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18話 名ばかりの
しおりを挟むリュシアンが戻ってきた翌日、セヴランが朝食を持って来た時に告げた。
「朝食がお済みになりましたら、本邸の執務室までいらっしゃるようにと、リュシアン様から言付かりました」
「公爵様が……?」
「確かにお伝えいたしましたよ」
それだけ言って、セヴランは軽く礼をして踵を返し去って行った。
シオンは呼び出された事に驚きつつも、嬉しい気持ちと何故呼び出すのかという疑問と、会って良いのかという困惑した思いとの、色んな感情が合わさって複雑な心境となっていた。
それでもやはり一番は会える事が嬉しくて、シオンは朝食がなかなか進まなかった。
朝食を終えると持って来たドレスの中で一番状態の良いものに着替えようとしたが、それが最初の日に着てきたドレスである事が分かり、シオンは考え倦ねてしまう。
少しでもよく見られたい。見窄らしい自分を見せたくはない。自分の顔を見せない方が良いのは分かってはいるが、やはり乙女心は隠せなかった。
次にマシに見えるドレスを選び、それに着替える。これは母フィグネリアが捨てたドレスで、それをコッソリ拾って自分用にシンプルに繕いなおしたドレスだった。
以前着ていた物もそうで、シオンは自分用に買ってもらったドレスは一着も持っていなかった。
だから全て流行り廃ったものばかりであったが、着られるのであればとシオンは気にもしていなかった。
シオンがドレスを拾っているのを知ったフィグネリアは、その後ドレスをビリビリに破いて捨てる事にした為、昔拾った数点しか所持できなかったが。
だけどやはり、リュシアンに見られるのであれば、せめてフィグネリアのお下がりで無いものが良かったと思った。現状どうしようもないのだが。
着替えを終えると、シオンは早速本邸へと向かった。
人より遅い歩みは、上手に歩けないのを誤魔化す為だ。だから目的地に辿り着くまで時間が掛かる。歩くだけなのにいちいちジョエルに支えて貰うのは憚られる為、シオンは少しずつ少しずつ、ゆっくりと歩を進めていく。それにジョエルは嫌な顔ひとつもせずに付き添ってくれる。
時間をかけて漸く本邸へと辿り着くが、次は2階にある執務室まで階段を上がっていかなければならない。
邸内には使用人達がジロジロと嫌なモノをみるような目つきでシオン達を見ているから、あまり時間をかけて階段を登りたくはない。
手すりに手をかけ、右足を上げようとしたところでシオンの体が急にフワリと浮いた。
「え?! あ、ジョエル!」
「大人しくしていてください。できれば私に掴まっていてください」
「で、でも、重いでしょう?」
「普段から鍛えておりますので。問題ありませんよ」
シオンを横に抱き上げて、ジョエルは颯爽と階段を登っていく。その姿を見て使用人達はヒソヒソと何やら話しているようだったが、それよりもシオンはジョエルにこんな事までしてもらうのが申し訳なかった。
階段を上がりきってから、ジョエルはゆっくりとシオンを下ろす。ジョエルに礼を言って、また一歩一歩穏やかに執務室まで歩いていく。
セヴランが執務室の扉の前で待機していたのか、二人を見つけると軽く礼をした。
セヴランが扉を3回ノックして入室の許可を得る。その間シオンの心臓は大きく高鳴っていた。それを誰にも知られないように、大きく深呼吸してから執務室へ足を踏み入れる。
机で書類にサインをしている様子のリュシアンがシオン達を一瞥する。だがすぐにまた書類に目を戻してしまった。
それからはシオンを見ることもなく、事務的に書類を一枚差し出した。
「この婚姻届にサインを。契約書が必要であれば作成する。何か要望があれば書面にて届けて貰えればいい」
「婚姻届……」
「式を挙げる予定はない。王から婚姻届の提出を求められたので仕方なくだ」
「分かりました……」
書類を渡すと、リュシアンはペンを差し出した。思わずそれを右手で受け取ってしまう。しかし麻痺した右手では上手く力が入らず、ペンはスルリと手からこぼれ落ちてしまった。
すかさずそれをジョエルは拾い上げ、シオンの左手にペンを持たせる。
右利きだったから咄嗟に右手が出たが、今は麻痺で指が思うように動かないのをジョエルはちゃんと分かっていた。シオンでさえその事をすぐに忘れてしまうのに。
署名欄にシオン・ルストスレームのサインを書いていく。右手の麻痺は2か月程前の怪我からで、そこから少しずつ文字の練習をしてきたけれど、それでも左手で書くことにまだ慣れない。
何とか書き終えたが、見るに堪えない汚い文字となってしまい、シオンは恥ずかしくなって思わず下を向いた。
その様子を見たリュシアンも、呆れたようにサインを見て溜息をつく。
それでもそれは、シオンが今できる精一杯の文字だった。
この婚姻届が受理されれば、晴れて二人は夫婦となる。
名ばかりの婚約者から、名ばかりの妻へとなるだけなのだが、それでもシオンの胸は言いようのない喜びが覆い尽くしたのだった。
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