引きこもり少女、御子になる~お世話係は過保護な王子様~

浅海 景

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胸騒ぎ

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その日、透花は憂鬱な気分で目を覚ました。
覚醒すると同時に夢の内容は消え失せてしまったが、嫌な夢を見た後の嫌な気分だけは残っている。窓に打ち付ける雨風の音がどこか不穏な気配を帯びているようで、落ち着かない。

(……天気が悪いから嫌な夢を見たのかな)

カーテンをめくれば、薄暗い庭の中で風にあおられる木々が目に入るが、それ以外はいつもと変わらない。
こんなに悪天候なのはここに来て初めてだから不安に感じているのだろう。いまだに感じる胸騒ぎを透花はそう結論づけて身支度に取り掛かった。

「トーカ様、本日フィル様は急用のため朝食をご一緒できないとのことですが、午前中には一度こちらにいらっしゃるそうです」
「……そうなんだ」

フィルの不在を告げられて、ひどくがっかりしている自分がいた。普段なら気にならないことが妙に気になるのは、今朝見た夢のせいだろうか。

(覚えていないのに、ただの夢なのに変なの)

フィルが甘やかしてくれるからと言って、甘えすぎていたのかもしれない。ミレーの気遣わしげな視線に気づいて、透花は笑みを浮かべた。フィルがいなくても、ミレーが側にいてくれるのだから不安に思う必要なんてない。

「フィル殿下に何かお言伝てをいたしましょうか?」
「ううん、大丈夫。ありがとう」

ミレーの微笑みに胸の重苦しさが和らいでいくのを感じる。透花を大切にしてくれるのはフィルだけではない。

(でもミレーさんとフィーは少し違う……気がする)

フィルは最初から透花を気に掛けてくれていたが、今は御子だからという理由でないことは実感している。だけどそれは本当に恋愛感情なのだろうか。

「ミレーさん……フィル様に過去に好きな人がいたかどうか知ってる?」

訊ねたあとで不躾な質問だったと気づき、自分にそんな質問をする資格などあるのかと考え質問を取り消そうとしたが、ミレーが答えるほうが先だった。

「恋と呼べるほどではありませんが、私の知っている限りフィル殿下が特定の相手に心を寄せたのは、御子様だけですね」

それが自分でなく御子という存在という意味なのだと理解した透花は、その回答にほっとしたような、もやもやするような複雑な感情を抱いた。

(御子じゃなくてそんな人がいた場合、それを知ってどうするつもりだったんだろう……)

自問する透花をよそにミレーは説明を続けた。

「フィル殿下は幼い頃から聡明でお優しい方でしたよ。どうして女神様の愛し子は別の世界からいらっしゃるのかと訊ねられました。御子様はこの世界に来たら一人ぼっちになってしまうのにと」

家族も友人もいないこの世界を救うためにやってくる御子はどれだけ心細いだろうか。そんな当たり前のことに気づかなかった自分を、ミレーは恥ずかしく思ったそうだ。

「それからフィル殿下は御子様について熱心に学ぶようになりました。御子様が寂しくないように自分が側にいてお護りすれば、御子様も寂しくないしこの世界を好きになってくれるかもしれない。目を輝かせながらそう仰って、そのころから殿下は御子様にお会いすることを心待ちにしておられました」

自分と同じ立場ではあるが、それは透花自身とはまた別の存在だと透花は思っている。これまでの御子や一般的な存在としての御子について話されると、少し居心地が悪い。
そんな透花をミレーは優しい瞳で見つめながら言った。

「ですが、今のフィル殿下は御子様だからトーカ様に好意を抱いているわけではありません。初めてのことで随分余裕がないご様子ですし、空回りしている部分もおありかと思いますが、どうか大目に見て差し上げてくださいませ」

まるで迷惑を掛けられているかのような言い方だが、フィルからの好意をどう受け止めていいのか分からない透花を気遣ってくれたのだろう。

(フィーは特別な存在だし大切に想っているのは間違いない。私もフィーと同じ気持ちでいいのかな……)

そう考えた途端に心がそわそわして、鼓動も早くなった気がする。もしも透花が今考えていることをフィルに告げたら、何かが変わってしまうのだろうか。

「トーカ、遅くなってごめん」

ノックの音に気づかないくらい自分の考えに没頭していた透花が慌てて顔を上げると、どこか固い表情のフィルと目が合った。
忘れていたはずの不安が急速に膨らんでいくのを感じる。

「フィー、何かあったの?」
「……トーカには双子の姉上がいたのだよね?」

迷うように視線を彷徨わせたあと、慎重な口調で問い返された内容は予想外のもので透花はぎこちなく頷くが、頭の中に警告音が響いている。

「ザイフリート殿が保護した女性を連れて来ている。名前はナナカと言ってトーカの姉だと主張しているのだけど――」

フィルがまだ何かを告げているのに、透花の耳にはそれ以上入ってこなかった。

『やはり本物の御子様ではないのではありませんか?』

勝ち誇ったようなメリルの声が聞こえてくる。本物が現れたなら偽者はいらない。

「っ、トーカ!顔色が……横になったほうがいい。医者を――」
「大丈夫。でも少し一人になりたいの……ごめんなさい」

フィルの顔を見ることが出来ず顔を逸らしたまま告げれば、躊躇うような気配があった。だが透花がクッションを抱きしめて顔を伏せると、立ち上がり透花の頭を気遣うように撫でる。

「また後で会いに来るよ。トーカのことは僕が守るから心配しないで」

フィルはいつまでそう思ってくれるのだろうか。立ち去る足音を聞きながら、透花はそんなことを考えていた。
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