不屈の葵

ヌマサン

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第4章 苦海の章

第95話 織田の意地と松平の意地

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 夜闇に紛れて飛来する数多の矢。轟音とともに無慈悲に松平兵の命を奪っていく鉄炮玉。そこへ、城門を押し開き、鬨の声をあげながら刀や槍を手に打って出てくる織田兵。

 当初、一刻とかからずに終幕となるかに見えた丸根砦攻めであったが、ここへ来て、戦いの様相は一変してしまった。

「正親様!敵勢が打って出て参りました!あれほどの数、当隊だけでは防ぎきれませぬ!」

「じゃが、先ほどの敵の飛び道具による攻撃で松平宗家の隊も崩れておるし、五井松平とはまだ距離がある!何としても、ここで食い止めねばならぬ!」

 城門へとかかった大草松平勢は一番乗りだと歓喜していたが、ここへ来て、服部玄蕃率いる織田勢が逆に打って出てきたことに狼狽し、押され出していた。

 その間にも砦内から銃声が轟き、矢が風をきって松平兵を絶命させていく。松平勢も矢を射返したり、数少ない鉄炮を用いて応じるも、劣勢であることに変わりはなかった。

「うぐっ!」

「ま、正親様!」

 砦内から放たれた矢が首筋に命中したのは、よりにもよって大草松平家当主・善兵衛尉正親であった。

 落馬した彼の元に重臣たちらが集い、助け起こす。雑兵らは手にした木楯で敵の矢を防ぐ。そのほかの兵士らは主君の元へ敵を近づけさせまいと懸命に力戦する。されど、その奮闘も空しく、大草松平家当主の生命は今にも耐えようとしていた。

「わ、わしはここまでのようじゃ……」

「正親様!」

「大草へ帰ったら、おじい様へ不孝な孫は先に冥途へ旅立った。ぜ、善四郎のことを何卒よろしく頼むぞ、と伝えてくれ――」

 大草松平家当主・善兵衛尉正親が去り際に思い浮かべたのは祖父・昌久とまだ六歳と幼い嫡男・善四郎の顔であった。

 ――大草松平家当主・松平善兵衛尉正親戦死。享年四十八。

 当主の死を受けて、大草松平勢は戦線の維持が困難となり、後退。勢いに乗った織田兵が三十五歳で敵の弾丸を受けて絶命した筧又蔵正則のいる松平宗家の第一陣へと襲いかかる。

「さ、佐久間様!ここまでの乱戦となっては弓鉄炮では狙えませぬ!」

「分かっておる。皆の衆、弓鉄炮を刀や槍に持ち替えよ。松平勢と心中するつもりで、残っておる全員で突撃を敢行するぞ!この佐久間大学に後れを取るなよ!さぁ、我につづけぇ!」

 柵内で守備の指揮を執っていた佐久間大学盛重も服部玄蕃ばかりに手柄を取られては叶わぬとばかりに砦の外へと打って出た。ここまで押し戻せば、砦を守る必要はなく、打って出て敵を撤退に追い込んだ方が早かった。

 そうして織田勢優位の戦況の中、松平勢の第一陣は混乱しながらも織田軍を迎え撃った。

「くっ、うらぁ!」

 組み伏せられていた筧重成は討たれまいと必死にあがき、体勢をひっくり返して敵の首級を挙げた。そのすぐ傍では蜂屋半之丞貞次が得意の槍で向かってくる織田兵を赤子の手を捻るが如く、易々と討ち取っていく。

「どうした!織田の者共!この蜂屋半之丞に叶う猛者はおらぬのか!」

 蜂屋半之丞からの挑戦に幾人もの腕利きの者たちが向かっていくも、それをあざ笑うかのように易々と物言わぬ死体へ変えていく。

 その様子に奮起して敵勢に当たっていく松平重利であったが、敢え無く討ち死に。

 巨躯と怪力でもって、決死の織田兵を次から次へと叩き伏せる蜂屋半之丞の化け物ぶりがかえって強調される結果となった。

「織田の雑魚ども!口ほどにもない!飛び道具がなければ、おれの槍先にも寄りつけぬらしいぞ!わはははは!」

「半之丞、落ち着け。調子に乗っては危ういことにもなりかねぬ」

 織田兵の死体を蹴り飛ばしながら、地獄の中で大笑いする蜂屋半之丞を諫めたのは討ち死にした筧又蔵の次兄・平四郎正重であった。しかし、筧平四郎は振り向いた蜂屋半之丞の頬に雫が幾筋も伝っていることに気づいてしまう。

「お主、泣いておるのか」

「ふん、筧又蔵とは妻同士が姉妹じゃ。おれにとっても兄弟のようなもの、その死を悲しんで何が悪い!」

「いや、すまぬ。お主が弟の死を悲しんでくれるとはな。よし、ここからは弟の仇討ちじゃ!飛び道具を使わねば、又蔵を討てぬような雑魚に負ける気などせん!」

「よし、その意気じゃ!平四郎殿!この半之丞に後れを取るでないぞ!」

 そう言って、槍をぶんぶん振り回し、右へ左へ、織田兵を豪快に薙ぎ払っていく蜂屋半之丞。彼に後れを取るまいと持ち前の槍捌きで敵兵を討っていく筧平四郎なのであった。

 そこから七間ほど離れた地点では平岩五左衛門正広も手傷を負いながら奮戦していた。

「ふんっ!」

「ぐはっ!」

 そんな彼の背後に忍び寄った織田の侍大将を、平岩五左衛門が気づく前に側にいた渡辺源蔵が叩き切って見せる。

「おお、源蔵殿!助かりましたぞ!」

「まったく、背後ががら空きではないか。これでは討ってくれと言っておるようなものじゃ」

「ははは!そうか、ならば少しは背後にも気を配るとしよう。そう言う源蔵殿は槍はどうなされた?」

「ああ、さっき織田兵と槍を交えた時に折れてしもうた。ゆえに、やむなくこの太刀で戦っておるまで」

「左様であったか。実は某も槍の穂先を叩き切られましてな、ゆえに同じく太刀のみで戦っておる」

 偶然にも槍が使い物にならなくなった者同士、織田軍を相手に共闘していく平岩五左衛門と渡辺源蔵。

 そこから三間ほど離れた場所にて、まだ二十五と若い高木長次郎広正が織田兵を斬り伏せ、今にも討ち取られそうになっている味方を助け出したところであった。

「大丈夫にござるか!」

「その声は、高木長次郎ではないか」

「おおっ、もしや高力新九郎殿ではござらぬか!?」

 暗闇でお互いの顔も見えずらい中で助け出したのが、高力新九郎重正とは思わなかった高木長次郎。しかし、助け起こした右手に、べっとりと液体が付着する。

「高力新九郎殿、もしや撃たれたので!?」

「ははは、腹部に一発貰ってしまってのぅ。それから右の太ももと右肩にも矢を受け申した……」

 高木長次郎は高力新九郎の傷の具合から見て、助からないことは容易に想像できた。そもそも、これだけの傷を負いながら、よく戦い続けられたと言ったところ。

「助け出した貰ったのに相済まぬが、わしの命はここまでのようじゃ」

「そ、そのようなこと仰られないでくだされ!」

「嘘をつかずともよい、己の天命はわしが良く分かっておる……」

 そう言っている間にも高力新九郎の出血は止まることはなく、傷口を押さえる高木長次郎の手も紅に染め上げていた。一人の老人の命が燃え尽きようとしている間にも、織田兵は眼前にいる高木長次郎を討ち取らんと押し寄せる。

「長次郎よ、殿を頼む!ここで負けるようなことにでもなれば、殿だけでなく、先代の広忠公、先々代の清康公にもあの世で顔向けできぬ……」

「さ、されど……」

 戦場にて迷いが生じた高木長次郎めがけて織田兵の槍先が繰り出された刹那、その織田兵は側面からの攻撃を受けて絶命していた。

「大丈夫でござったか!」

「こ、これは松平弥九郎殿!」

「おう、調子に乗っておる織田の奴らは我ら五井松平が根絶やしにしてくれるわ!高木殿も加わらぬか!」

「じゃが……」

 高木長次郎が視線を目の前の老人に視線を落とすと、安らかな表情で高力新九郎は静かに眠りについていた。

 二十五年前の松平清康が阿部正豊によって討たれた守山崩れに乗じて攻め込んできた織田軍との戦いで兄・高力安長が命を落として以来、その遺児・与左衛門清長を養育してきた高力新九郎重正も戦場において死したのである。

「くっ、弥九郎殿。この高木長次郎も隊に加わりまする!高力新九郎殿の分も戦わねばなりませぬゆえ!」

「よし、然らば今より織田勢の横っ腹を突いてやろうぞ!大草松平勢も突き崩されたが、体勢を立て直しつつある。ここは大草松平勢とも合力して織田勢を押し戻してくれよう!」

「うむ、そういたすがよろしかろう。我ら宗家の強者どももあちらこちらで大暴れして織田兵も手を焼いておる様子。存外、織田勢は脆いのやもしれませぬ」

 高木長次郎の言うように、一時は押し戻された寄せ手の松平勢であったが、振り返れば第二陣として控えていた大久保新八郎忠俊や石川彦五郎が指揮する宗家の軍勢や長沢松平勢も動き出し、青野松平勢などはすでに大草松平勢と合流して、織田軍と交戦を開始していた。

 そうした松平勢が盛り返しつつある情勢に、最前線で白刃を振るう服部玄蕃は焦りを感じていた。

「ぐぬぬ、今川の奴ら、早くも陣形を立て直しつつある。ここは分断される前に一度門まで下がり、佐久間殿の部隊と合流した方が良さそうじゃ」

 一度後退する決断をした服部玄蕃は佐久間隊と分断される前に後退して合流しようと試みる。しかし、そんな号令を下すよりも早く、彼の前に立ちふさがった豪傑の姿があった。

「お主がここの砦の守将の一人じゃな」

「おう、いかにもじゃ。拙者、服部玄蕃と申す!そういうお主は何者じゃ!」

「わしは松平蔵人佐元康が家臣!筧平三郎重忠じゃ!一騎打ちを所望いたす!」

「ふん、三河の弱小国衆の家来如きが!身の程を弁えよ!」

 服部玄蕃よりの言葉が言い終わるか言い終わらぬかというところで、すでに筧平三郎は地面をけって大上段から打ち込んでいた。

 その手に握られた太刀は上和田城主・松平忠倫を暗殺した折に暗殺の証として持ち帰り、そのまま恩賞として与えられた忠倫佩刀の平安城長吉の刀である。

「ぐっ、何という豪剣……!」

 筧平三郎の最初の一撃を受けただけで、服部玄蕃の腕は震えだす。このまま力を加え続けたら、腕の筋肉が破裂してしまうのではないか、などと思ってしまうほど力んでいる服部玄蕃。

 されど、彼がこれほど力を込めてなお、ゆっくりと平安城長吉の刀身は脳天を叩き割ろうと迫ってくるのである。

「ふんっ!我が主君への愚弄、断じて許せぬ!織田の若造ごときが図に乗るでないわっ!」

 筧平三郎が咆哮とともにさらなる力を籠めて振り下ろし、確かな手ごたえとともに眼前の地面を見ると、兜ごと頭を勝ち割られた服部玄蕃の死体が転がっているのみであった。

「よし、服部玄蕃とか申す敵将、この筧平三郎が討ち取ったぞ!このまま佐久間なんちゃらとかいう雑魚も刀の錆にしてくれるわ!がははははは!」

 血刀を肩に担ぎながら豪快に笑う筧平三郎重忠。齢五十となっても往年の頃を彷彿とさせる活躍ぶりに、追いついてきた松平兵は勇気を得る。

「よし、重成!平四郎!このまま一気に織田兵はなで斬りにしてくれようぞ!」

「はい!父上!」

「おう、このまま我らの手で佐久間大学の首級も挙げてしまいましょうぞ!」

 筧一族が立ちはだかる服部玄蕃をくだし、前進を再開した頃。第二陣に控える大久保新八郎や石川彦五郎のもとへ、討ち死にした者たちの名が聞こえ始めていた。

「なにっ、筧又蔵殿、松平重利殿、高力新九郎殿が討ち死にし、大草松平家当主の善兵衛尉殿までもが亡くなったと申すか!」

 第一陣の様子を伝えてきた雑兵からの報告に血相を変えるのは石川彦五郎。されど、老練な大久保新八郎は目を閉じたまま、じっと報告を聞いていた。

「彦五郎、落ち着けい。一度崩れた大草松平勢も第二陣の青野松平勢が合力して盛り返し、生き残った宗家の軍勢も五井松平家と協力して敵を一歩、また一歩と門の方へと押し戻しておる。我らも急ぎ前進し、後詰めせねばならぬところ」

「さ、されど、討ち死にした筧又蔵殿は新八郎殿の娘婿!なにゆえ、左様に平静でおられるので!」

「平静か。装っておるだけじゃ。本心を言えば、今すぐにでも槍を片手に飛び出して織田の奴らは皆殺しにしてやりたいくらいじゃ。されど、わしは殿から第二陣を託された身。軽率な行動は控えねばならぬ」

 言外に『娘婿を討たれたわしもこうして怒りを抑えて軍を指揮しているのだ。お主も堪えよ』と言っているかのような大久保新八郎の言葉に、石川彦五郎は沈黙せざるを得なかった。

「よし、我ら第二陣も全速前進じゃ!憎たらしい織田の糞どもに一太刀浴びせに参るぞ!ついて来さっしゃい!」

 かくして何十年にも渡って愛用してきた長槍を家人から受け取った大久保老人に率いられた第二陣は獲物に飢えた虎が野へ放たれたかのように疾駆し、第一陣との距離を詰めていく。

 そうした怨嗟連なる戦場の様子に、本陣に控える元康もまた、第三陣へ急ぎ前進するように通達し、本隊もまた疾風迅雷の行軍を見せるのであった。時刻はまもなく、辰の刻になろうとしていた――
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