引きこもり少女、御子になる~お世話係は過保護な王子様~

浅海 景

文字の大きさ
1 / 56

砕け散った日常

しおりを挟む
群青の空が少しずつ薄まって、朝が近づいてくるのが分かる。
このまま夜が明けなければいいのに。


階下から聞こえる生活音を聞きながら、透花はベッドの中に潜り込んでいた。

(今日は大丈夫な日だと思うけど……)

気まぐれな姉の菜々花は透花が油断した時に限って、予想外の行動を取る。軽やかに階段を駆け上がる音がして身を固くするが、そのまま隣の部屋へと入っていく。ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、ノックもなく乱暴に扉が開いて驚きと不安に声が漏れそうになるのを必死で抑えた。

「ちょっと、私のお気に入りのハンカチはどこにやったのよ!」

最近の菜々花のお気に入りはどれだっただろうか。気分によってお気に入りが変わるため必死に思い出していると、お腹の辺りに鈍い衝撃が走る。
布団越しなのでそこまで痛みを感じなかったが、両腕で頭をカバーしていて無防備な状態になっていたせいで、息が詰まり咳き込んでしまう。

「もう、遅れちゃうじゃない。本当にグズなんだから」

本当に時間がなかったようで、菜々花はさっさと部屋から出て行った。それでも家の中から人の気配が完全になくなるのを、透花はそのままの状態で待ち続けた。


手早く身体を洗い、洗濯機を回す。僅かに残った朝食の残りを食べて、後片付けと部屋の掃除を終えれば、もう正午に近い。

夕食の支度を終えれば、あとは洗濯物を取り込むだけだ。その間の時間は透花にとって誰にも邪魔されない自由時間で、タブレットで本を読むことが透花の楽しみになっている。

キッチンを片付けて部屋に戻ろうとする前に、玄関の鍵を開ける音がして透花はその場に固まってしまった。
聞こえてくる声から菜々花だと分かったが、どうやら他にも人がいるようで、いつもなら部屋に直行するのに何故かこちらに向かってきた。

「……何でいるのよ」

低い呟き声に菜々花が苛立っているのが分かる。それでもいつものように不平不満が続かないのは、リビングに菜々花の知人がいるからだろう。

「菜々、どしたの?」

伏せた視界に、菜々花の背後から現れた人物の足が見える。その声からも分かったが、菜々花の友人は男性だった。

「何でもないよ。先に部屋に行ってて」
「了解。その子、奈々の妹?何か目が悪いんだっけ?」

他意のなさそうな口調だが、それでも気にしているところを口にされて透花は肩を震わせてしまった。好奇の視線が注がれているのが分かり、顔を上げることも逃げ出すことも出来ない。

「気にしなくていいから。ほら、部屋に行こ?」

甘えるような口調はどこか媚びるような響きがあり、二人は身体をくっつけるようにしてリビングから出て行った。

菜々花の部屋の扉が閉まる音がして、ようやく透花は顔を上げた。久しぶりに他人に会ったせいか背中に嫌な汗が伝い、胸が締め付けられるように苦しい。

(部屋に、戻らなきゃ)

音を立てないよう慎重に階段を上り静かに扉を閉めると、安堵のため息が漏れた。
後で菜々花から怒られるのは確定だが、これ以上機嫌を損ねないよう大人しくしておこう。

(洗濯物どうしよう……。お母さんが帰ってくる前に取り込めるかな)

ふと悲鳴のような声が聞こえた気がした。
透花は壁に近づき耳をすませて、すぐにひっくり返りそうな勢いで後退することになる。

(……あの人、菜々花の彼氏だったんだ)

甲高い嬌声やベッドの軋む音が生々しく、その手の知識に疎い透花でも何が行われているのか察した。
反対側の壁に背中を付けて距離を置いても時折響く物音やなまめかしい声に、透花は耳を塞いで時が過ぎるのを待つことしか出来なかった。


「盗み聞きしてたんでしょう、この変態」

相手が帰った途端に菜々花は透花の部屋を訪れ、どこか勝ち誇ったように言った。聞くつもりはなくても聞いてしまったのは事実だからと、透花は否定も出来ずに目を伏せる。

「誰にも愛されないあんたには一生縁がないことよね」

嬉しそうに告げる言葉に傷つかなくなったのはいつからだろうか。そんなことをぼんやり考えて気づくのが一瞬遅れてしまった。
ネイルを施した爪が頬に食い込み鋭い痛みが走る。顔を上向きに持ち上げられると、嫌悪に満ちた菜々花の瞳と目が合った。

「本当に気持ち悪い目。血が繋がっているだけでも嫌なのに、双子の妹だなんて最悪だわ」

嫌なら見なければいいのに、菜々花は時折こういうことをする。改めて言われなくても分かっているし、透花だってこの目が嫌いだった。

赤みがかった茶色と薄い青色は両親とも双子の姉とも異なる色だ。左右で色が違うことも奇異の目で見られる要因で、両親は物心ついたときには姉の菜々花ばかり可愛がっていた記憶がある。

幼い頃から注目されることで、他人の視線が怖くなった透花には友人もいない。前髪を伸ばしても隙間から見える瞳の色は隠しようもなく、透花は中学二年生の頃不登校になり、中学校を何とか卒業した後は、働きもせず部屋に引き篭もっている。

(いつまでもこのままではいられない……)

それでも成人するまではこのままでいられるのではないかと甘い希望を抱いていた透花だったが、そんな生活が終わりを告げたのは十日後のことだった。


「へえ、本当に目の色が違うんだな」

突然部屋に入ってきたのは菜々花の彼氏で、透花は文字通り固まってしまった。
じろじろと全身を確認するかのような視線が嫌で、そばにあったクッションを抱きしめ顔と上半身部分を隠す。

「菜々と双子ってことは十七歳なんだよな。ちょっと芋っぽいけど、まあ悪くないか。やってる時にはその目がどんな風に見えるのか興味あるし」

言葉を完全に理解する前にぞわりと肌が粟立つ。逃げようにもドアの方に男が立っていて、すり抜ける前に捕まってしまうだろう。

「菜々は今シャワー浴びてるから、大丈夫。抵抗しないなら優しくしてあげるけど」

優しくても好きでもない人に、ましてや菜々花の彼氏に抱かれたいとは思わない。震えそうな足に力を入れて、どうやったら逃げられるか必死に考えようとするが、距離を詰めてきた男に腕を取られ、ベッドに転がされる。

「や、やめてください」
「はは、やべえ。何か逆に興奮するな」

恐怖を押し殺して何とか言葉にしたが、男はにやにやとした笑いを浮かべるばかりだ。
握りしめていたはずのクッションもあっさりと引き剥がされ、放りだされると男がのしかかってくる。
トレーナーの裾を持ちあげられそうになった時、冷ややかな声が落ちた。

「――何、やってんの」
「あ、いや、これは違くて」

狼狽したように起き上がった男は、菜々花の鋭く嫌悪のこもった目つきに言葉を失ったようだ。

「出てってくれる?今すぐに」

男は慌てて部屋から出て行き、菜々花もその後に続く。非難されることを覚悟していた透花は拍子抜けした気分になりながらも、菜々花が来てくれたことに感謝していた。
だが荒々しい音を立てて扉が開いたのは、それから二時間後のことだった。

痛みよりも熱さと痺れに頬がじんじんする。久しぶりに会った父は鬼のような形相で、透花を殴っている。身体を丸めて咄嗟に頭やお腹を守るのは本能的なものだろう。
痛みに慣れると父の言葉もだんだん理解できるようになった。

「この恥知らずがっ!菜々花に、悪いと思わないのか!」

きっと菜々花から、彼氏を奪われたとでも泣きつかれたのだろう。父は透花を自分の子だと信じておらず、不貞を疑われた母は幼い頃は庇ってくれたものの、いつの間にか透花の存在を疎むようになった。
今も透花が殴られているのを知っていても、見て見ぬふりをしている。

「――っ!」

首に強い力が掛かり、思わず目を開けると忌々しいとばかりに舌打ちされた。力が緩み酸素を吸い込もうとするのに、上手くいかずに噎せながら喘ぐ透花に父が何か言っているようだが聞こえない。
息が整った頃には父は気が済んだのか透花の部屋から消えていた。

「あんなに泣いて訴えたのに、これぐらいで済ませちゃうのね」

痛みに耐えながら起き上がりかけた透花の耳に、ひどく残念そうな菜々花の声が響いた。

「引きこもりの役立たずが私の彼氏を寝取ったって言ったのに、お父さんったら意外と透花に甘いのかしら?」

息を吸うだけでも身体が痛むのに、これで甘いと思える菜々花の基準が分からない。でも確かに首を絞められた時は殺されるかと思ったが、幸か不幸か透花は生きている。

そんな透花の内心を読み取ったかのように、菜々花が静かに言った。

「どうしてまだいるの?あんたがいることで皆が不幸になるのに」

ふと菜々花の視線が窓際のスノードームに止まり、透花は息を呑んだ。十年前、最後のクリスマスプレゼントとしてもらった夜空のスノードームを出しっぱなしにしていたことを後悔したがもう遅い。

(お願いだから、それだけは手を出さないで)

小さなスノードームを手の中で転がすたびに、落とさないかとひやりとしながら見守っていると、菜々花は透花に視線を向けてスノードームを放り投げた。

受け止めようと手を伸ばすが、菜々花に思い切り突き飛ばされて為すすべもなく透花は後ろに倒れていく。
がつん、と鈍い音が聞こえたと同時に頭に衝撃が走る。

痛みとともに生温かいものが頬を伝っていく。恐らくベッドのヘッドボードの角で頭をぶつけたのだろう。先ほどの鈍い音はそのせいなのか、スノードームが床にぶつかった音だったのか。

スノードームが無事か確かめたかったのに、透花の意識は引きずられるように闇へと落ちていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

差し出された毒杯

しろねこ。
恋愛
深い森の中。 一人のお姫様が王妃より毒杯を授けられる。 「あなたのその表情が見たかった」 毒を飲んだことにより、少女の顔は苦悶に満ちた表情となる。 王妃は少女の美しさが妬ましかった。 そこで命を落としたとされる少女を助けるは一人の王子。 スラリとした体型の美しい王子、ではなく、体格の良い少し脳筋気味な王子。 お供をするは、吊り目で小柄な見た目も中身も猫のように気まぐれな従者。 か○みよ、○がみ…ではないけれど、毒と美しさに翻弄される女性と立ち向かうお姫様なお話。 ハピエン大好き、自己満、ご都合主義な作者による作品です。 同名キャラで複数の作品を書いています。 立場やシチュエーションがちょっと違ったり、サブキャラがメインとなるストーリーをなどを書いています。 ところどころリンクもしています。 ※小説家になろうさん、カクヨムさんでも投稿しています!

ざまぁに失敗したけど辺境伯に溺愛されています

木漏れ日
恋愛
天才魔術師セディが自分の番である『異界渡りの姫』を召喚したとき、16歳の少女奈緒はそれに巻き込まれて、壁外という身分を持たない人々が住む場所に落ちました。 少女は自分を異世界トリップに巻き込んだ『異界渡り姫』に復讐しようとして失敗。なぜかロビン辺境伯は少女も『異界渡りの姫』だと言って溺愛するのですが…… 陰陽の姫シリーズ『図書館の幽霊って私のことですか?』と連動しています。 どちらからお読み頂いても話は通じます。

逆行したので運命を変えようとしたら、全ておばあさまの掌の上でした

ひとみん
恋愛
夫に殺されたはずなのに、目覚めれば五才に戻っていた。同じ運命は嫌だと、足掻きはじめるクロエ。 なんとか前に死んだ年齢を超えられたけど、実は何やら祖母が裏で色々動いていたらしい。 ザル設定のご都合主義です。 最初はほぼ状況説明的文章です・・・

姉に代わって立派に息子を育てます! 前日譚

mio
恋愛
ウェルカ・ティー・バーセリクは侯爵家の二女であるが、母亡き後に侯爵家に嫁いできた義母、転がり込んできた義妹に姉と共に邪魔者扱いされていた。 王家へと嫁ぐ姉について王都に移住したウェルカは侯爵家から離れて、実母の実家へと身を寄せることになった。姉が嫁ぐ中、学園に通いながらウェルカは自分の才能を伸ばしていく。 数年後、多少の問題を抱えつつ姉は懐妊。しかし、出産と同時にその命は尽きてしまう。そして残された息子をウェルカは姉に代わって育てる決意をした。そのためにはなんとしても王宮での地位を確立しなければ! 自分でも考えていたよりだいぶ話数が伸びてしまったため、こちらを姉が子を産むまでの前日譚として本編は別に作っていきたいと思います。申し訳ございません。

虐げられ続けてきたお嬢様、全てを踏み台に幸せになることにしました。

ラディ
恋愛
 一つ違いの姉と比べられる為に、愚かであることを強制され矯正されて育った妹。  家族からだけではなく、侍女や使用人からも虐げられ弄ばれ続けてきた。  劣悪こそが彼女と標準となっていたある日。  一人の男が現れる。  彼女の人生は彼の登場により一変する。  この機を逃さぬよう、彼女は。  幸せになることに、決めた。 ■完結しました! 現在はルビ振りを調整中です! ■第14回恋愛小説大賞99位でした! 応援ありがとうございました! ■感想や御要望などお気軽にどうぞ! ■エールやいいねも励みになります! ■こちらの他にいくつか話を書いてますのでよろしければ、登録コンテンツから是非に。 ※一部サブタイトルが文字化けで表示されているのは演出上の仕様です。お使いの端末、表示されているページは正常です。

バイトの時間なのでお先に失礼します!~普通科と特進科の相互理解~

スズキアカネ
恋愛
バイト三昧の変わり者な普通科の彼女と、美形・高身長・秀才の三拍子揃った特進科の彼。 何もかもが違う、相容れないはずの彼らの学園生活をハチャメチャに描いた和風青春現代ラブコメ。 ◇◆◇ 作品の転載転用は禁止です。著作権は放棄しておりません。 DO NOT REPOST.

薬師の能力を買われた嫁ぎ先は闇の仕事を請け負う一族でした

あねもね
恋愛
薬師として働くエリーゼ・バリエンホルムは貴族の娘。 しかし両親が亡くなって以降、叔父に家を追い出されていた。エリーゼは自分の生活と弟の学費を稼ぐために頑張っていたが、店の立ち退きを迫られる事態となる。同時期に、好意を寄せていたシメオン・ラウル・アランブール伯爵からプロポーズを申し込まれていたものの、その申し出を受けず、娼館に足を踏み入れることにした。 エリーゼが娼館にいることを知ったシメオンは、エリーゼを大金で身請けして屋敷に連れ帰る。けれどそこは闇の仕事を請け負う一族で、シメオンはエリーゼに毒薬作りを命じた。 薬師としての矜持を踏みにじられ、一度は泣き崩れたエリーゼだったが……。 ――私は私の信念で戦う。決して誰にも屈しない。

理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ
恋愛
月代結奈は、ある日突然、見知らぬ場所に立っていた。 そこで行われていたのは「正妃選びの儀」正妃に側室? 王太子はまったく好みじゃない。 彼女は「これは夢だ」と思い、とっとと「正妃」を辞退してその場から去る。 彼女が思いこんだ「夢設定」の流れの中、帰った屋敷は超アウェイ。 そんな中、現れたまさしく「理想の男性」なんと、それは彼女のお祖父さまだった! 彼女を正妃にするのを諦めない王太子と側近魔術師サイラスの企み。 そんな2人から彼女守ろうとする理想の男性、お祖父さま。 恋愛よりも家族愛を優先する彼女の日常に否応なく訪れる試練。 この世界で彼女がくだす決断と、肝心な恋愛の結末は?  ◇◇◇◇◇設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 R-Kingdom_1 他サイトでも掲載しています。

処理中です...