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ダンスの誘い
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「ソフィー様、アヴリル様、本日はお招きいただきありがとうございます。ミレーヌ・ダラスと申します」
いつも明るいミレーヌの表情が緊張で強張っている。侯爵家の中でも筆頭であるコベール侯爵家の令嬢と食事だなんて恐れ多いと言っていたミレーヌだが、サーシャが経緯を伝えると心配してついてきてくれたのだ。
「ああ、ダラス伯のご令嬢ということは、サーシャのお義兄様の婚約者なのね。他の方々もそんなに緊張せず楽にしていいわよ」
アヴリルは大勢の前で話すことが苦手らしく、微笑みを浮かべているものの終始無言を貫いている。自己紹介を終えたあと、会話はほとんどがソフィーとサーシャ、そしてミレーヌが中心となった。
「そういえばミレーヌは婚約者であるシモン様と良好な関係を築いているとか。何か秘訣でもあるのかしら?」
ソフィーの言葉にミレーヌは一瞬で赤面し慌てていると、リリーが助け舟を出す。
「サーシャ様が協力してくれたおかげかと。一緒にシモン様のお好きなお菓子を作ってお渡ししてから仲が深まったように思います」
「ええ、料理などしたことがなかったので拙いものでしたが、喜んでくださいましたわ」
ミレーヌは恥ずかしそうに頬に手を当てながらも、幸せそうな笑みがこぼれている。
「そういえば殿下も気に入ってらっしゃったわね……」
「えっ、殿下はサーシャのお菓子を召し上がったことがあるのですか?!」
思わずといった様子でベスは口にしたが、慌てて口を押える。非礼にあたると思ったようだが、ソフィーは気にした風もない。
「ええ、ちょっとした行き違いでお茶会の席にお越しになった時にね。私とアヴリルもいただいたけど美味しかったわ」
ぎこちない雰囲気だったがその話題を契機に話が弾み、昼食の時間が終わるころには和やかな雰囲気に変わっていた。
その後も一緒に食事を摂る機会も増え、サーシャの指導のもとお菓子教室を開いたりと穏やかな日々が過ぎていった。
一人で行動する機会を減らし、顔を合わせた際も声を掛けないように努めた結果、自然とジョルジュとの距離を取ることにも成功した。ジョルジュ自身も思うところがあったのか、教室に押し掛けることもなくなり、ソフィーの影響も相まってサーシャの不名誉な噂が囁かれることもなくなった。
そんなサーシャの平穏が終わりを告げたのは、秋が深まったある日のことだった。
「サーシャ嬢、卒業式のダンスは私と踊ってくれないか?」
何でもないことのように軽い口調で、満面の笑みを浮かべたままアーサーは衝撃的な言葉を告げた。
「殿下、恐れながら理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
婚約者であるソフィーを蔑ろにしてダンスを踊るなど、相応の理由がなければあり得ない。
「くくっ、やっぱりサーシャ嬢はいいね。普通の令嬢なら二つ返事で承諾するのに」
(……やっぱり腹黒王子だわ)
くすくすと笑うアーサーを見て、サーシャは内心ため息をつく。
「理由はね、一応あるけど君には内緒だ」
それはないだろう、と言いたくなる気持ちをサーシャはぐっと堪えた。
「わたしにはということですが、ソフィー様はご存知なのですか?」
「うん、知っているよ」
「では義兄に確認しましてからお返事してもよろしいでしょうか?」
言質を取られないよう、気を付けながらサーシャは会話を進めていく。
「聡明な上に慎重なのはガルシア子爵夫人の教育の賜物かな。願わくばうちで働いて欲しいぐらいだよ。――他には何かあるかな?」
「いいえ、ご配慮いただきありがとうございます」
軽口とも本気ともつかない言葉には触れず、サーシャはシモンに会うため生徒会室に向かった。
普段ならユーゴと距離を取るために近づかない場所だが、今回は緊急事態だ。アーサーは見た目とは裏腹に計算高く、ただの気まぐれでダンスに誘うような性格ではない。
卒業式のメインとも言うべき舞踏会は、学生である子女たちにとって滅多にないハレの場であり、婚約者と出席するか親兄弟を伴って参加するのが一般的だ。
学園内で行われる式典で唯一外部の人間―といっても家族や親戚が大半だ―を招いて行われるため、家同士の繋がりが重要視される。
そんな中、婚約者がいながら別の相手と踊るとなれば非常識を通り越して、非難に晒されることは間違いない。貴族社会を熟知しているアーサーがそれを知らないはずがなく、何か理由があることだけは分かった。
問題はそれが何かではなく、それによってガルシア家の不利益にならないかどうかだ。
生徒会室をノックするとすぐにドアが内側から開いた。
「……サーシャ嬢」
会長であるユーゴ自らがドアを開けたことに驚きつつも、サーシャは訪問の理由を告げる。
「お仕事中申し訳ございません。火急の用事がございまして、義兄と話をしたいのですが大丈夫でしょうか?」
「ああ、今呼んでこよう。……シモンとの話が終わった後でいいから少しだけ時間をくれないか?話したいことがある」
その言い方が少し気になったものの、それよりもまずはアーサーのことが最優先事項だと思い、承諾した。続き間に消えたユーゴの代わりにすぐさまシモンが現れる。
「急ぎの用だと聞いたけど、どうしたんだい?」
心配そうな顔のシモンに先程のアーサーの提案を簡潔に小声で伝える。
その顔がだんだん険しくなっている様子を見てやはり厄介事に巻き込まれたのだと実感した。
「すぐに教えてくれて助かったよ。この件は僕が対処するからサーシャは心配しないで大丈夫だ。アーサー様に何か言われても僕に一任していると伝えてくれればいいから」
「お義兄様、ご迷惑を――いえ、ありがとうございます」
謝罪よりもお礼を言うほうが適切な気がして言い直すと、シモンはとても嬉しそうな笑みを浮かべた。
「どういたしまして。サーシャが頼ってくれて嬉しかったよ」
最初はどうなることかと思っていたが、義兄に任せれば安心だと胸を撫で下ろした途端、忙しないノックの音が聞こえた。
シモンがドアを開けると、息を切らしたミレーヌの姿があった。
「シモン様、サーシャ様!大変ですわ!殿下が先程サーシャ様をダンスの練習に誘いたいと教室にお越しになりましたの!」
ダンスの練習は通常パートナーと行う。この時期に練習する必要があるのは卒業式のためであり、直接的に口にしていなくてもそれは卒業式のパートナーにサーシャを選んだということに他ならない。
「……やられた」
悔しそうなシモンの声にサーシャは状況が変わったことを悟った。
『他には何かあるかな?』
アーサーの最後の問いかけは、サーシャに注意を促す合図だった。義兄に相談するよりも先にアーサーに口外しないよう頼まなければいけなかったのだ。
冷静なつもりが内容に気を取られて注意を怠ってしまったのはサーシャの責任ではあるのだが――。
(あの腹黒王子~!いつか覚えていなさいよ!!)
それを分かっていながら、早々に行動に移したアーサーに対する怒りを抑えることができず敵対心を燃やすサーシャであった。
いつも明るいミレーヌの表情が緊張で強張っている。侯爵家の中でも筆頭であるコベール侯爵家の令嬢と食事だなんて恐れ多いと言っていたミレーヌだが、サーシャが経緯を伝えると心配してついてきてくれたのだ。
「ああ、ダラス伯のご令嬢ということは、サーシャのお義兄様の婚約者なのね。他の方々もそんなに緊張せず楽にしていいわよ」
アヴリルは大勢の前で話すことが苦手らしく、微笑みを浮かべているものの終始無言を貫いている。自己紹介を終えたあと、会話はほとんどがソフィーとサーシャ、そしてミレーヌが中心となった。
「そういえばミレーヌは婚約者であるシモン様と良好な関係を築いているとか。何か秘訣でもあるのかしら?」
ソフィーの言葉にミレーヌは一瞬で赤面し慌てていると、リリーが助け舟を出す。
「サーシャ様が協力してくれたおかげかと。一緒にシモン様のお好きなお菓子を作ってお渡ししてから仲が深まったように思います」
「ええ、料理などしたことがなかったので拙いものでしたが、喜んでくださいましたわ」
ミレーヌは恥ずかしそうに頬に手を当てながらも、幸せそうな笑みがこぼれている。
「そういえば殿下も気に入ってらっしゃったわね……」
「えっ、殿下はサーシャのお菓子を召し上がったことがあるのですか?!」
思わずといった様子でベスは口にしたが、慌てて口を押える。非礼にあたると思ったようだが、ソフィーは気にした風もない。
「ええ、ちょっとした行き違いでお茶会の席にお越しになった時にね。私とアヴリルもいただいたけど美味しかったわ」
ぎこちない雰囲気だったがその話題を契機に話が弾み、昼食の時間が終わるころには和やかな雰囲気に変わっていた。
その後も一緒に食事を摂る機会も増え、サーシャの指導のもとお菓子教室を開いたりと穏やかな日々が過ぎていった。
一人で行動する機会を減らし、顔を合わせた際も声を掛けないように努めた結果、自然とジョルジュとの距離を取ることにも成功した。ジョルジュ自身も思うところがあったのか、教室に押し掛けることもなくなり、ソフィーの影響も相まってサーシャの不名誉な噂が囁かれることもなくなった。
そんなサーシャの平穏が終わりを告げたのは、秋が深まったある日のことだった。
「サーシャ嬢、卒業式のダンスは私と踊ってくれないか?」
何でもないことのように軽い口調で、満面の笑みを浮かべたままアーサーは衝撃的な言葉を告げた。
「殿下、恐れながら理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
婚約者であるソフィーを蔑ろにしてダンスを踊るなど、相応の理由がなければあり得ない。
「くくっ、やっぱりサーシャ嬢はいいね。普通の令嬢なら二つ返事で承諾するのに」
(……やっぱり腹黒王子だわ)
くすくすと笑うアーサーを見て、サーシャは内心ため息をつく。
「理由はね、一応あるけど君には内緒だ」
それはないだろう、と言いたくなる気持ちをサーシャはぐっと堪えた。
「わたしにはということですが、ソフィー様はご存知なのですか?」
「うん、知っているよ」
「では義兄に確認しましてからお返事してもよろしいでしょうか?」
言質を取られないよう、気を付けながらサーシャは会話を進めていく。
「聡明な上に慎重なのはガルシア子爵夫人の教育の賜物かな。願わくばうちで働いて欲しいぐらいだよ。――他には何かあるかな?」
「いいえ、ご配慮いただきありがとうございます」
軽口とも本気ともつかない言葉には触れず、サーシャはシモンに会うため生徒会室に向かった。
普段ならユーゴと距離を取るために近づかない場所だが、今回は緊急事態だ。アーサーは見た目とは裏腹に計算高く、ただの気まぐれでダンスに誘うような性格ではない。
卒業式のメインとも言うべき舞踏会は、学生である子女たちにとって滅多にないハレの場であり、婚約者と出席するか親兄弟を伴って参加するのが一般的だ。
学園内で行われる式典で唯一外部の人間―といっても家族や親戚が大半だ―を招いて行われるため、家同士の繋がりが重要視される。
そんな中、婚約者がいながら別の相手と踊るとなれば非常識を通り越して、非難に晒されることは間違いない。貴族社会を熟知しているアーサーがそれを知らないはずがなく、何か理由があることだけは分かった。
問題はそれが何かではなく、それによってガルシア家の不利益にならないかどうかだ。
生徒会室をノックするとすぐにドアが内側から開いた。
「……サーシャ嬢」
会長であるユーゴ自らがドアを開けたことに驚きつつも、サーシャは訪問の理由を告げる。
「お仕事中申し訳ございません。火急の用事がございまして、義兄と話をしたいのですが大丈夫でしょうか?」
「ああ、今呼んでこよう。……シモンとの話が終わった後でいいから少しだけ時間をくれないか?話したいことがある」
その言い方が少し気になったものの、それよりもまずはアーサーのことが最優先事項だと思い、承諾した。続き間に消えたユーゴの代わりにすぐさまシモンが現れる。
「急ぎの用だと聞いたけど、どうしたんだい?」
心配そうな顔のシモンに先程のアーサーの提案を簡潔に小声で伝える。
その顔がだんだん険しくなっている様子を見てやはり厄介事に巻き込まれたのだと実感した。
「すぐに教えてくれて助かったよ。この件は僕が対処するからサーシャは心配しないで大丈夫だ。アーサー様に何か言われても僕に一任していると伝えてくれればいいから」
「お義兄様、ご迷惑を――いえ、ありがとうございます」
謝罪よりもお礼を言うほうが適切な気がして言い直すと、シモンはとても嬉しそうな笑みを浮かべた。
「どういたしまして。サーシャが頼ってくれて嬉しかったよ」
最初はどうなることかと思っていたが、義兄に任せれば安心だと胸を撫で下ろした途端、忙しないノックの音が聞こえた。
シモンがドアを開けると、息を切らしたミレーヌの姿があった。
「シモン様、サーシャ様!大変ですわ!殿下が先程サーシャ様をダンスの練習に誘いたいと教室にお越しになりましたの!」
ダンスの練習は通常パートナーと行う。この時期に練習する必要があるのは卒業式のためであり、直接的に口にしていなくてもそれは卒業式のパートナーにサーシャを選んだということに他ならない。
「……やられた」
悔しそうなシモンの声にサーシャは状況が変わったことを悟った。
『他には何かあるかな?』
アーサーの最後の問いかけは、サーシャに注意を促す合図だった。義兄に相談するよりも先にアーサーに口外しないよう頼まなければいけなかったのだ。
冷静なつもりが内容に気を取られて注意を怠ってしまったのはサーシャの責任ではあるのだが――。
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