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第8章 執事でなくなる日
白い手袋
しおりを挟む「さぁ! お嬢様、参りましょう~」
朝──身支度を整えた結月に、メイドの恵美が明るく声をかけた。
あれから二日たち、街へと出かけることになった結月は、ブランド物のオシャレなワンピースに身を包み、今まさに屋敷から出ようと玄関の前に立っていた。
「ほ、本当に行くの?」
「今更、何を言っているのですか! 折角、五十嵐さんが連れていってくださるんですよ。素直に甘えてください!」
「で、でも……っ」
渋る結月を見つめ、いつものメイド服ではなくTシャツにホットパンツといった私服姿の恵美が、その背を押しながら言葉をかける。
だが、結月の不安は、未だに消えないようで
「でも、街に出るなんて、お父様たち、怒らないかしら?」
そう言って眉を顰める結月をみて、恵美は小さくため息をつく。
「お嬢様、今日は旦那様たちのことは忘れましょう! 大丈夫ですよ。五十嵐さんが一緒ですし、なにも遠出するわけではないのですから」
「そ、そうだけど」
恵美が玄関の戸を開けると、急かされるまま結月は屋敷の外へと出る。
すると玄関前、車のそばで待っていた執事が、にこやかに声をかけてきた。
「お嬢様、今日はまた、一段と可愛らしいですね」
「あ、ありがとう。五十嵐は相変わらず褒め方がストレートね。それより、今日はスーツじゃないの?」
少し照れつつも執事の方を見れば、レオも恵美同様、私服姿だった。
黒のスキニーにVネックのシャツに、七分丈の黒のジャケット。ラフでありながらも、とても清潔感のある服装だ。
「えぇ、普段着の女性の傍らにスーツ姿の男がいたら悪目立ちしますからね。それと今日は防犯上、結月様のことは"お嬢様"とはお呼び致しません」
「え?」
「街は人が多いですから。そんな中、お供を二人も連れて『お嬢様』などと呼ばれている人がいれば『お金持ちがお買い物をしていますよ』と、触れまわるようなものですから」
「あ……そ、そうね」
「はい。──して、今日はお嬢様のことを、なんとお呼び致しましょうか?」
「え!?」
呼び方を問われ、結月は困り果てる。
いつもは『お嬢様』か『結月様』だが、このような時なんと呼ばせればよいのか、経験がないからわからない。
「えと、な、なんでもいいわ! 好きに呼んでちょうだい」
「畏まりました。では『結月』で」
(え!? 呼び捨て!?)
さすがに、執事に呼び捨てられるとは思ってなかった!
せいぜい『阿須加さん』もしくは『結月さん』あたりかと思っていた!
「さすが、五十嵐さん!!」
「!?」
すると、そんな結月の真横で、恵美がレオに尊敬の眼差しをむける。
「一切、お嬢様感を出させないその徹底ぶり、感服します!!」
「ありがとうございます。これも全て、お嬢様をお守りするためですから」
「そうですよね! ならば、私も、お嬢様が庶民に溶け込めるよう全力でサポートします! お嬢様、こうなったら私も、お嬢様のことを『結月ちゃん』と呼ばせて頂いてもよろしいでしょうか?!」
「え?! ぁ、えぇ! どうぞ!」
ハイなテンションで詰め寄る恵美に多少困惑しつつも、結月はその後、ほんのり頬を赤らめる。
(『結月』に『結月ちゃん』か……なんだか本当に、お友達とお買い物に行くみたい)
三人とも私服姿で、少しだけおめかしをして、これから街へ繰り出すのかと思うと、ソワソワしたり、ドキドキしたり、なんだか少しだけ胸の奥が忙しない。
「それでは、お嬢様。今日は『お嬢様』でも『執事』でも『メイド』でもありません。私達はあくまでも『仲の良いお友達』です」
「仲の良い……お友達?」
「はい。では──行こうか、結月」
すると、いつも通り執事が結月に手を差し出してきた。
だが、今日は私服姿だからか、その手に白い手袋はしていなかった。
「今日は、直接、手をとることになるけど、いい?」
いつもと違う執事の口調がくすぐったい。
だが、その後、結月は花のように柔らかな笑みを浮かべると
「……うん。いいよ!」
そう言って、素直にレオの手を取った。
いつもは手袋しにしか触れない手。布を隔てず、直に触れたその手は、まるで全てを包み込んでくれるような、大きくて力強い手だった。
五十嵐が、この屋敷に来て、四ヶ月──
まだ、数ヶ月しか経っていないのに、どうして自分はこんなにも、この執事に『絶大な信頼』を寄せているのだろう。
この手をとることに、なんの躊躇いも抱かない。
そんな自分が、結月は不思議で仕方なかった。
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