月の目覚めの時

永田 詩織

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1. 陽だまりの時

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  ロベルトは草むらで身を屈めた。口を塞いで、息を殺し、じっとする。
  足音が聞こえてきた。少し小走りで、軽い音だ。
「ロベルト様っ!どこにいらっしゃるのですか!」
 思わず、彼は笑いをこぼす。だって、あんなに必死になって走る姿は、とっても滑稽だ。
 いつもは叱られてばかりで、でも、怖くて言い返せない。だから、ここぞとばかりに仕返しをしてやろうと考え、ロベルトはこのまま見過ごす事にした。
 気付かれたら後が怖いから、静かに、こっそりと見つめて。だから、彼は背後から近付く影に全く気付かなかった。
 突然、首根っこを掴まれて、空中に持ち上げられる。
「わあっ!?」
「やっと見つけたぞ!何をしている、このワンパク坊主め!」
 ロベルトはビクッと首を縮こまらせる。恐る恐る顔を上げた。
「ヒ、ヒース…」
 そこには、怒れる鬼の顔があった。
 ロベルトはひきつる顔を必死に動かし、笑顔を作る。
「ど、どうしたの…ぼく、かくれんぼしていただけで__」
 げいん、と音がして、頭部に激痛が走る。
「いたぁい!」
「何が“かくれんぼ”だ!懲りずにまた、世話役を困らせやがって…」
 お陰で、俺はいつも…とぼやく鬼__ではなく、褐色の青年ヒースを睨みつけ、ロベルトは反抗する。
「だ、だって、テレサ、いっつもすごくうるさいんだもん…。たまには、ああやって痛い目を見せてやって…」
「何が痛い目だ!お前は何様のつもりだ!」
「もちろん、ぼくだよ!」
  堂々と胸を張る彼に、ヒースが呆れた顔をする。
「え?どうしたの?」
「いや…」
「貴方の愚かさ加減に呆れ果てているのですよ、ヒースは」
 背後から声がして、ロベルトはパッと顔を向ける。
 そこには、美しい銀色の長い髪をした青年が立っていた。
「ノルン!」
 ノルンと呼ばれた彼は、ロベルトの呼び声に鬱陶しそうに眉をひそめた。ずかずかと二人に歩み寄ると、ヒースの手から彼を払い落とす。
「あっ、ありがとう!」
「何故、そこで礼など言うのです。だから、貴方は愚かだというのですよ。己に敵対する者の心さえ見抜けぬとは」
 そこで、ロベルトは目を瞬かせた。
「ノルン、ぼくの敵なの?」
「だから、何故、そういう話になるのです。貴方はバカですか」
「…いや、お前の方が言っている事がおかしいぞ」
 ヒースがまた呆れ顔で呟く。ロベルトからすれば、先程よりもひどい顔をしていると思えた。
「なんですって。ヒース、今なんと言いました」
「いいや、何も」
「…」
 ヒースを睨むノルンと、涼しい顔をする当人をロベルトは見比べる。それから、フフッと笑みをこぼした。
「こらっ、ロベルト!」
「何を笑っているのですか!」
「だって、仲良いなあって…」
 そのまま笑っていると、二人は揃って嫌な顔をした。それが余計にそう思わせて、彼はたちまち満面の笑みになる。
「ねえ。そういえば、兄様は?」
  ロベルトは、不意にそう尋ねた。
  すると、先程までいがみ合っていたヒースとノルンは顔を見合わせ、ちょっと困った顔をする。
「ロベルト。今、若は忙しいんだ」
「今日も、一緒に遊べないの…?」
「ロベルト」
 今度は、ノルンが語りかけてくる。彼は、ロベルトの前に膝をついた。
「あの御方は、とても大変なお立場にあるのです。それに、今は特に…」
「とくに…?なんなの。何かあるの?」
 思わずそう聞いていたら、兄とは少しだけ色合いの違う、青みがかった緑の眼差しが、僅かに悲しそうに陰った。
 慌てて、ロベルトは口をつぐむ。ノルンにそんな顔をして欲しくなかった。
「ロベルト…?」
 ノルンが怪訝そうに問いかけてくるが、彼は俯いたままでいた。
  青年二人が当惑して、顔を見合わせた時だ。
「ロベルト!」
 突然、優しいアルトの声が彼の名を呼んだ。
 ロベルトは弾かれたように顔を上げ、パッと輝かせる。
「兄様っ!」
 一目散に駆け出すと、彼はその人物に向かって飛びつく。その人は、難なく小さな彼の体を受け止めた。
「ロベルト、良い子にしていたかい?」
「うんっ!」
 満面の笑みで頷く。そうしたら、また頭にゲンコツが降ってきた。
「いったぁい!」
「何度言えば分かるんだ!若にまで嘘をつくな!」
「だ、だってぇ…」
 涙目で見上げると、肩を怒らせたヒースと目が合う。急いで兄の後ろに隠れた。
「あっ。こら、逃げるな!」
「やだ!」
「まあまあ、ヒース。そう怒らないでやってくれ。ノルンも、手を下ろして」
 睨み合う二人の間に入って、兄は彼らを宥めた。ついでのようにノルンに声をかけたのを不思議に思い、ロベルトは彼を見やる。
 ノルンは何故か、腰の剣の柄に手を置いていた。
彼が使ったところは見た事がないけれど、ヒースに聞いた限りでは、相当腕が悪いらしい。目標に当てようとして、いつもすぐ傍にいるヒースに向くのだとか。
 だから、ロベルトは慌てて言った。
「ダメだよ、ノルン!ヒースに当たっちゃう!」
「は?」
 ノルンの目が、一瞬だけ冷たく光った気がした。
「と、ところで、若!何故、こちらに?会議はいかがされました」
「あ、ああ」
 妙にひきつった顔を向けるヒースに、兄が苦笑いを浮かべて応じる。
「会議は途中で抜けてきたんだ。少し、気がかりな事が出来てね…」
  ハッと顔を強ばらせる二人をよそに、ロベルトは無邪気な声で聞く。
「なあに、気がかりなことって」
 すると、兄は彼に視線を合わせて、頭を撫でてくれた。
「ロベルトがちゃんと言いつけを守っているかな、と。ほら、前に約束しただろう?一週間、テレサの言う事をきちんと聞けたら、一緒にお出かけしようって」
「うん、言っていた!…あ」
「でも、今の様子だと、連れて行ってあげられそうにないなあ。ロベルト、また彼女を困らせているだろう」
サッと顔色を変えるロベルトに、兄は優しく笑いかける。
「だけど、今から彼女のところに戻れば、今日は知らなかった事にしても構わないよ。__ね、テレサ!」
  その呼びかけに驚いて顔を上げると、茂みから、彼の世話役が顔を覗かせた。その顔は真面目な彼女らしく、唇を引き結んでしかめられている。けれど、本当は叱りたくて仕方がないようだ。目を見ただけで、ロベルトにはすぐに分かった。
  本当は、戻りたくない。しかし…。
  ちらっと、兄の顔を見る。彼はあいかわらず、穏やかな笑みを浮かべている。
  次いで、二人組の事を顧みた。ヒースは顔を強張らせ、ノルンはあらぬ方を見やっている。
 そこで、ロベルトは思い至る。また叱られるのは、自分だけではないのだと。それから、彼は彼女に向き直って、笑顔になった。
「ごめんなさい、テレサ。ぼく、ヒースとノルンと遊んでいたの!」
  ヒースが大慌てで彼の口を塞ぎ、ノルンが顔を青ざめさせたのが視界の隅に映る。
  世話役の目が吊り上がった。
「貴方達、ちょっといらっしゃい!!」


  その後、彼らはこってり世話役に叱られた。さらに、ヒースにゲンコツを落とされ、ノルンに嫌みを言われ、色々と大変だったが、ロベルトはとても楽しかった。
  だって、義兄達がこんなに傍にいてくれる。ロベルトはとても幸せだった。
  そうして、兄のいない寂しさを紛らわせる。これは、そんな十二歳の春だった。


  *   *   *


  青々とした木々の隙間から、柔らかな光が射し込んでいる。幹には、二羽の小鳥がとまっていて、時折、その愛らしいさえずりで唄を奏でてくれる。
  季節は夏の始まり。少しだけ暑くなり始めたこの頃だが、それでも窓辺から射し込む日差しは心地良い暖かさだ。
  少し離れた草むらでは子猫がうたた寝をしていて、こちらも眠くなってしまいそうだ。
  その時、緩みかけた誰かの意識を戻すかのように、淡々とした声が室内に響き渡った。
「__そもそも。我が国はさほど長い歴史を持っていません。というのも、我らはかつて、“地上”に暮らしていたのです…」
  抑揚のない低い声の持ち主は、ノルンだった。
  三年前と比べて、遙かに背丈の伸びた彼は、静かな横顔をしている。軽く伏せられた眼差しに感情はなく、昔の生意気な一面も冷ややかさも感じられない。年相応以上に大人びて見えた。
  ノルンの心地良いアルトが聞こえてくる。
「…そうして迫害に耐えかねた我々の祖先は、自由と安息を求めて、かの地を去ったのです。そして、彼らは、自らの魔術でこの星“月”を創り出しました。__ここまでで、何か質問はありますか?」
  彼は顔を上げ、小さな部屋を見回す。
  そこには、真剣な顔でこちらを見上げる数人の少年達と__それから、隅で眠る一人の少年がいた。
  日向で気持ちよさそうに眠りこけるその金髪の少年を見て、ノルンは密かにため息をつく。
「…それでは、続けます。ところで、何故、我ら魔術師は追いつめられねばならなかったのか。それは、奴ら__“地上”の人間が、なんの力も持たない者達だったからです。奴らは低能で、野蛮で、どうしようもない愚か者だ。何があろうとも、その言葉に耳を傾けてはなりません。まあ、今は“地上”へと続く道も封鎖されているので、そのような心配は無用なわけですが…」


「…では、本日はここまで。明日から建国祭が始まり、しばらく講義はありません。ですが、各自、くれぐれも勉学を怠る事のないように」
  夕時の鐘が鳴ると共にノルンが告げると、子供達はそれぞれに支度を始め、駆け足で教室を後にしていった。
  彼らが立てていった埃に眉をひそめ、ノルンは換気をしようと窓に近付く。そこで、いまだに残っている小さな人影に気付き、彼はそちらに向き直った。
  一人の少年が木洩れ日に照らされ、寝入っている。
  ノルンは無言のまま、彼に近付いた。
  気配ぐらいは感じるだろうに、少年はちっとも起きる様子がない。しっかりと目が閉じられた横顔は、幼い頃と全く変わりがない。相変わらず、暢気な寝顔だ。
  と、そこで、ノルンはため息をついた。小さく頭を振る。そして、おもむろに手を伸ばし__。
「あっ、ダメ!」
  突然、少年が起き上がり、そう叫んだ。
  ノルンは掴んだ物を決して放さず、お得意の冷たい眼差しで見下ろす。
「何が駄目ですか。真面目に授業を聞こうとしない振りをして、このような物を使うとは…」
「ノ、ノルンには関係ないだろう!俺の事情だってあるんだ!」
「それは、他の講義での態度とも関係しているのですか」
  ぐっと黙り込む少年に、彼は追い討ちをかける。
「大変迷惑していると、先生方から苦情が来ているのですよ。第二王子があれで良いのかと。ロベルト、どういうつもりですか」
  第二王子と聞くと、少年__ロベルトは顔をしかめた。ノルンと目を合わせないように、そっぽを向く。
「ロベルト、こちらを向きなさい。貴方、自分が何をしているのか分かっているのですか」
「…」
「若君に…兄君に迷惑をかけているのが分からないのですか、ロベルト」
  一瞬だけ、眉が動いたが、彼は口を開かなかった。
  ノルンは、今日何度目かのため息をつく。
「…私の授業が、そんなにつまらないですか?」
  バッとロベルトが振り返った。
「そ、そんな事な…っ」
「そうでしょうね」
  再び、ひんやりとした声音に戻って、力ずくでロベルトの手からそれをもぎ取る。
「あっ」
「これは、随分と古い物を持ち出してきましたね。さほど長い時間ではありませんが、それでも高度な音質で録音が出来る…」
  卵型の魔製器を目の前に突きつけ、彼は睨み付ける。
「これは、魔力を原動力として、音を記録する事の出来る道具、魔製器です。このような物を持ち出してまで、何故、不謹慎な態度をとるのですか!」
  しばらく、ロベルトは顔を俯かせていた。
  根が素直な彼の事だ。している事に罪悪感は抱いているのだろう。
  それから、恐る恐る顔を上げた。
「でも、ノルンは兄様の為になる事なら、嬉しいだろう…?」
予期せぬ言葉に目を瞬かせ、ノルンは曖昧に頷いた。
「若君の為、ならば…確かに喜ばしいですが」
「…なら、放っといてくれよ。そうすれば、兄様も俺の事で煩わされずに済むんだから」
  ようやく、彼はロベルトの言わんとする事が理解出来た。
  よくある話だ。現在、この国は、二人の王族、どちらを擁立するかで派閥が分かれ、対立している。その片割れであるロベルトは、第一王子である兄の事を思って、自ら身を引こうと考えているのだ。
「しかし、でしたら、意思を表明すれば済むだけの話でしょう。何故、講義まで疎かにするのです」
「だって、言っても、あいつら聞いてくれなかったから。だから、いっその事、愛想を尽かされてしまえばいいと思って…」
  ごめんなさいと、うなだれるロベルト。
  その姿に、微かな痛みを胸に感じた。脳裏に過ぎったある貴族の姿を払いのけ、ノルンは彼に正面から向き合う。
「良いですか、ロベルト。勉学を疎かにしてはなりません。隙を見せてもなりません。それでは、奴らの思う壺です」
「え…?」
  驚きに見開かれた翡翠の瞳を見つめて、彼は慎重に言葉を選ぶ。
「奴らは…奴らにとって、王の器とはさしたる問題ではないのです。あの者達は、自ら傀儡が欲しいだけなのですから」
「かいらいって…?」
「それは…」
  視線をさまよわせるノルンに、思わぬ救世主が現れた。
「あやつり人形だ。貴族達に好きなように動かされてしまう、お飾りだな」
「ヒース…!」
  あまりに直接的な言い方に、ノルンは褐色の青年を睨み付けるが、彼はこちらを見ず、真っ直ぐにロベルトを見つめていた。
「だから、ロベルト。お前は知識をつけて、奴らに対抗しろ。付け入られないよう、隙を作るな」
  厳しい顔付きでそこまで言ってのけてから、ヒースはふっと目元から力を抜いた。まだ難しい顔をしているロベルトに、ほんの少し微笑む。
「まあ、ややこしい事は、お前は考えなくていい」
「でも…」
  不安そうに顔を上げた彼の頭を押さえ込むようにして、右手で撫でつける。
「余計な事は考えず、勉強でもしとけ。__だが、その前に、祭りだな。早く若のところに行って差し上げろ。ロベルト、これから明日の打ち合わせを一緒にやるんだろう?」
「あっ、そうだった!」
  パッと顔を上げて、彼は慌ただしく道具をまとめる。駆け足で遠ざかる後ろ姿に、ヒースは大声をかける。
「復習もきちんとやっておけよ!」
「うるさいな!」
  いつも通りの元気な声が返ってきて、ノルンは知れず笑みをこぼしていた。と、同じように微笑んでいるヒースと目が合って、彼はハッとして顔をしかめる。
「ヒース。先程は、流石に言い過ぎでは…」
「バカを言え。あのぐらいはっきり言ってやらなきゃ、あいつも納得出来ないだろう。それに、潮時だ…」
  諦めたように目を伏せるヒースに、ノルンは強く反論する。
「何が潮時です。あの子は、まだ十四なのですよ。いくらなんでも、現実を突きつけるのは早過ぎ…」
「もう十四だ。それに、あと少ししたら、十五にもなる。俺達は、そのぐらいの年にはもう、周りの状況を理解していたぞ」
  はっきりと告げられ、ノルンは言葉に詰まった。当時の記憶が脳裏に浮かび、更に彼の気を重くする。
「…だからこそ、です。あの子には…ロベルトには、これからもずっと、暢気な顔をしていて欲しいのですから」
「サラッと嫌味を言ったな…」
「貴方はそうは思わないのですか?私より余程、ロベルトを可愛がっていますが」
  彼の余計な一言を無視して、ヒースを見据える。暗い翡翠色の瞳は、二、三度瞬きをすると、僅かに悲しそうに陰った。
「まあな」
  彼も同じものを見ているのだと、ノルンは確信した。


  *   *   *


  ロベルトはひたすら走った。
  兄が待っている。そう聞いた途端、逸る気持ちと嬉しさで胸がいっぱいになったのだ。
  早く行かなければ。早く会いたい。ここ数日顔を合わせなかっただけなのに、彼の頭の中はそれだけでいっぱいだった。
  長い廊下を駆け抜け、離れへと続く道に飛び出す。その道も一目散に走り出す。
  そうして、離れのすぐ傍までやってきた時、何かひそひそ声が聞こえてきた。
「…?」
  不思議に思って視線をさまわせると、少し離れたところに、庭園でくつろぐ貴族達の姿を見つけた。彼らは、花々に囲まれたテラスにおり、目の前の美しさに魅入るように身を屈めている。その姿は花を観賞しているようが、ロベルトにはそんな風には思えない気がした。
  また、何か政治の話をしているのだろう。兄の悪口を言っているようであれば、止めないと。そう考えて、一歩を踏み出したところで、彼らの中に見知った顔ぶれがある事に気付いた。慌てて踵を返して、離れに飛び込む。
  使用人が驚いたように顔を向けてくるが、ロベルトは無視した。ゆっくりと深呼吸をして息を整えてから、覚悟を決めて、庭園の方を見やる。
  気付かれた様子はなかった。お陰で、ロベルトはホッと胸をなで下ろす事が出来たが、それでも、その事態を想像しただけで背筋が凍る。知れず、ため息が出た。
  そう、彼なのだ。先程、ノルンに打ち明けた人物、ロベルトにしつこく付きまとってくる貴族というのは。今だって、ロベルトの顔を見ただけで、まとわりついてくるに違いない。たとえ、他の貴族と密会中であろうとも。
  だから、彼は早急にその場を立ち去る事にした。何を話しているのかは気になるが、それ以上に鬱陶しいのは嫌だ。
  余計な事に巻き込まれぬように、そう言い聞かせて、廊下を歩き出す。その時、人とすれ違って、奇妙な香りが彼の鼻をくすぐった。
  __なんだろう、この匂い…。それにしても、変わった衣装だな。
  なんとなくその人物を視線で追いかけてしまう。
「え…?」
  そこで、ロベルトは呆気にとられた。と、その間もなく、慌てて身を翻す。
  なんと、彼はあの貴族達の知人だったようだ。もうすでにばれてしまったかもしれないが、逃げてしまえば問題ないだろう。
  それにしてもと、彼は思う。
「あの人、笑っていたよな。俺の事を見て…」
 それも、とても友好的なものではなかった。もっと刺々しくて、悪意を含んでいるかのような__。
 そこまで考えて、彼は身を震わせた。
「ロベルト…?どうしたんだい、寒いのかい?」
  不意に、優しい声をかけられる。ロベルトはパッと顔を輝かせた。
「兄様っ!」
  たちまちにして、嫌な事は忘れてしまった。
「いえ、なんでもありません!それより、遅くなってごめんなさい」
「いや、いいんだよ。勉強は大切なんだから。…じゃあ、早速始めようか」
「は、はいっ!」
 顔を強張らせて力いっぱい叫ぶロベルトを、兄は覗き込んだ。
「…もしかして、緊張しているのかい?」
「…はい」
 むしろ、しない方がおかしい。何しろ今年は、ロベルトにとって初めての王族としての建国祭なのだ。昨年までは、民の中に交じって祭を楽しんでいただけなので、どんな務めが待っているかは分からない。ただ、皆の前で失態をやらかしてしまわないか、それが心配だった。
 そう言うと、兄はきょとんとした顔付きになった。それから、たちまちのうちに破顔して、楽しそうな声をあげる。
「何を言っているんだい、ロベルト。僕らの務めは、そんな大仰なものじゃないよ」
「えっ!じゃあ、何をするんですか?」
 てっきり、大掛かりな仕事を想像していたロベルトは、出鼻をくじかれた気分になる。
「まあ、基本は去年までと一緒だね。ただ、違うのは、意識だ。僕達王族には、国民を守る義務がある。だから、街のあちらこちらを巡回するんだよ。何か困った事がないか、確かめる為にね」
「…そうなんですか」
 思いの外、簡単すぎる務めだった。すっかり拍子抜けしてしまったロベルトは、素直に安堵できずにいた。
「ああ、そうだ。これが、今年のロベルトの衣装だよ」
「…!」
  その言葉に、彼は瞳を輝かせた。
  そうだ、今年からは、衣装があったのだ。
  昨年までの、兄の凛とした姿を思い出す。あんな風に格好良くなる自分を想像して、ロベルトは胸を高鳴らせた。
 いそいそと兄から衣装を受け取って、広げてみた。
 そこで、ピキッと固まる。
「…に、兄様。これ、兄様が選んだんですか…?」
「え?いや、違うよ。その衣装を選んだのは、テレサだ」
  __テレサ…ッ!
  サアッと顔を青ざめさせる。
「僕も、すごくロベルトに似合うと思う。明日が楽しみだ」
  そんな弟の心中を知ってか知らずか、兄は笑顔で言った。
  ロベルトとしては、頬を引きつらせて笑い返す事しかできない。
  今年の建国祭は、大変なものになりそうだった。
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