転生令嬢は捨てられた元婚約者に微笑む~悪役にされたけど、今さら愛されてももう遅い~

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第10話 噂と陰謀の中で

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王都の空を覆う雲は、まるで不安と悪意を孕んだように重く垂れこめていた。  
街の広場では、昨日からひとつの噂が渦のように広がっている。  
――公爵レインフォード家と侯爵フィオリーナ家の裏献金疑惑。  
発端はセレナの茶会で起きた不自然な発言。  
さらに昨夜、匿名の告発状が王都司法局に届いたことで一気に波紋を呼んだ。  
噂の矛先は、皮肉にもエドモンド本人にも向けられつつあった。

リリアーナは屋敷の窓辺でその様子を見下ろしていた。  
通りを行き交う人々が囁き、顔を寄せて何かを話している。  
彼女の口元にわずかな笑みが浮かぶ。  
動かそうとした歯車は順調に回っている――だが、それが次にどこへ向かうかは予測不能だった。  

「お嬢様、王都の巡査まで屋敷の周辺を巡回しておられます。何かあったのですか?」  
ミリアの声にリリアーナはゆっくり振り返る。  
「表向きは“貴族間の誤解”を調べているだけ。でも実際は、私が持っている何かを探しているのでしょうね」  
「証拠の帳簿……?」  
「ええ。公爵家の罪を証明する鍵よ。けれど、今は出す時ではない」  
リリアーナは微かに笑い、その目に静かな炎を宿らせた。  
敵が焦って動くほど、こちらの猶予が生まれる。そういう時こそ慎重に策を進めるべきタイミングだ。  

そのとき、玄関から執事の声が響いた。  
「――公爵子息、エドモンド・レインフォード様がお見えです」  
ミリアの顔が凍りつく。  
「また……!何をお考えなのですか、あの方は!」  
「落ち着きなさい、ミリア。予想通りよ」  
リリアーナは鏡の前で扇を取った。  
「こういうときこそ、私の本当の顔を見せる時だわ。“何も知らない婚約者”を演じるの」  
ミリアが不安そうに頷いた。  
扉の向こうから、聞き慣れた穏やかで傲慢な声が届く。  

「リリアーナ、どうか話をさせてくれ。少しばかり……誤解が広まっているようだ」  
「ご機嫌よう、エドモンド様。お入りください」  
白い手でドアを開くと、整えられた姿の彼が立っていた。  
だがその眼差しの奥には明らかな焦燥が見える。  
完璧な仮面にひびが入り始めているのを、リリアーナは見逃さなかった。  

「君の名前もこの噂の中に巻き込まれている。俺はそれを何としても止めたいんだ」  
「まあ。光栄ですわ。あなたに心配していただけるなんて」  
「ああ、そういう意味じゃない! ただ、このままでは……!」  
苛立ちを混ぜた声音に、リリアーナは静かに紅茶を注いだ。  
「“このままでは”何なのかしら? わたくしたちの関係に支障でも?」  
「こんな時に軽口を……! 君が何を考えているのか、まったくわからない」  
「それなら、少し想像してごらんなさい。婚約者が自分の知らない場所で嘘を重ね、友人の裏切りに巻き込まれて――それでも黙っている女を、どう思う?」  
「……っ!」  
エドモンドは言葉を失った。  
「あなたは知らないほうがよかったのよ。でも、やがて知るわ。真実というのは、隠しても腐って匂い立つものだから」  
紅茶を飲み干し、彼女はゆっくりと立ち上がる。  
「どうぞ安心なさって。私はあなたを裏切らないわ。その代わり、あなたが何を選ぶか、最後まで見届けさせていただく」  
「リリアーナ……君は何を企んでいる?」  
「企み? そんなものはありませんわ。過去をやり直しているだけ」  
その言葉に彼の眉が寄る。  
「“過去”?」  
「意味なんてお分かりにならないでしょうね。今を生きている人には」  

エドモンドは深くため息をつき、姿勢を正した。  
「俺は君を信じたい。だから、これ以上何もするな」  
「ご忠告、感謝申し上げますわ」  
彼女は微笑みながら一礼した。その笑みがかえって彼を不安にさせる。  
その不安こそ、彼女が望んでいた感情だった。  

エドモンドが帰った後、部屋の静寂が戻る。  
ミリアは心配そうに問う。  
「お嬢様……これ以上刺激しては危険です。本当に大丈夫なんですか?」  
「ええ。大丈夫よ、ミリア。むしろ彼が焦るときが近い」  
「焦る……?」  
「人は、壊される直前が一番よく足掻くもの。だからこそ見ておかなくては」  
どこか哀しみを含んだ声。ミリアはそれ以上質問できなかった。

***

夕刻、アランから密書が届いた。  
封を切ると、短い一文が記されている。  
『王城への道を開く。明晩、南塔にて』  
リリアーナは手紙を握りしめ、息を整えた。  
すべてのきっかけが、いよいよ王城の中心へ向かおうとしている。  
その場所で彼女が死を迎えたあの日と同じように。  

夜、屋敷の外で待っていたアランと再会する。  
「来てくれたか」  
「当然ですわ。あなたが“正義を求める男”であり続ける限り、私はその隣を歩く」  
「正義、か……。時々思うんだ。俺の正義が、本当に正しいものかどうか」  
「迷うことは罪じゃないわ。真実を見届ける目を持っている限り、あなたは間違えない」  
アランの視線が柔らかく揺れ、どこか守りたいものを見つめるようだった。  
「……リリアーナ、君は強い」  
「強くないわ。ただ、弱い自分に飽きただけ」  

南塔へ向かう細い通路を抜けると、警備の少ない裏門が見えた。  
アランが鍵を差し込み、静かに扉を押す。  
中から吹く夜風は冷たく、確かに不穏な気配が漂っていた。  
「中にいるのは、王城警護団の監査長だ。彼は公爵家の資金管理に関わっている」  
「つまり、彼を抑えればすべての道がつながる」  
「だが同時に、俺たちが動いた事実も城に記録される」  
「構わない。この人生は、もう一度失われたもの。くれてやるつもりなんてないもの」  

二人は石造りの廊下を静かに進む。  
遠くに灯りがちらつき、複数の人影が見えた。  
王家の印章を付けた箱を運ぶ従者たち――その中身は、リリアーナが求めていた金流記録の原本だった。  
「チャンスは今だけよ」  
「合図を待て。……今!」  
アランが弱く声を上げ、その瞬間リリアーナは部屋の影から飛び出した。  
足音を踏み鳴らす従者たちの前に立ちはだかり、決然と命じる。  
「止まりなさい。その箱、王の封印を偽造しているわ」  
「誰だ貴様は!」  
「私はエルヴェール伯爵家の令嬢、リリアーナ。――そして、罪を知る者よ」  

険悪な空気が走った。  
一斉に抜かれる剣、緊迫した沈黙。  
だが次の瞬間、奥から声が響く。  
「いい。下がれ」  
現れたのは監査長レオン。  
「なるほど……噂通り、随分と勇ましい女性だな」  
「事実を隠すために、あなたたちはどれほどの命を奪ったのかしら?」  
「誰も奪ってなどいない。権力とは秩序を守るためのものだ」  
「秩序とは、都合のよい嘘の別名よ」  
言い返した彼女の声は澄んで冷たい。  
わずかな間の後、レオンの口元が歪む。  
「面白い。……だが、貴族の娘ごときが何を掴んだ?」  
「すべてよ」  
彼女は懐から黒い封筒を取り出した。  
その封筒には、王国の印章が写された偽造契約書の写しが入っている。  
アランが震える手でそれを掲げ、宣言した。  
「――これにより、王国財務局の裏取引を正式に告発する!」  
その声が夜に響いた瞬間、門外から兵たちの怒号が響いた。  

「しまった、囲まれた!」  
アランが剣を抜く。  
リリアーナの視線が鋭くなる。  
「逃げ道は?」  
「北の回廊!急げ!」  
二人は駆け出した。石畳を打つ音が響き、追手の声が近づく。  
リリアーナのドレスが裂け、肩に冷たい風が刺さった。  
それでも足を止めない。  
もう戻る場所はない。進むしかないのだ。  

外門の前、アランが剣を構え直す。  
「ここを抜ければ城壁の外だ!」  
「行きましょう」  
彼女が頷いたその瞬間、後方から鋭い矢が飛ぶ。  
アランが身を翻し、彼女を庇った。  
「アラン!」  
かすかな血の匂い。だが彼は微笑みを崩さない。  
「大丈夫だ……行け!」  
夜風が二人の間を裂く。  

リリアーナは彼を引きずるように門を抜け、路地へ駆け出した。  
追手の声が遠ざかり、静寂が戻る。  
アランの腕の中で、彼女は苦しげに息をつく彼を見つめた。  
「泣くな。君は前を見ろ」  
「泣いてなんか、いませんわ」  
唇を噛みしめ、彼女は空を仰いだ。  
重い雲の隙間から、わずかに光が覗いている。  
希望なのか、それとも新たな嵐の前触れなのか。  

リリアーナは強くペンダントを握りしめた。  
「もう戻らない。ここからが本当の始まり」  

彼女の物語は、ついに王城という中心に足を踏み入れた。  
運命の歯車は加速し、過去の記憶さえ追いつけない速度で動き出していた。  

(続く)
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