あやかし雑草カフェ社員寮 ~社長、離婚してくださいっ!~

菱沼あゆ

文字の大きさ
3 / 114
社長っ、婚姻届を返してくださいっ!

これが平成最後の仕事らしいです

しおりを挟む
 

 区役所に行って欲しいなら仕事を手伝えと言ってきた貴弘は、のどかの顔をじっと見、
「そうか。
 思い出したぞ、お前は向かいのビルの企画事業部の奴だ」
と言い出した。

 今ですか。
 ……今思い出しますか、それ。

「確か仕事もそこそこできたろ」

 そこそこですか。

「っていうか、お前、会社クビになったんだろ」

 バーで、そんな愚痴も言った気がするな。
 何故、婚姻届を出すことになったのかだけは思い出せないのだが。

「これからクビになるところで、まだなってません」
「でも、なるんだろ」

 うっ。
 容赦ないっ。

「じゃあ、とりあえず、今すぐ此処で働け。
 バイト代くらい出すから」

「待ってください。こんなときにですか?」

「今、社の一大事だっ。
 俺は一度発注された仕事は絶対に成し遂げるっ」

「いや、今、私の一大事でもあるんですけどっ」

 さっさと婚姻届を取り下げて、すっきりした気持ちで仕事してくださいっ、
と思いながら、のどかが叫んだとき、誰かがガラス扉を開ける音がした。

「巨乳美女が帰ってきたのか?」
と貴弘がそちらを見たが、やってきたのは、すかしたスーツを着た鼻につくイケメンだった。

「なにしに来た、信也しんや
と貴弘が言うと、信也と呼ばれた男は、

「お前の仕事の進み具合を見に来たんだよ」
と笑う。

 うわ~、成瀬社長、すみません。
 悪い笑い方をする人だとか思ってて。

 この人の方が数倍悪い感じがする、と思い、のどかは吸い寄せられるようにその男の顔を見た。

 なんとなく、恐怖映画から目が離せなくなるのと同じ感じで、目が離せない。
 しかも、貴弘の前に居るせいか、高そうなスーツを着ているわりには、小物感満載だ。

 細身で色白のその男は、ん? とこちらを見た。

「誰だ? 新しい女子社員、雇ったのか?」
「それは俺の妻だ」

「ツマ?」
と信也が訊き返す。

「お前、結婚したのか。
 なんで?」

 いや、なんでっておかしいだろう……、と思いながら、のどかは聞いていた。

 相手が私だから、成瀬社長と釣り合ってなくて、なんで、なのだろうか、と思ったが、そうではなかった。

「お前は俺と一緒で一生独身だと思っていたのに」
と信也は語り出す。

「考えてみろ。
 結婚したら、ひとりの女に決めなきゃいけないんだぞ。

 しかも、一生その女に全財産差し押さえられて、家も乗っ取られて」

 結婚って、そういうものでしたっけ?

「一生その女を大事にして、その女にかしずいて生きてかなきゃならないんだぞっ。
 その覚悟がお前にはできたというのかっ」

 ……この人、意外といい人かもな、とのどかは思っていた。

 普通、そこまで覚悟を決めて結婚しない。

 そして、案の定、貴弘は、
「別に覚悟はしてない」
と言った。

「この女がそこまでの女かどうかもまだわからないし」

 そんなつれないことを言いながら、貴弘は信也の手に分厚い社史を投げた。

「暇なら、それ読んで三行くらいで要約しろ。明治から昭和初期までだ」
と貴弘は信也に命令する。

 軽くめくってみた信也は、
「どうやってこれを三行にするんだっ!
 ていうか、うちの会社の社史だろ、これっ」
と叫ぶ。

「そりゃそうだ。
 お前のとこの会社のコンペ用の資料を作るコンペだからな」

「コンペのコンペって意味わかりませんよね」
と苦笑いしながら、のどかは言った。

 まだコンペの段階なのかと思いながら。

「そして、これがそのための資料の資料だ」
と社史以外の小冊子の束を貴弘は信也の前に投げる。

「待て、混乱してきた」
と言う信也に、貴弘は容赦なく、

「明治から昭和初期な」
と繰り返す。

 わあわあとやかましいが、基本、素直なのか、信也は近くのデスクに腰掛け、社史と小冊子を読み始めた。

「お前、俺がやってた続きを打て。
 こっち、訂正箇所。
 確認して打て」
とまだ引き受けるとも言っていないのに、貴弘は今度はこっちに書類を投げてきた。

「そこ、座れ」
と貴弘がさっきまで座っていた椅子を指差す。

「え、でも……」

「うちは別に何処が社長の席とかないんだ。
 資料や機材のそろってるところに行って、仕事する。

 ああ、煙草を吸わない奴だけは、あの中に押し込められるが」
と貴弘はあの狭い喫煙しない人ルームを指差した。

 なにかが間違っている、この会社は……。

 っていうか、吸わない私もそちらに入りたいのですが、と思いながらも、逆らうのも怖いので、言われた通り、さっきまで貴弘が座っていた椅子に腰掛けた。

 うわっ。
 まだ椅子があったかいっ。

 さっきまで座っていた人間のぬくもりが残った椅子というのは、相手によっては、ぞわっと来るものなのかもしれないが。

 貴弘の体温が移ったその椅子には、ぞわっとは来ず、緊張した。

 言われた通り打っていると、まだ資料を読んでいる信也のデスクに貴弘は書類の束を投げ、

「お前が来てちょうどよかった。
 それが今のところの案だ。なにか意見はあるか」
と言う。

「何故、俺に訊く」
と信也は小冊子から目を上げ訊いている。

「言ったろう。
 お前の会社のコンペだからだ。

 お前んちのふんぞり返ってる親父が気にいるようなプレゼンを考えろ」

「意味がわからないがっ。
 だいたい、俺がお前のプレゼンに手を貸したら、癒着だろっ。

 俺が手ごころ加えたみたいになるんじゃないかっ。
 後ろ足で砂かけるようにして、会社出てった奴にっ」

 癒着だっ、談合だっ、とわめく信也に、貴弘は言う。

「いや、どっちかって言うと、お前たちは、うちを落とそうとするだろうから、なんにも癒着じゃないだろ」

 そういえば、一族から離脱したとか聞いていたが。

 どうやら、同じ一族のこの信也の会社から出て、別に会社を起こしたようだった。

「うちでしばらく社会勉強したら、会社持たせてやるって爺さんに言われてたのに、莫迦じゃないのか、お前。
 こんな小さな会社で満足なのか?」
と言いながら、信也は、やっぱり言われた通り、渡された書類を見ている。

「そのしばらくが我慢できなかったんだよ」
と貴弘は言う。

「古臭い体質を変えようともしないおじさんも。
 デカイ会社の社長の座が約束されているせいか、なんの努力もしないまま、ふんぞり返ってるドラ息子にも」

「じゃあ、なんの努力もしないで、ふんぞり返ってるドラ息子に手伝わせるなよーっ」

 ……ごもっともですよ、と苦笑いしながら、のどかはキーを叩いていた。

「でもまあ、それだけでもない」
と貴弘は言う。

「決まり切った仕事だけじゃなくて、いろんなこと仕事がやってみたくなったんだ。
 古い大きな会社だと、もう仕事の必勝パターンみたいなのが決まってて、自由度が低いからな。

 コンペの資料作りも最初は先輩に押しつけられたんだ。
 だが、これがなかなか奥が深くて。

 ひとつデザインを変えるだけで、全然相手が受ける印象が変わって。

 コンペの元のアイディアはもちろんだが。
 資料作りでもコンペが左右されてると気がついた。

 そのうち、俺の作る資料が評判を呼び、他の部署からも作ってくれと言われて、本業ほったらかしにやっていたら、上司に怒られて。

 喧嘩してやめたんだ」

 いや、それはその上司の人の方が正しいような……と思っていると、

「で、私がその喧嘩した上司です」
と言いながら、人の良さそうな小柄なおじさんがビニール袋を手に入ってきた。

「差し入れ持ってきたんですけど、ずいぶん人が増えてるじゃないですか」
と笑うその男は、小林と名乗った。

「おや。
 これはまた、見知らぬ可愛らしいお嬢さんと……

 信也課長じゃないですか」
と言われ、信也は、

「小林部長……」
とその名を呼び、渋い顔をする。

「なんで、喧嘩した上司の人が此処に居るんですか?」
とのどかが訊くと、小林は笑顔のまま言った。

「私も上司と喧嘩してやめたからです。
 それで、成瀬くん……成瀬社長に拾われて」

「みんな上司と喧嘩してやめちゃうんですね。
 上に行くほど悪いやつなんですか? ロクな会社じゃないですね」
というのどかの言葉に、貴弘と小林が、のちのち、その上に行くほど悪い奴な会社の社長になるだろう信也を見る。

「ロクな会社じゃないと思ってるんならやるなよ、うちの仕事ーっ」
とわめく信也に、貴弘は、

「世話になった人が口きいてくれたんだ。断れないだろう」
と言いながら、プロジェクター内蔵タブレットから、スクリーンにグラフを映し出して見ている。

「此処位置ずらした方がいいな。
 下の文章、これであってるか?

 信也、チェックしてくれ。
 そっちのノートパソコンに同じの入ってるから」

「外注になってねー!」
と叫ぶ信也に、ごもっとも……とのどかは思っていた。




しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

ほんとうに、そこらで勘弁してくださいっ ~盗聴器が出てきました……~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 盗聴器が出てきました……。 「そこらで勘弁してください」のその後のお話です。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

侯爵様と私 ~上司とあやかしとソロキャンプはじめました~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 仕事でミスした萌子は落ち込み、カンテラを手に祖母の家の裏山をうろついていた。  ついてないときには、更についてないことが起こるもので、何故かあった落とし穴に落下。  意外と深かった穴から出られないでいると、突然現れた上司の田中総司にロープを投げられ、助けられる。 「あ、ありがとうございます」 と言い終わる前に無言で総司は立ち去ってしまい、月曜も知らんぷり。  あれは夢……?  それとも、現実?  毎週山に行かねばならない呪いにかかった男、田中総司と萌子のソロキャンプとヒュッゲな生活。

子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちだというのに。 入社して配属一日目。 直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。 中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。 彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。 それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。 「俺が、悪いのか」 人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。 けれど。 「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」 あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちなのに。 星谷桐子 22歳 システム開発会社営業事務 中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手 自分の非はちゃんと認める子 頑張り屋さん × 京塚大介 32歳 システム開発会社営業事務 主任 ツンツンあたまで目つき悪い 態度もでかくて人に恐怖を与えがち 5歳の娘にデレデレな愛妻家 いまでも亡くなった妻を愛している 私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?

出逢いがしらに恋をして 〜一目惚れした超イケメンが今日から上司になりました〜

泉南佳那
恋愛
高橋ひよりは25歳の会社員。 ある朝、遅刻寸前で乗った会社のエレベーターで見知らぬ男性とふたりになる。 モデルと見まごうほど超美形のその人は、その日、本社から移動してきた ひよりの上司だった。 彼、宮沢ジュリアーノは29歳。日伊ハーフの気鋭のプロジェクト・マネージャー。 彼に一目惚れしたひよりだが、彼には本社重役の娘で会社で一番の美人、鈴木亜矢美の花婿候補との噂が……

処理中です...