38 / 58
第三章 のっぺらぼう
桧山の秘密
しおりを挟む「また面倒くさいことを言うだんすねえ」
と桧山は眉をひそめる。
「此処に覗き女が現れようが。
生きた女だろうが。
那津様には関係ないだんしょうに」
「……すまない」
そう言ったとき、突然、桧山が那津の膝に手を置いた。
「那津様」
なんなんだ。
「そういえば、那津様はもう三度は此処に来てらっしゃるだんすね」
初めて吉原を訪れたときには、花魁は客につれなくし。
二度目で少し気心が知れた感じになり、三度目で肌を許す……という伝説がある。
本当にそうなわけではないと、いつもの煮売り酒屋の男たちが言っていたが。
「三度来ても関係ないだろうが。
俺がお前のところに来るのに、金を払ったのは、一度だけだ」
那津の膝に手を触れたまま、桧山は笑う。
「そうだんすね。
私が幽霊花魁を退治しろと雇ってるだんすから。
むしろ、私が貴方を囲ってるようなものだんすね」
そんないつもと違う様子の桧山を見ていて、ふと思った。
「……あんたにも好きな男とか居るのか」
言ったあとで、遊女にそんなことを訊くのは無神経だったな、と思ったとき、桧山がいきなり口づけてきた。
間近に顔を見上げ、
「居ると言ったら……?」
と囁いてくる。
俺にもどうにもしてやれないが、それは不幸なことだと那津は思った。
「離……」
離してくれと言うのをやめる。
桧山が何故、そんなことをしたかわかったからだ。
開きかけた障子が閉まったようだった。
そのまま、ぎしりぎしりと音を立て、誰かが遠ざかっていった。
すぐに自分から離れた桧山の視線は、人影の消えた障子を見つめていた。
「……わかったよ」
那津もその影を見ながら小さく言った。
「なんであんたが咲夜を消したいのか」
「消さなくてもいいだんす」
そう言い、桧山は立ち上がる。
先程までの情熱的な様子は何処へやら、冷ややかに那津を見下ろして言う。
「那津様が、咲夜を身請けしてくださったのでもいいだんすよ」
「無理だ」
何処にそんな金があるんだ、と思う那津に、ふっと笑って、桧山は言った。
「そうだんすね。
周五郎様が張り合って値を釣り上げてくるだんしょうからね。
人のいい周五郎様。
最初は私たちに協力してくれ、咲夜が現れてからは、あの子を哀れに思って買ってくれてただけだったんだんすけどね……」
桧山は覗き女も男の影もない障子を見ながら呟くように言う。
「本当の吉原一の花魁は、咲夜だんすよ。
身体を使うことなく、周五郎様を虜にした。
遊女の鑑だんすよ。
明野は言っていましただんす。
此処に来た自分が惨めではなかったと証明するために、吉原一の遊女になろうとしているのだと。
だけど、結局、そうなったのは、咲夜の方だっただんすね」
驚いていた。
明野がそんな打ち明け話を桧山にしていたことに。
霊になった状態でもわかる。
咲夜とは真逆な明野の気性。
勝ち気で負けず嫌いな明野はおそらく他人に弱みを見せることを嫌っていただろうに。
同じ道を競うものとして、それなりに、桧山には心を開いていたということなのか。
「咲夜が此処を出て行かないのなら、誰かが私を此処から連れ出してくれてもいいだんす」
那津様、と桧山はまるで惚れた男を見るように、目を細めて自分を見、胸に触れてくる。
だが、どんなに桧山が表情を取り繕おうと、彼女が自分をなんとも思っていないことくらい、先程、自分を見下ろしていた瞳でわかっていた。
桧山は手を離し、ふっと笑う。
「ほら、そうやって私の技にも引っかからないから。
貴方なら、尊敬してついていけそうだと思っただんす」
ねえ、那津様、と突き放した口調で媚びる様子もないのに、先程よりも気を許しているように見える顔をして、桧山は言った。
「私には未来が見えるだんすよ。
こうして暮らしていると、なんとなく先のことがわかるんだんす。
それは経験から推測して、先が読めているだけのことかもしれないだんすけどね」
だから―― と桧山は言った。
「私は知っていただんす。
私が明野を殺してしまうことを――」
そう桧山は白状した。
0
あなたにおすすめの小説
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜
上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■
おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。
母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。
今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。
そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。
母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。
とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください!
※フィクションです。
※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。
皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです!
今後も精進してまいります!
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる