王子に求婚されましたが、貴方の番は私ではありません ~なりすまし少女の逃亡と葛藤~

浅海 景

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第1章

険しい道のり

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人が通らない山道は予想していた以上に険しかった。人が通らないので、生い茂った草をかき分けながら進んでいくしかない。
途中まで乗ってきた馬は山に入る前に解放した。移動用の馬だから人が誘導しなくても、勝手に街に戻るそうだ。

ついでにとばかりにレイは手の甲にナイフを滑らせ、鞍に血を擦り付けていた。
馬で移動していることは知られているだろうから、何かがあったと思わせることが出来ればその分狙われるリスクが減ると考えてのことらしいが、心臓に悪いので止めて欲しい。

(だけど、そういうことなのよね)

王太子の番であるヴィオラの命を最優先に、レイは行動している。だからもし襲撃に遭った際には、命懸けでヴィオラを護ろうとしてくれるということだ。
罪悪感と居たたまれなさはどうしようもないが、一旦脇に置いておくしかない。

たとえヴィオラが番であることを受け入れられてなくても、カイルに好意を返せるか分からなくても、今は無事にルストールに辿り着くことだけを考えるべきだ。

本当は色々考えないといけないことはたくさんある。当初の予定ではルストールで身を潜めながら働くつもりだったが、果たしてそれが可能なのか。ルストールに到着後、レイはどうするつもりなのか。身の安全を理由にロドリニア国に連れて行かれはしないか。

だが整備されていない道で考え事をしながら歩けば、思わぬ事故に繋がりかねない。
ただでさえ体力が劣るのに、レイに迷惑を掛けるわけにはいかないとなるべく頭を空っぽにして先導するレイの背中と足元だけを見ながら歩く。

「レイさん、ごめん。ちょっとだけ待って」

足を止めたレイにヴィオラは急いで木陰に生えていた薬草を引き抜いた。根っこは解熱作用があり、葉には化膿止めの効果がある。

「レイさん、これ薬草だから」

千切った葉っぱを傷に当てて邪魔にならないよう包帯を巻く。傷薬よりも効果は劣るが、何もしないよりましだ。渡していた傷薬はこんな小さな怪我に使うのはもったいないと使ってくれなかったのだ。

「ヴィオは、目が良いな。ありがとな」

レイに褒められるのはくすぐったくて、何だかそわそわしてしまう。師匠は優しかったけれど、ストレートに相手を褒めるような人ではなかった。
薬師だから当然、ではなくヴィオラ自身を認めてくれるような言動が嬉しい。

適度に休憩を挟みながら移動しているうちに、陽が傾き始めた。毎回都合よく洞穴のような雨風を凌げる場所はないが、天候に問題はない。大きな木の下で野宿をすることになった。
水は途中で確保していたので、夕食の足しになりそうな果実を二人で集める。

「疲れた時には甘いものが一番だ」

つまみ食いをしながらも朝食分まで集めて、戻りかけた時のことだった。一歩前を歩いていたレイが無言で止まるよう合図した。

「誰かいる。このまま身を潜めたほうがいいだろう」

慎重に振り返ったレイから耳元で囁かれた言葉に、ヴィオラはすぐに返事をすることが出来なかった。
置いてきた荷物はどうするのか。
無言の問いかけは伝わったようで、レイは声を潜めて言った。

「残念だが荷物は諦めるしかない。相手の人数が分からないが、単独ではなさそうだ」

レイの言葉は正しい。護られる立場のヴィオラは黙って従うべきなのは分かっている。

(だけど……)

荷物の中にはヴィーの大切なぬいぐるみが入っている。ぬいぐるみがなくてもヴィーと会話が出来なくなるわけじゃない。そう言い聞かせるのに、不安は去ってくれない。

「ヴィオ、そこの木陰に隠れて待ってろ。勝手に動くなよ」
「あ……」

呼び止める間もなく、レイは器用に足音を消して去っていった。
明らかにヴィオラのせいだ。

レイを危険に晒してしまったという罪悪感と、それでもぬいぐるみを諦められない利己的な気持ちがせめぎ合う。
待っていることしか出来ない自分がもどかしい。
しばらくして近くでかさりという草を掻きわける音がして、顔を上げると見知らぬ男と目が合った。

「っ……!」
「何でこんなところにガキが……?その髪と目の色、お前懸賞金にの女か?!」

平民には珍しい瞳の色で、あっさりとバレてしまった。驚いた男の表情がにやりと嫌な笑顔に変わる。

「面倒な奴を撒くために山に入ったが、運が向いてきたようだ。大人しくしてれば命までは取らねえよ」

逃げ出そうと立ち上がりかけて、レイの忠告を思い出す。抵抗すれば平気で殺される可能性がある。

「とりあえず逃げ出さないよう保険を掛けとくか」

男の取り出した短刀を見て、身体が竦む。足に怪我をさせて逃亡防止を図るつもりなのだ。

(殺されるよりは足を傷付けられるほうがまし?どっちも嫌よ)

男に悟られないようこっそりとポケットに手を入れる。手の平サイズのガラス瓶の中身は、毒にしては弱いが顔に目や口などに触れれば、それなりに痛みを伴う。
ヴィオラがガラス瓶を握り締めた時、視界の隅に何かが映った。

「……うっ!」

鈍い音と共に男が崩れ落ちる。

「ヴィオ、無事だな?」

剣を握り締めたレイにヴィオラは無言で頷いた。安心したせいか今更恐怖がぶり返して、身体が震える。
そんなヴィオラの様子に気づいたレイは上手く力が入らない身体を支えて起こしてくれた。

「ヴィオ、悪いがすぐに移動する必要がある。歩けるか?」

手渡された鞄を背負いながら、ヴィオラは頷く。謝罪もお礼も言いたいけれど、それは今じゃない。
薄暗い山の中を二人で足早に進む。
時折遠くで声が聞こえて、追われているのだと分かる。相手は一人二人ではないらしい。焦燥感に縺れそうになる足を必死で動かす。

「ヴィオ、滑りやすくなってるから――」

レイがそう教えてくれたのに、大きく踏み出した足がつるりと滑った。

「ヴィオ!」

切迫した声と同時に腕を伸ばされたが、疲れ切った身体は言うことを聞かない。足を踏み外したヴィオラは吸い込まれるように落下していった。
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