最後の男

深冬 芽以

文字の大きさ
114 / 212
13 感情のままに

しおりを挟む
「今じゃなきゃダメ? また今度――」

「彩さん。スピーカーにしてもらえますか?」

「え?」

「亮君ですよね?」

「はい」

 彩さんがスマホを耳から離し、スピーカーに切り替えた。

「もしもし、亮君?」

『千堂さん! 俺、漢字のテストで百点取った!』

 亮君の嬉しそうな声が、車内に弾む。

 彩さんも初耳だったようで、驚いた表情でスマホを見る。

「頑張ったね、亮君」

『うん! 野球、連れてってくれる?』

「約束したもんな。お母さんといつがいいか相談して、チケット取るから」

 俺は前方から目を逸らさずに、言った。

『うん!』

「お母さん、もうすぐ帰るからね」

『わかった! バイバイ!』

 プツン、と電話が切れた。

「あの、野球って……」

 彩さんは訳が分からない様子で、スマホを持ったまま聞いた。

「前に亮君と約束したんです。漢字のテストで百点を取ったら、野球を観に連れて行ってあげるって」

「だから、あの子……」

「試合のある日を調べて連絡しますから、都合のいい日を教えてください」

「……」

 彩さんの返事がない。

 俺はわざと速度を落として赤信号で止まるようにした。

「彩さん?」

「困ります」

「え?」

「子供たちが千堂さんに慣れすぎるのは、困ります」

 彩さんは真っ直ぐに俺の目を見て、言った。

「今更ですけど……」

「真君と亮君は、溝口課長に会ったことがあるんですか?」

「……ありません」

「どうして?」

「会わせる理由……ありませんから」

 俺は彼女から目を離し、信号を見た。タイミングよく青に変わる。

「そうですか」

 静かに言った。が、内心は穏やかではなかった。

 さっきの亮君以上にテンションが上がる。

 子供たちと親しい分だけ、自分が優位に立っていると感じた。

「俺、彩さんと真君と亮君と一緒にいて、楽しいです」

「え?」

「素直に、そう思います」

「……」

「彩さんはどうですか?」

「私……は……」

 あと五分も走れば、彩さんの家に着く。俺は、再びコンビニの駐車場に入った。入り口前に三台が停まっている。俺は、一番端の人目に付かない場所に停めた。

「彩さんには母親としての責任があって、いつも子供たちのことを考えていて、だから恋愛や再婚を考えられないってことは理解しています。溝口課長は俺より大人で、彩さんの気持ちを理解して、きっと俺のように困らせるようなことはしないんだと……思います。だけど――」

 ずっと、考えていた。

 彩さんを困らせないように、諦めることも考えた。

 けれど、どんなに考えても、行きつく先はいつも同じ。

 俺はシートベルトを外して、彩さんに身体を向けた。
しおりを挟む
感想 23

あなたにおすすめの小説

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

小野寺社長のお気に入り

茜色
恋愛
朝岡渚(あさおかなぎさ)、28歳。小さなイベント企画会社に転職して以来、社長のアシスタント兼お守り役として振り回される毎日。34歳の社長・小野寺貢(おのでらみつぐ)は、ルックスは良いが生活態度はいい加減、デリカシーに欠ける困った男。 悪天候の夜、残業で家に帰れなくなった渚は小野寺と応接室で仮眠をとることに。思いがけず緊張する渚に、「おまえ、あんまり男を知らないだろう」と小野寺が突然迫ってきて・・・。 ☆全19話です。「オフィスラブ」と謳っていますが、あまりオフィスっぽくありません。 ☆「ムーンライトノベルズ」様にも掲載しています。

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

恋愛短編まとめ(現)

よしゆき
恋愛
恋愛小説短編まとめ。 色んな傾向の話がごちゃ混ぜです。 冒頭にあらすじがあります。

体育館倉庫での秘密の恋

狭山雪菜
恋愛
真城香苗は、23歳の新入の国語教諭。 赴任した高校で、生活指導もやっている体育教師の坂下夏樹先生と、恋仲になって… こちらの作品は「小説家になろう」にも掲載されてます。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

サディスティックなプリテンダー

櫻井音衣
恋愛
容姿端麗、頭脳明晰。 6か国語を巧みに操る帰国子女で 所作の美しさから育ちの良さが窺える、 若くして出世した超エリート。 仕事に関しては細かく厳しい、デキる上司。 それなのに 社内でその人はこう呼ばれている。 『この上なく残念な上司』と。

一夏の性体験

風のように
恋愛
性に興味を持ち始めた頃に訪れた憧れの年上の女性との一夜の経験

処理中です...