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最終章 箱と哀愁のベルスーズ
箱と哀愁のベルスーズ ⑲ ~ 悪しき風習 ~
しおりを挟む「え? 私が行くの?」
「はい。旦那様は、先方との取引の件で、現在、出張中でございます。ですから、代わりに奥様に行って窘めてきて欲しいと、旦那様より連絡がありました」
「…………」
洋介からの突然の指示に、私は黙り込んだ。
なんでも二週間程前に、うちのホテルの従業員が、川に落ちて事故死したらしい。
だが、それが事故ではなく、自殺ではないかと、従業員たちは騒いでいるようで、これ以上、妙な噂が広まらないよう、早めに対処して来てくれとのことだった。
だが、私は義兄に呼び出されたあの時以来、そのホテルにはいっていなかった。
もう、10年は足を踏み入れていない場所だ。
それに、なによりも気がかりなのは
(あの男、まだ、あのホテルで働いているのかしら?)
あの時、一度だけ関係を持った男。
お互いに名前すら知らず、後腐れのない関係ではあったが、やはり、鉢合わせしたとすれば、気まづくはなってしまう。
「どうしても、私が行かなきゃいけないの?」
「はい。奥様以外に、適任者はいないかと」
「………はぁ」
戸狩の言葉に、私は深くため息をつく。
日頃、経営には携われないのに、こんな時ばかり、社長の妻として借り出される。
だが、社員たちから、あらぬ噂が広まれば、それこそ厄介で、私は渋々ホテルまで向かうことにした。
✣✣✣
「──というわけで、これ以上、この件について口外しないように」
その後、ホテルに到着した私は、従業員達に釘を刺した。これ以上、余計な噂を広めないよう厳しく念押しすれば、社員たちは、皆、黙り込んでいた。
だが、幸いだったのが、あの男の姿がなかったこと。
もう、辞めてしまったのか?
たまたま、休みだったのか?
10年も前にあった男が、今どうなっているかなんて、調べようもないが、会わずにすんだことには酷くホッとして、同時に、どっと疲れが襲ってきたからか、帰りのロビーでは、同行した戸狩が、優しく労いの言葉をかけてきた。
「大変な役回りでしたね。お察しいたします」
「そうね。もう二度としたくないわ。それより、亡くなった従業員の家に、香典は届けたの?」
「はい。従業員一同としたため、主任が通夜に参列したそうです」
「そう……じゃぁ、この件は、もう終わりね」
従業員たちの話を聞けば、亡くなった従業員の名は『望月 玲二』と言うらしい。
このホテルで、コンシェルジュとして働いていた彼は、とても優秀な人で、まさに即戦力とも言えるほど仕事ができる人物だったそうだ。
しかし、その有能さが仇になったのか、コンシェルジュの他に、クラークや受付の仕事も兼任していたらしく、かなりの重労働を強いられていたらしい。
オマケに、先代から続く悪しき風習の餌食にもなっていたらしく、その話を聞いた時は、正直、頭を抱えた。
なぜなら、ホテル内で『自殺かもしれない』と噂されている原因は、まさに、それだったから。
阿須加家は、明治から続く老舗旅館の一族だった。
時代の流れとともに、今はホテル業に姿を変えたが、旅館業を営んでいた古い時代には、お偉い方を相手に、お座敷遊びをする場としても、よく利用されていた。
お座敷遊びとは、芸妓や舞妓などを招き、酒や歌、寸劇などを振る舞い接待をすること。
大旦那様が経営していた頃には、ごくごく、あたり前の接待だが、今考えると、かなり過剰な接待と言わざるを得ない。
だが、旅館業からホテル業へ形を変えたあとも、その風習だけは、なくならなかった。
その接待に味をしめていた上役たちが、それだけは無くせないと猛反対してきたからだ。
だが、当時のような旅館ならともかく、普通のホテルで、芸妓や舞妓を招くのは人目につきすぎる。
そこで、目をつけたのが、ホテルの従業員たちだった。
当時から、阿須加家のホテルには、比較的、見た目のいい者たちが雇われていた。
若くて美しい容姿をした彼らを、ホストやホステスのように扱い、過剰なサービスをさせていたらしい。
だが、その席は、従業員たちにとって、完全に悪い場とも言いがたかった。
なぜなら、招かれるお客様は、常にトップクラスのセレブばかり。出世欲の高い者にとっては、またとないチャンスの場でもあったから。
例えば、接待により、お客様に気に入られれば、そのまま大企業に引き抜かれたり、見初められ名家に嫁ぐ者もいたり。
だからこそ、どんな手を使ってものし上がりたいという者には、ありがたり場でもあり、従業員たちが、等しく反対運動に繰り出さないのも、そんな事情があった。
だが、そのような場が苦手な者にとっては、ただただ苦痛を伴う場でしかなく、きっと、望月という男は、後者だったのだろう。
彼を知る従業員たちは、お酒が苦手なのに無理をして飲んでいたといっていた。
顔立ちがよく、女性にはかなり人気だったらしいが、連日接待に連れ出されれば、仕事にも支障をきたす。
ココ最近は、酷く辛そうで、それでも、お客様の前では、決して、そのような素振りを見せず、明るく接していたらしい。
そして、これが本当に自殺なのだとしたら、とんでもない話だった。
いい加減、この体制を変えなくてはいけない。
だが、先代から続いてきた、あの悪しき風習を、どうやって一掃することができるのか?
いくら、当主になり会社を継いだとはいえ、大旦那様はまだ健在で、私たちは、ただの操り人形でしかなかった。
大旦那様のご友人たちは、役員として上部に立っているし、口答えすらできないし、何より、意思の弱い洋介には、このホテルの体制を変えなんて、できるはずもなかった。
結局、力ある者に、人は屈してしまう生き物で、それは、阿須加家の当主である、私たちも同じだった。
だからこそ、今できることは、上役たちの逆鱗に触れぬよう、従業員たちに釘を刺すことくらい。
その風習のせいで自殺したなんて噂が広まれば、今度は、それを広めた者たちが罰せられてしまうから。
だから、私はしっかり口止めをした。
すると、従業員たちは、当然のごとく口を噤み、事態を察してくれたようだった。こういう時、大人たちは聞き分けがいいから助かる。
だが、子供は、そうではないらしい。
「お前たちが、殺したんだろ!!」
それは、私がホテルのフロントまで来るなり『人殺しだ』と罵ってきた子供がいた。
それは、今まさに噂されていた『望月 玲二』の息子だった。
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