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「アーサー様、サーシャ嬢にバレましたよ」
報告のため部屋を訪れたヒューは開口一番に告げた。
「そうか、残念」
全く残念そうな響きのないアーサーの返答にヒューは拍子抜けしたような気持ちになった。
「貴方はサーシャ嬢に興味があるのだと思っていましたが?」
ようやくアーサーの視線が手元の書類から外れて、ヒューと目が合う。
「興味はあるよ。だけど優先順位が違うんだ」
「殿下、お願いがありますの」
そうソフィーが切り出した時、珍しいなと感じた。いつも堂々とした彼女の態度が、どこか緊張しているように見えたからだ。先を促すとソフィーは覚悟を決めたように、一息に告げた。
「卒業式のダンスパートナーにサーシャを選んでいただきたいのです」
ソフィーの視線は僅かに俯きがちで、膝に重ねられた手は固く握りしめられている。
「ふうん、理由は?」
「っ、それは……」
酷く言いにくそうな様子に、もしかして好意を寄せる相手が出来たのかなどと邪推してしまった。
高位貴族の結婚に恋愛感情が優先されないのはよくあることだが、だからといってそういう感情を抱かないわけではない。学園にいる間だけ、そう考えて破滅する貴族は常に一定数存在する。自分の婚約者であるソフィーがそんな一時の感情に流されるとは思えないが、自分の考えに苛立ちが沸々と込み上げてくる。
「私の友人を、アヴリルを助けてあげたいんですの」
続いた言葉はアーサーの予想を裏付けるものではなく、肩透かしを食らった気分を味わいながらもアーサーはソフィーの話に耳を傾けた。
「なるほど。ユーゴ殿がダンスパートナーにサーシャを誘わないよう、王子である私に牽制してほしい、そういうことだね」
端的にソフィーの望みをまとめて確認すると、こくりと小さく頷く。その仕草はいつもより幼くて何だか可愛らしく思えたが、アーサーは努めて平静に言葉を続けた。
「でもそのお願いは聞いてあげられないな」
「――!!」
あっさりと断るとソフィーは痛みをこらえるような表情で、まっすぐアーサーを見つめた。
「ソフィー、それはユーゴ殿とアヴリル嬢の問題で僕らが介入するようなことではないよ」
サーシャにダンスパートナーを誘うことは百害あって一利なしだ。王子である自分の行動は常に注目されているのだから、婚約者を差し置いて他の令嬢を誘うなど品格を疑われてしまう行為だった。
そしてソフィー自身も陰口はもちろん、アーサーの婚約者の座を狙う他の令嬢に隙を与えてしまうことになる。
頭の良いソフィーが考えつかないとも思えないが、諦めるよう伝えようとしたとき、ソフィーの目から涙が一筋こぼれた。
「分かっております。それでも私は……、アヴリルにこれ以上傷ついてほしくないのです」
初めて見るソフィーの涙に自分でも信じられないくらい動揺してしまった。婚約者とはいえ妙齢の女性であるにもかかわらず、思わず抱き寄せてしまったほどだ。
驚いたように身体を強張らせたソフィーだったが、それでもあやすように背中を軽くトントンと叩くとそのまま身体を預けてくれた。
しばらくしてソフィーは静かな口調で心の内を語り始めた。
「アヴリルは私のきつい見た目や家柄を気にせず、親しくしてくれる大切な友人ですの。とても優しくて気遣いのできる良い娘なのに……」
ソフィーから告げられたモンタニエ伯の一人娘に対する過剰なまでの期待と苛烈な躾は、虐待に近いものだった。
「ユーゴ様にダンスパートナーとして選ばれないアヴリルを見たモンタニエ伯が、彼女にどれだけ酷い仕打ちをするのかと思うと……。助けてあげられるのが今だけだからと浅慮なことを申しました。お許しください」
『助けてあげられるのは今だけだから』
アーサーはその言葉でソフィーが王族の一員となる覚悟があるのだと気づかされた。
最高峰の権力を有しているはずの王族だが、それゆえに縛りは多い。国を守るために必要なことだが、何不自由ない暮らしと引き換えに、生まれながらに制限を掛けられている。貴族から王族になればどんなに親しい友人や親兄弟ですら明確な線を引かれる。どんなに友人が困っていても王族であるがゆえに特別な計らいなどできない。
「――もしも君の願いを叶えてあげたことで、私がサーシャ嬢に心惹かれたらどうするつもりだい?」
少し意地悪な気持ちで尋ねると、ヘーゼル色の瞳が不安げに揺れた。だけどそれをすぐに隠して、怯むことなく告げた彼女は凛々しく輝いていた。
「その時は殿下に振り向いてもらえるように努力致しますわ」
「ふっ、ははは」
思わず溢れた笑いに揶揄われたと思ったのか、ソフィーの顔が怒りで朱に染まった。人前ではいつも通りのため気づかなかったが、以前よりも感情が分かりやすくなった。
きっとそれはサーシャの影響だろうとアーサーは確信している。
先日のお茶会では自ら作った菓子を振る舞ってくれた。サーシャのように上手く作れなかったと悔しそうな表情もとても可愛らしく、自然に口の端が上がった。公私の「私」の部分をソフィーが見せてくれたのはそれが初めてのことで、嬉しさと優越感に似た感情が込み上げてきた。
傲慢そうな言動や見た目とは裏腹に常に自分を律しようする態度に好感を持っていたが、今の自分がソフィーに向ける気持ちはそれだけではない。
(本当にあの令嬢は規格外だ。まさか私が婚約者に恋愛感情を抱くとはね)
「いいよ。サーシャ嬢にダンスを申し込もう。だけど君から持ち掛けたことは誰にも告げてはいけないよ」
これぐらいの意地悪は許容範囲だろう。婚約者と友人を天秤にかけて友人を選択したソフィーと、自分の大切な婚約者に影響を与えたサーシャへの意趣返しも兼ねて、アーサーはそう思った。
どうせならこれを餌にして有益な人材を見極めるのに使うのも良いか、と腹黒いことを考えつつアーサーは目の前の婚約者ににっこりと微笑んだ。
報告のため部屋を訪れたヒューは開口一番に告げた。
「そうか、残念」
全く残念そうな響きのないアーサーの返答にヒューは拍子抜けしたような気持ちになった。
「貴方はサーシャ嬢に興味があるのだと思っていましたが?」
ようやくアーサーの視線が手元の書類から外れて、ヒューと目が合う。
「興味はあるよ。だけど優先順位が違うんだ」
「殿下、お願いがありますの」
そうソフィーが切り出した時、珍しいなと感じた。いつも堂々とした彼女の態度が、どこか緊張しているように見えたからだ。先を促すとソフィーは覚悟を決めたように、一息に告げた。
「卒業式のダンスパートナーにサーシャを選んでいただきたいのです」
ソフィーの視線は僅かに俯きがちで、膝に重ねられた手は固く握りしめられている。
「ふうん、理由は?」
「っ、それは……」
酷く言いにくそうな様子に、もしかして好意を寄せる相手が出来たのかなどと邪推してしまった。
高位貴族の結婚に恋愛感情が優先されないのはよくあることだが、だからといってそういう感情を抱かないわけではない。学園にいる間だけ、そう考えて破滅する貴族は常に一定数存在する。自分の婚約者であるソフィーがそんな一時の感情に流されるとは思えないが、自分の考えに苛立ちが沸々と込み上げてくる。
「私の友人を、アヴリルを助けてあげたいんですの」
続いた言葉はアーサーの予想を裏付けるものではなく、肩透かしを食らった気分を味わいながらもアーサーはソフィーの話に耳を傾けた。
「なるほど。ユーゴ殿がダンスパートナーにサーシャを誘わないよう、王子である私に牽制してほしい、そういうことだね」
端的にソフィーの望みをまとめて確認すると、こくりと小さく頷く。その仕草はいつもより幼くて何だか可愛らしく思えたが、アーサーは努めて平静に言葉を続けた。
「でもそのお願いは聞いてあげられないな」
「――!!」
あっさりと断るとソフィーは痛みをこらえるような表情で、まっすぐアーサーを見つめた。
「ソフィー、それはユーゴ殿とアヴリル嬢の問題で僕らが介入するようなことではないよ」
サーシャにダンスパートナーを誘うことは百害あって一利なしだ。王子である自分の行動は常に注目されているのだから、婚約者を差し置いて他の令嬢を誘うなど品格を疑われてしまう行為だった。
そしてソフィー自身も陰口はもちろん、アーサーの婚約者の座を狙う他の令嬢に隙を与えてしまうことになる。
頭の良いソフィーが考えつかないとも思えないが、諦めるよう伝えようとしたとき、ソフィーの目から涙が一筋こぼれた。
「分かっております。それでも私は……、アヴリルにこれ以上傷ついてほしくないのです」
初めて見るソフィーの涙に自分でも信じられないくらい動揺してしまった。婚約者とはいえ妙齢の女性であるにもかかわらず、思わず抱き寄せてしまったほどだ。
驚いたように身体を強張らせたソフィーだったが、それでもあやすように背中を軽くトントンと叩くとそのまま身体を預けてくれた。
しばらくしてソフィーは静かな口調で心の内を語り始めた。
「アヴリルは私のきつい見た目や家柄を気にせず、親しくしてくれる大切な友人ですの。とても優しくて気遣いのできる良い娘なのに……」
ソフィーから告げられたモンタニエ伯の一人娘に対する過剰なまでの期待と苛烈な躾は、虐待に近いものだった。
「ユーゴ様にダンスパートナーとして選ばれないアヴリルを見たモンタニエ伯が、彼女にどれだけ酷い仕打ちをするのかと思うと……。助けてあげられるのが今だけだからと浅慮なことを申しました。お許しください」
『助けてあげられるのは今だけだから』
アーサーはその言葉でソフィーが王族の一員となる覚悟があるのだと気づかされた。
最高峰の権力を有しているはずの王族だが、それゆえに縛りは多い。国を守るために必要なことだが、何不自由ない暮らしと引き換えに、生まれながらに制限を掛けられている。貴族から王族になればどんなに親しい友人や親兄弟ですら明確な線を引かれる。どんなに友人が困っていても王族であるがゆえに特別な計らいなどできない。
「――もしも君の願いを叶えてあげたことで、私がサーシャ嬢に心惹かれたらどうするつもりだい?」
少し意地悪な気持ちで尋ねると、ヘーゼル色の瞳が不安げに揺れた。だけどそれをすぐに隠して、怯むことなく告げた彼女は凛々しく輝いていた。
「その時は殿下に振り向いてもらえるように努力致しますわ」
「ふっ、ははは」
思わず溢れた笑いに揶揄われたと思ったのか、ソフィーの顔が怒りで朱に染まった。人前ではいつも通りのため気づかなかったが、以前よりも感情が分かりやすくなった。
きっとそれはサーシャの影響だろうとアーサーは確信している。
先日のお茶会では自ら作った菓子を振る舞ってくれた。サーシャのように上手く作れなかったと悔しそうな表情もとても可愛らしく、自然に口の端が上がった。公私の「私」の部分をソフィーが見せてくれたのはそれが初めてのことで、嬉しさと優越感に似た感情が込み上げてきた。
傲慢そうな言動や見た目とは裏腹に常に自分を律しようする態度に好感を持っていたが、今の自分がソフィーに向ける気持ちはそれだけではない。
(本当にあの令嬢は規格外だ。まさか私が婚約者に恋愛感情を抱くとはね)
「いいよ。サーシャ嬢にダンスを申し込もう。だけど君から持ち掛けたことは誰にも告げてはいけないよ」
これぐらいの意地悪は許容範囲だろう。婚約者と友人を天秤にかけて友人を選択したソフィーと、自分の大切な婚約者に影響を与えたサーシャへの意趣返しも兼ねて、アーサーはそう思った。
どうせならこれを餌にして有益な人材を見極めるのに使うのも良いか、と腹黒いことを考えつつアーサーは目の前の婚約者ににっこりと微笑んだ。
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