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第3章 流転輪廻の章
第46話 松平の忠臣たち
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かくして、大久保新八郎忠俊とその子や孫、娘婿らと対面を果たした元信。大久保新八郎らが長居は無用と退出したところへ、大浜から二名の来客があった。
「殿。長田平右衛門重元と上田兵庫元俊の両名が参上。お目通りを願っておりますが」
「左様か。うむ、これへ通すがよい」
「ははっ!」
天野三郎兵衛が大久保新八郎らを大樹寺の外へ送り出しているため、代わりに取り次いだのは植村新六郎栄政であった。
植村新六郎に案内されて元信の前に姿を現した二人。一人は顔の彫りが深い白髪頭の老人、もう一人は右足を引きずる青年であった。
「おお、ご拝顔の栄に浴し恐悦の極みに存じ奉ります。長田平右衛門重元にございまする」
「拙者、上田兵庫元俊にござる。此度、お目通りが叶い、恐悦至極にございまする!」
「うむ、両名とも面をあげよ。そう畏まらずともよい。大浜より岡崎までよう来てくれた」
大浜。それは岡崎の西に位置し、地理的には岡崎よりも緒川や苅谷の方が近い。まさしく織田方に対しての前線拠点ともいえる。その大浜砦の守将たる五十三歳の長田平右衛門、大浜に知行を持つ二十八歳の上田兵庫が来たのである。
挨拶だけではなく、織田あるいは水野に何らかの動きがあったのではないか。そのように、元信は勘繰ってしまった。
「さては、水野に何ぞ不審な動きでもあったか」
「いえ、そのようなことは。織田は当主である上総介と勘十郎による兄弟喧嘩が起きており、水野とて今しばらくは動けますまい。ゆえ、殿にお会いするは今と思い、駆け付けた次第。さりとて、長居もできませぬゆえ、某はこれにて失礼仕ります」
「そうか。長田平右衛門、しかと大浜の砦を守備してくれよ。父の頃より当家に仕える其方に会えたこと、元信も喜ばしき限り」
「ありがとう存じまする。何があろうとも、大浜砦は死守いたしまするゆえ、ご案じなされますな。では、これにてご免」
長田平右衛門の低く落ち着いた声には何とも言えない安心感があった。本当に何が何でも織田・水野から砦を守り抜いてくれそうだと、何の根拠もなく信じられてしまう。
そうして長田平右衛門が退出したのち、続けて元信は上田兵庫元俊へと話題を振る。もちろん、話題は歩くのもやっとといって様子の足について、であった。
「拙者の足にございまするか。それは八年前、広忠公に背いた松平蔵人信孝めを討ち果たした際に負った傷にございまする」
松平蔵人信孝。元信はその名を聞き、言い知れぬ懐かしさを想起させられた。そう、元信がまだ竹千代であった頃に、自らを岡崎城から攫い、織田信秀が元へ連れ去った張本人。
「左様か、父上に背いた大叔父を討った折の傷であったか。その傷こそ、まこと忠義の証。元信、改めて礼を申すぞ」
「勿体なきお言葉!まこと名誉の負傷にございまするが、殿の下で槍働きが出来ぬことは悔やんでも悔やみきれませぬ」
確かに逆臣・松平蔵人信孝を討ったことは誉れである。しかし、その誉れと引き換えに、上田兵庫は生涯歩行が困難となる傷を負ってしまい、二度と槍働きができなくなってしまったのである。
「そうであったか。じゃが、何も奉公は槍働きのみではあるまい。そなたには、わしが持っておらぬ戦場の経験がある。それを活かして城や砦を守ることはできよう。何も自らが槍をふるって戦うばかりが奉公ではないこと、ゆめゆめ忘れるでないぞ」
「……左様にございまするな。この上田兵庫、槍働き以外でも殿のお役に立てるよう、尽力して参りまするぞ!」
――弱冠二十歳の折に負った傷に苛まれた心も幾分か救われたのならばよいのじゃが。
若くして武芸を極めて主君に奉公する未来を断たれた武芸者の心など、そう易々と類推できるものではない。
それくらいのこと、元信とて理解している。それでも、落ち込んだ様子の表情を少しでも明るくして忠勤に励んでもらいたい。元信の本心はそれのみであった。
「然らば、拙者もこれにて失礼仕る。殿が岡崎城へ入られた暁には、誰よりも早く参上いたしまするゆえ、その日が来るのを心待ちにしておりまする」
上田兵庫の言葉にこくりと首肯する元信。当の上田兵庫は植村新六郎の手を借り、やっとの思いで立ち上がり、来た時と同じく右足を引きずりながらその場を後にするのであった。
植村新六郎が上田兵庫に付き添う形で部屋を出た後、大久保新八郎らを大樹寺の門まで送っていった天野三郎兵衛が戻り、次なる訪問者を取り次いできた。
「殿。次に参られたるは大久保左衛門次郎忠次、大久保甚兵衛忠重の父子にございまする」
「おう、言うまでもない。これへ通すがよいぞ」
「はっ、然らばこれへ連れて参りまする!」
そう言って慌ただしく元信の前を去った植村新六郎が次に姿を現した頃には、大久保新八郎忠俊が弟・左衛門次郎忠次、その子・甚兵衛忠重を伴っていた。
「殿!大久保新八郎忠俊が弟、大久保左衛門次郎忠次にございまする!」
「うむ、大久保左衛門次郎がことはわしもよう覚えておる。捕虜とした織田三郎五郎信広との人質交換の折、かの者を大久保新八郎とともに護送しておったであろう」
「よ、よくぞ覚えておいてくだされた……!某は殿に忘れられているとばかり思うておりましたゆえ、これだけでも嬉しゅうございまする……!」
そう、目の前にいる大久保左衛門次郎忠次という老臣は織田家の人質となっていた元信を助けるための人質交換にて重要な役割を果たした人物なのである。
そのことを八年が経った今も覚えていたという事実に、老人は歓喜に打ち震えているのであった。
「殿、昨晩は弟がご迷惑をおかけいたしたる段、伏して詫びまする」
「大久保甚兵衛が弟……」
昨日会った人物の顔を走馬灯のように脳内で列挙していく元信。そして、一人の青年に思い当たった。
「おお、弓の名手の阿部四郎五郎忠政がことか!」
「はい!某の一ツ下の弟にございまする!」
阿部四郎五郎忠政は二十五、つまりは大久保甚兵衛忠重は二十六歳ということになる。
「そうであったか。いや、阿部四郎五郎は迷惑などかけてはおらぬぞ。あれはわしが突如寒気に襲われただけゆえな」
「そ、そうなので……?四郎五郎と面会中に倒れたと聞き及んでおりましたゆえ、てっきり愚弟が粗相をいたしたのかと」
「なんのなんの。そのようなことは微塵もない。案ずるでない」
元信にそこまで言われてようやく安心したのか、大久保甚兵衛の顔に平静の明るさが戻っていく。
「然らば、本日はこのあたりでお暇いたしまする。まだまだ殿にお会いしたいと申す者は多いですからな」
「さ、左様か。うむ、大久保左衛門次郎、大久保甚兵衛。両名とも今後とも忠勤に励んでくれよ!」
「ははっ!」
「はっ!お任せくだされ!」
そう言って、大久保の父子は下がっていく。武人らしい無骨な礼であったが、頼もしさを感じさせるものであった。
大久保忠次・忠重父子の次も大久保一族であったが、新八郎の時と同じく、大人数での来訪であった。
「殿、お久しゅうございまする!蟹江七本槍が一人、大久保甚四郎忠員にございまする!」
「おお、大久保甚四郎であったか。ささ、入るがよい」
先頭を切って入室してきたのは大久保甚四郎。四十六となり、老境に差し掛かった武士に続く形で、彼の子や孫らが続々と部屋へ入ってくるのであった。
「お初にお目にかかります。大久保甚四郎が長子、大久保七郎右衛門忠世にございまする!」
「おお、父ともども昨年の蟹江攻めではご苦労であったな。ここで会えたこと、嬉しく思うぞ」
「ははっ!某とて殿にお会いできたこと、まこと嬉しゅうございまする!」
口の周りに立派に蓄えられたひげの中から、白い歯を見せながら笑う二十五歳の大久保七郎右衛門。日焼けしていることもあり、対比的に白い歯が目立つ。
「大久保七郎右衛門。そちの隣に愛らしく座っておるのは……」
「はっ、某の長子、千丸にございまする!」
「左様か。して、千丸よ。そなたはいくつになるか」
「四ツになりまする」
「そうか、四ツか。まだまだ元服は先となろうが、それまでにしかと武芸と学問に励むのじゃぞ」
「はいっ!」
元信の予想を良い意味で大きく上回る元気な返事に元信はニヤリと笑みをこぼす。このまま素直に成長すれば、さぞかし立派な武士となる。そう感じ取ったからでもあった。
「殿」
「おお、甚四郎か。いかがした?」
「はっ、まずは弟が一名遅参いたしたる段、お許し願いたく。そして、某の子供らを紹介いたしたく存じまする」
「左様か、甚四郎が弟はこれへ参った折に紹介してくれい。今はこの場におるそちの自慢の子らを紹介してくれよ」
武芸に秀でた大久保一族。大久保甚四郎、大久保七郎右衛門をはじめ、今日集まっている大久保一族は見た目からして武闘派といった雰囲気が感じられる。
「然らば、七郎右衛門が左におるは次男、治右衛門忠佐にございます」
「ご紹介に預かりました、大久保治右衛門忠佐にござる!以後、お見知りおきくだされ!」
「うむ、大久保治右衛門か。そちも蟹江での活躍も聞き及んでおる。ご苦労であったな」
「ありがたき幸せ!今後とも槍働きにてご奉公いたしまするゆえ、戦の折にはぜひとも拙者に先鋒を!」
「たわけ!先鋒はこの七郎右衛門と決まっておる!」
「なにをっ!」
七郎右衛門の五ツ下の弟・治右衛門。まだまだ二十歳と血気盛んな若武者ゆえに、兄が相手であろうとも譲らない頑固さがあった。
「あにうえ、とののごぜんでございますぞ」
袖をまくり、兄弟喧嘩をおっぱじめようとしている大久保治右衛門の袖をくいくいと引いたのは、まだ十ほどの少年であった。
「し、新蔵か」
「治右衛門、ここは新蔵に免じて拳を下すがよい」
「と、殿にまでそのように言われては従わぬわけには参りませぬ」
兄二人の喧嘩を止めた新蔵の大手柄である。自分よりも遥かに大きな体躯の兄らに臆することなく意見ができる肝っ玉は見事である。そんなことを感じる元信なのであった。
「そうじゃ、殿。ただいま、七郎右衛門と治右衛門が諍いを止めたは四男の新蔵にございまする」
「そうかそうか。して、四男と申したが、三男はいかがした?」
「はっ、三男は僧となり慶典と号しておりまする」
「なるほどのう。僧となっておったか。一度、会うてみたいものぞ」
「そのお言葉を聞けば、慶典も喜びましょう」
まだ会ったことのない大久保甚四郎忠員の三男坊。一体、どのような者であるのか。期待に胸を膨らませる元信なのであった。
そうして、紹介されていない大久保甚四郎の子は二名を残すばかりとなっていた。どちらもまだまだ幼い男子らであった。
「こちらが五男の勘七郎、こちらは六男の彦十郎にございまする」
「二人とも幼いが、いくつになるか」
「勘七郎が六ツ、彦十郎が三ツになります」
「ほう、そうであったか。わしよりも十近く年下の子らか。この子らが元服する頃にはわしも二十を超えておるか。そう思えば、年が随分離れているように感じるの」
勘七郎はどこかへ遊びに行きたいのか、落ち着かない様子。彦十郎は今の状況をよく分かっていないといった様子でぽかんとしている。一見すると、勘七郎も彦十郎も大久保甚四郎の孫と言われても信じてしまうほどの幼さであった。
そうして大久保甚四郎一家と話し込むうち、陽は頭上高くより地上を照らす頃となる。そこへ、遅れて到着した男の姿があった。
「甚四郎兄者、遅くなった!」
「おう、藤五郎か。遅かったではないか」
「はっ、岡崎の菓子屋の主人より菓子の作り方を教わっておったらこのような時間になってしもうた」
「まったく、また菓子作りか。そのような戦の役にも立たぬことで遅れて参るとは言語道断じゃ」
「ま、まこと申し訳ござらん……!」
遅れて大樹寺へやってきた藤五郎と呼ばれた弟を叱り飛ばす甚四郎。怒っている理由は遅れた原因にあるのだが、さすがに不憫だと元信は制止しにかかる。
主君からの制止に甚四郎は素直に従い、ようやく藤五郎は元信の前に着座することができた。
「殿、遅参いたしたる段、伏して詫びまする!」
「気にせずともよい。それよりも、大久保藤五郎。そちは菓子作りに関心があるのか」
「はっ、目の前の菓子作りに専念していると、俗世のことをすべて忘れて没頭することができまする」
「ほう、一種の座禅のようなものであるか。甚四郎は戦の役には立たぬと申したが、物事に集中して取り組む姿勢は合戦でも活かされるとわしは思うぞ」
大久保藤五郎をかばう一言を放つ元信。そんな彼の中では武闘派の大久保一族にも菓子作りを好む者があったことに意外さを感じていたのであった。
「殿。長田平右衛門重元と上田兵庫元俊の両名が参上。お目通りを願っておりますが」
「左様か。うむ、これへ通すがよい」
「ははっ!」
天野三郎兵衛が大久保新八郎らを大樹寺の外へ送り出しているため、代わりに取り次いだのは植村新六郎栄政であった。
植村新六郎に案内されて元信の前に姿を現した二人。一人は顔の彫りが深い白髪頭の老人、もう一人は右足を引きずる青年であった。
「おお、ご拝顔の栄に浴し恐悦の極みに存じ奉ります。長田平右衛門重元にございまする」
「拙者、上田兵庫元俊にござる。此度、お目通りが叶い、恐悦至極にございまする!」
「うむ、両名とも面をあげよ。そう畏まらずともよい。大浜より岡崎までよう来てくれた」
大浜。それは岡崎の西に位置し、地理的には岡崎よりも緒川や苅谷の方が近い。まさしく織田方に対しての前線拠点ともいえる。その大浜砦の守将たる五十三歳の長田平右衛門、大浜に知行を持つ二十八歳の上田兵庫が来たのである。
挨拶だけではなく、織田あるいは水野に何らかの動きがあったのではないか。そのように、元信は勘繰ってしまった。
「さては、水野に何ぞ不審な動きでもあったか」
「いえ、そのようなことは。織田は当主である上総介と勘十郎による兄弟喧嘩が起きており、水野とて今しばらくは動けますまい。ゆえ、殿にお会いするは今と思い、駆け付けた次第。さりとて、長居もできませぬゆえ、某はこれにて失礼仕ります」
「そうか。長田平右衛門、しかと大浜の砦を守備してくれよ。父の頃より当家に仕える其方に会えたこと、元信も喜ばしき限り」
「ありがとう存じまする。何があろうとも、大浜砦は死守いたしまするゆえ、ご案じなされますな。では、これにてご免」
長田平右衛門の低く落ち着いた声には何とも言えない安心感があった。本当に何が何でも織田・水野から砦を守り抜いてくれそうだと、何の根拠もなく信じられてしまう。
そうして長田平右衛門が退出したのち、続けて元信は上田兵庫元俊へと話題を振る。もちろん、話題は歩くのもやっとといって様子の足について、であった。
「拙者の足にございまするか。それは八年前、広忠公に背いた松平蔵人信孝めを討ち果たした際に負った傷にございまする」
松平蔵人信孝。元信はその名を聞き、言い知れぬ懐かしさを想起させられた。そう、元信がまだ竹千代であった頃に、自らを岡崎城から攫い、織田信秀が元へ連れ去った張本人。
「左様か、父上に背いた大叔父を討った折の傷であったか。その傷こそ、まこと忠義の証。元信、改めて礼を申すぞ」
「勿体なきお言葉!まこと名誉の負傷にございまするが、殿の下で槍働きが出来ぬことは悔やんでも悔やみきれませぬ」
確かに逆臣・松平蔵人信孝を討ったことは誉れである。しかし、その誉れと引き換えに、上田兵庫は生涯歩行が困難となる傷を負ってしまい、二度と槍働きができなくなってしまったのである。
「そうであったか。じゃが、何も奉公は槍働きのみではあるまい。そなたには、わしが持っておらぬ戦場の経験がある。それを活かして城や砦を守ることはできよう。何も自らが槍をふるって戦うばかりが奉公ではないこと、ゆめゆめ忘れるでないぞ」
「……左様にございまするな。この上田兵庫、槍働き以外でも殿のお役に立てるよう、尽力して参りまするぞ!」
――弱冠二十歳の折に負った傷に苛まれた心も幾分か救われたのならばよいのじゃが。
若くして武芸を極めて主君に奉公する未来を断たれた武芸者の心など、そう易々と類推できるものではない。
それくらいのこと、元信とて理解している。それでも、落ち込んだ様子の表情を少しでも明るくして忠勤に励んでもらいたい。元信の本心はそれのみであった。
「然らば、拙者もこれにて失礼仕る。殿が岡崎城へ入られた暁には、誰よりも早く参上いたしまするゆえ、その日が来るのを心待ちにしておりまする」
上田兵庫の言葉にこくりと首肯する元信。当の上田兵庫は植村新六郎の手を借り、やっとの思いで立ち上がり、来た時と同じく右足を引きずりながらその場を後にするのであった。
植村新六郎が上田兵庫に付き添う形で部屋を出た後、大久保新八郎らを大樹寺の門まで送っていった天野三郎兵衛が戻り、次なる訪問者を取り次いできた。
「殿。次に参られたるは大久保左衛門次郎忠次、大久保甚兵衛忠重の父子にございまする」
「おう、言うまでもない。これへ通すがよいぞ」
「はっ、然らばこれへ連れて参りまする!」
そう言って慌ただしく元信の前を去った植村新六郎が次に姿を現した頃には、大久保新八郎忠俊が弟・左衛門次郎忠次、その子・甚兵衛忠重を伴っていた。
「殿!大久保新八郎忠俊が弟、大久保左衛門次郎忠次にございまする!」
「うむ、大久保左衛門次郎がことはわしもよう覚えておる。捕虜とした織田三郎五郎信広との人質交換の折、かの者を大久保新八郎とともに護送しておったであろう」
「よ、よくぞ覚えておいてくだされた……!某は殿に忘れられているとばかり思うておりましたゆえ、これだけでも嬉しゅうございまする……!」
そう、目の前にいる大久保左衛門次郎忠次という老臣は織田家の人質となっていた元信を助けるための人質交換にて重要な役割を果たした人物なのである。
そのことを八年が経った今も覚えていたという事実に、老人は歓喜に打ち震えているのであった。
「殿、昨晩は弟がご迷惑をおかけいたしたる段、伏して詫びまする」
「大久保甚兵衛が弟……」
昨日会った人物の顔を走馬灯のように脳内で列挙していく元信。そして、一人の青年に思い当たった。
「おお、弓の名手の阿部四郎五郎忠政がことか!」
「はい!某の一ツ下の弟にございまする!」
阿部四郎五郎忠政は二十五、つまりは大久保甚兵衛忠重は二十六歳ということになる。
「そうであったか。いや、阿部四郎五郎は迷惑などかけてはおらぬぞ。あれはわしが突如寒気に襲われただけゆえな」
「そ、そうなので……?四郎五郎と面会中に倒れたと聞き及んでおりましたゆえ、てっきり愚弟が粗相をいたしたのかと」
「なんのなんの。そのようなことは微塵もない。案ずるでない」
元信にそこまで言われてようやく安心したのか、大久保甚兵衛の顔に平静の明るさが戻っていく。
「然らば、本日はこのあたりでお暇いたしまする。まだまだ殿にお会いしたいと申す者は多いですからな」
「さ、左様か。うむ、大久保左衛門次郎、大久保甚兵衛。両名とも今後とも忠勤に励んでくれよ!」
「ははっ!」
「はっ!お任せくだされ!」
そう言って、大久保の父子は下がっていく。武人らしい無骨な礼であったが、頼もしさを感じさせるものであった。
大久保忠次・忠重父子の次も大久保一族であったが、新八郎の時と同じく、大人数での来訪であった。
「殿、お久しゅうございまする!蟹江七本槍が一人、大久保甚四郎忠員にございまする!」
「おお、大久保甚四郎であったか。ささ、入るがよい」
先頭を切って入室してきたのは大久保甚四郎。四十六となり、老境に差し掛かった武士に続く形で、彼の子や孫らが続々と部屋へ入ってくるのであった。
「お初にお目にかかります。大久保甚四郎が長子、大久保七郎右衛門忠世にございまする!」
「おお、父ともども昨年の蟹江攻めではご苦労であったな。ここで会えたこと、嬉しく思うぞ」
「ははっ!某とて殿にお会いできたこと、まこと嬉しゅうございまする!」
口の周りに立派に蓄えられたひげの中から、白い歯を見せながら笑う二十五歳の大久保七郎右衛門。日焼けしていることもあり、対比的に白い歯が目立つ。
「大久保七郎右衛門。そちの隣に愛らしく座っておるのは……」
「はっ、某の長子、千丸にございまする!」
「左様か。して、千丸よ。そなたはいくつになるか」
「四ツになりまする」
「そうか、四ツか。まだまだ元服は先となろうが、それまでにしかと武芸と学問に励むのじゃぞ」
「はいっ!」
元信の予想を良い意味で大きく上回る元気な返事に元信はニヤリと笑みをこぼす。このまま素直に成長すれば、さぞかし立派な武士となる。そう感じ取ったからでもあった。
「殿」
「おお、甚四郎か。いかがした?」
「はっ、まずは弟が一名遅参いたしたる段、お許し願いたく。そして、某の子供らを紹介いたしたく存じまする」
「左様か、甚四郎が弟はこれへ参った折に紹介してくれい。今はこの場におるそちの自慢の子らを紹介してくれよ」
武芸に秀でた大久保一族。大久保甚四郎、大久保七郎右衛門をはじめ、今日集まっている大久保一族は見た目からして武闘派といった雰囲気が感じられる。
「然らば、七郎右衛門が左におるは次男、治右衛門忠佐にございます」
「ご紹介に預かりました、大久保治右衛門忠佐にござる!以後、お見知りおきくだされ!」
「うむ、大久保治右衛門か。そちも蟹江での活躍も聞き及んでおる。ご苦労であったな」
「ありがたき幸せ!今後とも槍働きにてご奉公いたしまするゆえ、戦の折にはぜひとも拙者に先鋒を!」
「たわけ!先鋒はこの七郎右衛門と決まっておる!」
「なにをっ!」
七郎右衛門の五ツ下の弟・治右衛門。まだまだ二十歳と血気盛んな若武者ゆえに、兄が相手であろうとも譲らない頑固さがあった。
「あにうえ、とののごぜんでございますぞ」
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「し、新蔵か」
「治右衛門、ここは新蔵に免じて拳を下すがよい」
「と、殿にまでそのように言われては従わぬわけには参りませぬ」
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「そうじゃ、殿。ただいま、七郎右衛門と治右衛門が諍いを止めたは四男の新蔵にございまする」
「そうかそうか。して、四男と申したが、三男はいかがした?」
「はっ、三男は僧となり慶典と号しておりまする」
「なるほどのう。僧となっておったか。一度、会うてみたいものぞ」
「そのお言葉を聞けば、慶典も喜びましょう」
まだ会ったことのない大久保甚四郎忠員の三男坊。一体、どのような者であるのか。期待に胸を膨らませる元信なのであった。
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「二人とも幼いが、いくつになるか」
「勘七郎が六ツ、彦十郎が三ツになります」
「ほう、そうであったか。わしよりも十近く年下の子らか。この子らが元服する頃にはわしも二十を超えておるか。そう思えば、年が随分離れているように感じるの」
勘七郎はどこかへ遊びに行きたいのか、落ち着かない様子。彦十郎は今の状況をよく分かっていないといった様子でぽかんとしている。一見すると、勘七郎も彦十郎も大久保甚四郎の孫と言われても信じてしまうほどの幼さであった。
そうして大久保甚四郎一家と話し込むうち、陽は頭上高くより地上を照らす頃となる。そこへ、遅れて到着した男の姿があった。
「甚四郎兄者、遅くなった!」
「おう、藤五郎か。遅かったではないか」
「はっ、岡崎の菓子屋の主人より菓子の作り方を教わっておったらこのような時間になってしもうた」
「まったく、また菓子作りか。そのような戦の役にも立たぬことで遅れて参るとは言語道断じゃ」
「ま、まこと申し訳ござらん……!」
遅れて大樹寺へやってきた藤五郎と呼ばれた弟を叱り飛ばす甚四郎。怒っている理由は遅れた原因にあるのだが、さすがに不憫だと元信は制止しにかかる。
主君からの制止に甚四郎は素直に従い、ようやく藤五郎は元信の前に着座することができた。
「殿、遅参いたしたる段、伏して詫びまする!」
「気にせずともよい。それよりも、大久保藤五郎。そちは菓子作りに関心があるのか」
「はっ、目の前の菓子作りに専念していると、俗世のことをすべて忘れて没頭することができまする」
「ほう、一種の座禅のようなものであるか。甚四郎は戦の役には立たぬと申したが、物事に集中して取り組む姿勢は合戦でも活かされるとわしは思うぞ」
大久保藤五郎をかばう一言を放つ元信。そんな彼の中では武闘派の大久保一族にも菓子作りを好む者があったことに意外さを感じていたのであった。
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影武者の天下盗り
井上シオ
歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」
百姓の男が“信長”を演じ続けた。
やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。
貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。
戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。
炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。
家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。
偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。
「俺が、信長だ」
虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。
時は戦国。
貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。
そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。
その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。
歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。
(このドラマは史実を基にしたフィクションです)
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