34 / 42
第5章 異端狩り
33話 緑の眼
しおりを挟む
紅茶を飲みほした三人は、まずはお互いの情報を交換することにしていた。といっても、ドウメキは元から聖職者の事情など詳しくはないし、テオファンも青の聖職者――即ち南部聖職者の情報を持っているわけではいなかった。ということで、専らコレエストが南部地区のこと、そしてヴィラジ枢機卿についてを語る時間となった。
ヴィラジ枢機卿は歴代で数名しかいない女性枢機卿であり、その分総合的な実力でいえば四名の中で一番秀でているともいわれている。神力の使い方、戦闘能力、そして何より『異端審問』というニフェゼドの維持のために必要な力を兼ね備えた女性。その姿に憧れ、あるいは夢を見て、青の聖職者の傘下へ自ら志願する女性もいるほどであった。それほど、現時代での『女性の地位』というものは希少であった。
コレエスト曰く、ヴィラジ枢機卿は非常に気性が荒く、それこそ嵐の中の海のような女らしい。彼女の聖媒は鞭ではあるが、そこへ神力を通すことによって、ただ打たれただけでも肉が割れるような鋭さを持たせているとのことだ。
それだけではなく、彼女の行う異端審問はあらゆる異端者の口を割るほど出来上がっている、という評判まである。
「異端審問者、ご、拷問狂、犯罪者、……ぼ、ぼぼぼぼ僕には、違いがわからない」
コレエストは自らの短く切りそろえた爪の先を見つめながら、憂鬱そうにぼやく。おそらくは、彼も部下として彼女の異端審問に立ち会い、そして彼女の異端審問を手本と教示されてきたのだろう。青の聖職者はとりわけ異端審問の専門家が多い部だった。
「じ、じじじじ自分が一番正しいって、思ってるのか、す、すすすすぐ僕に怒鳴ったりして……お、女のくせに」
「……」
テオファンはぼんやりと窓の外、すこしだけ暗くなってきた雲の先へと視線を向けていた。日中は晴れていたはずだが、だんだんと分厚い雲が南のほうから流れてきている気がする。雨が降ってくれると悪魔がいなくなるが、そう都合よく雨が降るわけでもないだろう。
「だ、だだだ。だからこそ。今日、ひ、秘密を明かして……も、うヴィラジさんとは、おさらば」
「……」
――動機は私怨か。
隣のドウメキはコレエストの惨めったらしい愚痴と雑言を真面目に聞き、時には同情をしていたが、テオファンはこの陰気そうな男がとても矮小な理由で動いていることを理解した。聖典封解儀では全く何が起きるかどうかわからないものである。
しかし、結局テオファン自身も悪魔を倒し聖都を守るためにここへ来たわけではない。ニフェゼドが隠している秘密、青い月の正体を突き止めるためにここへ来ているのだ。悪魔狩りはただのおまけに過ぎない。
(他人の事情に口をはさむのは野暮、か……にしてもコレエスト、枢機卿のほうもだが、本人もきな臭い)
コレエストが真っ当な正義感で動いていないことがわかった以上、こいつも黒である可能性が高い。もしそうだとわかったのならば、早々にヴィラジ枢機卿へ突き出し、『異端審問』を受けてもらおう。――テオファンはそう心に決め、ほくそ笑んだ。
「で、ど、どどどうヴィラジさんの秘密を暴くか、だけど……」
「本人に聞いても仕方ないよなぁ……」
「間抜けすぎますよ、ドウメキさん」
ちょっとしたつぶやきを切り捨てられたドウメキはしゅんとした顔をして黙ってしまったが、テオファンは遠慮なく自分の頭に思い浮かんだことをつらつらと述べていく。
「彼女、処女を探しているんでしょう?なら、処女の囮を使えばいいのでは」
「……まぁ、そ、そそそうだね。釣りには餌が、ひ、必要になる」
「……処女って、なに?」
「まだセックスしたことのない女性の事ですよ」
「……」
処女の意味を聞いて気まずそうな顔をしてしまったドウメキは、また黙ってしまった。
「残念ながら私たちは女性ではありまんので、処女の囮にはなれませんね。誰か処女を探さないと」
「も、もももし自分が女だったら、こ、こここの歳まで処女でいる自身、ある?」
「ないです。っていうかその話今必要ですか?」
「……僕らくらいの歳で、しょ、しょ、処女は、希少じゃない、かな……」
ヴィラジ枢機卿のもとへ行く処女も、だいたい十代前半くらいの女の子だし……とコレエストは付け足した。それもそうであるが、ただの少女を得体の知れない場所――といっても枢機卿のもとである為、本来なら安全な場所なのだが――へ連れて行くのは、さすがに市民の安全を守る立場の人間として行えない。
だが、テオファンはなぜか不敵な顔をしていた。妙に自信ありげな顔だった。
「私たちは処女になり得ませんが、処女を奪うことは出来ます」
「何言ってるんだテオファン」
「そ、そそそれはキュリアキ枢機卿のスローガンか何かなのかい?」
「落ち着いてください。私は本気です」
疑念の眼を向けてくる二人に、テオファンは大げさに咳ばらいをした後、ゆっくりと立ち上がった。
「さきほどこの部屋に来たライラさん。実は以前から交流がありましてね……かなり仲良くさせてもらってるんですよ」
「はぁ」
「ライラさんは男性恐怖症であることで有名です。私の上司を見たら逃げ出すくらいには」
「お前の上司、どんなやつなんだ」
「下半身で生きているような男ですよ。まぁあの髭は置いておいて……ライラさんは私に確実に好意を持っています。わかりますね?男性恐怖症のお嬢様、しかも自分に好意を持っている。……ライラさんは最近この聖都で働いていますから、ヴィラジ枢機卿も彼女が男性嫌いであることを知っている。彼女のことは処女だと思うでしょうね。なんせ、男性の間でも絶対処女だって噂されてますから」
「……なぁコレエスト……聖職者ってこんな下世話なのか……?」
「ぼ、ぼぼぼくは友人がいないから、まぁ、こ、ここここんなもんじゃないかな……」
神に祈り、善の為奉仕する潔癖なイメージとは真逆に、聖職者というものはずいぶんと俗世に染まり切っているらしい。こんなものがどれだけ清い言葉を紡いだって、他人の心には響かない……はずだが、こうしてテオファンが司祭になっているのだから、ニフェゼド教徒という人種はずいぶんと騙されやすいのかもしれない。そうドウメキは思った。
「で、あとは簡単。私がライラさんを抱いて、処女だって嘘をついてヴィラジ枢機卿に差し出す。それが囮作戦」
「待ておい」
「前半いる?君の趣味でしょ」
自分の完璧な計画を打ち明けたテオファンに向かい、同時に立ち上がって詰め寄るコレエストとドウメキ。この赤毛の聖職者は頭の回転はおそろしく速いほうだが、稀にいろいろなものが付いてきていないような気がする。例えば、常識とか。
テオファンは二人の肩をぽんぽんと叩くと、「まぁまぁ」と薄ら笑いを浮かべた。
「処女と見せかけて処女じゃない人が大事なんですよ。これはあくまで私の根拠のない予想ですが、ヴィラジ枢機卿は少女を連れ込み、処女でない子を帰し、処女の子をどこかへやっている。処女であることをとても気にしているようだ。……そこを崩したらどうなるかを、しっかりと検証すべきでしょう?」
「……囮使うならそれいらないと」
「じゃあドウメキさん良い案持ってるんですか?」
「……ない、です」
「なら決定ですね。じゃ、ライラさんに誘いをかけてみます。コレエストさんは、ヴィラジ枢機卿へ引き渡しの準備を。……ゲホッ、ケホッ……」
「……」
何度か喉の下あたりを叩いて落ち着いたテオファンは、作戦決行だといわんばかりに軽く指を鳴らす。コレエストはなんとも言えない顔のまま唇をかみしめていたが、無言で首だけを縦に振った。
「テオファン司祭、その、話って」
数分後、テオファンはライラのアパートの部屋へと来ていた。彼女は聖都へ異動してきて間もなく、まだここの聖職者向けのアパートで暮らしているらしい。スラヴレンで出会って以来、定期的に手紙の交換をしていたので、彼女の部屋の位置は自ずと分かった。
「ああ、その……ライラさん。実は……前からお伝えしたいことがありまして」
彼女の部屋は女性らしく淡い色の家具や寝具で揃えてあった。ベッドの上にはフリルのついたクッションが置いてあり、部屋の中に飾ってある小さな花のおかげか、ふわりと甘い香りが空間に漂っていた。テオファンが来た際も急いでお茶を出そうとしたものなのだから、健気でおしとやかな性格なのだろう。だが、そのままでいいといわれた為、小さな花柄が散りばめられた上品なティーカップは今もテーブルの上に置いてある。
「伝えたい、ことって……?」
テオファンの言葉に、不安そうに灰色の瞳が揺れる。部屋に入ってくるなり、いつもより真剣な顔をしたテオファンが「話がある」と言い出した時から、ライラの心は穏やかではなかった。
もしかしたら、の考えばかりがぐるぐるとライラの脳を回る。自分に優しくしてくれ、苦手な男が近くにいるときはそっと庇ってくれるテオファンに、ライラは友人以上の好意を寄せていた。そして、男性が女性と二人きりの空間で大事な話をする理由は、おおよそ限られてくる。
(ど、どうしよ、どうしよ!もしかしたら、これって、これは)
赤い睫毛が伏せられ、綺麗な緑の眼が緩く閉じられた。そして、立ったままのライラのほうへ一歩一歩近づいてくる。
(あ、あわ……)
どくどくと心臓が脈打つ。ライラもつられて数歩後ろにさがったが、すぐに壁に背が当たってしまい、動けなくなった。
(あ、テオファン司祭、睫毛ながいし、すごい……かお、綺麗……)
間近に迫った彼の顔は、いつもは照れくさくて見つめられないというのに、今はじっくりと見入ってしまう。さらさらの髪も、すこし釣り目がちな目も、整った鼻筋も。テオファンは緩く閉じていた瞼をあけると、ライラの顎に軽く触れる。
爪の形も美しいアーチを描いていたが、指の節は男性らしくしっかりとしている。いつもは手袋をしている印象が多かったため、こうして素手で触れ合うのは初めてだった。思ったよりも掌は大きく、それがまたライラの胸を高鳴らせた。
「ライラ」
とん、とテオファンの腕が伸ばされ、ライラの背中の壁に肘を当てた。壁とテオファンに挟まれるような形になったライラは動くことも目をそらすこともかなわず、ただただテオファンの次の言葉を待つしかない。
「俺は、君のことが――」
テオファンの背後で、ドアが開く音がした。
「え」
「へ?」
ふたり同時にドアへ振り向く。はたして、そこにいたのは――
「……包帯を、くれないか」
「……」
「……」
仏頂面をしたジュリアンだった。
「……」
「……」
「……」
三人とも、沈黙する。
ジュリアンはジュリアンでドアを開けたまま動かず、テオファンはライラに秘儀・壁ドンをした状態で固まっている。ライラは口に両手を当てた格好のまま、大きく目を見らいたままだった。だが、その顔色だけはどんどんと紅潮していったが。
「……ノックは、した。四回くらい」
「……」
「……」
「……赤の聖職者は元気だな。キュリアキ枢機卿の教えか?」
「……」
「……あ、そう、そうだよね!ジュリアン司祭、ほ、包帯、包帯だよね!」
もはや林檎のような顔色になってしまったライラがこの空気に耐えられず必死に取り繕うとし、テオファンの腕から抜け出そうとする。だが、まったく運の悪い事に、慌てた足はもつれ、これまた運の悪い事に――テオファンの胸の中へと、倒れこんだ。
「きゃぁあ!?」
「おっと……」
そこで避けるなどという非情なことはしないテオファンは、自分に向かって転んできたライラの肩を緩く抑えて彼女を受け止める。男性が女性に対する気遣いとしてはかなり当たり前であり、無論、なんの邪気もなく行った行為ではあったが――
「ひゃぁああ!?」
「!?」
告白ムードから乱入者、そして転倒による急接近という三重にも及ぶ激動の末、パニックになったライラは殆ど反射的に右手を振りかぶり――テオファンの頬に強烈なビンタをお見舞いしてしまった。
「え、や、やだ私!きゃぁああ!」
「…………」
背後ですさまじい力でドアが閉められた音が響く。ジュリアンは何も言わず去っていったのだろう。ライラもライラで真っ赤な顔をしたまま、テオファンに何度も謝ると、無理やり彼を部屋から押し出そうとした。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!ほんとごめんなさい!ちょっと落ち着いて、落ち着いてからこの話は、ごめんなさいーー!!」
「……」
背中を押されながら部屋から追い出されたテオファンは、もはや何が起きたかわからないという顔をしたまま廊下に出された。そして、ドアが閉められ施錠される音が聞こえたところで、自分が「フラれた」ことを理解した。
「……」
今までの人生で他人にフラれたことなどない。男だろうが女だろうが、だいたい落とせた。特に女なんかはちょっと「男らしさ」を出してやれば簡単に手のうちに落とせた――はずだったのに。全く、聖典封解儀では何が起きるかなんて予想ができない。
「……」
しかし、そのショック以上に嫌な気配がする。テオファンがライラの部屋の前の廊下で立ち尽くしていると、廊下の奥の角から、ひょっこりと灰色の頭が姿を見せた。……どうやらこの男、元殺し屋である気配を殺す特技を活かして、一連の流れを全て見ていたらしい。
「……ん、んふふふ、ふふふっ、ふふふ……ふふう……」
「……」
「ひ、ふふふ、ふふっ、ぷふっ」
「……」
「テオファンさん、何か良い案あるんですか?」
「……」
口元に手を当てて肩を震わせている男をこの場で三枚おろしにしてやろうかと思ったテオファンだが、大きく深呼吸して怒りを鎮める。叩かれた頬はじんじんと痛み、おそらくは赤い掌の痕まで残ってしまっているのだろう。間抜けなこの痕跡は早急に消さなくてはいけないとして、大失敗に終わった偽処女囮作戦のほかに、代替案を考えなくてはいけない。
まだ笑っているドウメキの傍をさっさと歩いて過ぎながら、テオファンは忌々しく「……責任はとりますよ」とだけ呟いた。
ヴィラジ枢機卿は歴代で数名しかいない女性枢機卿であり、その分総合的な実力でいえば四名の中で一番秀でているともいわれている。神力の使い方、戦闘能力、そして何より『異端審問』というニフェゼドの維持のために必要な力を兼ね備えた女性。その姿に憧れ、あるいは夢を見て、青の聖職者の傘下へ自ら志願する女性もいるほどであった。それほど、現時代での『女性の地位』というものは希少であった。
コレエスト曰く、ヴィラジ枢機卿は非常に気性が荒く、それこそ嵐の中の海のような女らしい。彼女の聖媒は鞭ではあるが、そこへ神力を通すことによって、ただ打たれただけでも肉が割れるような鋭さを持たせているとのことだ。
それだけではなく、彼女の行う異端審問はあらゆる異端者の口を割るほど出来上がっている、という評判まである。
「異端審問者、ご、拷問狂、犯罪者、……ぼ、ぼぼぼぼ僕には、違いがわからない」
コレエストは自らの短く切りそろえた爪の先を見つめながら、憂鬱そうにぼやく。おそらくは、彼も部下として彼女の異端審問に立ち会い、そして彼女の異端審問を手本と教示されてきたのだろう。青の聖職者はとりわけ異端審問の専門家が多い部だった。
「じ、じじじじ自分が一番正しいって、思ってるのか、す、すすすすぐ僕に怒鳴ったりして……お、女のくせに」
「……」
テオファンはぼんやりと窓の外、すこしだけ暗くなってきた雲の先へと視線を向けていた。日中は晴れていたはずだが、だんだんと分厚い雲が南のほうから流れてきている気がする。雨が降ってくれると悪魔がいなくなるが、そう都合よく雨が降るわけでもないだろう。
「だ、だだだ。だからこそ。今日、ひ、秘密を明かして……も、うヴィラジさんとは、おさらば」
「……」
――動機は私怨か。
隣のドウメキはコレエストの惨めったらしい愚痴と雑言を真面目に聞き、時には同情をしていたが、テオファンはこの陰気そうな男がとても矮小な理由で動いていることを理解した。聖典封解儀では全く何が起きるかどうかわからないものである。
しかし、結局テオファン自身も悪魔を倒し聖都を守るためにここへ来たわけではない。ニフェゼドが隠している秘密、青い月の正体を突き止めるためにここへ来ているのだ。悪魔狩りはただのおまけに過ぎない。
(他人の事情に口をはさむのは野暮、か……にしてもコレエスト、枢機卿のほうもだが、本人もきな臭い)
コレエストが真っ当な正義感で動いていないことがわかった以上、こいつも黒である可能性が高い。もしそうだとわかったのならば、早々にヴィラジ枢機卿へ突き出し、『異端審問』を受けてもらおう。――テオファンはそう心に決め、ほくそ笑んだ。
「で、ど、どどどうヴィラジさんの秘密を暴くか、だけど……」
「本人に聞いても仕方ないよなぁ……」
「間抜けすぎますよ、ドウメキさん」
ちょっとしたつぶやきを切り捨てられたドウメキはしゅんとした顔をして黙ってしまったが、テオファンは遠慮なく自分の頭に思い浮かんだことをつらつらと述べていく。
「彼女、処女を探しているんでしょう?なら、処女の囮を使えばいいのでは」
「……まぁ、そ、そそそうだね。釣りには餌が、ひ、必要になる」
「……処女って、なに?」
「まだセックスしたことのない女性の事ですよ」
「……」
処女の意味を聞いて気まずそうな顔をしてしまったドウメキは、また黙ってしまった。
「残念ながら私たちは女性ではありまんので、処女の囮にはなれませんね。誰か処女を探さないと」
「も、もももし自分が女だったら、こ、こここの歳まで処女でいる自身、ある?」
「ないです。っていうかその話今必要ですか?」
「……僕らくらいの歳で、しょ、しょ、処女は、希少じゃない、かな……」
ヴィラジ枢機卿のもとへ行く処女も、だいたい十代前半くらいの女の子だし……とコレエストは付け足した。それもそうであるが、ただの少女を得体の知れない場所――といっても枢機卿のもとである為、本来なら安全な場所なのだが――へ連れて行くのは、さすがに市民の安全を守る立場の人間として行えない。
だが、テオファンはなぜか不敵な顔をしていた。妙に自信ありげな顔だった。
「私たちは処女になり得ませんが、処女を奪うことは出来ます」
「何言ってるんだテオファン」
「そ、そそそれはキュリアキ枢機卿のスローガンか何かなのかい?」
「落ち着いてください。私は本気です」
疑念の眼を向けてくる二人に、テオファンは大げさに咳ばらいをした後、ゆっくりと立ち上がった。
「さきほどこの部屋に来たライラさん。実は以前から交流がありましてね……かなり仲良くさせてもらってるんですよ」
「はぁ」
「ライラさんは男性恐怖症であることで有名です。私の上司を見たら逃げ出すくらいには」
「お前の上司、どんなやつなんだ」
「下半身で生きているような男ですよ。まぁあの髭は置いておいて……ライラさんは私に確実に好意を持っています。わかりますね?男性恐怖症のお嬢様、しかも自分に好意を持っている。……ライラさんは最近この聖都で働いていますから、ヴィラジ枢機卿も彼女が男性嫌いであることを知っている。彼女のことは処女だと思うでしょうね。なんせ、男性の間でも絶対処女だって噂されてますから」
「……なぁコレエスト……聖職者ってこんな下世話なのか……?」
「ぼ、ぼぼぼくは友人がいないから、まぁ、こ、ここここんなもんじゃないかな……」
神に祈り、善の為奉仕する潔癖なイメージとは真逆に、聖職者というものはずいぶんと俗世に染まり切っているらしい。こんなものがどれだけ清い言葉を紡いだって、他人の心には響かない……はずだが、こうしてテオファンが司祭になっているのだから、ニフェゼド教徒という人種はずいぶんと騙されやすいのかもしれない。そうドウメキは思った。
「で、あとは簡単。私がライラさんを抱いて、処女だって嘘をついてヴィラジ枢機卿に差し出す。それが囮作戦」
「待ておい」
「前半いる?君の趣味でしょ」
自分の完璧な計画を打ち明けたテオファンに向かい、同時に立ち上がって詰め寄るコレエストとドウメキ。この赤毛の聖職者は頭の回転はおそろしく速いほうだが、稀にいろいろなものが付いてきていないような気がする。例えば、常識とか。
テオファンは二人の肩をぽんぽんと叩くと、「まぁまぁ」と薄ら笑いを浮かべた。
「処女と見せかけて処女じゃない人が大事なんですよ。これはあくまで私の根拠のない予想ですが、ヴィラジ枢機卿は少女を連れ込み、処女でない子を帰し、処女の子をどこかへやっている。処女であることをとても気にしているようだ。……そこを崩したらどうなるかを、しっかりと検証すべきでしょう?」
「……囮使うならそれいらないと」
「じゃあドウメキさん良い案持ってるんですか?」
「……ない、です」
「なら決定ですね。じゃ、ライラさんに誘いをかけてみます。コレエストさんは、ヴィラジ枢機卿へ引き渡しの準備を。……ゲホッ、ケホッ……」
「……」
何度か喉の下あたりを叩いて落ち着いたテオファンは、作戦決行だといわんばかりに軽く指を鳴らす。コレエストはなんとも言えない顔のまま唇をかみしめていたが、無言で首だけを縦に振った。
「テオファン司祭、その、話って」
数分後、テオファンはライラのアパートの部屋へと来ていた。彼女は聖都へ異動してきて間もなく、まだここの聖職者向けのアパートで暮らしているらしい。スラヴレンで出会って以来、定期的に手紙の交換をしていたので、彼女の部屋の位置は自ずと分かった。
「ああ、その……ライラさん。実は……前からお伝えしたいことがありまして」
彼女の部屋は女性らしく淡い色の家具や寝具で揃えてあった。ベッドの上にはフリルのついたクッションが置いてあり、部屋の中に飾ってある小さな花のおかげか、ふわりと甘い香りが空間に漂っていた。テオファンが来た際も急いでお茶を出そうとしたものなのだから、健気でおしとやかな性格なのだろう。だが、そのままでいいといわれた為、小さな花柄が散りばめられた上品なティーカップは今もテーブルの上に置いてある。
「伝えたい、ことって……?」
テオファンの言葉に、不安そうに灰色の瞳が揺れる。部屋に入ってくるなり、いつもより真剣な顔をしたテオファンが「話がある」と言い出した時から、ライラの心は穏やかではなかった。
もしかしたら、の考えばかりがぐるぐるとライラの脳を回る。自分に優しくしてくれ、苦手な男が近くにいるときはそっと庇ってくれるテオファンに、ライラは友人以上の好意を寄せていた。そして、男性が女性と二人きりの空間で大事な話をする理由は、おおよそ限られてくる。
(ど、どうしよ、どうしよ!もしかしたら、これって、これは)
赤い睫毛が伏せられ、綺麗な緑の眼が緩く閉じられた。そして、立ったままのライラのほうへ一歩一歩近づいてくる。
(あ、あわ……)
どくどくと心臓が脈打つ。ライラもつられて数歩後ろにさがったが、すぐに壁に背が当たってしまい、動けなくなった。
(あ、テオファン司祭、睫毛ながいし、すごい……かお、綺麗……)
間近に迫った彼の顔は、いつもは照れくさくて見つめられないというのに、今はじっくりと見入ってしまう。さらさらの髪も、すこし釣り目がちな目も、整った鼻筋も。テオファンは緩く閉じていた瞼をあけると、ライラの顎に軽く触れる。
爪の形も美しいアーチを描いていたが、指の節は男性らしくしっかりとしている。いつもは手袋をしている印象が多かったため、こうして素手で触れ合うのは初めてだった。思ったよりも掌は大きく、それがまたライラの胸を高鳴らせた。
「ライラ」
とん、とテオファンの腕が伸ばされ、ライラの背中の壁に肘を当てた。壁とテオファンに挟まれるような形になったライラは動くことも目をそらすこともかなわず、ただただテオファンの次の言葉を待つしかない。
「俺は、君のことが――」
テオファンの背後で、ドアが開く音がした。
「え」
「へ?」
ふたり同時にドアへ振り向く。はたして、そこにいたのは――
「……包帯を、くれないか」
「……」
「……」
仏頂面をしたジュリアンだった。
「……」
「……」
「……」
三人とも、沈黙する。
ジュリアンはジュリアンでドアを開けたまま動かず、テオファンはライラに秘儀・壁ドンをした状態で固まっている。ライラは口に両手を当てた格好のまま、大きく目を見らいたままだった。だが、その顔色だけはどんどんと紅潮していったが。
「……ノックは、した。四回くらい」
「……」
「……」
「……赤の聖職者は元気だな。キュリアキ枢機卿の教えか?」
「……」
「……あ、そう、そうだよね!ジュリアン司祭、ほ、包帯、包帯だよね!」
もはや林檎のような顔色になってしまったライラがこの空気に耐えられず必死に取り繕うとし、テオファンの腕から抜け出そうとする。だが、まったく運の悪い事に、慌てた足はもつれ、これまた運の悪い事に――テオファンの胸の中へと、倒れこんだ。
「きゃぁあ!?」
「おっと……」
そこで避けるなどという非情なことはしないテオファンは、自分に向かって転んできたライラの肩を緩く抑えて彼女を受け止める。男性が女性に対する気遣いとしてはかなり当たり前であり、無論、なんの邪気もなく行った行為ではあったが――
「ひゃぁああ!?」
「!?」
告白ムードから乱入者、そして転倒による急接近という三重にも及ぶ激動の末、パニックになったライラは殆ど反射的に右手を振りかぶり――テオファンの頬に強烈なビンタをお見舞いしてしまった。
「え、や、やだ私!きゃぁああ!」
「…………」
背後ですさまじい力でドアが閉められた音が響く。ジュリアンは何も言わず去っていったのだろう。ライラもライラで真っ赤な顔をしたまま、テオファンに何度も謝ると、無理やり彼を部屋から押し出そうとした。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!ほんとごめんなさい!ちょっと落ち着いて、落ち着いてからこの話は、ごめんなさいーー!!」
「……」
背中を押されながら部屋から追い出されたテオファンは、もはや何が起きたかわからないという顔をしたまま廊下に出された。そして、ドアが閉められ施錠される音が聞こえたところで、自分が「フラれた」ことを理解した。
「……」
今までの人生で他人にフラれたことなどない。男だろうが女だろうが、だいたい落とせた。特に女なんかはちょっと「男らしさ」を出してやれば簡単に手のうちに落とせた――はずだったのに。全く、聖典封解儀では何が起きるかなんて予想ができない。
「……」
しかし、そのショック以上に嫌な気配がする。テオファンがライラの部屋の前の廊下で立ち尽くしていると、廊下の奥の角から、ひょっこりと灰色の頭が姿を見せた。……どうやらこの男、元殺し屋である気配を殺す特技を活かして、一連の流れを全て見ていたらしい。
「……ん、んふふふ、ふふふっ、ふふふ……ふふう……」
「……」
「ひ、ふふふ、ふふっ、ぷふっ」
「……」
「テオファンさん、何か良い案あるんですか?」
「……」
口元に手を当てて肩を震わせている男をこの場で三枚おろしにしてやろうかと思ったテオファンだが、大きく深呼吸して怒りを鎮める。叩かれた頬はじんじんと痛み、おそらくは赤い掌の痕まで残ってしまっているのだろう。間抜けなこの痕跡は早急に消さなくてはいけないとして、大失敗に終わった偽処女囮作戦のほかに、代替案を考えなくてはいけない。
まだ笑っているドウメキの傍をさっさと歩いて過ぎながら、テオファンは忌々しく「……責任はとりますよ」とだけ呟いた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる