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第4章 執事の策略
生きる目的
しおりを挟む「だって五十嵐には、彼女がいるんでしょ?」
「…………え?」
瞬間、レオは固まった。
「か、彼女?」
「えぇ、五十嵐には、結婚の約束をしてる彼女がいるって聞いて……いくら仕事とはいえ、彼女さんが嫌がるんじゃないかしら。彼氏が自分以外の女の人の髪に触れたり、身の回りの世話をするなんて」
──なんで、その話が、結月にまで伝わってるんだ?
レオは、おもむろに眉をひそめた。どうやら、ここの使用人たちは、かなり口が軽いらしい。使用人のプライベートなことまで、主人に話すなんて……
(……なるほど。つまり結月は、俺に結月以外の彼女がいると思っていて、その彼女に気をつかって、ダメだといっているわけか)
だが、それには、レオも納得した。
女性にとって、髪は特別なものだ。自分の彼氏が、他の女の髪に触っていたら、あまりいい気はしないかもしれない。
すると、黙り込んだ執事を見て、結月が、また言葉を続けた。
「あのね、五十嵐。いくら遠距離で会えないからって、彼女さんの気持ちは、ちゃんと考えてあげた方がいいわ」
(俺の彼女、お前なんだけど……)
一瞬、叫びたくなるのを、ぐっと堪えた。
なんで、こんなに、ややこしい話になっているのか?
だが、ここで「いない」とか「別れた」などといって、それを否定してしまうと、今度は使用人たちから疑惑の目を向けらてしまう。
するとレオは、一つ大きなため息をついたあと
「くだらないこといってないで、早く座ってください!」
「え!? ちょっ」
その後、有無を言わさず結月を鏡の前に座らせると、レオは手袋を外し、ドライアーのスイッチを入れた。
髪を痛ませないよう、ぬるめの風で優しく髪を乾かし始めると、結月は少し申し訳なさそうな顔をして、また話しかけてきた。
「彼女さん、怒ったりしない?」
「大丈夫ですよ」
「本当に?」
「はい。ですから、お嬢様の心配には及びません」
柔らかくて細い結月の髪に、するりと指を滑らせながらレオが囁く。
出会った頃は、まだ胸元辺りだった髪。それが今では、腰元まで伸びていて、歳月の長さを感じさせた。
湿った髪をある程度乾せば、その後は櫛で丁寧に梳いていく。すると結月が
「ねぇ、五十嵐の彼女って、どんな人なの?」
「え?」
鏡越しに話しかけられ、レオはピクリと反応する。
「気になりますか?」
「うん……その年で結婚まで考えてるなんて、とっても素敵な方なんだろうなって」
鏡の中で目が合うと、結月は頬を赤くしていて、その姿に、レオは頬を緩める。
「そうですね。とても素敵な女ですよ。笑顔がとても柔らかくて、それでいて、すごく優しくて……時々、危なっかしいところもあるのですが、そこがまた可愛いというか。正直、目に入れても痛くないほどですね」
(ベタ褒め……)
「それに……彼女は、俺に『生きる希望』を与えてくれた人ですから」
「生きる希望?」
「はい。昔、ひどく空っぽだった時期があって、そんな時に、彼女が俺に目的を与えてくれました。きっと彼女がいなかったら、俺はここにはいなかったでしょう。だから、今度は俺が、彼女を幸せにする番だと思ってます」
レオが、また結月を見つめる。
鏡の中で目が合ったからか、微笑む執事の姿に、結月は不思議と胸が熱くなった。
その瞳は、まるで愛しい人を見つめているような、そんな暖かで優しい目をしていたから。
「そ、そうなのね。五十嵐は、その人のこと、すごく愛してるのね……!」
「はい。愛していますよ。この世界の誰よりも」
ハッキリとした言葉を告げられ、その言葉に、結月は更に赤くなる。
髪に触れる指先から、彼女を思う五十嵐の気持ちが流れこんでくるようだった。
きっと、その言葉は、嘘偽りのない言葉だ。
確かに、ここまで彼女を愛おしく思っているなら、恵美が言ったとおり、ほかの女性に現を抜かすことはないのかもしれない。
「……素敵ね」
素直にそう思った。お互いに思いあう二人の関係が、あまりにも眩しくて……
「なんだか、羨ましいわ。五十嵐の彼女さんが」
まるで自分には縁のない話だと、どこか諦めたように呟いた結月の言葉に、レオは苦笑する。
(きっと結月は、俺を救ってくれたことですら、忘れてるんだろうな)
でも、それでも
『お願い。この箱を"空っぽ"にするの、手伝って──』
あの日、結月が泣きながら言った『あの言葉』は
俺に『生きる目的』を与えてくれた。
自分に絶望して、未来に絶望して、何もかも失った俺を──君が、救ってくれた。
だから、今度は、俺が君を救う番。
この屋敷に囚われた、俺の愛しい愛しい
────お姫様を。
✣
✣
✣
「旦那様。結月様の進路相談の件ですが、いかが致しますか?」
結月の両親が住まう別邸にて、リビングで寛ぐ阿須加 洋介に、メイドの戸狩が声をかけた。
すると、その戸狩の話を聞いて、母親の美結が飼い猫を撫でながら問いかける。
「進路って、結月の将来は、もう決まってるようなものでしょ」
結月の進路なんて、今更、考えるまでもない。
あの子は──
「ですが、来週までに提出さなくてはならないプリントがあるそうで、五十嵐が、お嬢様と共に伺いたいと」
「……そうか」
すると、今度は、一人がけのソファーに腰掛け、ウィスキーを飲んでいた洋介が、一言だけ声を発した。
そして──
「なら、今週末、結月の屋敷に顔をだすことにしよう」
「屋敷に? わざわざ出向くの?」
「あぁ、たまには、娘の顔も見ておかないとな」
どこか冷たく機械的な声が響くと、グラスの中の氷が、カランと気持ちの良い音を立てた。
外には、雲がかかっていた。
どこか暗然としたその空は、今にも雨が降り出しそうな、そんな重い色をしていた。
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