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第4章 苦海の章
第166話 遠州忩劇
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曳馬城主・飯尾豊前守連龍が反旗を翻したことは関東より帰陣した駿府館の今川氏真の知るところとなった。
「なにっ、飯尾豊前守が逆心したと!」
「はっ、頭陀寺城にも兵らを籠城させ、当家への敵対を表明したげにございまする!」
思いがけない『飯尾豊前守逆心』の報せに今川上総介氏真は目の前の文机を放り投げ、憤怒を露わにする。それを側で見ていたのは、飯尾豊前守逆心を報せた朝比奈丹波守親徳であった。
「丹波守!ただちに曳馬、頭陀寺の両城へ軍勢を差し向けよ!」
「然らば、某の倅らを出陣させましょうぞ。もはや某も槍働きすることは叶いませぬが、代わりに倅らを差し向けまする」
「そうか、未だ三年前に負った鉄砲疵は癒えぬか。よかろう、お主の代わりに倅の三郎兵衛らを出陣させることを認めようぞ。加えて、富士郡の富士又八郎や馬伏塚の小笠原与左衛門尉らにも出陣するように命じよ!」
「委細承知!」
氏真の命を受けると、朝比奈丹波守は逆心した飯尾豊前守を討ち果たすべく、今川方の軍勢を招集し出陣させた。
今川方の軍勢と飯尾勢は引間飯田口にて激突し、死傷者を多数出す激戦を展開した。この激戦の結果を受けて、氏真が朝比奈右兵衛大夫や富士又八郎、小笠原与左衛門尉といった者らに感状を発給している。
しかし、氏真にとって痛恨の極みであったのは、ここで一挙に飯尾勢を制圧し、叛乱を鎮圧させられなかったこと。それすなわち、永禄四年の松平蔵人逆心と同じく長期化の様相を呈し、引間一変と呼称される事態となってしまったのである。
「殿!此度の飯田口での合戦、今川方を退けられたこと祝着至極に存じまする!」
「おお、わしは戦ってはおらなんだが、皆の奮闘あってこその結果じゃ!そんな飯尾の勇士たちよ!褒美として酒を下賜しよう!今宵は無礼講じゃ!飲めや歌えや!」
飯尾氏の居城・曳馬城では今川方の軍勢に敗れることなく、退けたこともあってどんちゃん騒ぎの宴会が催されていた。その中で、飯尾豊前守連龍に賀詞を述べたのは江馬加賀守時成であった。
「加賀守、今川方は次にどのような手を打ってくるであろうか」
「打ち手も何もありますまい。我らが意気軒昂である限り、駿府からは容易に手出しなどできませぬ!当城と頭陀寺城は東からは天竜川を渡らねば攻め込めませぬ」
「そうじゃな。此度の侵攻がまさしくそれであった。さりとて、北西には堀江城の大澤左衛門佐基胤、井伊谷の井伊がおる。これに東三河の今川方が合わさって攻め寄せた場合はいかにするぞ」
「それはございますまいかと。東三河の国衆らは遠江へ侵攻すれば自領が松平方に攻められることを理解しておりまする。決して自領を空けるような愚かな真似はいたしますまい。となれば、堀江城の大澤左衛門佐も単独で当家を攻めることには兵力が不足しております。ましてや井伊など当主が暗殺されて当主不在の状況。今川御一家衆の新野左馬助親矩が家中の混乱を鎮めるので手一杯な折に、こちらへ攻め寄せて来る気遣いはございませぬ」
「いや、加賀守が申す通りじゃ。然らば、我らは今川方の軍勢を跳ね返し続け、蔵人佐殿らが援軍に参るまで攻勢に転じるべきではないということか」
飯尾豊前守の言葉に首肯する江馬加賀守。今の飯尾勢の兵数では他家の所領へ攻め込む余力はない。仮にそのようなことをしても、不在の虚を今川方に突かれれば頭陀寺城も曳馬城もあえなく陥落させられるのが目に見えている。
とにかく圧倒的に動員できる兵力が多い今川方に対し、自領を防衛し続けることを念頭に置いた飯尾豊前守らであったが、翌閏十二月。追い風が吹く。
その変事はまたもや駿府館へ注進され、一層氏真の機嫌を斜めに傾かせていく。
「ちっ、今度は周智郡犬居城の天野がか……!」
「されど、天野氏が離反したのではなく、家中分裂というのが実情にございまする」
遠江北部の周智郡犬居城を拠点とする天野氏。その中でも天野安芸守景泰・七郎元景父子が今川家を離反し、天野宮内右衛門尉藤秀は今川方に留まっている。それを朝比奈丹波守は氏真に伝えたかったのである。
「もとより犬居城の天野氏は先代義元公が存命であられた頃より惣領の安芸守家と庶家の宮内右衛門尉家の間で家督と所領をめぐって対立を繰り返しておりました」
「そのようなことは存じておる。父もその調停などに苦心しておられたゆえな。顔を合わせるごとにいがみ合うゆえな。じゃが、犬居領の支配権については昨年二月に天野宮内右衛門尉が奪取することを予が認めたことで決着したではないか。何を今さら……」
「仰る通りにございます。されど、御屋形様の裁断に感謝していた天野宮内右衛門尉が当家方、それに内心不服であった天野安芸守が反旗を翻したというのが此度の発端なのでしょう。おそらく、飯尾豊前守を先月の一戦で撃滅できなかったことが尾を引いているものと推測されまする」
元より家督や所領をめぐって争っていた天野安芸守景泰と天野宮内右衛門尉藤秀。今川義元が健在であった頃や飯尾豊前守が逆心するまでの今川氏真の統治など、今川領国が盤石であった折には国衆内部の些末事が、ここへ来て表面化し、内訌へと発展してしまったのである。
「ここは同盟先の武田家や北条家からも援軍を送っていただくより状況を好転させることは不可能ではなかろうかと」
「なにっ、予の器量では引間も犬居も鎮定できず、三河の松平方を一掃することはできぬと申したいのか!」
「いえっ、断じてそのようなことは!ただ、武田や北条の援軍を得られるか否かで戦局は大きく変わりまする!それゆえ、援軍要請をしてみてはと……!」
氏真も朝比奈丹波守が自身の器量不足を詰ったのではないことくらい理解できていた。だが、思い通りに松平蔵人佐との戦いを好転させられず、飯尾豊前守や天野安芸守の鎮定すらままならない自分の現状に苛立って仕方ないのだ。
「相模の舅殿も甲斐の叔父御も関東での戦で多忙なのだ。到底援軍など寄こしはしまい。何より、甲斐の叔父御に当家の弱体化を知られるわけにはいかぬ!実の父を追い出し、肉親を肉親とも思わぬ虎が今の当家を見れば何と思うか……!」
齢二十六の氏真にとって、四十三となった叔父・武田信玄は恐ろしい猛虎にしか見えなかった。盤石な折は頼もしい味方に思えてならなかったが、三河のみならず、遠江の統治すらまともに行えておらぬ窮状を知られては、同盟を破棄して攻め込んでくる恐れもあると感じていた。
そんな今川氏真が内心恐れてやまない甲斐の虎こと徳栄軒信玄は北条家からの要請を受けて上野国へ出陣している最中であった。
「四郎、上州の冬はまこと身に堪えるのう」
「父上、外に出られては寒うございます」
閏十二月六日。上杉弾正少弼輝虎が厩橋城にて越年するつもりであるとの知らせを受け取った信玄は四男・諏訪四郎勝頼とともに陣中で暖をとっていた。
そこへ、駿河との国境付近を領する穴山彦六郎信君の重臣・佐野主水助泰光からの使者が到着したのである。
「御屋形様、我が主佐野主水助泰光よりの使者にございます」
「ほう、佐野主水助泰光と申せば彦六郎の重臣か。そうまで息を切らして参ったところから察するに、火急の用であろう」
信玄の次女を妻とする穴山彦六郎の重臣から急ぎの使者。この場合、穴山家中での変事、もしくは本国甲斐にて何らかの変事があったのであろうと、信玄は推測した。
「して、用向きを窺おう。申してみよ」
「はっ、然らば言上いたしまする」
使者は語気を整えたいのか、それとも主君の主君のそのまた主君を前に緊張しているからなのか。一度深呼吸を挟んでから口上を述べ始める。
「結論から申し上げますと、今川領の遠州での変事にございまする」
「ほう、遠州とな」
「はっ!先月に入り曳馬城の飯尾豊前守連龍が駿河屋形に対して逆心!それに呼応するかのように犬居城の天野安芸守景泰が同じく逆心!その鎮圧に手を焼き、長期化の様相を呈してございまする」
使者からの報告を受けて、考え込む素振りをする信玄。その隣で、父が一体どのような言葉を発するのかと、固唾を呑んで見守る諏訪四郎勝頼。父の返答如何によっては今後の武田軍の動きも一大転機を迎えることにもなるのだから。
「いや、遠州でのこと、承知した。佐野主水助宛ての返書をしたためるゆえ、しばらく別室で待たれるがよかろう」
「はっ、お気遣いいただきありがとうございまする!然らば、その返書を預かり次第、ただちに 立ち返らせていただきまする!」
一度、使者を別室へ下がらせると、遠ざけてあった文机を引き寄せ、墨をすり始める。何も言わずに書状をしたためようとする父に、たまらず勝頼が口を挟む。
「父上、使者へは何もおっしゃりませなんだが、一体どのようになされるご所存でしょうか」
信玄は勝頼からの問いには答えず、黙々と筆を進めていく。綴られていく文字を目で追っていくと、勝頼も読んで合点のいく内容が記されていた。
以幸便染一筆候、仍遠州之体実義候哉、無是非次第ニ候、駿州之内彼方之調可然様候て、過半駿之内可相破様ニ候者、早々可致注進、此表者焼動迄之事候条、以夜継日急ニて可納馬候、又遠州者心替候ヘ共、駿州衆各守氏真前、自元三州之備も氏真可有本意様ニ候者、以次暫之在陣、関東之義可明隙候、何ニ両様其方具致見聞、以早飛脚注進待入候、謹言
壬十二月六日 信玄(花押影)
「父上、これは今川軍が遠江や三河の反逆者を一掃できなければ、上州の陣を引き払い、甲斐へ撤退なされるお考えでありましたか」
「すでに北遠江の周智郡でも今川家を離反した者がおるのであらば、当家領の信濃へも良からぬ影響が出るやもしれぬ。そのあたりの手当ては今のうちに講じておくに越したことはない。さりとて、叛乱を鎮められず、駿河にまで混乱が拡大したならば本国甲斐すらも危うい」
「父上の仰る通りにございます。それゆえ、つぶさに遠州がことを報せるよう書き記されたのですな」
信玄は勝頼の言葉を頷いて肯定すると、続けて別な書状をしたため始める。
「父上、書状が仕上がったのでしたら、佐野主水助が使者へ託して参りましょう」
「待て。その書状の追而書を後ほどしたためようほどに」
「はっ、ご無礼を」
勝頼がそっと佐野主水助宛ての書状を文机の側に置くと、その頃には信玄の筆はまるで書くことが以前から決まっていたかのように、すらすらと言葉が綴られていく。そんな書状が宛先を変えて同じ内容で幾通も出来上がると、信玄は手を叩いて小姓を呼び出した。
「御屋形様、お召しでしょうか」
「うむ。この書状すべてを穴山彦六郎がもとへ届けて参れ」
「はっ、承知いたしました!では、行って参りまする!」
小姓は信玄より束になった書状を受け取ると、佐野主水助の主・穴山彦六郎へ届けるべく、退出していく。
そうして小姓の姿が遠く見えなくなる頃、信玄は先ほどの佐野主水助宛ての書状の追而書、すなわち追伸を書くべく筆を取る。そこには、このように記されていた。
追而駿州必可相破様ニ聞届候者、此時候間、早々納馬彼国之本意可相急候、此所々能々聞届、注進尤ニ候、又彼方ヘ越書状候、彦六郎殿ヘ渡候間、被指越候者、早々可被届候、以上
佐野主水助殿
「なるほど、先ほど穴山彦六郎殿へ届けるように命じられた書状はこのことにございましたか。されど、今川家へ逆心した者らへ書状を届けよとは、いかなるお考えで?」
勝頼からの疑問に、信玄は目を閉じ巌のように動かず、返答しなかった。その間にも、勝頼の心の中で最も気にかかること、それすなわち『彼国之本意』とはいかなる意味で解釈すれば良いのか、疑念の焔が刻一刻と大きくなってゆく。
その勝頼が気にかかる文言は主語がはぐらかされており、氏真の本意を支援するという意味にも解釈する余地がありながら、父・信玄の駿河を奪取したいという本意とも解釈できる絶妙な意味合いの文言であったのだ。
もし、後者が真意であるならば、信玄はつい先ほどの佐野主水助よりの使者からの報告で知った遠州にて忩劇が起こったとの報告に接し、甥っ子・今川氏真は今川領国を治める器量が不足していると見切りをつけたということを意味している。
――父上、一体何をお考えなのですか。
その言葉が喉元まで出かかっているというのに、座禅を組んでいるかのように微動だにしない父に向けて声をかけられない齢十八の公達・諏訪四郎勝頼なのであった――
「なにっ、飯尾豊前守が逆心したと!」
「はっ、頭陀寺城にも兵らを籠城させ、当家への敵対を表明したげにございまする!」
思いがけない『飯尾豊前守逆心』の報せに今川上総介氏真は目の前の文机を放り投げ、憤怒を露わにする。それを側で見ていたのは、飯尾豊前守逆心を報せた朝比奈丹波守親徳であった。
「丹波守!ただちに曳馬、頭陀寺の両城へ軍勢を差し向けよ!」
「然らば、某の倅らを出陣させましょうぞ。もはや某も槍働きすることは叶いませぬが、代わりに倅らを差し向けまする」
「そうか、未だ三年前に負った鉄砲疵は癒えぬか。よかろう、お主の代わりに倅の三郎兵衛らを出陣させることを認めようぞ。加えて、富士郡の富士又八郎や馬伏塚の小笠原与左衛門尉らにも出陣するように命じよ!」
「委細承知!」
氏真の命を受けると、朝比奈丹波守は逆心した飯尾豊前守を討ち果たすべく、今川方の軍勢を招集し出陣させた。
今川方の軍勢と飯尾勢は引間飯田口にて激突し、死傷者を多数出す激戦を展開した。この激戦の結果を受けて、氏真が朝比奈右兵衛大夫や富士又八郎、小笠原与左衛門尉といった者らに感状を発給している。
しかし、氏真にとって痛恨の極みであったのは、ここで一挙に飯尾勢を制圧し、叛乱を鎮圧させられなかったこと。それすなわち、永禄四年の松平蔵人逆心と同じく長期化の様相を呈し、引間一変と呼称される事態となってしまったのである。
「殿!此度の飯田口での合戦、今川方を退けられたこと祝着至極に存じまする!」
「おお、わしは戦ってはおらなんだが、皆の奮闘あってこその結果じゃ!そんな飯尾の勇士たちよ!褒美として酒を下賜しよう!今宵は無礼講じゃ!飲めや歌えや!」
飯尾氏の居城・曳馬城では今川方の軍勢に敗れることなく、退けたこともあってどんちゃん騒ぎの宴会が催されていた。その中で、飯尾豊前守連龍に賀詞を述べたのは江馬加賀守時成であった。
「加賀守、今川方は次にどのような手を打ってくるであろうか」
「打ち手も何もありますまい。我らが意気軒昂である限り、駿府からは容易に手出しなどできませぬ!当城と頭陀寺城は東からは天竜川を渡らねば攻め込めませぬ」
「そうじゃな。此度の侵攻がまさしくそれであった。さりとて、北西には堀江城の大澤左衛門佐基胤、井伊谷の井伊がおる。これに東三河の今川方が合わさって攻め寄せた場合はいかにするぞ」
「それはございますまいかと。東三河の国衆らは遠江へ侵攻すれば自領が松平方に攻められることを理解しておりまする。決して自領を空けるような愚かな真似はいたしますまい。となれば、堀江城の大澤左衛門佐も単独で当家を攻めることには兵力が不足しております。ましてや井伊など当主が暗殺されて当主不在の状況。今川御一家衆の新野左馬助親矩が家中の混乱を鎮めるので手一杯な折に、こちらへ攻め寄せて来る気遣いはございませぬ」
「いや、加賀守が申す通りじゃ。然らば、我らは今川方の軍勢を跳ね返し続け、蔵人佐殿らが援軍に参るまで攻勢に転じるべきではないということか」
飯尾豊前守の言葉に首肯する江馬加賀守。今の飯尾勢の兵数では他家の所領へ攻め込む余力はない。仮にそのようなことをしても、不在の虚を今川方に突かれれば頭陀寺城も曳馬城もあえなく陥落させられるのが目に見えている。
とにかく圧倒的に動員できる兵力が多い今川方に対し、自領を防衛し続けることを念頭に置いた飯尾豊前守らであったが、翌閏十二月。追い風が吹く。
その変事はまたもや駿府館へ注進され、一層氏真の機嫌を斜めに傾かせていく。
「ちっ、今度は周智郡犬居城の天野がか……!」
「されど、天野氏が離反したのではなく、家中分裂というのが実情にございまする」
遠江北部の周智郡犬居城を拠点とする天野氏。その中でも天野安芸守景泰・七郎元景父子が今川家を離反し、天野宮内右衛門尉藤秀は今川方に留まっている。それを朝比奈丹波守は氏真に伝えたかったのである。
「もとより犬居城の天野氏は先代義元公が存命であられた頃より惣領の安芸守家と庶家の宮内右衛門尉家の間で家督と所領をめぐって対立を繰り返しておりました」
「そのようなことは存じておる。父もその調停などに苦心しておられたゆえな。顔を合わせるごとにいがみ合うゆえな。じゃが、犬居領の支配権については昨年二月に天野宮内右衛門尉が奪取することを予が認めたことで決着したではないか。何を今さら……」
「仰る通りにございます。されど、御屋形様の裁断に感謝していた天野宮内右衛門尉が当家方、それに内心不服であった天野安芸守が反旗を翻したというのが此度の発端なのでしょう。おそらく、飯尾豊前守を先月の一戦で撃滅できなかったことが尾を引いているものと推測されまする」
元より家督や所領をめぐって争っていた天野安芸守景泰と天野宮内右衛門尉藤秀。今川義元が健在であった頃や飯尾豊前守が逆心するまでの今川氏真の統治など、今川領国が盤石であった折には国衆内部の些末事が、ここへ来て表面化し、内訌へと発展してしまったのである。
「ここは同盟先の武田家や北条家からも援軍を送っていただくより状況を好転させることは不可能ではなかろうかと」
「なにっ、予の器量では引間も犬居も鎮定できず、三河の松平方を一掃することはできぬと申したいのか!」
「いえっ、断じてそのようなことは!ただ、武田や北条の援軍を得られるか否かで戦局は大きく変わりまする!それゆえ、援軍要請をしてみてはと……!」
氏真も朝比奈丹波守が自身の器量不足を詰ったのではないことくらい理解できていた。だが、思い通りに松平蔵人佐との戦いを好転させられず、飯尾豊前守や天野安芸守の鎮定すらままならない自分の現状に苛立って仕方ないのだ。
「相模の舅殿も甲斐の叔父御も関東での戦で多忙なのだ。到底援軍など寄こしはしまい。何より、甲斐の叔父御に当家の弱体化を知られるわけにはいかぬ!実の父を追い出し、肉親を肉親とも思わぬ虎が今の当家を見れば何と思うか……!」
齢二十六の氏真にとって、四十三となった叔父・武田信玄は恐ろしい猛虎にしか見えなかった。盤石な折は頼もしい味方に思えてならなかったが、三河のみならず、遠江の統治すらまともに行えておらぬ窮状を知られては、同盟を破棄して攻め込んでくる恐れもあると感じていた。
そんな今川氏真が内心恐れてやまない甲斐の虎こと徳栄軒信玄は北条家からの要請を受けて上野国へ出陣している最中であった。
「四郎、上州の冬はまこと身に堪えるのう」
「父上、外に出られては寒うございます」
閏十二月六日。上杉弾正少弼輝虎が厩橋城にて越年するつもりであるとの知らせを受け取った信玄は四男・諏訪四郎勝頼とともに陣中で暖をとっていた。
そこへ、駿河との国境付近を領する穴山彦六郎信君の重臣・佐野主水助泰光からの使者が到着したのである。
「御屋形様、我が主佐野主水助泰光よりの使者にございます」
「ほう、佐野主水助泰光と申せば彦六郎の重臣か。そうまで息を切らして参ったところから察するに、火急の用であろう」
信玄の次女を妻とする穴山彦六郎の重臣から急ぎの使者。この場合、穴山家中での変事、もしくは本国甲斐にて何らかの変事があったのであろうと、信玄は推測した。
「して、用向きを窺おう。申してみよ」
「はっ、然らば言上いたしまする」
使者は語気を整えたいのか、それとも主君の主君のそのまた主君を前に緊張しているからなのか。一度深呼吸を挟んでから口上を述べ始める。
「結論から申し上げますと、今川領の遠州での変事にございまする」
「ほう、遠州とな」
「はっ!先月に入り曳馬城の飯尾豊前守連龍が駿河屋形に対して逆心!それに呼応するかのように犬居城の天野安芸守景泰が同じく逆心!その鎮圧に手を焼き、長期化の様相を呈してございまする」
使者からの報告を受けて、考え込む素振りをする信玄。その隣で、父が一体どのような言葉を発するのかと、固唾を呑んで見守る諏訪四郎勝頼。父の返答如何によっては今後の武田軍の動きも一大転機を迎えることにもなるのだから。
「いや、遠州でのこと、承知した。佐野主水助宛ての返書をしたためるゆえ、しばらく別室で待たれるがよかろう」
「はっ、お気遣いいただきありがとうございまする!然らば、その返書を預かり次第、ただちに 立ち返らせていただきまする!」
一度、使者を別室へ下がらせると、遠ざけてあった文机を引き寄せ、墨をすり始める。何も言わずに書状をしたためようとする父に、たまらず勝頼が口を挟む。
「父上、使者へは何もおっしゃりませなんだが、一体どのようになされるご所存でしょうか」
信玄は勝頼からの問いには答えず、黙々と筆を進めていく。綴られていく文字を目で追っていくと、勝頼も読んで合点のいく内容が記されていた。
以幸便染一筆候、仍遠州之体実義候哉、無是非次第ニ候、駿州之内彼方之調可然様候て、過半駿之内可相破様ニ候者、早々可致注進、此表者焼動迄之事候条、以夜継日急ニて可納馬候、又遠州者心替候ヘ共、駿州衆各守氏真前、自元三州之備も氏真可有本意様ニ候者、以次暫之在陣、関東之義可明隙候、何ニ両様其方具致見聞、以早飛脚注進待入候、謹言
壬十二月六日 信玄(花押影)
「父上、これは今川軍が遠江や三河の反逆者を一掃できなければ、上州の陣を引き払い、甲斐へ撤退なされるお考えでありましたか」
「すでに北遠江の周智郡でも今川家を離反した者がおるのであらば、当家領の信濃へも良からぬ影響が出るやもしれぬ。そのあたりの手当ては今のうちに講じておくに越したことはない。さりとて、叛乱を鎮められず、駿河にまで混乱が拡大したならば本国甲斐すらも危うい」
「父上の仰る通りにございます。それゆえ、つぶさに遠州がことを報せるよう書き記されたのですな」
信玄は勝頼の言葉を頷いて肯定すると、続けて別な書状をしたため始める。
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「はっ、ご無礼を」
勝頼がそっと佐野主水助宛ての書状を文机の側に置くと、その頃には信玄の筆はまるで書くことが以前から決まっていたかのように、すらすらと言葉が綴られていく。そんな書状が宛先を変えて同じ内容で幾通も出来上がると、信玄は手を叩いて小姓を呼び出した。
「御屋形様、お召しでしょうか」
「うむ。この書状すべてを穴山彦六郎がもとへ届けて参れ」
「はっ、承知いたしました!では、行って参りまする!」
小姓は信玄より束になった書状を受け取ると、佐野主水助の主・穴山彦六郎へ届けるべく、退出していく。
そうして小姓の姿が遠く見えなくなる頃、信玄は先ほどの佐野主水助宛ての書状の追而書、すなわち追伸を書くべく筆を取る。そこには、このように記されていた。
追而駿州必可相破様ニ聞届候者、此時候間、早々納馬彼国之本意可相急候、此所々能々聞届、注進尤ニ候、又彼方ヘ越書状候、彦六郎殿ヘ渡候間、被指越候者、早々可被届候、以上
佐野主水助殿
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もし、後者が真意であるならば、信玄はつい先ほどの佐野主水助よりの使者からの報告で知った遠州にて忩劇が起こったとの報告に接し、甥っ子・今川氏真は今川領国を治める器量が不足していると見切りをつけたということを意味している。
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しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。
克全
歴史・時代
西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。
幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。
北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。
清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。
色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。
一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。
印旛沼開拓は成功するのか?
蝦夷開拓は成功するのか?
オロシャとは戦争になるのか?
蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか?
それともオロシャになるのか?
西洋帆船は導入されるのか?
幕府は開国に踏み切れるのか?
アイヌとの関係はどうなるのか?
幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
劉禅が勝つ三国志
みらいつりびと
歴史・時代
中国の三国時代、炎興元年(263年)、蜀の第二代皇帝、劉禅は魏の大軍に首府成都を攻められ、降伏する。
蜀は滅亡し、劉禅は幽州の安楽県で安楽公に封じられる。
私は道を誤ったのだろうか、と後悔しながら、泰始七年(271年)、劉禅は六十五歳で生涯を終える。
ところが、劉禅は前世の記憶を持ったまま、再び劉禅として誕生する。
ときは建安十二年(207年)。
蜀による三国統一をめざし、劉禅のやり直し三国志が始まる。
第1部は劉禅が魏滅の戦略を立てるまでです。全8回。
第2部は劉禅が成都を落とすまでです。全12回。
第3部は劉禅が夏候淵軍に勝つまでです。全11回。
第4部は劉禅が曹操を倒し、新秩序を打ち立てるまで。全8回。第39話が全4部の最終回です。
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