王子に求婚されましたが、貴方の番は私ではありません ~なりすまし少女の逃亡と葛藤~

浅海 景

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第1章

それぞれの想い

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「保護者不在ということであれば、いったん当家で引き取りましょう。彼女は未成年ですからね」

父が何かを言う前にフィスロ伯爵がしたり顔で告げた。もしかしたらこちらが本命だったのだろうか。

「ヴィオに危害を加えようとした身内がいる家に引き取らせたりしませんよ。本当は全部落ち着いてから話したかったんだけどな。ヴィオ」

呼ばれて振り向くと、レイはとても優しい目をしていた。

「ずっと考えていたんだが、俺の娘にならないか?」

都合の良い幻聴だろうかと食い入るようにヴィオラはレイを見つめたが、穏やかな微笑みは変わらない。

「ヴィオみたいにかわいくて頑張り屋で優しい子が娘になってくれたらとても嬉しい。父親になってヴィオを甘やかす権利が欲しいんだ」

レイは優しい人だ。だけど、そんな贅沢なことが許されるのだろうか。そう思うのに言葉が自然に滑り落ちる。

「……私で、いいの?」
「もちろんだ。おいで、ヴィオ」

慈しむような温かい声に背中を押されて、ヴィオラはレイの胸に飛び込むとぎゅっと抱きしめてくれた。

「レイ…お父さん?」
「ははっ、ちょっと照れくさいがいい気分だな。ということで、うちの可愛い娘に今後一切近づかないでくれ」

後半は温度の下がった声に、それまで静かに控えていたレイが内心怒っていたのだなと分かった。

「貴方は他国の人間でしょう?他国の子供との養子縁組は手続きに時間が掛かります。殿下の番だからと勝手に連れ出せば法的に罰せられることになりますよ」
「それは貴方が心配することではありませんよ。ヴィオ、ここに署名だけもらえるか?大丈夫だからな」

レイに迷惑をかけるのはと躊躇するヴィオラの気持ちを先回りした言葉に、迷いは消えた。レイは嘘を吐かないし、ヴィオラはレイといたいのだ。

「あんたの署名はあってもなくてもいい。ただ子育てを放棄した罪で罰せられたくないなら、素直に署名するほうが身のためだ」

父はフィスロ伯爵の様子を伺っていたものの、レイの無言の圧力に負けてペンを取った。

「それではこの書類に効力を持たせるための立会人を呼ぼう」
「カイル王太子殿下、いくら貴方様であっても我が国の法に従ってもらわねば困りますな。養子縁組にはその土地の領主の承認が必要なのです。子供の将来に関わる大切なことですので、いくら立会人がいたとしてもそう簡単に許可は出せませんよ」

勝ち誇ったような笑みを隠そうともせず、フィスロ伯爵が言い放った時、涼やかな声が聞こえた。

「許可を出さない理由に正当性が認められない場合はその限りではないな」

温和な表情と気品のある仕草に高位の貴族だろうかとヴィオラが思っていると、フィスロ伯爵の顔色が蒼白になっていることに気づく。

「ジェード殿、手間を掛けさせてすまないな」
「謝るのはこちらのほうだ。我が国の貴族が愚かな真似をして本当に申し訳ない。……それに元学友としてこの程度のことはさせてくれ」

対等にカイルと話す男の正体に何となく察しがついて、否が応でも緊張が高まる。なるべく目立たないよう固まっていると、男はにこやかな笑みを浮かべてヴィオラに向かってくる。

「君がカイル殿の番だね。私はソルフェン王国の第二王子のジェードだ。君の養子縁組の立会人として来ているだけだから、楽にしていいよ」
「……はい、寛大なお言葉感謝申し上げます」

恐る恐る返事をすると、ジェードは少し意外そうに目を瞠った後に淡く微笑んだ。

「さて、書類は揃っているし養父の身元も問題ない。本人の意思表示も明確だしね」

何のことだろうと思いかけて、ふと手元を見るといつの間にかレイのシャツを握りしめているではないか。

(は、恥ずかしい!!)

レイも言ってくれればいいのにと、恨めしい気持ちで見上げると笑顔で頭を撫でられた。どうやら甘えていると認識されているらしい。
気恥ずかしい気持ちと嬉しい気持ちがせめぎ合っていると、不貞腐れたような声が上がった。

「どうしてお姉ちゃんなんかが大切にされるの?」

貶めるというより単純に理解できないから発した言葉なのだろう。悪気がないからとこれまでは受け流していたけれど、やはり良い気分ではない。

「身内であっても受け入れがたい言葉だが、彼女はもう君の姉ではないし君には関係のないことだ。発言には気を付けてもらおう」

子供相手だからと流石に怒鳴りつけるような真似はしなかったが、カイルは淡々とした口調でミラを窘める。

「姉は姉です。簡単に家族を捨てるような人はきっとまた同じようなことをするのに。そういえばお姉ちゃん、まだぬいぐるみなんて持ってるの?」
「え……」

ミラがポケットから取り出したのは、ヴィーの大切なクマのぬいぐるみだ。ヴィオラの下手くそな縫い目からしても間違いない。

「どうして君がそれを持っている?それはヴィオのものだ。返しなさい」

ヴィオラの動揺が伝わったのか、厳しい口調でレイが告げるとミラは怯えたように身を竦めてぬいぐるみを強く抱きしめた。無意識なのだろうが、ただでさえボロボロになっているのだから気が気ではない。

「やめて、ミラ。その子を返して」
「こんな汚いぬいぐるみが大事なの?そんなに必死になって馬鹿みたい!」

苛立ったように地団駄を踏んだミラは突然立ち上がっても、ヴィオラはただ困惑していた。ミラが何故癇癪を起こしているのか分からなかったのだ。
その戸惑いが取り返しのつかない隙を生んだ。

「捨てられる痛みが分からないんだったら、教えてあげる!」

駆け出したミラが向かった先はバルコニーだ。

(まさか……!)

気づいたレイがミラを捕らえるよりも早く、ミラはぬいぐるみを放り投げた。ゆっくりとスローモーションのように青い空にぬいぐるみが舞う。落ちる先は海だ。

「ヴィー!!」

凍り付いたように動けないヴィオラの横を何かが駆け抜けたかと思うと、手すりを越えて手を伸ばしたカイルの姿が見えて、消えた。
室内が恐ろしいほどに静まり返る。

(……そんなの……だって、ここ4階……)

目の前が真っ暗になり、身体に力が入らない。

「ヴィオ、落ち着け。大丈夫だ」
「わ、私のせいで、カイル殿下が……」
「ヴィオラ!?ぬいぐるみは無事だ。もう泣かなくていいからな」

落下したはずのカイルの声に顔を上げれば、片手で手すりを乗り越えて焦ったようにこちらに向かってくるカイルの姿があった。

「ロドリニア国の王族は身体能力が高い。さすがにそのまま落ちれば無傷とはいかないがな」
「ヴィオラ」

差し出されたぬいぐるみを反射的に受け取ろうとして、反対側の指先が赤く染まっていることに気づいた。ヴィオラの視線にカイルはそっと隠すように指を握り、困ったような顔で笑った。

「ああ、少し失敗してしまった。大したことはないから大丈夫だ」
「……何で、そんな無茶をしたんですか!」

身体能力が高くても危険なことに変わりはない。おまけに怪我までしたというのにカイルはヴィオラのことばかり気にしている。

「ヴィオラの大切なものを大事にするのは当然のことだ。俺は君を悲しませてばかりだから、これ以上辛い思いをさせたくない」

(この人は、本当に私のことを想ってくれているのね……)

声にならない想いが涙となってあふれ出す。

「あ…りがと…ござい、ます」

嗚咽交じりの言葉にも拘わらず、カイルはとても嬉しそうな笑顔を見せてくれたのだった。
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