偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

深冬 芽以

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6.彼女の過去

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*****


「本日は当店をご利用くださいまして、ありがとうございます」

 至れり尽くせりの時間の終わりにそう言って私に微笑んだのは、派手な顔立ちにも上品さが窺える美人。

 目鼻立ちはきりっと凛々しく、だからと言ってキツイ印象もない。

 ただ、こちらが恐縮してしまうほどのオーラを纏っていた。

 腰まである真っ直ぐなブラウンの髪は、シャンプーのCMのような艶があり、触れてみたくなる。

 白いブラウスに黒のタイトスカートという至って普通の服装なのに、スタイルの良さは隠しきれていない。

「こちらこそ、ご丁寧にありがとうございます」

 私は座ったまま、ほんの少しだけ頭を下げた。

 まだ、最後のセットの途中で、スタイリストさんが全体のチェックをしている。

「喜んでいただけたのでしたら、わたくし共も嬉しい限りです」

 スタイリストさんがブラシで私の顔についた毛を払い、「お疲れさまでした」と終わりを告げた。

 私に礼を言った美人が、私をカウンターまでエスコートする。

 用意されていたバッグを差し出され、洗練された美人と、使い古してくたびれたショルダーバッグのミスマッチな絵面に、申し訳なくなる。

「料金は理人に請求いたしますので、このままお帰りいただいて結構です。あ、こちら、次回使用できますクーポン券ですので、ぜひまたいらしてください」

 彼女が理人を『理人』と呼び捨てた。

 たとえそう呼ぶ親しい間柄だとしても、仕事中には相応しくない。

 私が彼の紹介で来たと知っているなら、なおさらだ。

「いえ。お支払いします」

 私は、胸の奥がモヤモヤする理由に蓋をした。

 代わりに、財布を開く。

「お客様。差し出がましいですが、彼の顔を立ててあげてください。あなたから料金をいただいたと知ったら、理人に叱られます」

「理――俵さんと親しいんですね」

「え? ええ」

 彼女は少し驚いた表情を見せたが、すぐに同性でも惚れ惚れするような笑顔で言った。

「どうか、ぜひまたご来店ください」

 理人は知り合いに頼まれて、私を紹介したと言った。

 きっと、この女性が知り合いで、頼まれればお客を紹介してあげるような関係なのだ。

 自分のポケットマネーで売上に貢献してあげようと思うほどの、関係。

「ありがとうございました」

 私は礼を言った。

 そして、彼女の胸の小さなプレートを見た。



 OWNER .KANAKAオーナー、カナカ



 珍しい名前だな、と思った。

 思いつく限りそれらしい漢字を当てはめてみる。



 家中、鹿中、加仲。



 かなか……なんていうんだろう。



 きっと、素敵な名前だろう。



 いいな……。



 私とは違って、きっと素敵な意味が込められた名前だろう。

 私の名前は、父がつけた。

 正確には、父がつけてしまった。

 折角、髪を切って、マッサージもしてもらってすっきりしたのに、憂鬱な気分になるようなことを思い出してしまった。

 私は父を覚えていない。

 母はそれを、幸いだと思っていた。



 そりゃ、あんな父親なら――。



 パッパーッ、とクラクションの音が響き、ハッとして顔を上げた。思わず立ち止まる。

 交差点半分まで車が侵入して止まっている。

 信号無視かブレーキを踏むのが遅れたのかわからないが、とにかく、危なかった。

 歩行者数人が運転手を覗き込むようにしながら、歩き去って行く。

 私は無意識に止めていた呼吸を再開し、同時に甘い香りを察知した。
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