからだ。

 咲夜は閉まった戸を振り返り呟く。

「でも、私もいずれ、こうなるのかもね」

 落ちぶれた遊女の末路はこうよ、と咲夜は言った。

「此処で死んだら、後は投げ込み寺に放り投げられるだけ」

 無事に年季明けを迎えるものは世間の人たちが思っているよりもずっと多いし。

 その後、商売などで成功するものも居るのだが。

 どうしても、凄惨な末路の方が目についてしまう。

「お前は違うだろう?」

「違わないわよ。
 私も所詮、遊女だもの」

 いつ、こうなるかわからない、と咲夜は言った。

「桧山姉さんたちを見ていると、華やかな世界だと思うでしょう?

 でも、これが現実。
 私には始めからわかってた。

 子どもだったけどね」

 あれが見えていたからね――
と咲夜は呟いた。
 


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