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第1章
後悔と罪悪感
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背中に当たる衝撃に息が詰まりそうになるが、落下感は止まらない。視界に揺れる木々が目に入ったかと思うと、ガサガサと大きな音に反射的に目を閉じる。顔や体に何かがぶつかり、どすんという固い感触でようやく身体が止まった。
心臓がばくばくと音を立てていて、ヴィオラはしばらく動けずにいた。そっと目を開けると大きく揺れる木々とそこから差し込むほのかな明かりの向こうに崖が見えた。思いの外高くはないが、それでも2階か3階の建物ぐらいの高さはある。
恐る恐る身体を動かすが、大きな痛みはなく擦り傷とぶつけた場所が痛むぐらいだ。途中でぶつかった木々と背中のリュックがクッションになってくれたのだろう。
ほっとすると同時にぞっとした。中にはぬいぐるみが入っているのだ。
慌てて鞄を開けて覗き込んだ途端に、ひゅっと喉が鳴った。
お腹が裂けて綿が出てきており、つぶらな瞳が取れかけている。まるでヴィオラの身代わりになったかのような有様に息が出来ない。
「……ヴィー……っ、ヴィー、返事して!」
思わず叫んだ声は、しんと静まり返った森の中に吸い込まれていき、何も返ってこない。この子はヴィーじゃない。それなのにどうしてヴィーは返事をしてくれないのだろう。
「……ヴィー」
無残な姿のぬいぐるみに触れることもできず、ヴィオラは呆然とその場にへたり込んでしまった。
『待ってろ!助けに行くから』
落下していくヴィオラにレイはそう言ってくれた。だから呆けている場合ではなく、身を潜めて救助を待たなくてはいけないのに、身体に力が入らない。
(……私、何してるんだろう……)
ヴィーを幸せにするどころか危険な目に遭わせてばかりだ。もしかしたらヴィーはもう戻ってこないのかもしれない。
『お前のそういうとこ、本当鬱陶しかった』
『偽善者っぽいっていうか、何か独り善がりよね』
自分の名前すら憶えていないのに、どうして他人から投げつけられた言葉はこんなに鮮明に残っているのだろう。
酷いと思った。だけどそうなのかもしれないと思ってしまったから、自分がどうしていいか分からなくなった。
お酒に逃げて、ヴィーの身体に逃げて、そうしてずっと逃げ続けている。
(本当にヴィーのためを思うなら、さっさと消えてしまえばよかったんだ……)
ヴィーを護ろうとしたのは、自分が存在することへの正当化のため。ヴィーを甘やかしている態で、自分こそがヴィーに甘えていたのだ。
ヴィーが表に出ようとしないのはヴィオのためだった。
(ヴィー、いなくなってないよね?眠っているだけだよね?)
以前は確信できていたことが、もう分からない。ヴィーの返事がなかったらと思うと怖くて、口にすることも出来ない自分の臆病さが嫌になる。
(もしもこのままヴィーが消えてしまったのなら、私はもう――)
ふわりと柔らかな手に頭を撫でられた気がした。顔を上げても誰もいない。気のせいだろうかと思いながらも顔を伏せれば、また優しい手が頭を撫でてくれるような気がして、ヴィオラは眠りへと落ちていった。
『ヴィオ』
意識が途切れる直前に、ヴィーの声が聞こえた気がしたが、それもまたヴィオラの願望による幻聴だったのかもしれない。
ひんやりとした空気で目が覚めた。朝の空気と夜が明ける前の緩やかに広がっていく明るさに少しだけ気持ちが浮上する。
自己嫌悪はどうしようもないが、助けようとしてくれる人がいるのだから自暴自棄にはなれない。
ぼんやりしていると風や森の生き物が立てる音とは違う、足音が聞こえてきてヴィオラは身体を強張らせた。茂みの近くに身を潜めているが、上手く隠れられているのか分からない。かといってこのまま逃げようとすれば、こちらの位置を悟られてしまうかもしれない。
レイから渡された笛を手の平に握りしめて、すぐに吹けるように準備する。助けに行くと言ってくれたのだから、すぐ側にいるのなら笛の音が合図になる。
落下した時とはまた違う恐怖に、心臓の音がうるさい。
「ヴィオ……?」
小さな呼びかけに心の底から安堵して、ヴィオラは身体を起こした。レイの顔を見た途端に泣きたくなったが、レイは痛ましいものを見るかのように顔を歪めて駆け寄ってくる。
「ヴィオ、済まん。この責任は必ず取るから」
罪悪感に塗れた声に驚きながら、目を瞠っているうちに傷薬を浸した布をこめかみ辺りに押し当てられる。つきりと小さな痛みが走り、ようやく怪我をしていたことに気づく。軽度な痛みのためそこまで深くはないはずだが、出血した血が固まって悲惨な状態になっているのかもしれない。
「っ、レイさん!私よりも自分に使って!」
よくよく見れば服のあちこちに血痕が飛び散っているし、腕に裂傷も負っている。悠長に手当てをされている場合ではなかった。
「ほとんど返り血だ。この程度の怪我は放っといても治る」
「駄目!ちゃんと消毒しないと雑菌が入って感染症にかかるかもしれない。……レイさんにもしものことがあったら――」
まずい、と思う前に涙がこぼれた。泣いちゃ駄目だと思うのに、最悪の想像をしただけで一気に許容量を超えてしまったらしい。
「……薬師であるヴィオの前で軽率は発言だった。ちゃんと自分の傷にも薬を使うから、泣かないでくれ」
レイは優しい。だけどヴィオラに優しくしてくれる人はみんないなくなってしまう。師匠も、ヴィーも、ヴィオラに関わったせいで不幸になってしまったのではないだろうか。
だけどそれを口にしてしまえば、同情を引こうとしているようで、ヴィオラは心の中で謝り続ける事しか出来なかった。
心臓がばくばくと音を立てていて、ヴィオラはしばらく動けずにいた。そっと目を開けると大きく揺れる木々とそこから差し込むほのかな明かりの向こうに崖が見えた。思いの外高くはないが、それでも2階か3階の建物ぐらいの高さはある。
恐る恐る身体を動かすが、大きな痛みはなく擦り傷とぶつけた場所が痛むぐらいだ。途中でぶつかった木々と背中のリュックがクッションになってくれたのだろう。
ほっとすると同時にぞっとした。中にはぬいぐるみが入っているのだ。
慌てて鞄を開けて覗き込んだ途端に、ひゅっと喉が鳴った。
お腹が裂けて綿が出てきており、つぶらな瞳が取れかけている。まるでヴィオラの身代わりになったかのような有様に息が出来ない。
「……ヴィー……っ、ヴィー、返事して!」
思わず叫んだ声は、しんと静まり返った森の中に吸い込まれていき、何も返ってこない。この子はヴィーじゃない。それなのにどうしてヴィーは返事をしてくれないのだろう。
「……ヴィー」
無残な姿のぬいぐるみに触れることもできず、ヴィオラは呆然とその場にへたり込んでしまった。
『待ってろ!助けに行くから』
落下していくヴィオラにレイはそう言ってくれた。だから呆けている場合ではなく、身を潜めて救助を待たなくてはいけないのに、身体に力が入らない。
(……私、何してるんだろう……)
ヴィーを幸せにするどころか危険な目に遭わせてばかりだ。もしかしたらヴィーはもう戻ってこないのかもしれない。
『お前のそういうとこ、本当鬱陶しかった』
『偽善者っぽいっていうか、何か独り善がりよね』
自分の名前すら憶えていないのに、どうして他人から投げつけられた言葉はこんなに鮮明に残っているのだろう。
酷いと思った。だけどそうなのかもしれないと思ってしまったから、自分がどうしていいか分からなくなった。
お酒に逃げて、ヴィーの身体に逃げて、そうしてずっと逃げ続けている。
(本当にヴィーのためを思うなら、さっさと消えてしまえばよかったんだ……)
ヴィーを護ろうとしたのは、自分が存在することへの正当化のため。ヴィーを甘やかしている態で、自分こそがヴィーに甘えていたのだ。
ヴィーが表に出ようとしないのはヴィオのためだった。
(ヴィー、いなくなってないよね?眠っているだけだよね?)
以前は確信できていたことが、もう分からない。ヴィーの返事がなかったらと思うと怖くて、口にすることも出来ない自分の臆病さが嫌になる。
(もしもこのままヴィーが消えてしまったのなら、私はもう――)
ふわりと柔らかな手に頭を撫でられた気がした。顔を上げても誰もいない。気のせいだろうかと思いながらも顔を伏せれば、また優しい手が頭を撫でてくれるような気がして、ヴィオラは眠りへと落ちていった。
『ヴィオ』
意識が途切れる直前に、ヴィーの声が聞こえた気がしたが、それもまたヴィオラの願望による幻聴だったのかもしれない。
ひんやりとした空気で目が覚めた。朝の空気と夜が明ける前の緩やかに広がっていく明るさに少しだけ気持ちが浮上する。
自己嫌悪はどうしようもないが、助けようとしてくれる人がいるのだから自暴自棄にはなれない。
ぼんやりしていると風や森の生き物が立てる音とは違う、足音が聞こえてきてヴィオラは身体を強張らせた。茂みの近くに身を潜めているが、上手く隠れられているのか分からない。かといってこのまま逃げようとすれば、こちらの位置を悟られてしまうかもしれない。
レイから渡された笛を手の平に握りしめて、すぐに吹けるように準備する。助けに行くと言ってくれたのだから、すぐ側にいるのなら笛の音が合図になる。
落下した時とはまた違う恐怖に、心臓の音がうるさい。
「ヴィオ……?」
小さな呼びかけに心の底から安堵して、ヴィオラは身体を起こした。レイの顔を見た途端に泣きたくなったが、レイは痛ましいものを見るかのように顔を歪めて駆け寄ってくる。
「ヴィオ、済まん。この責任は必ず取るから」
罪悪感に塗れた声に驚きながら、目を瞠っているうちに傷薬を浸した布をこめかみ辺りに押し当てられる。つきりと小さな痛みが走り、ようやく怪我をしていたことに気づく。軽度な痛みのためそこまで深くはないはずだが、出血した血が固まって悲惨な状態になっているのかもしれない。
「っ、レイさん!私よりも自分に使って!」
よくよく見れば服のあちこちに血痕が飛び散っているし、腕に裂傷も負っている。悠長に手当てをされている場合ではなかった。
「ほとんど返り血だ。この程度の怪我は放っといても治る」
「駄目!ちゃんと消毒しないと雑菌が入って感染症にかかるかもしれない。……レイさんにもしものことがあったら――」
まずい、と思う前に涙がこぼれた。泣いちゃ駄目だと思うのに、最悪の想像をしただけで一気に許容量を超えてしまったらしい。
「……薬師であるヴィオの前で軽率は発言だった。ちゃんと自分の傷にも薬を使うから、泣かないでくれ」
レイは優しい。だけどヴィオラに優しくしてくれる人はみんないなくなってしまう。師匠も、ヴィーも、ヴィオラに関わったせいで不幸になってしまったのではないだろうか。
だけどそれを口にしてしまえば、同情を引こうとしているようで、ヴィオラは心の中で謝り続ける事しか出来なかった。
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