西伊豆の廃屋から東京のタワマンへ。美しき食人鬼たちは、人間を喰らって愛を成す

秦江湖

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神々の悪戯、人の終焉(4:封鎖された楽園)

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あの「霊能者虐殺事件」から、数週間が経った。  西伊豆の街は、死んだように静まり返っていた。


 生き残った老人たちや、街の有力者は悟ったのだ。  あの屋敷には、手を出してはいけない。  警察も、霊能者も、暴力団も、送り込んだ者すべてが「餌」になって消えるだけだ。


 彼らが選んだのは、戦いではなく「封じ込め」だった。


 屋敷へと続く唯一の山道に、「土砂崩れのため通行止め」という看板が立てられた。  巨大なコンクリートブロックが積まれ、物理的に車が入れないようにされた。  さらに、地図上からもあの屋敷の存在は抹消され、カーナビにも表示されなくなった。

 街の人々は、崖の方角を見ることをタブーとし、子供たちには「あそこには鬼が住んでいる」と言い聞かせた。  完全なる無視。  腫れ物に触らない、事なかれ主義の極致。

 その結果。  あたしたちの城は、干上がってしまった。


「……お腹が空いたね、お兄様」

 リビングのソファで、あたしは呟いた。  もう一週間、何も食べていない。  以前のように「肝試し」に来る若者もいなくなった。道が塞がれているからだ。  庭の百合の肥料は足りているけれど、あたしたちの胃袋は空っぽだ。

「そうだね……」

 お兄様は、窓の外のバリケードを眺めていた。

  その顔色は、飢餓感で青白く、目がギラギラと光っている。  生肉の味を覚えてしまった身体は、もう缶詰やパンを受け付けない。


「彼らも考えたね。  僕たちを殺すのではなく、餓死させるつもりだ」

 兵糧攻め。  カエルたちが知恵を絞って考えた、精一杯の抵抗策。  このままでは、あたしたちは共食いをするか、干からびて死ぬしかない。


 その時。  裏口のチャイムが鳴った。

 ピンポーン。

 あたしは弾かれたように立ち上がった。  犬飼だ。  彼だけは、警察手帳を使って検問を抜け、山道を歩いてここまで通ってきているのだ。


 ガチャリ。  扉を開けると、犬飼が息を切らせて立っていた。  その手には、いつもの発泡スチロールの箱……ではなく、分厚い封筒が握られていた。

「……肉はないの?」

 あたしが不満げに聞くと、犬飼は首を横に振った。

  その顔には、奇妙な決意と、興奮の色が浮かんでいた。


「静様。世璃様。  ……もう、この場所は限界です」

 犬飼は、リビングに入り、お兄様の前に封筒を置いた。  中から出てきたのは、パンフレットと、鍵の束だった。

「……これは?」

  お兄様が眉をひそめる。

「新しい『お城』です」

 犬飼が、震える声で言った。


「東京。港区の湾岸エリア。  高級タワーマンションの最上階、ペントハウスです。  防音設備は完璧。セキュリティも万全。  隣人の顔すら知らない、希薄な人間関係……」

 犬飼は、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「そして何より……獲物が、山ほどいます。  見渡す限り、1千万人の人間が、ひしめき合って生きています。  あそこなら、どれだけ食べても、誰にも気づかれません」


 お兄様が、パンフレットを手に取った。  そこに写っているのは、煌びやかな夜景と、ガラス張りの摩天楼。  西伊豆の古びた洋館とは正反対の、無機質で、欲望に満ちた塔。

「……東京、か」

 お兄様が呟く。  その瞳に、夜景の写真が映り込む。

「ここを出るのかい?  那美との思い出が詰まった、この家を」

「那美様なら、一緒に連れて行けばいいのです」

 あたしは口を挟んだ。  お兄様の迷いを断ち切るように。

「この家の柱や、床板の一部を切り取って持っていきましょう。  それに、那美の『中身』は、あたしの中にいるんだもの。  場所なんて関係ないわ」


 お兄様は、あたしを見た。  そして、自分の左足を見た。  この足があれば、どこへでも行ける。  地獄の底まで、と言ったはずだ。


 お兄様は、ゆっくりと微笑んだ。  それは、田舎の魔王が、世界征服へと乗り出す時の顔だった。

「……そうだね。  この街の人間たちは、少し味が落ちてきたところだ。  新しい漁場へ移ろうか」

 お兄様は立ち上がり、犬飼に鍵を握らせた。

「案内しておくれ、犬飼さん。  僕たちの、新しい『狩場』へ」

「は……はいッ! 喜んで!」


 犬飼が、涙を流してひれ伏した。  彼はもう、刑事ではない。  魔王の側近として、大都会の闇を支配する気満々なのだ。


 こうして、あたしたちは「引っ越し」を決めた。  古びた因習の村から、欲望の坩堝である東京へ。  それは、一つの怪談の終わりであり、災厄の始まりだった。
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