引きこもり少女、御子になる~お世話係は過保護な王子様~

浅海 景

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積み重ね

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「トーカ様、今日はもうお終いにしましょう」
「もう少しだけ……」

そう言いかけた透花だが、メグが泣きそうな顔で見ていることに気づいて言葉を切った。

「御子様の御力は精神状態にも左右されると聞いています。ここ最近は特に頑張っていらっしゃるから気づかないうちに疲れが溜まっているのかもしれませんね」

少し強張った笑みを浮かべているものの、透花を気遣ってくれていることが痛いほどに伝わってくる。

「どんなことでも構わないのですが、体調に変化はございませんか?」
「特にはありません」

いつもと変わらない口調のジョナスにどこか安堵を覚えながら、透花は首を振った。だがジョナスは目を細めて食い入るように透花の瞳を見つめている。

「魔力が足りておられないようですね。最初にお会いした時よりは悪くありませんが、しばらく訓練はお休みされたほうがよろしいでしょう」

ジョナスの言葉に透花の身体は強張った。少し前から感じていた焦燥感のようなものが強くなり、透花は居ても立っても居られない気持ちになってしまう。

「ジョナス先生、そこまでしなくても少し休めば大丈夫です」
「トーカ様の健康を優先するようフィル様から申し付かっておりますので」

フィルからの命令と聞いて、透花は説得を諦めた。ここで透花がごねればフィルに報告が上がるだろうし、そうすればきっと余計な負担を掛けてしまう。
菜々花が御子と認められて一週間ほど経つが、フィルが来たのは三日前の一度きりだ。笑顔を浮かべていたものの、その表情には陰りがあり疲れているようだった。

菜々花がフィルを透花から引き離そうとするだろうとは思っていた。フィルを気に入っているだけでなく、透花がフィルを頼りにしていることは菜々花の目にも明らかだっただろう。

(そう言えば昔からそうだった……)

一人でいる透花に話しかけてくれる優しい子たちがいると、そのたびに菜々花は彼女たちに話しかけて、透花から遠ざけてしまう。

(例外はあの子だけだった。……そういえば、菜々花はあの子にも話しかけていたのに、どうして私のそばにいてくれたんだろう……?)

何か大切なことを忘れている気がして、思考を辿りかけると部屋の外に人の気配を感じた。内容までははっきりと分からないが、複数の話し声が聞こえた気がする。
気になって扉を小さく開けた途端に、激昂したような声が耳に入ってきた。

「御子様を侮辱するつもりか!」

扉の前にはミレーの後ろ姿があり、声を荒げた男は騎士の恰好をしている。その背後には何人かの侍女と、不愉快そうにその様子を眺めている菜々花の姿があった。だがその目は透花を捉えた途端に、獲物を見つけた狩人のように爛々と輝く。

「あら、ちょうど良かったわ。透花に会いにきたのに追い返されてしまうところだったの。失礼な話よね」
「ですから、事前にお約束もなく訪れるのは――」
「御子様に直接お言葉を返すだけでなく、反論するなどどういう了見だ!」

先ほどから騎士とは思えないほどの恫喝を繰り返している男性が恐ろしかったが、ミレーはずっと透花のために必死で断ってくれていたのだろう。これ以上負担を掛けるわけにはいかないと、透花は震えそうになる身体に力を入れた。

「あなたこそ、どういう了見ですか。何の知らせもなくこちらに来たのはあなた方のほうです。彼女を責めるのは間違っています」

緊急の用件でなければ、手紙や使いを送って訪問の許可を取るのは貴族にとって常識である。急に押し掛けた非礼を詫びることもなく、責め立てるなどあってはならないことだ。

「姉妹なのにそんな他人行儀なこと……私はただ透花に会いたかっただけなのに」

沈んだ声で俯く菜々花に側にいた侍女たちが慌てたように菜々花を慰めている。

「お可哀そうに。ナナカ様の御気持ちを汲んでいただけないなんて」
「きっとナナカ様の立場を僻んでいらっしゃるのですわ」

密やかな声は聞こえよがしで、嫌がらせの手法はどこでも変わらないのだとどこか他人事のように透花は思った。

「この侍女がさっさと取り次げば済んだことです。さっさとどいてもらおう。御子様をこれ以上廊下でお待たせするわけにはいかない」
「私は許可していません。お引き取り下さい」

力づくでミレーを押しのけようとした騎士に、透花は思わず前に出て拒否した。さすがに自分に乱暴な真似をしないだろうという目算通りに、騎士の手が宙で止まるが忌々しそうに顔を歪めている。

「透花ったら、どうしてそんなに意地悪をするの?二人で少し話がしたいだけじゃない。ほら、透花の侍女も困っているわよ」

後ろを振り返ると固い表情を浮かべたままミレーは僅かに首を横に振った。いつの間にかミレーの横に移動した騎士が腰の左の位置――剣の鞘に右手を添えていて、透花は小さく息を呑んだ。

「ミレーさんに何もしないで」
「何のこと?あ、でも高貴な立場の人間に不敬を働いた使用人が罰を受けるのは仕方がないと思うの」

優越感を浮かべた菜々花の表情から、自分の要求を通すためにはミレーを傷付けることも躊躇しないだろうと察した。

「ミレーさん、お茶の準備をお願いします」
「トーカ様……承知いたしました」

ミレーの姿が十分に離れたことを確認して、透花は菜々花を部屋に招き入れた。騎士と侍女たちは部屋の外に待たせておくようで、菜々花と二人きりだ。

「ふうん、随分と分不相応な部屋を用意してもらっているのね」
「……何の用なの」

無遠慮な視線や感想を無視して、透花は短く尋ねた。

「本当、調子に乗り過ぎ。あんたのせいでお父さんは犯罪者扱いだし、お母さんもおかしくなっちゃったし、嫌な事ばっかりで最悪だったわ。それもこれもあんたが逃げ出したせいなのに、自分だけちゃっかり贅沢な暮らしを送ってるとかそんなの許されるはずないじゃない」

どこまでも自分勝手な主張に透花は唖然とした。そんな透花を馬鹿にしたようにくすりと笑うと、菜々花は滔々と語り続けた。

「大体あんた、自分が御子だなんて本当に思ってるの?たまたま過去にいた御子と外見が一緒だったぐらいで勘違いしちゃうなんて身の程知らずにも程があるわ。私がいるんだからもう必要ないわ。さっさと消えてよ」

ハウゼンヒルト神聖国に来たばかりだったら、菜々花の言葉に頷いていただろう。実際に透花も何度も疑ったし今だって力を上手く使えなくなったことに不甲斐なさを感じている。だが、そんな透花をフィルや周囲の人たちは見守って支えて続けてくれているのだ。

「菜々花が御子でも、私も御子だからそんなこと出来ないよ。御子が二人いるのならそれだけの理由があるはずだし、せめて浄化が終わるまではここにいるから」

すっと菜々花が表情を消す。菜々花の逆鱗に触れた時の合図に、透花は身構えた。

「あんたに関わるとみんな不幸になるのによくそんなこと言えるわね!あんたごときがフィル様やザイフリート様が本気で好きになるとでも思ってるの?本物の御子は私なんだから、偽者が勝てるわけないじゃない。あんたは誰にも愛されない存在なんだから!」

(だったら何故そんなに菜々花は必死なの……?)

勝ち誇るというよりも優位に立とうと躍起になっている風に見えるのは、それが真実ではないからではないか。貶め傷付けて透花を支配しようとする菜々花に昔はあんなに怯えていたのに、今の自分はあまり動揺していない。

『御子だからじゃなくトーカが好きなんだ』
『怖いことからは僕が護るよ』

フィルの惜しみない言葉と愛情が積み重なって、透花の心を満たしているからだ。側にいなくても護ってくれていることに、じわじわと喜びが押し寄せる。

「何、にやにやしてんのよ、気持ち悪い!」

感情を表に出さないようにぐっと唇を噛みしめたが、口の端が上がるのを抑えられなかったらしい。詰め寄った菜々花が手を振り上げたのを見て、透花は冷静に後ろに下がった。
対象を失った菜々花は重心を崩して、前に倒れ込むと同時に扉が開く。

「何をしているのですか!」

焦ったような声でフィルが駆け付けて来た。透花を見て安堵の表情を一瞬だけ浮かべ、それから菜々花に視線を向ける。

「フィル様、透花が私を突き飛ばして――」

上半身を起こしてフィルに縋る菜々花に、フィルは困ったような笑みを浮かべる。

「自分のほうに突き飛ばすのはかなり特殊な方法だと思うのですが、どうしたらそのようなことになるのでしょうか?」

扉を開けた時点で菜々花が後方ではなく、前方に倒れ込んでいたのだから流石にその言い訳には無理がある。だが菜々花はそれには答えず、起き上がるために差し出したフィルの腕に両手でしがみ付いた。

「フィル様、怖かったです!」

密着する二人の姿に、先程は何も感じなかった心がぐらりと揺れる。フィルは一定の距離を保とうとしており、菜々花が一方的にそうしているだけだ。

(それでも嫌な気持ちになるなんて、やっぱり私はフィーのことが……)

そんな透花の思考はフィルの声で破られた。

「トーカ様、この度は私の監督不行き届きで申し訳ございません。ナナカ様、こちらには来ないお約束でしたでしょう?部屋に戻りますよ」
「でも、足が痛くて……」
「ナナカ様をお部屋にお連れして差し上げろ。私では力不足だからな」

潤んだ瞳でフィルを見上げる菜々花を一瞥し、フィルはドアの側に控えていた騎士に命じる。菜々花は不満そうにしつつも、自分が言い出したことなので大人しく抱えあげられていく。

部屋を立ち去る間際にフィルが何かを訴えるように透花を見つめたが、それが言葉になることはなく、透花はただフィルを見送ることしか出来なかった。
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