西伊豆の廃屋から東京のタワマンへ。美しき食人鬼たちは、人間を喰らって愛を成す

秦江湖

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魔城の年代記(5:首輪の締め方)

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 その夜、俺は自宅のリビングで、震える手でウィスキーを煽っていた。  


  テレビのニュースが、西伊豆で行方不明になった4人の若者について報じている。  配信者グループ。最後の足取りは不明。  警察は公開捜査に踏み切る方針だという。


「……う、うぅ……」


 俺は胃液が逆流するのを堪えた。

  知っている。俺は知っている。

  あいつらがどこへ行ったのか。

  そして、今頃どうなっているのか。



 昨日、俺が屋敷へ食料を運び込んだ時、裏庭の土が新しく盛り上がっていた。  そして、世璃が渡してきた「ゴミ袋」の中には、砕けたスマホや、血の付いたスニーカーが混じっていた。  『処分しておいてね』と、彼女は無邪気に笑った。


 俺は共犯だ。  株の儲けで借金を返し、娘にピアノを買い与え、妻と笑い合っているこの生活は、若者たちの血肉の上に成り立っている。


「……パパ?」

 ふと、背後で声がした。  娘の美咲だ。パジャマ姿で、眠そうな目を擦っている。

「どうしたの? 怖い顔して」

 「……なんでもない。悪い夢を見ただけだ」

 「ふうん。……ねえパパ、今度の発表会、絶対に来てね」


 美咲が無邪気に笑う。  その笑顔を見た瞬間、俺の中で何かが崩れ落ちた。

    ――俺は、こんな汚れた手で、この子の頭を撫でていいのか?  いつか、この子が知ったら?  パパは人食い怪物の手先で、殺人の隠蔽を手伝っていると知ったら?


 耐えられない。  もう限界だ。  俺は立ち上がった。


「……美咲。パパは、ちょっと出かけてくる」 

「え? こんな時間に?」

 「ああ。……悪い怪物を、退治しにな」


 俺は娘を抱きしめた。これが最後になるかもしれない。  俺はクローゼットから、封印していた「正義」を取り出した。  警察手帳。拳銃。そして、ガソリンが入った携行缶。


 刺し違えてやる。  あの兄妹を焼き殺して、俺も死ぬ。  そうすれば、少なくとも娘の未来に、これ以上の罪を残さずに済むはずだ。


 ***


 深夜の豪雨の中、俺は西伊豆へと車を飛ばした。 

 屋敷に到着したのは、丑三つ時だった。

  闇に聳える洋館は、生き物のように不気味な息遣いを放っている。



 俺は門を乗り越え、ガソリンの缶を抱えて庭に入った。

  雨音に紛れて、ガソリンを撒く。

  玄関、窓枠、通気口。

  揮発性の油の臭いが、雨の臭いと混ざり合う。


「死ね……死んでくれ……!」

 俺は泣きながら、ライターを取り出した。  手が震えて、なかなか火がつかない。  カチッ、カチッ。  ようやく小さな炎が灯った。  これを投げれば、全てが終わる。


「……熱いのは、嫌いだよ」

 耳元で、男の声がした。

 ヒュッ。

  風を切る音がして、俺の手からライターが弾き飛ばされた。 

 炎が消え、闇に戻る。


「あ……あ……」

 俺は腰を抜かして振り返った。  そこに立っていたのは、静だった。  車椅子ではない。自分の足で立っている。  雨に濡れた黒髪。青白い肌。  そして、異様に膨れ上がった左足。

「よ、よくも……お前ら……!」

 俺は懐から拳銃を抜いた。  躊躇いはない。引き金を引く。

 パン! パン!

 二発の銃弾が、静の胸に着弾した。  やった。  俺は確信した。心臓だ。即死のはずだ。


 だが。  静は揺らぎもしなかった。  胸に開いた穴から、黒い煙のようなものが立ち上り、傷口がウネウネと蠢いて塞がっていく。  数秒後には、そこには傷跡すら残っていなかった。

「痛いじゃないか」

 静は、無表情のまま俺を見下ろした。  その瞳は、金色に発光していた。  人間じゃない。  こいつはもう、物理法則の外側にいる生き物だ。


「犬飼さん。君は賢い番犬だと思っていたのに」

 静が一歩踏み出す。  俺は後ずさり、泥の中に尻餅をついた。

「残念だよ。飼い主に噛み付くなんて」

 静が左足を振り上げた。

  ドガッ!  俺の鳩尾に、凄まじい衝撃が走る。  俺は数メートル吹き飛び、壁に激突した。  肋骨が折れる音。口から血の泡が溢れる。


「がっ……は……ッ!」

 息ができない。視界が霞む。  薄れゆく意識の中で、玄関の扉が開くのが見えた。  中から、世璃が出てくる。  彼女の手には、銀色のトレイが握られていた。


「あらあら。お腹が空いて、暴れちゃったのね?」


 世璃は、慈母のような微笑みで俺に近づいた。  トレイの上には、何かが乗っている。  湯気を立てる、ローストされた肉塊。  香ばしい、食欲をそそる匂い。

「可哀想な犬飼さん。  最後の晩餐に来てくれたのね」

 世璃が俺の目の前にトレイを置いた。  そして、俺の髪を掴んで、無理やり顔を上げさせた。

「食べて」

「……は?」

「これを食べたら、許してあげる。  美咲ちゃんには手を出さないであげる」


 俺は肉を見た。  ただの肉だ。何の変哲もない、ステーキのように見える。  だが、その横に添えられている「付け合わせ」を見て、俺は絶叫しそうになった。

 指輪だ。  派手な装飾の、安っぽいシルバーリング。  それは、行方不明になった配信者の男がつけていたものだ。  ニュース映像で見た。間違いなく、あいつのものだ。

 ということは、この肉は。


「い、いやだ……! それだけは……!」

 俺は首を振った。  人肉だ。  これを食ったら、俺は人間じゃなくなる。  怪物と同じ、共喰いの獣に堕ちる。

「食べなさい」

 静の冷たい声。  世璃が、俺の口をこじ開ける。  肉片が口の中に押し込まれる。

 拒絶したい。吐き出したい。  なのに、俺の身体は、飢えた獣のように反応した。

  噛んだ。  肉汁が溢れる。  ……美味い。  涙が出るほど、絶望的に美味い。


 俺は泣きながら、肉を飲み込んだ。

  ゴクリ。 

 重たい塊が、胃袋に落ちる。  その瞬間、俺の中の「人間」が死んだ。


「……よくできました」

 世璃が、俺の頭を撫でた。  ペットを褒めるように。


「これであなたも『共犯』よ。  もう警察には行けないし、誰にも言えない。  だって、あなたのお腹の中には、証拠(死体)が入っているんだもの」


 俺は地面に突っ伏して、慟哭した。  終わった。  俺の魂は、この屋敷に鎖で繋がれた。  死ぬまで、いや死んでも、こいつらの奴隷として生きるしかないのだ。



 雨が、俺の涙と、口の周りについた脂を洗い流していく。  静と世璃は、そんな俺を冷ややかに見下ろしていた。  美しい、地獄の王と王女のように。

    
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