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約束の痕
しおりを挟む「ごめん…、ごめんミュラー、泣かないでくれ」
ボロボロと泣き崩れるように、ベンチに座ったまま背中を曲げ自分の顔を両手で覆う。
レオンに言葉を返したくて、ミュラーは唇を開こうとするが、震える唇は悲痛な嗚咽が溢れ出るだけだった。
喉がひくり、ひくりと痙攣してすぐに言葉を紡ぐ事が出来ない。
レオンがそっと自分の胸元からハンカチを取り出すと、ミュラーに手渡す。
ミュラーは有難くそれを受け取ると、ひくひくと震える喉から絞り出すようにゆっくりと言葉を吐き出す。
「もうっ、嫌だったんですっ」
「…うん」
話したい事は沢山あるのに、ミュラーの唇からは整理出来ていない自分の感情ぐちゃぐちゃのままの言葉が溢れ出る。
「レオン、様にっ好きって言うのが、もう辛くって…っ」
「うん」
「諦めようとした、んですっ」
ぎゅっ、と瞼を力任せに閉じるとぽたり、とまたミュラーの瞳から溢れ出た涙が月明かりの届かない真っ暗な地面に吸い込まれて行く。
レオンは、ただミュラーの話す言葉達を一言一句聞き逃さないように静かに相槌を打つ。
「レオン様を忘れ、てっ他の男性と、一緒になる事も考えてっ」
「…うん、」
「そしたらっレオン様、からっ贈り物を頂いて、っ」
その想いを、レオンからのその想いを一抹の希望にしてしまった。
もしかしたら、と僅かな希望にみっともなく縋り付いた。
「レオン様を、嫌いになりたかった…っ!」
「…っ、ごめん、傷付け続けてごめん…っ」
勢い良くレオンの方へ視線を向け、ミュラーは尚も悲鳴じみた声音で自分のぐちゃぐちゃになった気持ちを吐き出し続ける。
「嫌い、になりたかったのにっ…なんでっ今更っ!混乱、してっ!貴方を、想って、もしかしたら、なんて期待、っして!貴方を、好きでい続ける自分が、馬鹿みたいでっ」
ミュラーの泣き濡れた瞳で、掻き消え、消え入りそうな程のまるで悲鳴のようなその言葉にレオンは苦しそうに表情を歪めると、唇を開いた。
「ミュラー、ミュラー。こんなに、苦しませてごめん。ミュラーの隣にいたい、今度は俺がミュラーに愛を伝えるから、だから」
俺をミュラーの唯一の伴侶にして。
切望するようなそのレオンの言葉に、ミュラーはぐしゃり、と顔を歪ませると勢い良くレオンに抱きついた。
「──はいっ」
「っミュラー!ミュラーっ」
ミュラーの背と頭に自分の腕を回し、レオンはぐっと強く抱き締める。
ミュラーのふわふわのアメジストの髪に、レオンは鼻先を埋めると、ずっとこの腕の中に抱き締めてしまいたい、と思っていたミュラーの存在を確かめるようにぎゅう、っと抱き締める。
暫しお互い無言で抱き合って
ミュラーのしゃくり上げる悲痛な声も収まって来た頃。
レオンははっとして抱き締めていた体制から勢い良く体を離した。
「─ぁっ」
引き剥がされてしまった事に、ミュラーは自然と名残惜しむような声が漏れてしまう。
未だ不安に揺れるミュラーの瞳に、涙の膜が張っている事に気付いたレオンは、そっと自分の指先でミュラーのその涙を拭った。
「ごめん、ミュラー…。俺達はまだ正式に婚約が成立していないのに、君を抱き締めてしまった。…こんな人の目がある場所で君を抱き締めるべきでは無かった…」
「いいえ、私がっ、抱きついてしまったのです…レオン様は悪くありません」
ミュラーは、自分の涙を拭ってくれているレオンの手のひらをにそっと自分の手を重ねると、レオンの手のひらに甘えるように頬を擦り寄せる。
嬉しそうに微笑むミュラーのその姿が、月明かりに照らされてとても幻想的な美しさを醸し出している。
間近で直視してしまったレオンは、低く唸るように呻くとミュラーから視線を外す。
「レオン様?」
はしたなかったかしら?と不安そうに呟くミュラーに、レオンはふるふると首を横に振ると、ミュラーのその左手を取り、その真っ白なグローブに覆われているほっそりとした指先に指を這わす。
「──ここ、に口付けてもいい…?」
「えっ」
すり、とレオンの指先が擦る先はミュラーの左手の薬指。
その場所を撫でながら懇願するように見つめてくるレオンに、ミュラーはその意味を理解して自分の頬が赤く染まるのがわかった。
小さく消え入りそうな声で「はい」と答えてくれたミュラーに、レオンは幸せそうに笑う。
「グローブを取っても?ミュラーの肌に触れてもいい?」
「…っ」
今度こそ真っ赤になったミュラーは、声を出す事なく、小さく頷いた。
「ありがとう」と言葉を返すレオンに、そっとグローブの縁に指を掛けられる。
ヒヤリ、としたレオンの指先が自分の肌とグローブの薄い生地の間に差し込まれる。
ゆっくりと自分の肌を覆っていた真っ白いオペラグローブがレオンによってするすると取り払われていく様が、何だか見てはいけない光景のように感じてしまったミュラーは真っ赤な顔のまま、レオンから視線を外した。
まるで壊れ物を扱うように丁寧で優しく取り外していくレオンに、ミュラーはドキドキと早鐘を打つ心臓に右手をそっと添える。
月光に照らされたレオンの金糸の髪の毛がキラキラと輝いていて、翡翠の瞳は宝石のように煌めいている。幻想的な目の前の光景に、ミュラーはここが現実なのかどうか、わからなくなってしまった。
グローブを全て取り払ったレオンが、ミュラーにそっと視線を向ける。
宝石のようなその翡翠の瞳がしっかりとミュラーの瞳を捕らえて離さない。
数秒、見つめあって。
レオンはそっとミュラーの指先に視線を落とすと恭しく指先を自分の口元へと持ち上げその薬指に優しく口付けた。
瞼を伏せ、金色に縁取られた瞳に影を落とす。
まるで神聖な儀式のように感じられるその瞬間は一瞬のようにも感じられるし、時間の経過が遅くなったように長く長く体感する。
ちくり、と薬指に僅かな痛みと違和感を感じてミュラーは瞳を見開くと、レオンの唇が触れている場所へと視線を向ける。
そっと唇を離したレオンは、愛おしそうにその場所をゆるりと自分の指先で撫でた。
「──っ!」
レオンの指先が離れたその場所から覗くように、赤く彩られた小さな所有の証が姿を見せて、ミュラーは気絶してしまいそうな程くらり、と目眩を感じた。
その幸せそうな2人を、暗闇からじっと恨みの篭った眼差しで見つめる男女がいた。
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