一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む

浅海 景

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教育係

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「シャーロットに会いたい……」

執務室でだらしなく突っ伏したまま、陛下のぼやく声が聞こえてきた。ここ最近ですっかり日常となった独白にもはや反応する気にすらなれない。

「せっかく同じ敷地内にいるのに、あと3日も会えないなんて!!」

シャーロット嬢の体調を気遣うのも勿論だが、年上の余裕を見せるためなどと宣言していたのに、到着したその日からずっとこの調子である。
おまけに侍女長に逐一報告をさせており、それが会いたい気持ちに拍車を掛けているのだから自損事故という気がしてならない。

「見栄など張らずにさっさと会いに行けば良いのに……」

離れた位置から小声で漏らしたにもかかわらず、耳ざとく拾った陛下が顔を上げる。

「約束を守れない男などシャーロットに幻滅されるじゃないか!!」
「だったら我慢してください。それからプレゼントもほどほどにしないと嫌われますよ」

ぎくりとした表情は公の場で決して見せない顔で、ネイサンはシャーロットが皇妃として共に仕事をするようになっても陛下は平常心を保てるのだろうかと心配になる。

「いや、でも他にアプローチのしようもないし、喜んで欲しいだけなんだが……」

花やアクセサリー、ドレスなどを毎日贈り続けているが反応は芳しくないと聞いている。シャーロットが離宮に滞在するようになって数日経つが、あちらから何か要求を求められることはなく、ただ贈り物についての定型通りの感謝の言葉が侍女長経由で伝わってくるだけだ。

(侯爵令嬢にしてはちょっと慎まし過ぎる気がしなくもないが、まだ書類上の婚約者だから大人しくしているだけとも言える)

公式発表は1ヶ月後のパーティーで行われるが、貴族の間では既に信憑性の高い噂として広がっている。
シャーロットがエドワルド帝国入りする前に婚約書自体は交わしているが、流石に皇帝の婚約発表をそれだけで済ませるわけにはいかない。それまでの間にシャーロットにはエドワルド帝国の行儀作法や重鎮たちの顔と名前を覚えてもらう必要があった。

(エリアーヌ夫人は公正な女性だが、行儀作法には厳しい女性だ。だからこそ教育係を頼んだが、シャーロット嬢は上手くやれているだろうか?)

そんな風に考えていると、執務室のドアがノックされた。いつもの侍女長の定期報告かと思いきや、そこにはエリアーヌ夫人の姿もある。
何かあったのだろうかと嫌な予感を覚えたが、夫人から告げられたのは予想以上に衝撃的な話だった。



(リザレ国の王太子妃教育が帝国でも通用するレベルだと良いのですが……)

皇帝陛下が熱望した婚約者——シャーロット嬢の教育を任されることになったエリアーヌは、憂鬱な気持ちを抱えながら離宮へと向かっていた。何しろ僅か1ヶ月の準備期間でお披露目パーティーに出せるレベルに仕上げなくてはならないのだ。ある程度の素地がなければ、そして本人のやる気がなければ到底間に合うものではないだろう。

その結果次第では教育係であるエリアーヌに、ひいては伯爵家にも責が及びかねないのだ。とはいえ断るという選択肢も勿論ない。皇帝陛下からのご下命とあれ栄誉なことで、その重責に耐えられないようでは伯爵夫人としての矜持に関わる。

「よろしくお願いしますわ、カロン伯爵夫人」

貴族令嬢らしい優雅な笑みと適切な礼儀——へりくだり過ぎずに学ぶ姿勢を見せる言葉選びは及第点だ。

まずは帝国流のお茶会のマナーから教えることにした。全身が見えるようにとエリアーヌはテーブルから一歩離れたところでシャーロットの所作を確認するが、姿勢もカップの運び方も気品があり、優雅な佇まいである。
洗練されたマナーに安堵した時、ふくらはぎが引きつった。先日足を捻ってしまい長時間立っていると痛みが走るのだ。
表情に出さずに様子を見守っていると、シャーロットと目が合った。

「……カロン伯爵夫人、よろしければお掛けになりませんか?同じテーブルに着いた方からの視点でも問題ないか確認していただきたいのです」

(この子、もしかして気づいたの?)
痛みに姿勢を崩したのは一瞬のことで、顔にも出していなかったはずだ。だが偶然にしてはタイミングが良すぎる。

「そういうことでしたら、失礼いたしますわ」

エリアーヌが腰を下ろすと、シャーロットは小さく息を吐いた。それを見て自分の考えが間違っていなかったことを確信したが口にはしない。

代わりに知っておくべき貴族の名前や重鎮たちについての話題に切り替えると、シャーロットは真面目な態度で聞き入っていた。


さり気ない優しさも真剣に学ぶ姿勢も、エリアーヌにとって好ましいものだった。だがシャーロットに対する感情が変化したのは、その日のマナー教育が終わりかけた時のことだった。

「ほとんどのマナーは問題ございませんでした。ただ帝国ではカーテシーが少し異なりますの」

それは僅かな差異だったが、皇妃になるからにはしっかりと正しいものを身に付けなければならない。見本として披露する様子をシャーロットは食い入るように見つめた後に小さく告げた。

「事前に練習はしていたのですが、見苦しい物をお見せしました」
そう言ってシャーロットは袖を捲って片腕をエリアーヌのほうに伸ばした。

「シャーロット様?それはどういう……」
エリアーヌの問いかけにシャーロットは、はっとして焦ったように手を戻した。

「その……もしかして帝国とは作法が違うのかもしれません。先走って行動してしまい失礼いたしました」

静かに頭を下げるシャーロットにエリアーヌはある可能性に気づいてしまった。込み上げる不快感を飲み込みながら、何気ない口調を装ってエリアーヌは尋ねた。

「確かにそのようなお作法もありますわ。今後の教育にも関わってきますから、リザレ国のお作法を教えていただけませんか?」




「虐待だと!!」
思わず声を荒げるカイルにエリアーヌはびくりと肩を震わせたが、淡々とした口調で続けた。

「私は少なくともそう感じました。幼少の頃から王太子妃教育を受けておられたとのことですが、幼い子供が教えられたとおりに出来ないからと言って打擲するなど惨いことですわ」

エリアーヌがさり気なく誘導した結果、幼少の頃の教育方法についてシャーロットが語った内容は体罰のオンパレードだった。太ももや腕などドレスに隠れて見えないところへ扇子や定規で打擲されるのは当たり前で、体調が悪くても休むことなど許されなかったという。

「あの女か……!」
カイルは拳を固く握りしめながら吐き捨てるように言った。

「ご存知なのですか?」
会ったのはほんの数回だと聞いていた。驚きのため思わず零れた疑問に、カイルは重いため息を吐きながら答える。

「恐らくな。シャーロットが大事にしていた物を否定し、自ら破棄させるような底意地の悪い女だ。くそっ、あの時気づいてさえいれば……!」

怒りを隠さない陛下の表情は一層冷酷さを際立たせているため、ネイサンはエリアーヌ夫人に負担を掛けないよう退席させることにした。

「ご報告ありがとうございます、エリアーヌ夫人。どうか今後ともシャーロット嬢のことをよろしくお願いします」
柔らかい口調で告げれば、青ざめた表情の中に安堵の色が浮かぶ。

「勿論ですわ。シャーロット様のお役に立てるよう私の持てる知識や経験を全てお伝えいたしましょう」
深々と一礼してエリアーヌ夫人は去っていった。

(随分と肩入れしているみたいだったな。同情以外にも夫人の気に入る部分があったようだ)
夫人の様子からそんな分析をしていると、ようやく怒りが収まったのか陛下が深いため息を吐いて椅子にもたれかかっている。

「ネイサン、俺は今これでもかというほどシャーロットを甘やかしてやりたい気分だ」
「今というよりずっとそんな感じでしょうに」

半ば反射的に返してしまったが、あんな話を聞いてしまった後では気持ちが分からないわけではない。
ネイサンは真剣な表情で贈り物を選び始めた陛下を放っておくことに決めた。
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