十年越しの恋心、叶えたのは毒でした。

碓氷雅

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願うは易く、叶うは難し

#10

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 しばらくして藤波は検挙、楠木は刑事責任なしとの判断で書類送検され、事件は幕を閉じた。とはいえ、10年前のいじめの加害者を次々に立件せねばならず、休みはないに等しい。精神的な被害というのは立件が難しく、実害のあった、つまり診断書の残っている被害のみと方針が決まった。

 それでも加害者の数は少なくないと同僚は呆れていた。

「学校自体が刑務所みたいだからなぁ…、ストレスが溜まってしまうのもわからんでもないが。その発散方法として暴力を選ぶのは賢くないよな」
「ほとんどが書類送検だろう? どんな感じなんだ?」

 捜査から外された高橋は、缶コーヒーをおごり同僚に聞く。楠木と同級生であり、ほかの加害者と同じ学校に通っていたことから、事件関係者とされたのだ。

「んーまあ、ぼちぼち。書類送検とはいえ、外聞は悪いからな。会社で昇進が決まっていた男は白紙になって、結婚を前提に付き合っていた相手に逃げられた女もいたり。自業自得だが本人たちはそうは考えられないだろうな。楠木は地元に帰ったんだろ?」
「ああ。昨日、両親と帰ったと弁護士から連絡があった。向こうの警察署にも連絡済みだ。心療内科への受診も決まってる。俺らができることはもうないだろうな」
「そっか…、よかった」
「…会議があるんじゃないのか」

 腕時計を一瞥した同僚は残りのコーヒーを喉に流し「じゃ、また」と駆けていった。

 背中を見送り、高橋も自分のコーヒーを飲み干す。時計の針は17時を指している。スマホが震え、開けばメールが届いていた。

『今日は誘ってもいいかな?』

 相変わらず耳が早い。昨日のところで待っているからと書かれた文面に、まんざらでもない自分がいることをもはや認めざるをえなかった。


 入間の車に乗り込み、はや数十分。他愛ない世間話に花を咲かせていたから体感的には五分もなかった。車はホテルのエントランスに停まり、スタッフに鍵を渡した入間は助手席のドアを開けた。

「予約してあるんだ。…行こうか」

 差し出された手を取り、ふたりはホテルの15階、展望レストランへと向かった。群青の空の下に広がる街を一望できる席に案内され、しばらくもせずフルコースが運ばれてくる。そんなに詳しくない高橋もすべてが一級品であるということは感じられた。美しく盛り付けられた料理が次々とサーブされ、その一口ごとに舌鼓を打つ。あまりに美味しくてなくなるのが惜しく、ゆっくりと食べた。そんな高橋にスピードを合わせ、入間は時折満足そうに笑う。

「いつ、予約したんだ? そんな簡単に取れるものじゃないだろう?」

 そう言ってワインで喉を潤し、目を見開く。料理に合わせて注がれたそのワインは酒豪の舌を喜ばせた。

「ふふ、相変わらずお酒が好きなんだね。それは赤だけど白ワインもあるから頼もうか」
「はぐらかすな。…もらうけど」

 ウェイターに白ワインを持ってくるように頼むと入間もグラスを傾けた。

「昨日だよ。ここの支配人と顔見知りでね。キャンセルが出たから融通してもらったんだよ」
「そうか…。ありがとう」

 どこまでが本当か、わかったものではない。流行に疎い高橋でさえ聞いたことのあるほどの有名なホテルだ。確か、宿泊どころかレストランでのディナーも予約は4か月先までいっぱいだと同僚が話していた。だが、踏み込んで聞いていいものかと少し悩む。せっかく準備してくれたのだし、入間に限って違法なことはしないだろう、と高橋は白ワインを舌に転がし堪能する。

 事件解決おめでとう、よく頑張ったね。車の中で度々言われた。褒められるたびに細胞単位で喜んでいる気がして頭がぼうっとした。そんな高橋だから、柄にもなく浮かれていたのかもしれない。

「…聞かないのかい」
「何を」
「言ってしまえば藪蛇だろう? 聞かないというならそれでもいいけど、優斗になら何でも教えるよ」

 胸の内のわだかまりが首を出す。一度気づかされてしまっては無視することはできない。自分を落ち着かせるように息をつき、高橋は言った。「匿名の音声が今朝、署に届いたと聞いた。…やったのか」

「ああ。私だよ」
「なぜ…? どうやったんだ」
「どうやったかは企業秘密としておこうかな。ただしただけだしね。なぜ、か…。事件が解決すれば優斗とこうしてディナーができると思ったから、かな」

 デザートがサーブされ、ウェイターが下がったタイミングで入間の唇はきれいな弧をかいた。

「先に言っておくけれど、警察を信用していないわけでも刑事さんたちの捜査をなめてるわけではないよ。今回は特別だったんだ。私は思ったより我慢強くないらしい」
「え…?」
「君は公私混同しないし、自分に厳しい。事件が解決していない状況だったら、私が何度アプローチしようと無駄だと思ったんだ。昨日の夜、パートナーはいないのかと聞いてくれたよね。それが優斗の答えだと思ったんだけれど…違うかな?」

 違わない。違わないからこそ、面と向かって認めるのは面映おもはゆい。レアチーズケーキにフォークを入れ、笑ってごまかした。

「…聞き方を変えようか」にこりと笑った入間の目の奥がきらりと光る。

 思わず音を立てて嚥下した。

「部屋を取ってあるんだ。このあと一緒に来てくれるかい」

 どくん、と心臓は大きく拍を打ち、耳のあたりから頬が熱くなったように感じる。気の利いた返事をしたいのに、頭が真っ白で何も浮かばない。焦って余計に汗をかき、入間の視線に捕らえられた高橋はぎこちなく一度だけ頷いた。

 満足そうに笑ってワインを飲み干す入間とは対照的に、高橋は乾きに乾く喉に残りを全てぶちまけた。
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