最後の男

深冬 芽以

文字の大きさ
16 / 212
3 食事の後の緊急事態

しおりを挟む
「え?」

「課長の年齢でしたら、結婚したら早めに子供が欲しいんじゃないですか?」

 少し、打ち解けたような気がしたが、気のせいだったらしい。

 彼女の表情も口調も、戻ってしまった。

「そうだな。欲しくない、とは思わないかな」

「子供がいたら、生活の中心は子供になりますよ? 今まで自由に使えていたお金が小遣い制になって、休みの日でも休んでいられない。食事の味も子供に合わせて、テレビの主導権も子供、子育てに疲れた奥さんに気を遣う生活が出来ますか?」

 彼女が、無表情で言った。

 いたずらに抱き締めた時と同じで、背筋が寒くなる。

 普段の彼女とのギャップに、気持ちが乱される。

「やったことがないから、出来ると断言は出来ないけど、徐々に慣れていくものだろう?」

「私の別れた夫は、慣れることが出来ませんでした」

「え?」

「子供が生まれて、自分が生活の中心でなくなったことを受け入れられなかったんです」

「……それが、離婚の理由?」

「それが、全ての原因ってだけです」

 ウエイターが来て、ラストオーダーの時間だと告げた。

 俺たちはもう一杯ずつ同じものを注文した。

 話が途切れ、彼女はそれ以上を言わなかった。けれど、俺は続きが聞きたかった。

「姪っ子がいるんだけどさ」

「え?」と、彼女は残っていたロールケーキを食べながら俺を見た。

「姉の子。四歳なんだけど、時々遊びに来るんだよ」

「……」

「って言っても、姉さんが遊びに行きたい時に預かるだけだから、来たくて来てるわけじゃないんだけどな。けど、可愛いなと思うよ」

「何てお名前ですか?」

「真心と書いてまこ」

「可愛い名前ですね」

「二人目は男で、勇気と書いてゆきってつけるんだと」

 俺は、素直にゆうきと呼ぶ方がいいと思う。姉さんは『それじゃつまらない』と言うが、子供の名前を面白くする必要はないと思う。

「妊娠中ですか?」

「そう。いつ生まれてもいいらしい」

「楽しみですね」

「あんたの子供の名前は?」

「上の子は真心まこちゃんの真の字でしん、下の子は〇瀬亮のりょう、です」

 子供話をする彼女は、本当に優しい表情をする。

「いい名前だな」

「私がつけたんです。どちらも『まこと』って意味があって、誠実な人間になって欲しいって思って」

「あんたの子供は幸せだな」

「…………そう……ですかね」

 昨日、給湯室で見せた表情と声に、ドキッとした。

 怯えているような、不安そうな、今にも泣きだしそうな瞳に、か細い震えた声。

「そうだろ」

「そうだといいんですけど……」
しおりを挟む
感想 23

あなたにおすすめの小説

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

小野寺社長のお気に入り

茜色
恋愛
朝岡渚(あさおかなぎさ)、28歳。小さなイベント企画会社に転職して以来、社長のアシスタント兼お守り役として振り回される毎日。34歳の社長・小野寺貢(おのでらみつぐ)は、ルックスは良いが生活態度はいい加減、デリカシーに欠ける困った男。 悪天候の夜、残業で家に帰れなくなった渚は小野寺と応接室で仮眠をとることに。思いがけず緊張する渚に、「おまえ、あんまり男を知らないだろう」と小野寺が突然迫ってきて・・・。 ☆全19話です。「オフィスラブ」と謳っていますが、あまりオフィスっぽくありません。 ☆「ムーンライトノベルズ」様にも掲載しています。

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

恋愛短編まとめ(現)

よしゆき
恋愛
恋愛小説短編まとめ。 色んな傾向の話がごちゃ混ぜです。 冒頭にあらすじがあります。

体育館倉庫での秘密の恋

狭山雪菜
恋愛
真城香苗は、23歳の新入の国語教諭。 赴任した高校で、生活指導もやっている体育教師の坂下夏樹先生と、恋仲になって… こちらの作品は「小説家になろう」にも掲載されてます。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

一夏の性体験

風のように
恋愛
性に興味を持ち始めた頃に訪れた憧れの年上の女性との一夜の経験

なし崩しの夜

春密まつり
恋愛
朝起きると栞は見知らぬベッドの上にいた。 さらに、隣には嫌いな男、悠介が眠っていた。 彼は昨晩、栞と抱き合ったと告げる。 信じられない、嘘だと責める栞に彼は不敵に微笑み、オフィスにも関わらず身体を求めてくる。 つい流されそうになるが、栞は覚悟を決めて彼を試すことにした。

処理中です...