1 / 1
本編
しおりを挟むカリカリ
羽根ペンが羊皮紙を引っ掻く音が静かな部屋ではよく響いた。
人権なんて考えのまだ存在し無い世の中で、面子を潰されることはたとえそのような身分でなくとも奴隷に落とされることと大差ない。
虐げられ、搾取され、最後はゴミと捨てられる。
自分だけでなく一族丸ごと。
そして間違いなく領地に住む人々も多種多様な不利益を受けるだろう。
養子だとしても孤児だとしてもそれらに無関係でいることは出来ない。
故に、決して舐められてはいけない。
家庭教師に何度も何度も言い聞かされた言葉だ。
その進退に多くの人々の命がかかっているのだと。
私の女神様もまた何度もそのようなことを言っていた。
今の私は聖職者ではなく貴族なのだと。
しかし、頑固な私は奉仕するものであることを止めることが出来なかった。
愛しい人に身を捧げずにはいられなかったのだ。
生来の基質もあるが、教会に引き取られてからの10年で染み付いた行動はとっくの昔に私の性格となっていた。
生徒会室でひとり、淡々と仕事を処理していく。あとはハンコのみとなった書類が積み上がる。
今頃王太子は婚約者と楽しくお茶でもしていることだろう。
側室よりも正室を優先するのは当然のことだが思うところがない訳では無い。
心の中が言葉にできないモヤモヤで満たされるが、それを抑える術をアイリーシャは既に聖職者としての修行の結果身につけていた。
身につけてしまっていた。
アイリーシャは神に見初められた平民である。非常に勤勉で、日々の祈りを欠かさない。任された仕事は必ずやり遂げる。そんな人間だ。
アイリーシャは本物の聖女である。
そんな彼女は侯爵家の養子として王太子の側室になることが決まっていた。
王家は子供ができにくい上に男子がすくない、継承者である男子を求めて初めから側室を持つことはありふれていた。
争いを避けるため、正室は有力な公爵家から取り、側室は侯爵家か伯爵家からそれも力の小さい家からとるのが慣例だった。
側室というのは旨みが少ないため、見た目のよい平民を養子にして差し出すというのも割とあった。
アイリーシャの場合は王家が聖女の力を確保することと災害によって没落しつつある王党派の侯爵家の救済のために仕組んだ縁談だった。
教会で生涯祈りを捧げてすごすのではなく、王家に嫁ぐのは宗教的にどうなのかというとあんまり良くない。
特に聖女は神の嫁という解釈もあるためあまりいい顔はされなかったが、かといって王家に逆らえるほどの力もなかった。
初めて会った王太子にアイリーシャが恋に落ちたというのも大きかったように思う。
この国では教会と王家では王家の方が強い。
教会の聖職者は人々に寄り添い生きるが、その生き方の関係上、権力と離れてしまっている。
たとえ聖女が婚約者から奴隷のように扱われてもそこから助ける術はなかった。
聖女自体が恋に夢中で望んでいなかったし、神はそれもまた経験ときにしていなかったことも大きい。
聖女は愛するもののすることを阻もうという考えそのものを持つことが出来なかった。
カリカリ、カリカリ
(寂しいなあ)
ただそばに居てくれるだけで心満たされるのに。
孤独な彼女に会いに来る人はいなかった。
☆☆☆
随分と久しぶりに王城に呼ばれた私はいつもと違う部屋に通された。しばらくして王太子だけでなく、侯爵夫妻もやってきた。
自分と離れた位置に座る2人をみて、これからどんな話をされるのか何となく察した。
案の定、婚約の解消と養子縁組の解除を告げられた。
侯爵令嬢と王太子の婚約、そうそう解消されることは無い。しかし、呼び出しが来る前からずっとから嫌な予感がしていた。どうやら私の面子を潰して侯爵や王太子といったそのほかの面子を守るらしい。
面子を潰されてきた私は奴隷に落とされたといったところだろう。
虐げられ、搾取され、最後はゴミと捨てられる。
今まさに私はゴミと捨てられようとしていた。
巻き込まれぬよう侯爵が私を見捨てたのは賢明な判断と言える。
人を人とも思わぬ所業。
それでも、王太子に嫌われたくない一心で従順に振舞ってしまうのはもはや病気だろう。
かくして、私の苦い初恋は終わった。
私は教会に戻ることになった。
その後王太子は即位し、7人の娘に恵まれるもついぞ男子に恵まれず。甥にあたる公爵子息に王位を譲ることになったのが聖女を振った王子に対する女神からの嫌がらせであったことは誰にも知られていないことである。
従順なる聖女がそれを願っただなんて神以外は誰も知らないことなのだ。
31
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
幸運石のアリス
頭フェアリータイプ
恋愛
「こうして、魔王は討伐されました。めでたしめでたしめでたしめでたし。」のその後で。邪悪な魔女になるはずだった妻と彼女を愛して悲恋に終わるはずだった聖騎士が運命のねじれの結果幸せにくっついた。そんな世界のお話。私らしく拙い内容ですが暇潰しにでも。
【完結】見えるのは私だけ?〜真実の愛が見えたなら〜
白崎りか
恋愛
「これは政略結婚だ。おまえを愛することはない」
初めて会った婚約者は、膝の上に女をのせていた。
男爵家の者達はみな、彼女が見えていないふりをする。
どうやら、男爵の愛人が幽霊のふりをして、私に嫌がらせをしているようだ。
「なんだ? まさかまた、幽霊がいるなんて言うんじゃないだろうな?」
私は「うそつき令嬢」と呼ばれている。
幼い頃に「幽霊が見える」と王妃に言ってしまったからだ。
婚約者も、愛人も、召使たちも。みんな私のことが気に入らないのね。
いいわ。最後までこの茶番劇に付き合ってあげる。
だって、私には見えるのだから。
※小説家になろう様にも投稿しています。
聖女をぶん殴った女が妻になった。「貴女を愛することはありません」と言ったら、「はい、知ってます」と言われた。
下菊みこと
恋愛
主人公は、聖女をぶん殴った女を妻に迎えた。迎えたというか、強制的にそうなった。幼馴染を愛する主人公は、「貴女を愛することはありません」というが、返答は予想外のもの。
この結婚の先に、幸せはあるだろうか?
小説家になろう様でも投稿しています。
全てから捨てられた伯爵令嬢は。
毒島醜女
恋愛
姉ルヴィが「あんたの婚約者、寝取ったから!」と職場に押し込んできたユークレース・エーデルシュタイン。
更に職場のお局には強引にクビを言い渡されてしまう。
結婚する気がなかったとは言え、これからどうすればいいのかと途方に暮れる彼女の前に帝国人の迷子の子供が現れる。
彼を助けたことで、薄幸なユークレースの人生は大きく変わり始める。
通常の王国語は「」
帝国語=外国語は『』
氷の王弟殿下から婚約破棄を突き付けられました。理由は聖女と結婚するからだそうです。
吉川一巳
恋愛
ビビは婚約者である氷の王弟イライアスが大嫌いだった。なぜなら彼は会う度にビビの化粧や服装にケチをつけてくるからだ。しかし、こんな婚約耐えられないと思っていたところ、国を揺るがす大事件が起こり、イライアスから神の国から召喚される聖女と結婚しなくてはいけなくなったから破談にしたいという申し出を受ける。内心大喜びでその話を受け入れ、そのままの勢いでビビは神官となるのだが、招かれた聖女には問題があって……。小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
貴方の幸せの為ならば
缶詰め精霊王
恋愛
主人公たちは幸せだった……あんなことが起きるまでは。
いつも通りに待ち合わせ場所にしていた所に行かなければ……彼を迎えに行ってれば。
後悔しても遅い。だって、もう過ぎたこと……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる