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第27話 婚約破棄、今度は私から
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ルクレシアの蒼い空の下、初夏の陽光が輝いていた。
街の中心では条約締結の祝宴が始まり、街路には王国とルクレシア双方の旗が掲げられている。
民たちは音楽と踊りに興じ、遠く鐘楼では祝いの鐘が鳴っていた。
その賑やかさの中に身を置きながらも、リリアーナの胸は不思議なほど静かだった。
手には、王都から届いたばかりの一通の封書。
それを開く前から、嫌な予想が胸を掠めていた。
そして、その予想は当たっていた。
――王命により、エルヴェール伯爵家の縁組再考を命ず。
婚約者候補:アラン・リオネル。
「……皮肉ね」
唇から小さく笑いが漏れる。
国を救い、和解を成した今、王が望むのは“王国を安定させるための結婚”だった。
アランの忠誠も、彼女の功績も、互いの想いも。
全てが政治という名の舞台に乗せられている。
「アラン……あなたと私の関係まで、また誰かの手で決められるのね」
声には苦味が混じっていたが、その奥にあったのは静かな決意だった。
***
夕暮れ。
祝宴のあと、宿舎へ戻るとアランが玄関先で待っていた。
王都から到着したばかりの彼の姿を見つけ、胸が熱くなる。
包帯の下の腕はまだ痛むはずなのに、その目は昔と同じ強さを宿していた。
「リリアーナ」
その名を呼ぶ声の優しさに、少しだけ涙が滲む。
「無理をして来たの?」
「君に会わずにいられると思うか?」
「律儀ね。報せは届いていた?」
「届いた。……俺と君の“婚約再考”の件だ」
「ええ。そして王は望んでいるの。“国の象徴としての再契り”を」
アランの眉がわずかに動く。
「それを、どう思う?」
リリアーナは静かに彼を見る。
「三年前と同じね。あの夜、あなたに婚約破棄を突きつけられた時と」
「違う。今度は俺が望んで……」
「いいえ」
彼女は言葉を遮った。
「今度は、私が選ぶわ」
「リリアーナ?」
「婚約破棄をするのは私。国のためでも、誰かのためでもない。自分のために」
沈黙が降りた。
風のように軽くも、鋭くもある言葉。
アランは驚きに眼を見開いたが、やがて苦笑を浮かべる。
「そうか。……決めたんだな」
「ええ。政治の道具として結ばれるくらいなら、私は独りを選ぶ。あなたを貶めたいわけじゃないの。むしろ感謝している」
「感謝?」
「あなたがいたから、私はここまで来た。けれど、これからは自分で歩きたい。あなたの手に支えられる幸せに、甘えてしまうのが怖いのよ」
「俺を信用していないのか?」
「違うわ。あなたを誰よりも信じている。でも、“信頼できる誰か”にすがる生き方は、もう終わりにしたいの」
アランはしばし沈黙した。
その瞳の奥に、一瞬だけ痛みのような影が走る。
しかし、彼はすぐに穏やかに微笑んだ。
「……君らしいよ。その選択がきっと正しい。けれど、君が歩き出すその道の隣に立つ権利くらい、俺にくれないか?」
「権利?」
「“支える”じゃない、“並ぶ”だ」
リリアーナの呼吸が止まった。
その一言が、胸の奥を優しく貫く。
寄りかかるのでも、背を押されるのでもない。
並んで歩く。
それは彼女がずっと望んでいた関係の形だった。
彼の言葉に、ゆっくりと頬が緩む。
「あなたはずるいわね」
「正直なだけさ」
「じゃあ――その権利、認めてあげる」
二人の間に小さな沈黙が流れる。
夜風がカーテンを揺らし、外では街の灯りが小さく瞬いている。
「ねえ、アラン」
「なんだ?」
「私、あなたに伝えておきたいの。きっと、これが本当の決着だから」
「……聞かせてほしい」
リリアーナは一歩近づき、彼の胸に手を当てた。
心臓の鼓動が掌に伝わる。
「私はあなたを愛してる。でも、その愛に縋ることはしない。
愛される女でいたいんじゃなくて、“愛する力を持つ人間”でありたいの」
アランは彼女の手を包み、その言葉を真っすぐに受け止める。
「君がそう言えるなら、それは俺にとっても救いだ。
君が誰の名でもなく、自分の意思で生きるなら、それが一番の報いだ」
リリアーナの目に、静かな涙が溢れた。
温かな涙。過去の痛みや怒りとは違う、清らかな涙。
アランが少し背を屈め、額を合わせる。
「泣くな、リリアーナ。これは終わりなんかじゃない。これからだ」
「ええ。――これが“始まりの別れ”なのよね」
「きっとそうだ」
二人はそうして、短くも美しい沈黙を共有した。
やがてリリアーナは彼の手から離れ、小さく息をつく。
「王に報告を出すわ。婚約は私の意思で破棄すると」
「ああ……君の言葉なら、どんな権力も覆せない」
「信じてくれるの?」
「何度だって信じる。君が君でなくなる瞬間なんて、想像もできない」
「ありがとう。だから、私は進めるわ」
ベランダから見下ろした街には、新しい灯りが次々と灯り始めていた。
小さな光の粒が道を照らし、重なり合いながら未来を描いている。
リリアーナはその光に向かって歩き出そうとする。
アランがその背を見送りながら言った。
「君が“自由”を選んだ日に、俺はもう一度恋をした」
足を止めたリリアーナが振り返る。
「……そんな告白、卑怯だわ」
「言わずにいられなかった」
「困るのに」
「困らせたかった」
二人の笑い声が夜に溶けていく。
もう二度と、“命令”としての婚約に縛られることはない。
二人の心が選んだのは、縛りではなく絆だった。
「さよなら、アラン。次は――あなたと同じ空の下で、別の人生を歩くわ」
「ああ、きっとまた会える。運命は離すことを知らない」
リリアーナは振り返らない。
けれど、その歩みは涙ではなく光に満ちていた。
自らの意志で結び、自らの手で解く。
彼女はついに、誰のものでもない未来を選び取ったのだった。
夜風が花の香りを運び、星々がひときわ輝く。
その瞬間、彼女の胸に宿る転生の魔石がふんわりと光を放った。
――新しい記録が刻まれるように。
運命の輪は、またひとつ、美しく回り始めていた。
(続く)
街の中心では条約締結の祝宴が始まり、街路には王国とルクレシア双方の旗が掲げられている。
民たちは音楽と踊りに興じ、遠く鐘楼では祝いの鐘が鳴っていた。
その賑やかさの中に身を置きながらも、リリアーナの胸は不思議なほど静かだった。
手には、王都から届いたばかりの一通の封書。
それを開く前から、嫌な予想が胸を掠めていた。
そして、その予想は当たっていた。
――王命により、エルヴェール伯爵家の縁組再考を命ず。
婚約者候補:アラン・リオネル。
「……皮肉ね」
唇から小さく笑いが漏れる。
国を救い、和解を成した今、王が望むのは“王国を安定させるための結婚”だった。
アランの忠誠も、彼女の功績も、互いの想いも。
全てが政治という名の舞台に乗せられている。
「アラン……あなたと私の関係まで、また誰かの手で決められるのね」
声には苦味が混じっていたが、その奥にあったのは静かな決意だった。
***
夕暮れ。
祝宴のあと、宿舎へ戻るとアランが玄関先で待っていた。
王都から到着したばかりの彼の姿を見つけ、胸が熱くなる。
包帯の下の腕はまだ痛むはずなのに、その目は昔と同じ強さを宿していた。
「リリアーナ」
その名を呼ぶ声の優しさに、少しだけ涙が滲む。
「無理をして来たの?」
「君に会わずにいられると思うか?」
「律儀ね。報せは届いていた?」
「届いた。……俺と君の“婚約再考”の件だ」
「ええ。そして王は望んでいるの。“国の象徴としての再契り”を」
アランの眉がわずかに動く。
「それを、どう思う?」
リリアーナは静かに彼を見る。
「三年前と同じね。あの夜、あなたに婚約破棄を突きつけられた時と」
「違う。今度は俺が望んで……」
「いいえ」
彼女は言葉を遮った。
「今度は、私が選ぶわ」
「リリアーナ?」
「婚約破棄をするのは私。国のためでも、誰かのためでもない。自分のために」
沈黙が降りた。
風のように軽くも、鋭くもある言葉。
アランは驚きに眼を見開いたが、やがて苦笑を浮かべる。
「そうか。……決めたんだな」
「ええ。政治の道具として結ばれるくらいなら、私は独りを選ぶ。あなたを貶めたいわけじゃないの。むしろ感謝している」
「感謝?」
「あなたがいたから、私はここまで来た。けれど、これからは自分で歩きたい。あなたの手に支えられる幸せに、甘えてしまうのが怖いのよ」
「俺を信用していないのか?」
「違うわ。あなたを誰よりも信じている。でも、“信頼できる誰か”にすがる生き方は、もう終わりにしたいの」
アランはしばし沈黙した。
その瞳の奥に、一瞬だけ痛みのような影が走る。
しかし、彼はすぐに穏やかに微笑んだ。
「……君らしいよ。その選択がきっと正しい。けれど、君が歩き出すその道の隣に立つ権利くらい、俺にくれないか?」
「権利?」
「“支える”じゃない、“並ぶ”だ」
リリアーナの呼吸が止まった。
その一言が、胸の奥を優しく貫く。
寄りかかるのでも、背を押されるのでもない。
並んで歩く。
それは彼女がずっと望んでいた関係の形だった。
彼の言葉に、ゆっくりと頬が緩む。
「あなたはずるいわね」
「正直なだけさ」
「じゃあ――その権利、認めてあげる」
二人の間に小さな沈黙が流れる。
夜風がカーテンを揺らし、外では街の灯りが小さく瞬いている。
「ねえ、アラン」
「なんだ?」
「私、あなたに伝えておきたいの。きっと、これが本当の決着だから」
「……聞かせてほしい」
リリアーナは一歩近づき、彼の胸に手を当てた。
心臓の鼓動が掌に伝わる。
「私はあなたを愛してる。でも、その愛に縋ることはしない。
愛される女でいたいんじゃなくて、“愛する力を持つ人間”でありたいの」
アランは彼女の手を包み、その言葉を真っすぐに受け止める。
「君がそう言えるなら、それは俺にとっても救いだ。
君が誰の名でもなく、自分の意思で生きるなら、それが一番の報いだ」
リリアーナの目に、静かな涙が溢れた。
温かな涙。過去の痛みや怒りとは違う、清らかな涙。
アランが少し背を屈め、額を合わせる。
「泣くな、リリアーナ。これは終わりなんかじゃない。これからだ」
「ええ。――これが“始まりの別れ”なのよね」
「きっとそうだ」
二人はそうして、短くも美しい沈黙を共有した。
やがてリリアーナは彼の手から離れ、小さく息をつく。
「王に報告を出すわ。婚約は私の意思で破棄すると」
「ああ……君の言葉なら、どんな権力も覆せない」
「信じてくれるの?」
「何度だって信じる。君が君でなくなる瞬間なんて、想像もできない」
「ありがとう。だから、私は進めるわ」
ベランダから見下ろした街には、新しい灯りが次々と灯り始めていた。
小さな光の粒が道を照らし、重なり合いながら未来を描いている。
リリアーナはその光に向かって歩き出そうとする。
アランがその背を見送りながら言った。
「君が“自由”を選んだ日に、俺はもう一度恋をした」
足を止めたリリアーナが振り返る。
「……そんな告白、卑怯だわ」
「言わずにいられなかった」
「困るのに」
「困らせたかった」
二人の笑い声が夜に溶けていく。
もう二度と、“命令”としての婚約に縛られることはない。
二人の心が選んだのは、縛りではなく絆だった。
「さよなら、アラン。次は――あなたと同じ空の下で、別の人生を歩くわ」
「ああ、きっとまた会える。運命は離すことを知らない」
リリアーナは振り返らない。
けれど、その歩みは涙ではなく光に満ちていた。
自らの意志で結び、自らの手で解く。
彼女はついに、誰のものでもない未来を選び取ったのだった。
夜風が花の香りを運び、星々がひときわ輝く。
その瞬間、彼女の胸に宿る転生の魔石がふんわりと光を放った。
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(続く)
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