王子に求婚されましたが、貴方の番は私ではありません ~なりすまし少女の逃亡と葛藤~

浅海 景

文字の大きさ
5 / 31
第1章

歓喜と絶望

しおりを挟む
「カイル殿下、お顔が崩れています」

ライリーの指摘にカイルは表情筋を保とうとするが、ヴィオラのことを思い出せば自然と緩んでしまう。留学先にこれまで気に留めたことのないソルフェン国を選んだのは気まぐれのようなものだったが、本能が番の場所を伝えていたのかもしれない。

「フィスロ伯爵家に到着するまでに何とかしてくださいね。それから……慶事に水を差すつもりはありませんが――」
「心配するな。ヴィオラが俺に関心を示していないことぐらい分かってる」

決まりが悪そうなそれでいて自分を案じるかのようなライリーに、カイルは苦笑を漏らす。

(まあ確かに俺自身もあんな言動をしておいて何だがな)

どうしても彼女に想いを告げずにはいられなかったものの、ヴィオラの表情には喜びよりも困惑が勝っていたし、番について説明した後も途方にくれたような顔をしていたのは気づいていた。その場で断られないよう必死で言葉を尽くした結果、何とか保留にまでこぎつけたのだ。

愛おしくて堪らない、そんな感情が溢れて止まらない。無造作に束ねられた艶のないダークブラウンの髪や荒れた指先が彼女の暮らしが決して楽でないことを教えてくれる。

(もっと早く見つけてやりたかった……)

そんな想いが胸を刺す。ヴィオラの家族構成や現在に至るまでの状況は知らないが、恐らくは亡くなった師匠が唯一の身内のような存在なのだろう。
新緑のような瞳に悲哀に沈んではいなかったもののどこか諦観の色が映っていたし、見た目の年齢以上に落ち着いた態度はこれまで彼女が苦労を強いられてきたことを察するには十分だった。

ヴィオラの笑顔が見たい、彼女を幸せにしたい。込み上げる衝動を抑えるように目を閉じる。たとえ最終的に断られたとしても、それだけは必ず叶えたいと思った。

だから、その光景を見た瞬間、カイルは世界が崩壊してしまったかと思うほどの衝撃を受けた。

薄くたなびく煙を見た途端に、嫌な予感がして馬を飛ばした。
煙を上げながらも真っ黒に塗りつぶされた、ヴィオラの住まい。焦げた臭いがとても不快で、「ああ、燃えてしまったんだな」と思った瞬間に、馬から飛び降り駆け出していた。

「ヴィオラ!ヴィオラ、ヴィオラ、どこにいる!」

燻っている木材に熱さは感じるものの、痛みは感じない。そんなことよりもヴィオラを探すほうが先決だった。

大きな梁の下にあるのは、昨日ヴィオラと向かいあったテーブルだ。ずきりと胸が抉られるような痛みを無視して、慎重に邪魔な木材をどかしていく。ヴィオラが大切にしていた住まいを荒らすような真似はしたくない。それに万が一、彼女がそこにいたら傷付けてしまう。

「殿下、もうお止めください。これ以上は御身が――」

遠くからライリーの声が聞こえた気がしたが、それ以上制止は聞こえず黙々と専念した。
そうしてようやく手を止めて顔を上げた時、泣きそうなライリーの顔が目に入った。それほどに自分は酷い表情をしているのだろうか。

もちろん気分は最悪だったが、それでも希望はあった。

「殿下……?」

困惑するように声を掛けるライリーの耳元でカイルは囁いた。

「ヴィオラは恐らく生きている」
「――!」

声を上げそうになったものの、何故密やかに告げたのかを反射的に理解したのか、ライリーは無言で頷く。生まれた時からずっと側にいたライリーのことは家族同様に信頼している。
火傷で爛れた両手に力を入れると痛みが走るが、怒りを抑えるためにはちょうどいい。

(誰かがヴィオラを殺そうとした……)

燃え尽きた家の中にヴィオラの遺体は見つからなかった。殺した後に証拠隠滅のために火を放ったのでないのなら、殺すために放火したのだろう。
もしくは誘拐し殺したと見せかけるために火を放った可能性もあるが、調べればすぐに露見することのためにそこまでするとは思えない。
ならば何かしらの理由でヴィオラが家を空けていた際に、放火が行われた可能性が高い。

不用心だと思っていたのに、護衛すらつけなかった自分の能天気さに腸が煮えくり返るようだ。

(それよりも、ヴィオラを保護しなくては……)

ヴィオラ個人に恨みがある者の犯行か、それともヴィオラが自分の番であることを快く思わない者による犯行か。
一度しか会っていないものの、彼女が恨みを買うような人物とは思えない。だが後者の場合だとしてもヴィオラが番であることを知っている者は少ない。ただカイルの様子がいつもと違うと感じた者はそれなりにいるだろう。

昨晩フィスロ伯爵からも何か良いことがあったのかと聞かれたぐらいなので、番に出会えたことで浮かれていた自覚はある。
自分のせいでヴィオラを失いかけたのかと思うと胸が張り裂けそうだった。

(使える物は全て使う。二度はない。今度こそ彼女を絶対に護り抜く)

そのためには慎重に迅速に行動しなければならない。闇雲に探しても時間を無駄にするだけでなく、再びヴィオラの命を危険に晒しかねない。
カイルは自分の持ちうる全ての手札を頭の中に広げて、猛スピードで作戦を練り始めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

嘘つくつもりはなかったんです!お願いだから忘れて欲しいのにもう遅い。王子様は異世界転生娘を溺愛しているみたいだけどちょっと勘弁して欲しい。

季邑 えり
恋愛
異世界転生した記憶をもつリアリム伯爵令嬢は、自他ともに認めるイザベラ公爵令嬢の腰ぎんちゃく。  今日もイザベラ嬢をよいしょするつもりが、うっかりして「王子様は理想的な結婚相手だ」と言ってしまった。それを偶然に聞いた王子は、早速リアリムを婚約者候補に入れてしまう。  王子様狙いのイザベラ嬢に睨まれたらたまらない。何とかして婚約者になることから逃れたいリアリムと、そんなリアリムにロックオンして何とかして婚約者にしたい王子。  婚約者候補から逃れるために、偽りの恋人役を知り合いの騎士にお願いすることにしたのだけど…なんとこの騎士も一筋縄ではいかなかった!  おとぼけ転生娘と、麗しい王子様の恋愛ラブコメディー…のはず。  イラストはベアしゅう様に描いていただきました。

【完結】そんなに嫌いなら婚約破棄して下さい! と口にした後、婚約者が記憶喪失になりまして

Rohdea
恋愛
──ある日、婚約者が記憶喪失になりました。 伯爵令嬢のアリーチェには、幼い頃からの想い人でもある婚約者のエドワードがいる。 幼馴染でもある彼は、ある日を境に無口で無愛想な人に変わってしまっていた。 素っ気無い態度を取られても一途にエドワードを想ってきたアリーチェだったけど、 ある日、つい心にも無い言葉……婚約破棄を口走ってしまう。 だけど、その事を謝る前にエドワードが事故にあってしまい、目を覚ました彼はこれまでの記憶を全て失っていた。 記憶を失ったエドワードは、まるで昔の彼に戻ったかのように優しく、 また婚約者のアリーチェを一途に愛してくれるようになったけど──…… そしてある日、一人の女性がエドワードを訪ねて来る。 ※婚約者をざまぁする話ではありません ※2022.1.1 “謎の女”が登場したのでタグ追加しました

元公爵令嬢、愛を知る

アズやっこ
恋愛
私はラナベル。元公爵令嬢で第一王子の元婚約者だった。 繰り返される断罪、 ようやく修道院で私は楽園を得た。 シスターは俗世と関わりを持てと言う。でも私は俗世なんて興味もない。 私は修道院でこの楽園の中で過ごしたいだけ。 なのに… ❈ 作者独自の世界観です。 ❈ 公爵令嬢の何度も繰り返す断罪の続編です。

ある公爵令嬢の死に様

鈴木 桜
恋愛
彼女は生まれた時から死ぬことが決まっていた。 まもなく迎える18歳の誕生日、国を守るために神にささげられる生贄となる。 だが、彼女は言った。 「私は、死にたくないの。 ──悪いけど、付き合ってもらうわよ」 かくして始まった、強引で無茶な逃亡劇。 生真面目な騎士と、死にたくない令嬢が、少しずつ心を通わせながら 自分たちの運命と世界の秘密に向き合っていく──。

何年も相手にしてくれなかったのに…今更迫られても困ります

Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のアンジュは、子供の頃から大好きだった幼馴染のデイビッドに5度目の婚約を申し込むものの、断られてしまう。さすがに5度目という事もあり、父親からも諦める様言われてしまった。 自分でも分かっている、もう潮時なのだと。そんな中父親から、留学の話を持ち掛けられた。環境を変えれば、気持ちも落ち着くのではないかと。 彼のいない場所に行けば、彼を忘れられるかもしれない。でも、王都から出た事のない自分が、誰も知らない異国でうまくやっていけるのか…そんな不安から、返事をする事が出来なかった。 そんな中、侯爵令嬢のラミネスから、自分とデイビッドは愛し合っている。彼が騎士団長になる事が決まった暁には、自分と婚約をする事が決まっていると聞かされたのだ。 大きなショックを受けたアンジュは、ついに留学をする事を決意。専属メイドのカリアを連れ、1人留学の先のミラージュ王国に向かったのだが…

全部私が悪いのです

久留茶
恋愛
ある出来事が原因でオーディール男爵家の長女ジュディス(20歳)の婚約者を横取りする形となってしまったオーディール男爵家の次女オフィーリア(18歳)。 姉の元婚約者である王国騎士団所属の色男エドガー・アーバン伯爵子息(22歳)は姉への気持ちが断ち切れず、彼女と別れる原因となったオフィーリアを結婚後も恨み続け、妻となったオフィーリアに対して辛く当たる日々が続いていた。 世間からも姉の婚約者を奪った『欲深いオフィーリア』と悪名を轟かせるオフィーリアに果たして幸せは訪れるのだろうか……。 *全18話完結となっています。 *大分イライラする場面が多いと思われますので苦手な方はご注意下さい。 *後半まで読んで頂ければ救いはあります(多分)。 *この作品は他誌にも掲載中です。

【完結】何もできない妻が愛する隻眼騎士のためにできること

大森 樹
恋愛
辺境伯の娘であるナディアは、幼い頃ドラゴンに襲われているところを騎士エドムンドに助けられた。 それから十年が経過し、成長したナディアは国王陛下からあるお願いをされる。その願いとは『エドムンドとの結婚』だった。 幼い頃から憧れていたエドムンドとの結婚は、ナディアにとって願ってもいないことだったが、その結婚は妻というよりは『世話係』のようなものだった。 誰よりも強い騎士団長だったエドムンドは、ある事件で左目を失ってから騎士をやめ、酒を浴びるほど飲み、自堕落な生活を送っているため今はもう英雄とは思えない姿になっていた。 貴族令嬢らしいことは何もできない仮の妻が、愛する隻眼騎士のためにできることはあるのか? 前向き一途な辺境伯令嬢×俺様で不器用な最強騎士の物語です。 ※いつもお読みいただきありがとうございます。中途半端なところで長期間投稿止まってしまい申し訳ありません。2025年10月6日〜投稿再開しております。

傷付いた騎士なんて要らないと妹は言った~残念ながら、変わってしまった関係は元には戻りません~

キョウキョウ
恋愛
ディアヌ・モリエールの妹であるエレーヌ・モリエールは、とてもワガママな性格だった。 両親もエレーヌの意見や行動を第一に優先して、姉であるディアヌのことは雑に扱った。 ある日、エレーヌの婚約者だったジョセフ・ラングロワという騎士が仕事中に大怪我を負った。 全身を包帯で巻き、1人では歩けないほどの重症だという。 エレーヌは婚約者であるジョセフのことを少しも心配せず、要らなくなったと姉のディアヌに看病を押し付けた。 ついでに、婚約関係まで押し付けようと両親に頼み込む。 こうして、出会うことになったディアヌとジョセフの物語。

処理中です...