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情事・一華と明
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その夜、橋本明は約束通り私の邸宅を訪れた。
都心から少し離れた、森閑とした場所に佇む私の家。
仕事で高級な場所に赴くことには慣れているようだったが、この、芸術家である私が作り上げた空間は、彼の知るどの場所とも異質な空気を放っていたことだろう。
玄関に佇むその顔を見ればわかる。
資産運用の相談という名目で、私は彼と何度か会っていた。もちろん、あくまで仕事の一環を装い、会うのは昼間に会社の応接室や近くのカフェ。
その度に、この男が妻の親友である私に魅せられていくのを感じていた。
私の容姿と広範囲な知識、所作に時折見せる子供のような天然さ。
全てが、彼を堕とすための計算された演技だった。
そして、「千尋には言わないで」とお願いすれば、彼は愚直にその約束を守った。
積み重ねた結果の今日、仕事の都合で家に来てほしいと頼むと、彼は何の疑いもなくやってきた。
「いらっしゃい、明さん。待っていたわ」
玄関で彼を迎えた私は、シンプルな黒のシルクのワンピースを身にまとっていた。余計な装飾は何もない。それなのに、私自身が最高の芸術品であるかのように、その存在感は圧倒的だったはずだ。
リビングに通すと、間接照明が作り出す陰影の中に、私の作品たちが静かに佇んでいる。
「素晴らしい家ですね。美術館のようだ」
彼の素直な感想に、私は嬉しそうに微笑んでみせた。
「ありがとう。私の世界へようこそ。さ、座って。まずは喉を潤しましょう」
勧められるがままに革張りのソファに腰を下ろした彼に、私は年代物の赤ワインをグラスに注ぐ。
芳醇な香りが空間に広がる。最初は資産運用の具体的な話。彼はプロとして誠実に、そして分かりやすく説明をした。私は真剣な眼差しで相槌を打ち、時折、彼の知識の深さを称賛してやった。
「すごいわ。数字の世界で、こんなにも情熱的に語れる人だなんて。千尋があなたを選ぶ理由がわかる気がする」
私の言葉に、彼の心が微かに揺れるのが見て取れた。
妻の親友に、自分の仕事ぶりと、そして夫としての自分を認められたような気がして、悪い気はしなかったのだろう。
話が一段落すると、私は彼のグラスにワインを注ぎ足しながら、ふと遠い目をして見せた。
「千尋は……幸せ?明さんといて」
「もちろんだと思いますよ。少なくとも、私はそう信じています」
彼が顔をクシャッとして返す。実に陳腐な反応だ。
「そうよね。あの子は昔から太陽みたいな人だったから。でも、太陽が強すぎると、その光に灼かれてしまう影も生まれるの」
私はどこか寂しげに呟くと、彼の隣にゆっくりと腰を下ろした。私が調合した香水が、ワインの香りと混じり合って彼の感覚を麻痺させていくのがわかる。
「私には…… そういう光はなかった。ずっと暗い場所にいたから。だから千尋が眩しくて…… そして、あなたも」
「私が?」
「ええ。千尋という太陽に愛され、その光を自分の力に変えている。強くて、優しい人。私、そういう人に憧れていたのかもしれない」
私はそう言うと、明の手にそっと自分の手を重ねた。冷え切ったような私の手に明の温もりが伝わってくる。
「この細い指が、あんな彫刻を……」
彼は部屋の隅に置かれた私の作品に目をやった。その隙に、私はその、彼が言う細い指を、彼の手から這わせるように胸元へと移動させた。
「小川さん、私は……」
彼が何かを言いかけて口ごもる。妻の親友、その一線がかろうじて彼の理性を繋ぎとめている。だが、この非日常的な空間、アルコール、そして目の前の私の甘い香りと吐息は、彼の理性を少しずつ溶かしていく。
「明さん、あなたのことをもっと知りたくなってしまった。千尋の夫としてじゃない。橋本明という一人の男性として」
吐息がかかるほどの距離で、潤んだ瞳で彼を見上げてやる。その瞳に吸い込まれそうになった瞬間、彼の中で何かが切れる音が、私には聞こえた。彼は重ねられた私の手を振り払うことなく、ただ、目の前の蠱惑的な唇が自分のものに重なるのを許した。
(なんて簡単に堕ちる男なの)
彼の腕が私の背中に回るのを感じながら、私は心の中で冷ややかに呟いた。
(千尋、見ている? あなたが築き上げてきた日常と幸せの一つが、今、音を立てて崩れていく。でもこんなものじゃないの)
私の唇の端が微かに吊り上がった。
彼の理性が途切れた瞬間、私は支配者になった。
自ら唇を離すと、彼の腕を取り、寝室へと静かに導いた。彼は抗うことも、言葉を発することもなく、まるで夢遊病者のように私の後に続いた。
大きな窓の外には静寂な夜の森が広がり、部屋を照らすのは月明かりと小さな間接照明のみ。生活感のないこの部屋は、これから行われる儀式のための舞台。シルクのワンピースが音もなく床に滑り落ち、月光に照らされた私の身体を見せつける。
私の体に興奮する息遣いを感じる。
犯すように固まった視線を感じる。
私は窓際のラタンチェアに腰掛けると脚を開いた。彼の興奮した視線が私の秘部に熱をもって注がれるのを感じながら、「しゃがんで」と床を指さし、掠れるような声で命じた。
彼は私の前にひざまづくと、食虫植物に誘われる虫のように、私の股間に顔をうずめた。
「はああ……」
腰が反り、声が漏れる。静まり返った寝室の中で、私の嬌声と、犬が水を舐め飲むような音が重なり合う。鼻をつく淫臭。
私は彼の頭を掴み、汗ばむ白い肌を薄桃色に染めて大きく背中を反らすと、最初の絶頂を迎えた。
彼に「ベッドへ」と囁くと、私はそのまま歩いていき、ベッドの上にまだ汗ばんでいる肢体を見せつけるように横たわった。薄暗い中で浮かび上がる淫靡な肢体を見て、彼の内でかってない衝動がマグマのように湧き上がるのがわかる。彼は何かに突き動かされるように、欲望のままに私の身体を求めてきた。
日常の退屈、妻への微かな不満、そして目の前の非現実的な存在への渇望。
それらが彼を獣のような純粋な欲求へと駆り立てている。
しかし、私は冷静だった。快感が背筋を這っても、この情事をどこか俯瞰するように見ている自分がいる。
私の肌は彼の熱を帯びた身体に触れても、その冷たさを失わない。
彼の荒い息遣い、必死に私を求める動き、その全てを、私はまるで遠い場所から観察しているかのようだった。
彼の指が私の肌をなぞるたび、彼の唇が私の首筋に触れるたび、私の心に浮かぶのはこの男への情熱ではなく、ただ一人、千尋への赤黒く燃える執着だけ。
(聞こえる? 千尋… あなたの夫が、私の名前を呼んでいる)
彼が苦しげに私の名を呼ぶ。その声は、私にとって予想を超えた快感と悦楽をもたらした。
(違う。あなたが呼ぶべき名前は、千尋… でも、それでいい。あなたが私を求めるほど、あなたの身体には私の痕跡が刻まれていく。千尋の聖域を穢す、消えない刻印が)
私は目を閉じ、この男を千尋の夫としてではなく、千尋そのものを征服するための「道具」として感じていた。
そう。今していることは私にとっては道具を使った自慰だ。
(ああ…… 千尋、千尋、たまらない…… 千尋を思い浮かべたら、もうダメ)
今夜の行為の一つ一つが、千尋の絶望の表情を想像させる。それが私の快感を膨れ上がらせ、倒錯した悦びは、私を幾度も絶頂へと導いた。
やがて衝動の嵐が過ぎ去った後、彼は汗ばんだままベッドに沈み、罪悪感と陶酔が入り混じった表情で天井を見つめていた。隣に横たわる私の気配は、まるで何もなかったかのように静かだった。
私はゆっくりと身体を起こした。乱れた髪を指でかき上げる。情事の後の気だるさなど微塵もなかった。
ベッドから降りると、窓辺に立ち、裸身を月光に晒した。
「明さん。もしも罪悪感を抱いているなら、それは私たち二人の間のスパイスよ。気に病むことなんてないわ。それに私たちは、ただ欲しいものを手に入れた。それだけでしょう?」
私の背中は、あまりにも冷たく、そして孤高に見えたことだろう。彼は自分が抱いた相手が、人間ではない何か別のものだったのではないかという、漠然とした恐怖に襲われている。その恐怖はあまりに魅惑的で、抗うことができないはずだ。
私は窓の外の闇を見つめながら、ただ黙っていた。
そして、子供のころに自分にかけた魔法を、無意識に口にしていた。
「私の心は決して折れない白銀の剣」
都心から少し離れた、森閑とした場所に佇む私の家。
仕事で高級な場所に赴くことには慣れているようだったが、この、芸術家である私が作り上げた空間は、彼の知るどの場所とも異質な空気を放っていたことだろう。
玄関に佇むその顔を見ればわかる。
資産運用の相談という名目で、私は彼と何度か会っていた。もちろん、あくまで仕事の一環を装い、会うのは昼間に会社の応接室や近くのカフェ。
その度に、この男が妻の親友である私に魅せられていくのを感じていた。
私の容姿と広範囲な知識、所作に時折見せる子供のような天然さ。
全てが、彼を堕とすための計算された演技だった。
そして、「千尋には言わないで」とお願いすれば、彼は愚直にその約束を守った。
積み重ねた結果の今日、仕事の都合で家に来てほしいと頼むと、彼は何の疑いもなくやってきた。
「いらっしゃい、明さん。待っていたわ」
玄関で彼を迎えた私は、シンプルな黒のシルクのワンピースを身にまとっていた。余計な装飾は何もない。それなのに、私自身が最高の芸術品であるかのように、その存在感は圧倒的だったはずだ。
リビングに通すと、間接照明が作り出す陰影の中に、私の作品たちが静かに佇んでいる。
「素晴らしい家ですね。美術館のようだ」
彼の素直な感想に、私は嬉しそうに微笑んでみせた。
「ありがとう。私の世界へようこそ。さ、座って。まずは喉を潤しましょう」
勧められるがままに革張りのソファに腰を下ろした彼に、私は年代物の赤ワインをグラスに注ぐ。
芳醇な香りが空間に広がる。最初は資産運用の具体的な話。彼はプロとして誠実に、そして分かりやすく説明をした。私は真剣な眼差しで相槌を打ち、時折、彼の知識の深さを称賛してやった。
「すごいわ。数字の世界で、こんなにも情熱的に語れる人だなんて。千尋があなたを選ぶ理由がわかる気がする」
私の言葉に、彼の心が微かに揺れるのが見て取れた。
妻の親友に、自分の仕事ぶりと、そして夫としての自分を認められたような気がして、悪い気はしなかったのだろう。
話が一段落すると、私は彼のグラスにワインを注ぎ足しながら、ふと遠い目をして見せた。
「千尋は……幸せ?明さんといて」
「もちろんだと思いますよ。少なくとも、私はそう信じています」
彼が顔をクシャッとして返す。実に陳腐な反応だ。
「そうよね。あの子は昔から太陽みたいな人だったから。でも、太陽が強すぎると、その光に灼かれてしまう影も生まれるの」
私はどこか寂しげに呟くと、彼の隣にゆっくりと腰を下ろした。私が調合した香水が、ワインの香りと混じり合って彼の感覚を麻痺させていくのがわかる。
「私には…… そういう光はなかった。ずっと暗い場所にいたから。だから千尋が眩しくて…… そして、あなたも」
「私が?」
「ええ。千尋という太陽に愛され、その光を自分の力に変えている。強くて、優しい人。私、そういう人に憧れていたのかもしれない」
私はそう言うと、明の手にそっと自分の手を重ねた。冷え切ったような私の手に明の温もりが伝わってくる。
「この細い指が、あんな彫刻を……」
彼は部屋の隅に置かれた私の作品に目をやった。その隙に、私はその、彼が言う細い指を、彼の手から這わせるように胸元へと移動させた。
「小川さん、私は……」
彼が何かを言いかけて口ごもる。妻の親友、その一線がかろうじて彼の理性を繋ぎとめている。だが、この非日常的な空間、アルコール、そして目の前の私の甘い香りと吐息は、彼の理性を少しずつ溶かしていく。
「明さん、あなたのことをもっと知りたくなってしまった。千尋の夫としてじゃない。橋本明という一人の男性として」
吐息がかかるほどの距離で、潤んだ瞳で彼を見上げてやる。その瞳に吸い込まれそうになった瞬間、彼の中で何かが切れる音が、私には聞こえた。彼は重ねられた私の手を振り払うことなく、ただ、目の前の蠱惑的な唇が自分のものに重なるのを許した。
(なんて簡単に堕ちる男なの)
彼の腕が私の背中に回るのを感じながら、私は心の中で冷ややかに呟いた。
(千尋、見ている? あなたが築き上げてきた日常と幸せの一つが、今、音を立てて崩れていく。でもこんなものじゃないの)
私の唇の端が微かに吊り上がった。
彼の理性が途切れた瞬間、私は支配者になった。
自ら唇を離すと、彼の腕を取り、寝室へと静かに導いた。彼は抗うことも、言葉を発することもなく、まるで夢遊病者のように私の後に続いた。
大きな窓の外には静寂な夜の森が広がり、部屋を照らすのは月明かりと小さな間接照明のみ。生活感のないこの部屋は、これから行われる儀式のための舞台。シルクのワンピースが音もなく床に滑り落ち、月光に照らされた私の身体を見せつける。
私の体に興奮する息遣いを感じる。
犯すように固まった視線を感じる。
私は窓際のラタンチェアに腰掛けると脚を開いた。彼の興奮した視線が私の秘部に熱をもって注がれるのを感じながら、「しゃがんで」と床を指さし、掠れるような声で命じた。
彼は私の前にひざまづくと、食虫植物に誘われる虫のように、私の股間に顔をうずめた。
「はああ……」
腰が反り、声が漏れる。静まり返った寝室の中で、私の嬌声と、犬が水を舐め飲むような音が重なり合う。鼻をつく淫臭。
私は彼の頭を掴み、汗ばむ白い肌を薄桃色に染めて大きく背中を反らすと、最初の絶頂を迎えた。
彼に「ベッドへ」と囁くと、私はそのまま歩いていき、ベッドの上にまだ汗ばんでいる肢体を見せつけるように横たわった。薄暗い中で浮かび上がる淫靡な肢体を見て、彼の内でかってない衝動がマグマのように湧き上がるのがわかる。彼は何かに突き動かされるように、欲望のままに私の身体を求めてきた。
日常の退屈、妻への微かな不満、そして目の前の非現実的な存在への渇望。
それらが彼を獣のような純粋な欲求へと駆り立てている。
しかし、私は冷静だった。快感が背筋を這っても、この情事をどこか俯瞰するように見ている自分がいる。
私の肌は彼の熱を帯びた身体に触れても、その冷たさを失わない。
彼の荒い息遣い、必死に私を求める動き、その全てを、私はまるで遠い場所から観察しているかのようだった。
彼の指が私の肌をなぞるたび、彼の唇が私の首筋に触れるたび、私の心に浮かぶのはこの男への情熱ではなく、ただ一人、千尋への赤黒く燃える執着だけ。
(聞こえる? 千尋… あなたの夫が、私の名前を呼んでいる)
彼が苦しげに私の名を呼ぶ。その声は、私にとって予想を超えた快感と悦楽をもたらした。
(違う。あなたが呼ぶべき名前は、千尋… でも、それでいい。あなたが私を求めるほど、あなたの身体には私の痕跡が刻まれていく。千尋の聖域を穢す、消えない刻印が)
私は目を閉じ、この男を千尋の夫としてではなく、千尋そのものを征服するための「道具」として感じていた。
そう。今していることは私にとっては道具を使った自慰だ。
(ああ…… 千尋、千尋、たまらない…… 千尋を思い浮かべたら、もうダメ)
今夜の行為の一つ一つが、千尋の絶望の表情を想像させる。それが私の快感を膨れ上がらせ、倒錯した悦びは、私を幾度も絶頂へと導いた。
やがて衝動の嵐が過ぎ去った後、彼は汗ばんだままベッドに沈み、罪悪感と陶酔が入り混じった表情で天井を見つめていた。隣に横たわる私の気配は、まるで何もなかったかのように静かだった。
私はゆっくりと身体を起こした。乱れた髪を指でかき上げる。情事の後の気だるさなど微塵もなかった。
ベッドから降りると、窓辺に立ち、裸身を月光に晒した。
「明さん。もしも罪悪感を抱いているなら、それは私たち二人の間のスパイスよ。気に病むことなんてないわ。それに私たちは、ただ欲しいものを手に入れた。それだけでしょう?」
私の背中は、あまりにも冷たく、そして孤高に見えたことだろう。彼は自分が抱いた相手が、人間ではない何か別のものだったのではないかという、漠然とした恐怖に襲われている。その恐怖はあまりに魅惑的で、抗うことができないはずだ。
私は窓の外の闇を見つめながら、ただ黙っていた。
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