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第三章 のっぺらぼう
小平が見たモノ
しおりを挟む「小平、お前は吉原は嫌いだと言っていたが、隆次に言わせると、訳もなく吉原を嫌うような男は居ないとさ」
「そんなの、人それぞれだろうよ」
「俺もそう思うんだが。
隆次はそうは思ってないらしいぞ」
「俺は接待でしか吉原に行かないからな。
鬱陶しい場所だと思ってる。
だが――」
と小平は腕を組み、黙った。
そのまま語り出しそうにないので、那津が代わりに口を開いた。
「小平。
俺はお前の夢がずっと気になっていた。
途中までは確かに、一般的な話だったのに、突然、
『こんな顔かい?』
と女の顔になるのは何故だ」
夢だから、と言い逃れることは出来たはずだが、小平はそうはしなかった。
「お前が疑っている通り、あの夢を見たのは、あの咲夜という女を見たからだ。
夢の中で、男の身体に、あの女の顔がはまっていた」
いや、違うか、と小平は言う。
「あれとよく似た女の顔が――」
小平は諦めたように話し出した。
「昔、付き合いで吉原に行った。
菖蒲の季節だった。
扇花屋の前で、立ち話をしている上役から少し離れて、ぼんやり待っていた。
そのとき、見たんだよ。
女の悲鳴が聞こえて、階段下に女が落ちてきた。
その女の首が、ごろりとこちらを向く。
女はすぐに物のように片付けられたよ。
それに気づいた上役と、一緒に居た誰か偉い奴が、左衛門と話して戻ってきた。
黙っておけと、きつく言われたよ。
俺が見たのは、見世の外からだったから、何が起こったのか、正確なところはわからない。
だけど、吉原には吉原の掟があって、あそこの番所がそうだと言ったら、それで終わりなんだよ。
だけど、あのとき、ごろんとこちらを向いた首の、何処も見ていない女の目が俺を向いていて」
顔が奇麗なだけに壮絶だった。
今でも夢に見る―― と小平は言った。
「俺が聞いたのは、死んだのは渋川屋のご隠居、お気に入りの新造だったってことだけだ。
それでまずいと思った店が、そこで起こった『事故』を隠蔽しようとしたとかなんとか」
『事故』と言いながらも、小平自身、その言葉を信じてはいないようだった。
「隠蔽したところで、ご隠居は怒ったんじゃないかと思うが、その辺のところはよくわからねえ。
もう俺は関わりたくなかったからな」
「そうか。
嫌な話をさせて済まなかったな」
「俺はあのときから、あの女の目が忘れられなくて。
いつも追い立てられるように、下手人を捕まえなきゃと思ってた」
あのとき捕まえられなかった下手人を、と小平は言うが、その下手人は恐らく永久に捕まることはないだろうと思われた。
「理屈も常識も法も通じねえ、吉原が嫌いだ。
あそこはこの世じゃない。
地獄だよ」
地獄か。
咲夜はひとり、客もとらずに孤高の存在として、その地獄の中に居る。
いつまで彼女はあそこに、あのままで居られるのか。
『人のいい周五郎様。
最初は私たちに協力してくれ、咲夜が現れてからは、あの子を哀れに思って買ってくれてただけだったんだんすけどね……』
そう桧山は含みのある口調で言っていた。
「那津。
俺は、幽霊花魁を見たことがあると言っただろう」
と小平が更に重々しく語り出す。
「その『事故』からしばらく経った頃、俺はまた接待で違う上役について、吉原に行った。
通りを歩いているとき、扇花屋の前を通ったんだ。
人間ってな、見たくないとこほど、見ちまうもんだろ?
まだ日の高い時間だった。
明るい外から薄暗い見世の中を見ると、階段下に女が立っているのがぼんやり見えたんだ。
その女は新造のような格好をしていて、俺はぎくりとした。
あのとき、運ばれて行った新造を思い出したからだ。
俯き、階段下を見ていたその新造が顔を上げたとき、俺は今度こそ、息の根が止まるかとと思った。
その新造が、死んだ女とそっくりだったからだ。
俺の様子が妙なのに気づき、上役が、どうかしたのか? と声をかけてきた。
咄嗟に何も思いつかず、化け物見ちまって、と告白すると、一緒に歩いていた大店の主人が笑顔で言ってきた。
扇花屋には、幽霊花魁って、どえらい別嬪の霊が出るんだと。
俺は、俺を呪って出ているんだと思った。
あのとき、女の死体を見て見ぬふりをした俺を呪って――
出てるんだと思った……」
「小平」
なんだ? と告白を終えた小平がこちらを見る。
「前にも言ったが、お前に霊は見えない。
お前が見た、それは咲夜だ」
「なに?」
「咲夜は、お前見た死んだ遊女、明野の妹なんだよ」
明野、と小平は口の中で繰り返す。
初めて知った遺体の名に、小平なりの感慨があるようだった。
「お前が見たのは恐らく階段下に立って、転がってる明野の霊をぼうっと見ていた咲夜だろうよ。
明野は、お前が想像しているより、性根が悪い。
お前に祟るのなら、もっと徹底的に祟るさ。
そんなぼんやり立ってるとかじゃなくて」
「……そうか。
ありがとよ。
少し、胸のつかえが取れたぜ」
でも、お前―― と小平が那津の後ろを指差して言う。
「お前この間、幽霊花魁の霊が時折、自分の後ろに張り付いてると言ってなかったか?
性悪だとか今、言ってたが、今も後ろに付いてんじゃねえのかい?」
見えてないから、つい言ってしまったが、本人を前に罵っているようなものだった。
それこそ、祟ってこないだろうか、と那津は怯え、
「今、初めてわかったよ。
恐ろしいものだな、霊が見えないってことは……」
と振り返り後ろを見ながら呟く。
阿呆か、と小平は笑っていた。
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