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15話 全ての願い
しおりを挟むさっきまで僅かに口から吐かれた白い息は、もうリアムからは見られなかった。
ノアは涙が出て止まらなかった。きっとリアムはフィグネリアに痛めつけられてこんな体になったんだろう。そしてその体でここまで、この極寒の中やって来たんだろう。ノアを求めて……
それが分かるからこそ余計にリアムが愛しく思えた。いつもノアを守って傷ついていたリアム。これ以上もうリアムが傷つくのを見たくなかった。それなら自分が傷ついた方が良いとさえ思った。
リアムの傷を癒やす力さえ、もうノアには残っていなかった。多くの人を癒せても、大切に思うリアムを完全に癒やす事は出来なかった。それがノアが一番悔やんだ事だった。
そしてノアも致死率80%以上の疫病が体を蝕んでいて、その命はもう尽きようとしていたのだ。
「神さま……女神さま……お願い、です……今度はリアムに幸せを……もうリアムを傷つけないで……私がその代わりに、なり、ますか、ら……」
最後にノアが望んだのは、リアムを守る事だった。
流れた涙は瞬く間に冷えて氷と化してゆく。握っていたリアムの手もくっつけていた額も、もう温かさを感じる事はできなくなった。
そしてノアも意識は遠くなってゆく。
横たわる二人を見下ろすようにそびえ立つ女神像エルピス。ノアはその前に捨て置かれた赤子だった。そして命尽きる時も、女神エルピスに見守られていた。
二人の命はそこで途絶えた。
幼い少女と少年の、儚い命はそうやって幕を閉じたのだった。
それから幾年か後、ノアはふと目を覚ます。僅かな視界から見えたのは、優しく微笑む幾ばくか年を取ったフィグネリアだった。
ノアはフィグネリアの子供として生まれ変わっていたのだ。
ノアはシオンと名付けられたが、母親であるフィグネリアに懐く事が出来なかった。前世で虐げられた日々を覚えていたからだが、フィグネリアがどれだけ優しく接して来てもそれを受け入れる事は出来なかった。
まだフィグネリアを恐怖の対象としか見れなかったのだ。
成長していくにつれ、よりフィグネリアに似ていく自分に嫌気しか感じなかった。なぜフィグネリアの子として生まれ変わってしまったのかと悲しく思う日々だった。
最後にリアムと話した事を思い出すと、確かにノアは言っていた。
お嬢様みたいな貴族に生まれ変わりたい、と。
女神エルピスは自分の願いを叶えてくれたのだと悟った。しかしそれがこんな形だとは思いもよらなかった。
そして自分の体に突然傷が出来る事を知ると、それはリアムの負った傷であり、リアムもまた生まれ変わっているのだと知る事ができた。
女神エルピスに願った事は、リアムのお嫁さんになりたい、という事もあった。だからシオンの生まれる前から決められた婚約者がリアムの生まれ変わりなのかも知れないと考えた。
リュシアン・モリエールは『澆薄《ぎょうはく》の鳳凰』と二つ名を付けられる程の存在となっていた。不死身であるとも。
その事から、シオンはリュシアンがリアムであるとほぼ確信していた。
そして初めて会った日。
見送りに出た邸中の使用人達の間を颯爽と歩くリュシアンを見て、シオンはそれがリアムだとすぐに分かった。やはりそうだったのだ。
しかしリュシアンはシオンをノアだとは気づかない。それはシオンがそう望んだから。触れないと分からないようにあの時言ったからだ。
けれどシオンはそれでも良かった。
もう自分に縛られて欲しくない。リュシアンには思うように自由に生きて欲しいと思ったのだ。
私を守るために強くなろうとしたから、リュシアンはソードマスターと言われる程の力を身に付けたのかも知れない。いや、もしかしたら前世の記憶は無いのかも知れない。
それでもいい。リュシアンが幸せであるならそれで良いと、シオンは思った。
よりによってフィグネリアによく似た容姿。もし前世の記憶があるのなら、それは嫌悪しかわかないだろうとシオンには分かる。自分もそうであるから。
それでなくても自分には悪評しかない。シオンは悪女と名高いのだ。
だからなるべくリュシアンの視界に入らないようにしなければ。女神エルピスは全ての願いを叶えてくれていた。だからリュシアンとシオンは結婚するしかない運命となっていた。
願いどおりなのに。
全てがあの時女神像の前で願った事なのに、それがこうもチグハグな状態となってしまうとはシオンは思いもしなかった。
そしてそれはきっと、リュシアンもそうなのだろう。
なぜフィグネリアの娘を娶らなくてはならないのか。そう思っているに違いない。リュシアンはノアとリアムが望んだ事が全て叶えられた事を知らなかった。
だからフィグネリアの娘であるシオンを受け入れる事が出来ないのだ。
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