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4. 故郷からの刺客
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天上の塔の入り口に近付いたジグルドは、右手を当ててその扉を開こうとした。
「だめだよ。びくともしないだろう?」
ロベルトが苦笑しながら言うと、彼は怪訝そうに振り返る。
「なんでだよ」
「なんでって、そりゃあ、王族にしか開けられないからだよ。ここは、この国にとって最も重要な場所だぞ。そう簡単に入れないよ」
「ふうん…。意外と…いや、予想以上に念入りだな」
小さな呟きがして、ロベルトは不思議に思って覗き込んだ。
「何か言ったか?」
「いや、なんでもない。さっさと“国の灯火”とやらを見に行こうぜ」
「…って君、簡単に言うけどね、本当なら、入ってもダメなんだよ?近付く事だって、本当はできない筈なのに…」
そこまで言って、はたと気がつく。
ジグルドは、貴族達に連れてきてもらうつもりだと言っていた。だが、王族でもない彼らに、この扉を開ける事が叶うとは思えない。貴族達だって、その事実はよく知っている筈なのだが__。
そんな彼の懸念をよそに、ジグルドは早く開けろと催促する。
__今、悩んでも仕方ないか。
難しい事は、まだよく分からない。後でノルンかヒースに相談してみればいいだろう。その為にも、早く“国の灯火”を点して、彼らの正気を戻さなければ。
そう結論付けて、ロベルトは扉に近付いた。
「えっと…」
何かを探すように、視線をさまよわせる。
「あ、あった」
足元に鍵の形をした窪みを見つけ、彼は手を伸ばす。感触を確かめると、そこは少しだけ生温かった。他の部分はひんやりとしていて心地が良いのに、ここだけが奇妙に温かい。その理由を知るロベルトは満足げに頷いて、そっと両手を当てた。
目を閉じると、ゆっくりと魔力を注ぎ込んでいく。徐々に窪みは熱を持っていって、とろりとした感触が手に触れるのを感じた。
__まだだ。
焦りそうになる自分に言い聞かせ、ロベルトはじっと堪える。
__今、手を離したら、一からやり直しになる。そう、あれができるまでは…。
どれくらいそうしていただろうか。不意に、手元の熱が消え失せた。その代わり、固い何かがロベルトの手の中に転がりこんできて、彼は手を引く。
そこには、鍵があった。ちょうど、あの窪みと同じくらいの大きさだ。
ジグルドはロベルトの手元を覗き込んで、驚きの声をあげた。
「お前…それ、どうしたんだよ!」
「今、造ったんだよ。この窪みに魔力を注ぎ込んで、鍵の形にしたんだ」
でも、魔力を固めただけのものだから、時間が経てば、すぐに壊れてしまう。しかも、この窪みの熱は王族の魔力にしか反応しないから、彼らがいなければ、決して入る事は叶わない。
これが、王族にしか天上の搭に入れない理由だった。
「そうか、だから…」
驚きを隠せない様子のジグルドに、ロベルトはしてやったりの気分になる。嬉しげに顔をあげて、ジグルドの横顔を見た途端、何故か動きを止めてしまった。
__なんだろう。胸騒ぎがする。
胸の奥がざわつくような、焦りに似たそんな気持ち。
気付けば、勝手に口が動いて、ロベルトは彼にこんな事を言っていた。
「ね、ねえ。やっぱり、君は外で待っていてくれないか?」
「はあ?なんでだよ」
案の定、ジグルドは不機嫌そうに眉をひそめる。
慌ててロベルトは目を逸らして、謝罪の言葉を口にした。
「ご、ごめん。変な事を言った。気にしないでくれ」
それでもざわつく胸の奥の何かを振り切るように、ロベルトは扉に向き合う。
「ええっと、鍵穴は…」
「そこだろ」
間髪いれずに指差され、ロベルトはその先を追う。お陰ですぐに見つかったが、まるで最初から知っていたかのようなジグルドのそれに、疑念を覚える。
「…ジグルド、君、ここに来るのは初めてじゃないのか?」
「はあ?何言っているんだよ。この場所に来るのだって、お前がいなきゃ不可能だっただろうが」
確かにそうだ。そう納得したいのに、やはり何かが邪魔をする。
__…きっと、不安になって、疑心暗鬼になっているんだ。ここには、いつも傍にいてくれる兄様達がいないから。
そう言い聞かせて、鍵穴に鍵を差し込む。
「…開けるよ」
自身に言い聞かせるように、小さく呟く。そして、ゆっくりと鍵を回すと、扉は音もなく目の前から消え失せた。
「えっ!?」
予想もしなかった展開にロベルトは思わず声をあげる。そして、気付けば、地面に倒れ込んでいた。
「…まさか、転移魔術式だったとはな」
そんなジグルドの呻き声に、ロベルトははたと我に返った。
目を瞬かせて起き上がると、隣でジグルドがこめかみを押さえながら寝転がっている。
「…大丈夫か?」
「あー…平気だ。じっとしてれば、もう少しで治ると思う」
頭痛が酷いのだろう。話すのも億劫そうで、苦笑したロベルトはしばらく彼を放っておく事にした。
__それにしても…ジグルドは、転移魔術に慣れてないのか?
この魔術は、人によっては激しい頭痛を生じさせる。だが、それも始めのうちで、慣れてしまえば、全く支障はなくなる。転移魔術は、日常的には用いられないものだが、月の国の大抵の人間は、少なくとも子供のうちに慣れてしまうものなのだ。
だが、ジグルドの様子を見る限り、彼のそれはまるで初心者も同然の反応だった。それとも、余程の酷い副作用の持ち主なのか。いずれにしても、彼の調子が治るまで、そっとしておくべきなのだろう。
ふと、ロベルトは誰かに呼ばれたような気がして、顔をあげた。勿論、その場にいるのは、彼ら二人だけで、他の誰かがいる筈もない。
だが、その時の彼はどうしても気になって、声の主を捜す事にした。立ち上がった彼は、ぐるりと辺りを見渡す。窓一つない、小さな部屋。あるのは、扉一つだけで、彼はゆっくりと扉を押し開ける。
その先に現れた螺旋状の階段に、ロベルトは天を振り仰いだ。
「わあ…っ、高いな…」
どこまでも、どこまでも、階段は続いていそうだった。終わる事のないような路に、不意にその終点を見てみたいという気持ちが沸き上がってきた。
「もしかしたら、あの声の主も、この上にいるかもしれないし…」
そう口にすると、本当の事のような気がしてくる。思い切って、ロベルトは一歩を踏み出した。
一段一段、慎重に上っていく。響き渡るのは、彼の足音だけ。心地よい響きに、時折ロベルトは耳を澄ませた。
__駆け上がってみよう。
そんな思いが浮かび上がり、少しだけ歩調を早める。最初のうちは落ちないか怖くて慎重な足取りだったけれど、足音を聞いているうちに、そんな恐れもなくなって、彼は勢いよく地面を蹴った。
テンポの良い音が搭に反響する。その響きは、天まで届いて__。
__…って、そうだ!
ここは天上の搭だ。
今更ながらに現在の事態を思い出して、我ながら恥ずかしくなる。
足を止めたロベルトは顔を真っ赤にして俯いた。そこで、はたと異変に気付く。
「あれ…?ここ、階段じゃない…」
戸惑いとともに視線をあげて、彼は言葉をなくした。
「これ、は…」
「そう、“国の灯火”だ」
ハッとして振り向く。そこにいた影に、ロベルトは声をあげた。
「ジグルド!」
いつの間に、彼はこんなところに来ていたのだろう。夢中だったせいなのか、傍に来ていた事さえ、全く気付かなかった。
__夢中…?何に…?
そこで、ロベルトは思い至る。先程のあれも、魔術だったのだ。恐らく、音を用いたもの。あの時、彼は不思議な声に導かれるがまま、行動した。その結果、彼__彼らはこの場所に導かれ、飛ばされた。
「そうか…そうだったんだ」
__だったら。
ロベルトは改めて“国の灯火”に向かい合い、意識を集中させようとする。
「待て」
突然、聞こえた制止の声に、彼は鬱陶しそうに振り返る。
「なんだよ、今か…」
ふつりと言葉が途切れる。
首に当てられているのは、冷たい感触。鋭く光る得物を手にしたジグルドの眼差しは、それと同じくらい冷たかった。
「ジ、グル…」
「動くな。死にたくなければな」
「な、なんの冗談だよ。どういうつもり…っ」
強く押し当てられて、痛みが走る。視界がぼんやりとぼやける。
「この程度が恐ろしいのか。ははっ、俺とは大違いだな」
そのまま後ろに突き飛ばされて、ロベルトは呆然とジグルドを見上げる。
彼はこともなげに指に刃を押しあてると、瞬く間に血が溢れだした。ロベルトと同じ色の赤。ジグルドは不思議そうに自分とロベルトのそれを見比べている。
震えが止まらない。僅かに流れた血が怖かった。だが、それ以上に、目の前の彼のなんとも感じない表情が恐ろしかった。
「ああ、そうだ。抵抗しても無駄だぜ」
まるでたった今思い付いたかのように彼は言う。
「お前らの魔術のカラクリは、大体分かっているからな」
__…え?
一瞬、ロベルトは耳を疑った。本気で彼の言っている言葉の意味を探した。
そして。
ジグルドはロベルトに考える時間を与えてから、真実を口にする。
「俺は地上の人間だ、魔術師の国の王子」
__“地上”。
歴史の講義で、聞いた事がある。遥か昔、ロベルトの祖先はその地で暮らしていたのだと。見た事もない、異郷の地。感じた事のない、故郷の香り。
__ジグルドは…こいつは、そこから来た人?
では、あの香りは。嗅いだ事のない不思議な匂い。着たこともない不可思議な衣装。あれは、全て地上のものなのだろうか。
そして、同時に思い出す。彼らは、地上の人間は、ロベルトの祖先を虐げた者達なのだと。
「__…っ!!」
咄嗟に術を唱えようとしたロベルトの肩を激痛が襲う。それが刃を突き立てられたからなのだという事に気付くのに、大分時間がかかった。
「結構、反応が遅かったな。…けど、結局はそういう顔をするのか」
「…け、きょく…て」
「恐怖にひきつった顔。もしくは憎悪、怒り。皆そうだ。…まあ、それは俺も同じだけどな」
立ち上がったジグルドは、うんざりしたように息を吐く。
「まあ、これでお前は魔術が使えなくなった。…しかし、魔術師ってのは変わっているよな。まるで、夢遊病みたいだ」
「…!」
「要は、白昼夢を見ているんだろう。精霊だかなんだか知らないが、そんなものを操り、操られ、生きている。確かに俺なら、そんな奴らと付き合うのは御免だね」
明確に向けられた悪意と嘲り。初めて、ロベルトは心の底からの怒りを覚えた。
祖先も、こんな思いだったのだろうか。こんな苦しい痛みを味あわされて、同じように涙したのだろうか。けれど、同時に無力感に苛まれる。彼は弱い。これ程に憎い相手が目の前にいるのに、何も出来ない。
「そうだ。最後に話しておこうか。俺がこの国に来た目的だけどな。__これだ」
ジグルドは自分の背後を指差して、そう言った。
それの示す物を理解して、ロベルトは顔を青ざめさせる。
__“国の灯火”…!
何の為にこれが必要なのかは分からない。だが、それは決して良いものではない事なのは確かだった。
__…っ!
力を振り絞って、立ち上がろうとする。けれど、強い激痛に襲われ、膝をついてしまう。
「あんまし、無理に起き上がらない方がいいぜ。出血多量で、人が死ぬ事だってあるんだからな」
悔しさのあまり、目の前が涙で霞む。それでも、抵抗したい一心で、ジグルドをギッと睨み付け続けた。
一瞬、驚愕に見開かれた瞳が、愉快そうに細められる。ジグルドは真っ直ぐにロベルトを指差して言った。
「いいな、その目。その顔は、あいつらと同じ顔だよ」
「あい…つら…?」
「お前が怯えていた連中。大好きなお兄様達の事だよ!」
「…!!」
頭が真っ白になった。
兄達と同じ。あの時の事が走馬灯のように蘇る。
断罪者のような言葉。他者を拒絶する背中。何よりも恐ろしかった、憎悪に彩られた兄の横顔。
__あの時の…兄様と、同じ顔…?
誰かを憎む。そんな感情に今まで触れた事のなかったロベルトにとって、それは恐怖を抱くものでしかなかった。
それが今、彼はその感情に支配されている。その事に気付いた途端、己が恐ろしくなり、顔を覆ってうずくまってしまった。
__怖い…訳の分からない感情が…自分自身が、分からない…!
「何を怯えているんだよ。これから、もっと恐ろしい事を教えてやろうと思ったのに」
「え…」
これ以上何をと悲鳴をあげる彼の心にも容赦なく、ジグルドは続けた。
「お前の母親を殺したのは、この俺だよ」
* *
「母様を…殺した…だって?」
優しかった母の面影が蘇る。そして、脳裏を過ったのは、血を吐いて倒れ込んだ、生気のない母の横顔。
(__母様…っ!)
「…っ!」
過去の叫びが、ロベルトの心を深く抉る。
__…どうして。
涙が止まらなかった。苦しい。痛い。それよりも遥かに、怒りが彼の心を占めていた。
「なんでだよ…。どうして、母様を殺した!?」
掴みかかろうと手を伸ばすが、容易く避けられてしまい、ロベルトは床に叩きつけられる。
「…っ!」
「…あっぶねえな。そんな事をしなくたって、教えてやるよ」
鼻で嘲笑うジグルドは、ロベルトの頭を踏みつけて言った。
「それが、必要だったからさ。この国を動かすのにな」
「…っ、うご…かす…?」
「そうだ。俺は、この呪われた国を滅ぼしたいんだよ。だから、貴族に嘘の事実を教え、俺に依頼させた。勿論、貴族達の親族を殺したのもこの俺だ」
まるで夢を語るかのように饒舌に話すジグルドに、ロベルトは戦慄を覚えた。
では。ならば、兄達と貴族が争いをするように仕向けたのも、彼がロベルトの前に姿を現したのも。
「全ては…俺に、ここへ案内させる為に…」
恐ろしい事実に、ロベルトは愕然とした。そして、己が犯してしまった罪がどれ程に救いようのない事なのかも、理解してしまった。
「そうだ。お前のお陰で、俺はここに辿り着く事ができた。…まあ、目的まではさすがに分からないだろうな」
ジグルドはゆっくりと“国の灯火”に歩み寄ると、僅かに手を伸ばした。が、まるで何かに弾かれたかのように、パッと手を引く。
「まあ、そうだろうな。…これから破壊しようって奴に、魔術師の道具が反抗しない筈がないか」
思わぬ言葉に、ロベルトは息を呑む。
「破壊…だって!?」
「なんだ、訳の分からないって顔をしているな。そういえば、お前の兄も言っていたっけか。『何故かは分からないけれど』、年に一度だけ、“灯火”の光が消える時があるってな」
何処で聞いていたのかも分からないジグルドの言葉にゾッとする。もしや、ずっと彼はロベルト達の事を監視していたのだろうか。
「ああ。俺はずっとお前らの事を見ていたさ」
ロベルトの心を見透かしたように、ジグルドは嘲笑を浮かべる。
「お前らの平和ボケした様子も、真綿にくるまれて幸せそうなお前も、毎日が楽しそうな街の奴らも全部!全部見てきた!」
「…っ!」
強く地面に叩きつけられて、ロベルトは息を詰まらせる。そのまま胸元を締め上げられて、息が上手く出来なくなる。
「お前らのせいで、苦しい思いをした人間がどれだけいると思っているんだ!あいつが…どれだけ辛い目にあっていたか…」
「…!」
__あい…つ…?
途切れかけていた意識の中で、ぼんやりと言葉を繰り返す。
その時、右手が何かに触れて、ロベルトはハッと我を取り戻した。
__これは、“国の灯火”…!
一縷の願いを込めて、全身全霊で魔力を込める。
__点れ!!
次の瞬間、爆風が起こり、ロベルトは大きく吹き飛ばされていた。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
肩で息をしながら、ロベルトは起き上がる。
急いで辺りを見渡すと、少し離れたところにジグルドが倒れ込んでいた。身動ぎする様子もなく、どうやら気を失っているらしい。
ホッと息をついてから、顔を上げる。そして、あっと声をあげた。
「灯りが…“国の灯火”に灯りが点っている!成功したんだ!」
__これなら、兄様達も正気に戻っている筈だ。
目を閉じて、意識を集中させる。
「この地と彼の地を結ぶ糸は道となり、舞う光は道しるべの鳥になる。鳥達よ、彼らを導け!リウィ、ノルン、ヒース!!」
眩い光が部屋の中に満ち、ロベルトは思わず目を瞑った。目の前に人の気配が降り立った事を感じ、パッと目を開く。
「兄様!ノルン、ヒース!」
嬉しさと安堵のあまり飛びつくと、彼らは優しく抱き止めてくれる。それが嬉しくて、ロベルトは一人ずつの顔を覗き込んだ。
「どうした?」
苦笑いを浮かべながら、ヒースは問いかけてくる。
「よかった。三人共、いつもの顔だ」
「それはどういう意味でしょう」
今度はノルンだ。いつもの皮肉げな口調とは裏腹に、目はとても優しい。
「だって…あの時の皆の顔は、すごく怖かったから」
「そう…だったようだね」
不意に優しく抱き締められて、ロベルトは顔を上げる。少し悲しげな表情をした兄と目があって、彼は目を瞬かせた。
「兄様…?どうして、そんな悲しそうな顔をしているんですか…?」
「だって、ロベルトに辛い思いをさせてしまっただろう。それに、あの後すぐ、父上がいらしてね」
「えっ!父様が!?」
戦場となりかけていたあの場に姿を現した国王は、瞬時にそれが幻惑によるものだと見抜き、霧を晴らす魔術をかけたのだそうだ。しかし、彼らがあの時お互いに告げていた言葉も事実には変わりなく、その場はひとまず収めて、今度語り合いの場を設ける事としたらしい。
「お陰で死傷者が出る事もなかったんだけど、その間もなく、黒ずくめの連中に襲撃されてね。なかなかここに辿り着く事ができなくて、正直困っていたんだ。だから、本当に助かったよ、ロベルト」
「で、ですが、父様達は?残してきたままなのでしょう。無事なのでしょうか?」
最悪の事態を想定し、自身の犯した間違いに顔を青ざめさせる。そんなロベルトの頭を、ヒースがぽんぽんと叩いた。
「大丈夫だ。護衛もいるし、なにしろ、陛下はこの国で最強の魔術師であられるぞ。そう簡単にやられはしないだろう」
「それに、もうすぐ援軍も参りますしね」
「援軍…そっかあ…。そっかあ…!」
ようやく安心出来て、体から力が抜けていく。その場に座り込んでしまって、ロベルトは兄達に笑われてしまった。
__これで…終わったんだ。
長い悪夢から目が覚めたような気持ちで、ロベルトはゆっくりと目を瞑る。
「本当に、おめでたい連中だな」
突然聞こえた声に、ロベルトはハッと目を見開く。ドンッと何かが刺さるような音がして、誰かの体が倒れ込んできた。
「え…」
呆然と顔を上げる。
「ロ…ベ…」
少しだけ体温の低くなった手が頬に添えられて、ロベルトは言葉を失った。
「リウィ兄様…!!」
名前を呼ばれた兄は、弱々しく微笑むと、意識を失ってしまった。
「若君!!」
「若っ!!」
我に返った二人が兄の傍に膝をつく。
「…ノルン、治療を。ヒース、兄様を頼む」
「ロベルト…?お前、何をするつもり__」
ヒースの問いかけには答えず、ロベルトは歩き出す。
向かう先は、ただ一つ。“国の灯火”に近付くと、その前に立つジグルドの姿が目に入った。
「なんだ、お前が来たのか。てっきり、“兄様”の傍で震えているもんだと思っていたぜ」
「うるさい!お前は…お前だけは、許さない!!」
言葉が力となって、ジグルドに向かっていく。間一髪で避けた彼は、驚いた顔をしていた。
「よせ、ロベルト!俺達の…“月の民”の掟を忘れたのか!?」
「…っ」
__そうだ。俺達は、人を魔術で傷つけてはいけない。
動きが鈍くなったロベルトに、ジグルドは飛びかかってくる。
咄嗟にそれを魔術で防ぎながら、彼は思考を振り切った。
「だけど…っ!だけど、こいつだけは…!」
__絶対に許さない!!
渾身の力を込めて、ジグルドに放つ。全てがゆっくりとした速さに感じられて、ジグルドに力の塊がぶつかりそうになった瞬間__。
眩い光が視界を覆い、ロベルトは意識を失った。
『地上の人間が憎いか。殺そうとする程までに、疎ましい存在なのか』
__そうさ、憎い。あいつは、兄様やノルン、ヒースを苦しめた。兄様達だけじゃない。貴族達だって、辛い思いをしていた。そんな奴を…許せるわけがない。
『だから、頭に血が上るままに、魔力を振るったのか』
__そうだ、そうだよ。だって…俺…は…。
『…後悔、しているようだな』
__…。
『貴方には、多くの事を知る義務がある。地上の人間の事を。そして、かの地で何があったのかを』
__…え?
『さあ、行きなさい。現実の世界へと…地上へと向かうのだ』
__どうして…お…は……。
__……。
『眠ってしまったのか。…いや、現実の世界に帰ってしまったのだろうな』
『…』
『我が子孫ロベルトよ…私のこの願いを、貴方に託す…。だから…』
「だめだよ。びくともしないだろう?」
ロベルトが苦笑しながら言うと、彼は怪訝そうに振り返る。
「なんでだよ」
「なんでって、そりゃあ、王族にしか開けられないからだよ。ここは、この国にとって最も重要な場所だぞ。そう簡単に入れないよ」
「ふうん…。意外と…いや、予想以上に念入りだな」
小さな呟きがして、ロベルトは不思議に思って覗き込んだ。
「何か言ったか?」
「いや、なんでもない。さっさと“国の灯火”とやらを見に行こうぜ」
「…って君、簡単に言うけどね、本当なら、入ってもダメなんだよ?近付く事だって、本当はできない筈なのに…」
そこまで言って、はたと気がつく。
ジグルドは、貴族達に連れてきてもらうつもりだと言っていた。だが、王族でもない彼らに、この扉を開ける事が叶うとは思えない。貴族達だって、その事実はよく知っている筈なのだが__。
そんな彼の懸念をよそに、ジグルドは早く開けろと催促する。
__今、悩んでも仕方ないか。
難しい事は、まだよく分からない。後でノルンかヒースに相談してみればいいだろう。その為にも、早く“国の灯火”を点して、彼らの正気を戻さなければ。
そう結論付けて、ロベルトは扉に近付いた。
「えっと…」
何かを探すように、視線をさまよわせる。
「あ、あった」
足元に鍵の形をした窪みを見つけ、彼は手を伸ばす。感触を確かめると、そこは少しだけ生温かった。他の部分はひんやりとしていて心地が良いのに、ここだけが奇妙に温かい。その理由を知るロベルトは満足げに頷いて、そっと両手を当てた。
目を閉じると、ゆっくりと魔力を注ぎ込んでいく。徐々に窪みは熱を持っていって、とろりとした感触が手に触れるのを感じた。
__まだだ。
焦りそうになる自分に言い聞かせ、ロベルトはじっと堪える。
__今、手を離したら、一からやり直しになる。そう、あれができるまでは…。
どれくらいそうしていただろうか。不意に、手元の熱が消え失せた。その代わり、固い何かがロベルトの手の中に転がりこんできて、彼は手を引く。
そこには、鍵があった。ちょうど、あの窪みと同じくらいの大きさだ。
ジグルドはロベルトの手元を覗き込んで、驚きの声をあげた。
「お前…それ、どうしたんだよ!」
「今、造ったんだよ。この窪みに魔力を注ぎ込んで、鍵の形にしたんだ」
でも、魔力を固めただけのものだから、時間が経てば、すぐに壊れてしまう。しかも、この窪みの熱は王族の魔力にしか反応しないから、彼らがいなければ、決して入る事は叶わない。
これが、王族にしか天上の搭に入れない理由だった。
「そうか、だから…」
驚きを隠せない様子のジグルドに、ロベルトはしてやったりの気分になる。嬉しげに顔をあげて、ジグルドの横顔を見た途端、何故か動きを止めてしまった。
__なんだろう。胸騒ぎがする。
胸の奥がざわつくような、焦りに似たそんな気持ち。
気付けば、勝手に口が動いて、ロベルトは彼にこんな事を言っていた。
「ね、ねえ。やっぱり、君は外で待っていてくれないか?」
「はあ?なんでだよ」
案の定、ジグルドは不機嫌そうに眉をひそめる。
慌ててロベルトは目を逸らして、謝罪の言葉を口にした。
「ご、ごめん。変な事を言った。気にしないでくれ」
それでもざわつく胸の奥の何かを振り切るように、ロベルトは扉に向き合う。
「ええっと、鍵穴は…」
「そこだろ」
間髪いれずに指差され、ロベルトはその先を追う。お陰ですぐに見つかったが、まるで最初から知っていたかのようなジグルドのそれに、疑念を覚える。
「…ジグルド、君、ここに来るのは初めてじゃないのか?」
「はあ?何言っているんだよ。この場所に来るのだって、お前がいなきゃ不可能だっただろうが」
確かにそうだ。そう納得したいのに、やはり何かが邪魔をする。
__…きっと、不安になって、疑心暗鬼になっているんだ。ここには、いつも傍にいてくれる兄様達がいないから。
そう言い聞かせて、鍵穴に鍵を差し込む。
「…開けるよ」
自身に言い聞かせるように、小さく呟く。そして、ゆっくりと鍵を回すと、扉は音もなく目の前から消え失せた。
「えっ!?」
予想もしなかった展開にロベルトは思わず声をあげる。そして、気付けば、地面に倒れ込んでいた。
「…まさか、転移魔術式だったとはな」
そんなジグルドの呻き声に、ロベルトははたと我に返った。
目を瞬かせて起き上がると、隣でジグルドがこめかみを押さえながら寝転がっている。
「…大丈夫か?」
「あー…平気だ。じっとしてれば、もう少しで治ると思う」
頭痛が酷いのだろう。話すのも億劫そうで、苦笑したロベルトはしばらく彼を放っておく事にした。
__それにしても…ジグルドは、転移魔術に慣れてないのか?
この魔術は、人によっては激しい頭痛を生じさせる。だが、それも始めのうちで、慣れてしまえば、全く支障はなくなる。転移魔術は、日常的には用いられないものだが、月の国の大抵の人間は、少なくとも子供のうちに慣れてしまうものなのだ。
だが、ジグルドの様子を見る限り、彼のそれはまるで初心者も同然の反応だった。それとも、余程の酷い副作用の持ち主なのか。いずれにしても、彼の調子が治るまで、そっとしておくべきなのだろう。
ふと、ロベルトは誰かに呼ばれたような気がして、顔をあげた。勿論、その場にいるのは、彼ら二人だけで、他の誰かがいる筈もない。
だが、その時の彼はどうしても気になって、声の主を捜す事にした。立ち上がった彼は、ぐるりと辺りを見渡す。窓一つない、小さな部屋。あるのは、扉一つだけで、彼はゆっくりと扉を押し開ける。
その先に現れた螺旋状の階段に、ロベルトは天を振り仰いだ。
「わあ…っ、高いな…」
どこまでも、どこまでも、階段は続いていそうだった。終わる事のないような路に、不意にその終点を見てみたいという気持ちが沸き上がってきた。
「もしかしたら、あの声の主も、この上にいるかもしれないし…」
そう口にすると、本当の事のような気がしてくる。思い切って、ロベルトは一歩を踏み出した。
一段一段、慎重に上っていく。響き渡るのは、彼の足音だけ。心地よい響きに、時折ロベルトは耳を澄ませた。
__駆け上がってみよう。
そんな思いが浮かび上がり、少しだけ歩調を早める。最初のうちは落ちないか怖くて慎重な足取りだったけれど、足音を聞いているうちに、そんな恐れもなくなって、彼は勢いよく地面を蹴った。
テンポの良い音が搭に反響する。その響きは、天まで届いて__。
__…って、そうだ!
ここは天上の搭だ。
今更ながらに現在の事態を思い出して、我ながら恥ずかしくなる。
足を止めたロベルトは顔を真っ赤にして俯いた。そこで、はたと異変に気付く。
「あれ…?ここ、階段じゃない…」
戸惑いとともに視線をあげて、彼は言葉をなくした。
「これ、は…」
「そう、“国の灯火”だ」
ハッとして振り向く。そこにいた影に、ロベルトは声をあげた。
「ジグルド!」
いつの間に、彼はこんなところに来ていたのだろう。夢中だったせいなのか、傍に来ていた事さえ、全く気付かなかった。
__夢中…?何に…?
そこで、ロベルトは思い至る。先程のあれも、魔術だったのだ。恐らく、音を用いたもの。あの時、彼は不思議な声に導かれるがまま、行動した。その結果、彼__彼らはこの場所に導かれ、飛ばされた。
「そうか…そうだったんだ」
__だったら。
ロベルトは改めて“国の灯火”に向かい合い、意識を集中させようとする。
「待て」
突然、聞こえた制止の声に、彼は鬱陶しそうに振り返る。
「なんだよ、今か…」
ふつりと言葉が途切れる。
首に当てられているのは、冷たい感触。鋭く光る得物を手にしたジグルドの眼差しは、それと同じくらい冷たかった。
「ジ、グル…」
「動くな。死にたくなければな」
「な、なんの冗談だよ。どういうつもり…っ」
強く押し当てられて、痛みが走る。視界がぼんやりとぼやける。
「この程度が恐ろしいのか。ははっ、俺とは大違いだな」
そのまま後ろに突き飛ばされて、ロベルトは呆然とジグルドを見上げる。
彼はこともなげに指に刃を押しあてると、瞬く間に血が溢れだした。ロベルトと同じ色の赤。ジグルドは不思議そうに自分とロベルトのそれを見比べている。
震えが止まらない。僅かに流れた血が怖かった。だが、それ以上に、目の前の彼のなんとも感じない表情が恐ろしかった。
「ああ、そうだ。抵抗しても無駄だぜ」
まるでたった今思い付いたかのように彼は言う。
「お前らの魔術のカラクリは、大体分かっているからな」
__…え?
一瞬、ロベルトは耳を疑った。本気で彼の言っている言葉の意味を探した。
そして。
ジグルドはロベルトに考える時間を与えてから、真実を口にする。
「俺は地上の人間だ、魔術師の国の王子」
__“地上”。
歴史の講義で、聞いた事がある。遥か昔、ロベルトの祖先はその地で暮らしていたのだと。見た事もない、異郷の地。感じた事のない、故郷の香り。
__ジグルドは…こいつは、そこから来た人?
では、あの香りは。嗅いだ事のない不思議な匂い。着たこともない不可思議な衣装。あれは、全て地上のものなのだろうか。
そして、同時に思い出す。彼らは、地上の人間は、ロベルトの祖先を虐げた者達なのだと。
「__…っ!!」
咄嗟に術を唱えようとしたロベルトの肩を激痛が襲う。それが刃を突き立てられたからなのだという事に気付くのに、大分時間がかかった。
「結構、反応が遅かったな。…けど、結局はそういう顔をするのか」
「…け、きょく…て」
「恐怖にひきつった顔。もしくは憎悪、怒り。皆そうだ。…まあ、それは俺も同じだけどな」
立ち上がったジグルドは、うんざりしたように息を吐く。
「まあ、これでお前は魔術が使えなくなった。…しかし、魔術師ってのは変わっているよな。まるで、夢遊病みたいだ」
「…!」
「要は、白昼夢を見ているんだろう。精霊だかなんだか知らないが、そんなものを操り、操られ、生きている。確かに俺なら、そんな奴らと付き合うのは御免だね」
明確に向けられた悪意と嘲り。初めて、ロベルトは心の底からの怒りを覚えた。
祖先も、こんな思いだったのだろうか。こんな苦しい痛みを味あわされて、同じように涙したのだろうか。けれど、同時に無力感に苛まれる。彼は弱い。これ程に憎い相手が目の前にいるのに、何も出来ない。
「そうだ。最後に話しておこうか。俺がこの国に来た目的だけどな。__これだ」
ジグルドは自分の背後を指差して、そう言った。
それの示す物を理解して、ロベルトは顔を青ざめさせる。
__“国の灯火”…!
何の為にこれが必要なのかは分からない。だが、それは決して良いものではない事なのは確かだった。
__…っ!
力を振り絞って、立ち上がろうとする。けれど、強い激痛に襲われ、膝をついてしまう。
「あんまし、無理に起き上がらない方がいいぜ。出血多量で、人が死ぬ事だってあるんだからな」
悔しさのあまり、目の前が涙で霞む。それでも、抵抗したい一心で、ジグルドをギッと睨み付け続けた。
一瞬、驚愕に見開かれた瞳が、愉快そうに細められる。ジグルドは真っ直ぐにロベルトを指差して言った。
「いいな、その目。その顔は、あいつらと同じ顔だよ」
「あい…つら…?」
「お前が怯えていた連中。大好きなお兄様達の事だよ!」
「…!!」
頭が真っ白になった。
兄達と同じ。あの時の事が走馬灯のように蘇る。
断罪者のような言葉。他者を拒絶する背中。何よりも恐ろしかった、憎悪に彩られた兄の横顔。
__あの時の…兄様と、同じ顔…?
誰かを憎む。そんな感情に今まで触れた事のなかったロベルトにとって、それは恐怖を抱くものでしかなかった。
それが今、彼はその感情に支配されている。その事に気付いた途端、己が恐ろしくなり、顔を覆ってうずくまってしまった。
__怖い…訳の分からない感情が…自分自身が、分からない…!
「何を怯えているんだよ。これから、もっと恐ろしい事を教えてやろうと思ったのに」
「え…」
これ以上何をと悲鳴をあげる彼の心にも容赦なく、ジグルドは続けた。
「お前の母親を殺したのは、この俺だよ」
* *
「母様を…殺した…だって?」
優しかった母の面影が蘇る。そして、脳裏を過ったのは、血を吐いて倒れ込んだ、生気のない母の横顔。
(__母様…っ!)
「…っ!」
過去の叫びが、ロベルトの心を深く抉る。
__…どうして。
涙が止まらなかった。苦しい。痛い。それよりも遥かに、怒りが彼の心を占めていた。
「なんでだよ…。どうして、母様を殺した!?」
掴みかかろうと手を伸ばすが、容易く避けられてしまい、ロベルトは床に叩きつけられる。
「…っ!」
「…あっぶねえな。そんな事をしなくたって、教えてやるよ」
鼻で嘲笑うジグルドは、ロベルトの頭を踏みつけて言った。
「それが、必要だったからさ。この国を動かすのにな」
「…っ、うご…かす…?」
「そうだ。俺は、この呪われた国を滅ぼしたいんだよ。だから、貴族に嘘の事実を教え、俺に依頼させた。勿論、貴族達の親族を殺したのもこの俺だ」
まるで夢を語るかのように饒舌に話すジグルドに、ロベルトは戦慄を覚えた。
では。ならば、兄達と貴族が争いをするように仕向けたのも、彼がロベルトの前に姿を現したのも。
「全ては…俺に、ここへ案内させる為に…」
恐ろしい事実に、ロベルトは愕然とした。そして、己が犯してしまった罪がどれ程に救いようのない事なのかも、理解してしまった。
「そうだ。お前のお陰で、俺はここに辿り着く事ができた。…まあ、目的まではさすがに分からないだろうな」
ジグルドはゆっくりと“国の灯火”に歩み寄ると、僅かに手を伸ばした。が、まるで何かに弾かれたかのように、パッと手を引く。
「まあ、そうだろうな。…これから破壊しようって奴に、魔術師の道具が反抗しない筈がないか」
思わぬ言葉に、ロベルトは息を呑む。
「破壊…だって!?」
「なんだ、訳の分からないって顔をしているな。そういえば、お前の兄も言っていたっけか。『何故かは分からないけれど』、年に一度だけ、“灯火”の光が消える時があるってな」
何処で聞いていたのかも分からないジグルドの言葉にゾッとする。もしや、ずっと彼はロベルト達の事を監視していたのだろうか。
「ああ。俺はずっとお前らの事を見ていたさ」
ロベルトの心を見透かしたように、ジグルドは嘲笑を浮かべる。
「お前らの平和ボケした様子も、真綿にくるまれて幸せそうなお前も、毎日が楽しそうな街の奴らも全部!全部見てきた!」
「…っ!」
強く地面に叩きつけられて、ロベルトは息を詰まらせる。そのまま胸元を締め上げられて、息が上手く出来なくなる。
「お前らのせいで、苦しい思いをした人間がどれだけいると思っているんだ!あいつが…どれだけ辛い目にあっていたか…」
「…!」
__あい…つ…?
途切れかけていた意識の中で、ぼんやりと言葉を繰り返す。
その時、右手が何かに触れて、ロベルトはハッと我を取り戻した。
__これは、“国の灯火”…!
一縷の願いを込めて、全身全霊で魔力を込める。
__点れ!!
次の瞬間、爆風が起こり、ロベルトは大きく吹き飛ばされていた。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
肩で息をしながら、ロベルトは起き上がる。
急いで辺りを見渡すと、少し離れたところにジグルドが倒れ込んでいた。身動ぎする様子もなく、どうやら気を失っているらしい。
ホッと息をついてから、顔を上げる。そして、あっと声をあげた。
「灯りが…“国の灯火”に灯りが点っている!成功したんだ!」
__これなら、兄様達も正気に戻っている筈だ。
目を閉じて、意識を集中させる。
「この地と彼の地を結ぶ糸は道となり、舞う光は道しるべの鳥になる。鳥達よ、彼らを導け!リウィ、ノルン、ヒース!!」
眩い光が部屋の中に満ち、ロベルトは思わず目を瞑った。目の前に人の気配が降り立った事を感じ、パッと目を開く。
「兄様!ノルン、ヒース!」
嬉しさと安堵のあまり飛びつくと、彼らは優しく抱き止めてくれる。それが嬉しくて、ロベルトは一人ずつの顔を覗き込んだ。
「どうした?」
苦笑いを浮かべながら、ヒースは問いかけてくる。
「よかった。三人共、いつもの顔だ」
「それはどういう意味でしょう」
今度はノルンだ。いつもの皮肉げな口調とは裏腹に、目はとても優しい。
「だって…あの時の皆の顔は、すごく怖かったから」
「そう…だったようだね」
不意に優しく抱き締められて、ロベルトは顔を上げる。少し悲しげな表情をした兄と目があって、彼は目を瞬かせた。
「兄様…?どうして、そんな悲しそうな顔をしているんですか…?」
「だって、ロベルトに辛い思いをさせてしまっただろう。それに、あの後すぐ、父上がいらしてね」
「えっ!父様が!?」
戦場となりかけていたあの場に姿を現した国王は、瞬時にそれが幻惑によるものだと見抜き、霧を晴らす魔術をかけたのだそうだ。しかし、彼らがあの時お互いに告げていた言葉も事実には変わりなく、その場はひとまず収めて、今度語り合いの場を設ける事としたらしい。
「お陰で死傷者が出る事もなかったんだけど、その間もなく、黒ずくめの連中に襲撃されてね。なかなかここに辿り着く事ができなくて、正直困っていたんだ。だから、本当に助かったよ、ロベルト」
「で、ですが、父様達は?残してきたままなのでしょう。無事なのでしょうか?」
最悪の事態を想定し、自身の犯した間違いに顔を青ざめさせる。そんなロベルトの頭を、ヒースがぽんぽんと叩いた。
「大丈夫だ。護衛もいるし、なにしろ、陛下はこの国で最強の魔術師であられるぞ。そう簡単にやられはしないだろう」
「それに、もうすぐ援軍も参りますしね」
「援軍…そっかあ…。そっかあ…!」
ようやく安心出来て、体から力が抜けていく。その場に座り込んでしまって、ロベルトは兄達に笑われてしまった。
__これで…終わったんだ。
長い悪夢から目が覚めたような気持ちで、ロベルトはゆっくりと目を瞑る。
「本当に、おめでたい連中だな」
突然聞こえた声に、ロベルトはハッと目を見開く。ドンッと何かが刺さるような音がして、誰かの体が倒れ込んできた。
「え…」
呆然と顔を上げる。
「ロ…ベ…」
少しだけ体温の低くなった手が頬に添えられて、ロベルトは言葉を失った。
「リウィ兄様…!!」
名前を呼ばれた兄は、弱々しく微笑むと、意識を失ってしまった。
「若君!!」
「若っ!!」
我に返った二人が兄の傍に膝をつく。
「…ノルン、治療を。ヒース、兄様を頼む」
「ロベルト…?お前、何をするつもり__」
ヒースの問いかけには答えず、ロベルトは歩き出す。
向かう先は、ただ一つ。“国の灯火”に近付くと、その前に立つジグルドの姿が目に入った。
「なんだ、お前が来たのか。てっきり、“兄様”の傍で震えているもんだと思っていたぜ」
「うるさい!お前は…お前だけは、許さない!!」
言葉が力となって、ジグルドに向かっていく。間一髪で避けた彼は、驚いた顔をしていた。
「よせ、ロベルト!俺達の…“月の民”の掟を忘れたのか!?」
「…っ」
__そうだ。俺達は、人を魔術で傷つけてはいけない。
動きが鈍くなったロベルトに、ジグルドは飛びかかってくる。
咄嗟にそれを魔術で防ぎながら、彼は思考を振り切った。
「だけど…っ!だけど、こいつだけは…!」
__絶対に許さない!!
渾身の力を込めて、ジグルドに放つ。全てがゆっくりとした速さに感じられて、ジグルドに力の塊がぶつかりそうになった瞬間__。
眩い光が視界を覆い、ロベルトは意識を失った。
『地上の人間が憎いか。殺そうとする程までに、疎ましい存在なのか』
__そうさ、憎い。あいつは、兄様やノルン、ヒースを苦しめた。兄様達だけじゃない。貴族達だって、辛い思いをしていた。そんな奴を…許せるわけがない。
『だから、頭に血が上るままに、魔力を振るったのか』
__そうだ、そうだよ。だって…俺…は…。
『…後悔、しているようだな』
__…。
『貴方には、多くの事を知る義務がある。地上の人間の事を。そして、かの地で何があったのかを』
__…え?
『さあ、行きなさい。現実の世界へと…地上へと向かうのだ』
__どうして…お…は……。
__……。
『眠ってしまったのか。…いや、現実の世界に帰ってしまったのだろうな』
『…』
『我が子孫ロベルトよ…私のこの願いを、貴方に託す…。だから…』
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