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第1章
悪夢と記憶
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昼過ぎから空に雲がかかるようになり、太陽が翳り始めた頃にレイから野宿を提案された。
早朝に出立するための理由だと思っていたのだが、天候が崩れるのは本当だったらしい。
もちろんヴィオラに否やはない。雨の中強行して体調を崩しては元も子もないだろう。
(それにしても、レイさんって何でも出来るのね……)
雨を凌ぐのにちょうど良い洞穴を見つけると、手慣れた様子で火を起こし簡単な調理を始めた。ヴィオラがしたのは水汲みぐらいで、目が届く範囲にいないと危ないとレイと一緒だったのでお手伝いというのも烏滸がましいぐらいだ。
乾燥肉とついでに近くに生えていたキノコを入れたスープは塩と胡椒で味を調えた程度のシンプルな味付けだが、温かい食べ物に身体に染み渡る。固いパンと一緒に食べるとお腹いっぱいになったが、レイは足りるのだろうか。
だが訊ねたところでヴィオラは食べ物を持っていない。もっと言えばレイの食べ物を分けてもらっている立場で、そんなことを口に出すわけにはいかない。
「ごちそうさまでした。雨が降る前に片付けますね」
「こら、一人で行こうとするんじゃない。何のための護衛か分からないだろ」
護衛される意識が薄いと叱られる。耳が痛いのにじわりと喜びが滲む。心配してくれているのが伝わってくるからだ。
「ごめんなさい」
「すぐには慣れないかもしれないが、こういうのは意識することが大切だからな。深窓の令嬢になり切ったつもりで、俺を使えばいい」
少しだけおどけた口調にヴィオラはくすりと笑ってしまった。頼りになるだけでなく気遣い上手で面白いなんて、理想のお父さんだろう。
一緒に片付けを終えると、早めに就寝することになった。そこまで広い洞穴でもないのに入口側の雨が届かないぎりぎりの場所でレイは横になっている。護衛を務める以上、すぐに動ける場所にいる必要があると言っていたけれど、恐らくヴィオラを気遣ってくれたのだろう。
既に傷薬10本では到底釣り合わないほど、お世話になっている。じわりと湧きあがる後ろめたさに蓋をしたせいだろうか。
とても嫌な夢を見た。
子供用のベッドの上で、ふわふわと柔らかな巻き毛の女の子が指を吸いながら眠っていた。
そんな愛らしい様子にもっと近くで見たいと歩き出すが、何処かで懸命に引き留める声が聞こえてくる。近づいては駄目だと理解しているのに、ヴィオラの意思に反して足は止まらない。
(ミラだわ)
可愛くて大好きだったヴィオラの妹。側に寄ればまだ甘い赤ちゃんの匂いがする。そっと髪を撫でようとした時、不快な音が聞こえて咄嗟にミラを抱きしめた。
頭上を掠めたのはあり得ないほどの巨大な蜂で、おぞましさに鳥肌が立つ。それでもミラを護らなければと強く抱きしめるヴィオラをいつの間にか離れた場所で見ている自分がいた。
それならば今のヴィオラはヴィーなのだ。
(助けを呼ぶのよ、ヴィー!ミラを護るだけじゃ駄目なの!ヴィー、お願い)
必死に叫んでも声は届かず焦っていると、怒鳴り声が響く。
『何をしているんだ、ミラから離れろ!』
乱暴に引き剥がされて床に放り投げられる。どうしてとショックのあまり呆然としているヴィーの側に行き抱きしめたいのに、身体が動かない。
『……お父さん』
救いを求めるような小さなヴィーの声に、振り向いた父親は恐ろしい形相を浮かべていた。
『今まで面倒を見てやったのに、この恩知らずが!お前なんか――』
(駄目、止めて!言わないで!)
『お前なんか生まれてこなければ良かったのに』
「ヴィオ!」
はっと目を覚ますと、目の前にレイの顔があり身体が強張ったのは反射的なものだった。
「悪い。魘されていたようだから起こした。水、飲むか?」
そんなヴィオラの反応にも気を悪くした様子もなく気遣ってくれるので、余計に決まりが悪い。
「……いえ、大丈夫です。……起こしてしまってすみません」
「起きていたから気にしなくていいぞ。夜明けまでまだ時間がある。無理に眠る必要はないが休んでおいたほうがいい」
それだけ言って元の場所に戻り、レイはヴィオラに背を向けて横になった。ヴィオラも同じように身体を横たえたが、到底眠れる気はしない。
先ほどの悪夢はまだしっかりと覚えている。
蜂が巨大化していたこと除けば、多少の違いはあれど実際に起こった出来事だったからだ。
部屋に紛れ込んだ蜂から妹を護ろうとしたヴィーだったが、覆いかぶさっていたところを目撃した義母には幼い我が子を窒息させようとしているように見えたらしい。
半狂乱になった義母の声を聞きつけた父親は、義母の話を聞くなり否定するヴィーの言葉を遮り、酷い罵声を浴びせた。
そうしてショックを受けたヴィーが殴られる直前に入れ替わったのだ。
母と慕っていた相手と血の繋がりがないことをヴィーは知らなかった。
幼い頃から想いあっていた二人が、ヴィオラの父に一目惚れした裕福な商会の娘により仲を引き裂かれたことも、結婚生活が上手くいかず離婚する際にまだ赤子だったヴィオラを押し付けられたことも、ずっと父を忘れられずにいた義母が村に戻った父を温かく迎え入れたことも、何も知らなかったのだ。
二人の仲を引き裂いた女の子供であるヴィオラに複雑な想いを抱きつつも、子供に罪はないと言い聞かせていた両親にとって、ヴィオラの行動は裏切りでしかなかった。
(ヴィーは悪くないのに……)
辛い記憶は折に触れて浮かび上がっては、ヴィーを傷付けるのだ。
ただの夢で、ミラのことは決してヴィーのせいではないのだと心の中で告げながらぬいぐるみを抱きしめたが、ヴィーの声が返ってくることはなかった。
早朝に出立するための理由だと思っていたのだが、天候が崩れるのは本当だったらしい。
もちろんヴィオラに否やはない。雨の中強行して体調を崩しては元も子もないだろう。
(それにしても、レイさんって何でも出来るのね……)
雨を凌ぐのにちょうど良い洞穴を見つけると、手慣れた様子で火を起こし簡単な調理を始めた。ヴィオラがしたのは水汲みぐらいで、目が届く範囲にいないと危ないとレイと一緒だったのでお手伝いというのも烏滸がましいぐらいだ。
乾燥肉とついでに近くに生えていたキノコを入れたスープは塩と胡椒で味を調えた程度のシンプルな味付けだが、温かい食べ物に身体に染み渡る。固いパンと一緒に食べるとお腹いっぱいになったが、レイは足りるのだろうか。
だが訊ねたところでヴィオラは食べ物を持っていない。もっと言えばレイの食べ物を分けてもらっている立場で、そんなことを口に出すわけにはいかない。
「ごちそうさまでした。雨が降る前に片付けますね」
「こら、一人で行こうとするんじゃない。何のための護衛か分からないだろ」
護衛される意識が薄いと叱られる。耳が痛いのにじわりと喜びが滲む。心配してくれているのが伝わってくるからだ。
「ごめんなさい」
「すぐには慣れないかもしれないが、こういうのは意識することが大切だからな。深窓の令嬢になり切ったつもりで、俺を使えばいい」
少しだけおどけた口調にヴィオラはくすりと笑ってしまった。頼りになるだけでなく気遣い上手で面白いなんて、理想のお父さんだろう。
一緒に片付けを終えると、早めに就寝することになった。そこまで広い洞穴でもないのに入口側の雨が届かないぎりぎりの場所でレイは横になっている。護衛を務める以上、すぐに動ける場所にいる必要があると言っていたけれど、恐らくヴィオラを気遣ってくれたのだろう。
既に傷薬10本では到底釣り合わないほど、お世話になっている。じわりと湧きあがる後ろめたさに蓋をしたせいだろうか。
とても嫌な夢を見た。
子供用のベッドの上で、ふわふわと柔らかな巻き毛の女の子が指を吸いながら眠っていた。
そんな愛らしい様子にもっと近くで見たいと歩き出すが、何処かで懸命に引き留める声が聞こえてくる。近づいては駄目だと理解しているのに、ヴィオラの意思に反して足は止まらない。
(ミラだわ)
可愛くて大好きだったヴィオラの妹。側に寄ればまだ甘い赤ちゃんの匂いがする。そっと髪を撫でようとした時、不快な音が聞こえて咄嗟にミラを抱きしめた。
頭上を掠めたのはあり得ないほどの巨大な蜂で、おぞましさに鳥肌が立つ。それでもミラを護らなければと強く抱きしめるヴィオラをいつの間にか離れた場所で見ている自分がいた。
それならば今のヴィオラはヴィーなのだ。
(助けを呼ぶのよ、ヴィー!ミラを護るだけじゃ駄目なの!ヴィー、お願い)
必死に叫んでも声は届かず焦っていると、怒鳴り声が響く。
『何をしているんだ、ミラから離れろ!』
乱暴に引き剥がされて床に放り投げられる。どうしてとショックのあまり呆然としているヴィーの側に行き抱きしめたいのに、身体が動かない。
『……お父さん』
救いを求めるような小さなヴィーの声に、振り向いた父親は恐ろしい形相を浮かべていた。
『今まで面倒を見てやったのに、この恩知らずが!お前なんか――』
(駄目、止めて!言わないで!)
『お前なんか生まれてこなければ良かったのに』
「ヴィオ!」
はっと目を覚ますと、目の前にレイの顔があり身体が強張ったのは反射的なものだった。
「悪い。魘されていたようだから起こした。水、飲むか?」
そんなヴィオラの反応にも気を悪くした様子もなく気遣ってくれるので、余計に決まりが悪い。
「……いえ、大丈夫です。……起こしてしまってすみません」
「起きていたから気にしなくていいぞ。夜明けまでまだ時間がある。無理に眠る必要はないが休んでおいたほうがいい」
それだけ言って元の場所に戻り、レイはヴィオラに背を向けて横になった。ヴィオラも同じように身体を横たえたが、到底眠れる気はしない。
先ほどの悪夢はまだしっかりと覚えている。
蜂が巨大化していたこと除けば、多少の違いはあれど実際に起こった出来事だったからだ。
部屋に紛れ込んだ蜂から妹を護ろうとしたヴィーだったが、覆いかぶさっていたところを目撃した義母には幼い我が子を窒息させようとしているように見えたらしい。
半狂乱になった義母の声を聞きつけた父親は、義母の話を聞くなり否定するヴィーの言葉を遮り、酷い罵声を浴びせた。
そうしてショックを受けたヴィーが殴られる直前に入れ替わったのだ。
母と慕っていた相手と血の繋がりがないことをヴィーは知らなかった。
幼い頃から想いあっていた二人が、ヴィオラの父に一目惚れした裕福な商会の娘により仲を引き裂かれたことも、結婚生活が上手くいかず離婚する際にまだ赤子だったヴィオラを押し付けられたことも、ずっと父を忘れられずにいた義母が村に戻った父を温かく迎え入れたことも、何も知らなかったのだ。
二人の仲を引き裂いた女の子供であるヴィオラに複雑な想いを抱きつつも、子供に罪はないと言い聞かせていた両親にとって、ヴィオラの行動は裏切りでしかなかった。
(ヴィーは悪くないのに……)
辛い記憶は折に触れて浮かび上がっては、ヴィーを傷付けるのだ。
ただの夢で、ミラのことは決してヴィーのせいではないのだと心の中で告げながらぬいぐるみを抱きしめたが、ヴィーの声が返ってくることはなかった。
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