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第10話 疑惑の影と貴族たちの噂
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夜の王都は不穏な静けさに包まれていた。
街角では人々がひそひそと声を交わし、貴族の屋敷には灯が遅くまでともっている。
昨夜の舞踏会での出来事――王太子を公開の場で糾弾したレティシアと、それを支えた氷の公爵アラン・ルミナス。その名は瞬く間に噂となり、王城から下町まで駆け巡っていた。
「グランベル家の令嬢が真実を突きつけたらしい。」
「いや、あれは公爵がすべて仕組んだという話だぞ。」
「王家が黙っているのは、裏で取引があるからだ。」
誰もが真実を知らず、噂だけが肥大していく。人々の想像は時に事実よりも残酷だ。
そのさざめきの中心で、当事者たちはただ静かに次の一手を考えていた。
────
ルミナス家の王都別邸。
重厚な扉の奥、深夜にもかかわらずアランの執務室には明かりが灯っていた。
「……王都の動きが早すぎる。」
アランは報告書を机に広げていた。そこには貴族会議の非公式議事録が記されている。内容は一見、たわいもない政治の話題。しかしその端々に、不穏な記述が潜んでいた。
【王太子殿下の威信を守るため、事実関係の再調査を要す。元婚約者レティシア・グランベル嬢に再聴聞の場を設けることを提案。】
「再聴聞……?」
隣で書類を覗き込んでいたレティシアが顔を上げた。
彼女の青い瞳が揺れる。恐怖ではない、怒りだった。
「まだ足りないというのですか? あれほどの証拠を突き付けたのに。」
「彼らは真実を求めているわけじゃない。形だけでも“王家の正義”を守りたいんだ。」
アランの声音は冷えていたが、諦めの響きはない。代わりに、どこか計算するような光をその瞳に宿している。
「殿下は今、完全に追い詰められている。だが、追い詰められた獣ほどよく噛みつく。奴は自分の名誉を守るために――今度はお前を犯罪者に仕立て上げるだろう。」
「わたくしを……?」
「ええ。すでにそれに利用できそうな材料がいくつか動いている。」
アランは数枚の紙を差し出した。王都の新聞草稿と密偵の報告書。
そこには信じがたいほど歪められた記事案が並んでいた。
『元令嬢、嫉妬で虚偽の証言か? 王太子一派、新証言を入手!』
『ルミナス公爵、謀略の影。公爵家の政治的介入か?』
レティシアの顔が引き締まった。耳鳴りのように動悸が高鳴る。
「……また、私を使って嘘を重ねようとしているのですね。」
「奴にとってお前は“利用するための駒”だ。破滅させるための駒でもある。」
「……許せません。」
その言葉を吐いた瞬間、レティシアの瞳が燃えるような光を放った。
アランは僅かに唇を歪める。
「その目だ。怯える顔よりもずっと似合っている。」
「でも、どう戦えば良いのでしょう? この王都には真実よりも噂のほうが力を持ちます……!」
「戦う方法ならある。奴らが嘘を使うなら、こちらは“真実”を形にすればいい。」
「真実を……形に?」
アランは引き出しから一枚の古い地図を取り出した。
中央には王宮を中心に描かれた線。そこに「記録塔」と記されていた。
「記録塔?」
「王城の奥深くにある古文書庫だ。すべての議案、通達、発令、封印文書が保管されている。無論、王太子が当時交わした“婚約関連の記録”もあるはずだ。」
「それを探すというのですか?」
「そうだ。正しい契約と破棄の証が残っていれば、王家の横暴を暴ける。」
レティシアは息を呑んだ。
「ですが、記録塔は限られた者しか入れません。今のわたくしでは許可など……」
「俺がいる。ルミナス家は王室顧問位を持つ。書庫閲覧の権限もある。」
「……本気なのですね、公爵様。」
「ああ。お前を完全に救うためなら、王城の奥底にでも踏み込む。」
その言葉は大げさではなく、事実だった。
アランの瞳は真っ直ぐ。凍りつくような冷静さの底に、確固たる信頼が宿っている。
レティシアの胸の奥で、何かが強く鳴った。
もはや彼の背を追う覚悟はできている。
────
翌日。
王都ではもう一つ、別の噂が広まっていた。
「ルミナス公爵が女一人のために動いているらしい。」
「らしい? 実際に護衛を増員し、屋敷に近づく者まで制限しているというぞ。」
「それほどの女なのか……。」
まるで火に油を注ぐように、この噂が貴族たちの間で広まっていく。
レティシアは窓の外からそれを耳にしていた。遠くで笑い声が聞こえるが、心は波立たない。
「……みんな自由に言えばいいわ。どうせ真実は知らないのだから。」
彼女の声は静かに沈んでいた。
そこへ侍女のマリーが入ってくる。
「レティシア様、午後の来客です。レオナルド侯爵家の令嬢が……どうしてもと。」
「レオナルド家……?」
レティシアの頭に、かつての学園時代の記憶が蘇る。
侯爵令嬢クララ・レオナルド。かつて友人だった人だ。だが婚約破棄の件以来、一度も会っていない。
応接室に通されると、クララは緊張した面持ちで立っていた。
「久しぶりね、レティシア。」
「ええ。本当に久しぶりです、クララ。」
「……昨夜の舞踏会、見ていたの。あなたが殿下に言葉を返した瞬間、泣きそうになったのよ。あれほどの勇気、わたしには絶対にできないと思った。」
「ありがとう。でも、私にとってはあれが唯一の道でした。」
クララは少し躊躇ってから、小さな紙片を差し出した。
「これを……あなたに渡せと言付かってきたの。」
「これは……?」
レティシアは紙を開いた。そこには見覚えのある筆跡があった——デリック・ノア男爵の。
【“汚名を雪ぐために王城へ来い。お前に語るべき真実がある。”】
短い文面。その意味は明瞭だった。
アランを遠ざけ、再び王城の中へ誘い込む誘導文。
「……やはり動いたのですね。」
紙を睨みつけるレティシアの目が鋭く光る。
クララは心配そうに言った。
「罠かもしれないわ。あなたはもう王太子一派の怒りを買っている。どうか慎重に……」
「ありがとう、クララ。でも大丈夫。必ず公爵様と共に行きます。」
────
夜。
屋敷の中庭には月光が降りていた。
白薔薇が風に揺れ、あの夜の香りを思い出させる。
レティシアはその中でアランを待っていた。
やがて足音。黒い外套の男が現れる。
「呼ばれたと聞いたが。」
「はい、一件だけお伝えすべきことが。王城から“招待状”が届きました。」
「……なるほど。」アランの目が細くなった。「やはり動いたか。だがこれは好機でもある。」
「まさか……行くおつもりですか?」
「行く。奴らは俺が動くことを計算しているつもりだろうが――それが裏目になる。」
「ですが、王城の中では……」
「俺は王家顧問位。彼らの前で堂々と動ける。問題はない。」
「……。」
レティシアは胸元に手を当てた。恐怖よりも、不思議な安堵を感じている。
この人といると、嵐の真ん中でも不思議と冷静になれる。
アランは月光を背に彼女を見つめた。
「もう一度聞こう。お前は本当に恐れないか?」
「ええ。あなたが隣にいれば。」
夜風が頬を撫でる。
氷のような月が二人の影を重ねた。
アランが歩み寄り、レティシアの肩に手を置く。
「良い答えだ。明日の朝、準備を整えろ。俺たちは“真実の記録”を奪いに行く。」
その言葉に、レティシアは静かに頷いた。
白薔薇の花弁が二人の足元に舞い落ちる。
それは誓いの証のように、美しく散った。
続く
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────
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重厚な扉の奥、深夜にもかかわらずアランの執務室には明かりが灯っていた。
「……王都の動きが早すぎる。」
アランは報告書を机に広げていた。そこには貴族会議の非公式議事録が記されている。内容は一見、たわいもない政治の話題。しかしその端々に、不穏な記述が潜んでいた。
【王太子殿下の威信を守るため、事実関係の再調査を要す。元婚約者レティシア・グランベル嬢に再聴聞の場を設けることを提案。】
「再聴聞……?」
隣で書類を覗き込んでいたレティシアが顔を上げた。
彼女の青い瞳が揺れる。恐怖ではない、怒りだった。
「まだ足りないというのですか? あれほどの証拠を突き付けたのに。」
「彼らは真実を求めているわけじゃない。形だけでも“王家の正義”を守りたいんだ。」
アランの声音は冷えていたが、諦めの響きはない。代わりに、どこか計算するような光をその瞳に宿している。
「殿下は今、完全に追い詰められている。だが、追い詰められた獣ほどよく噛みつく。奴は自分の名誉を守るために――今度はお前を犯罪者に仕立て上げるだろう。」
「わたくしを……?」
「ええ。すでにそれに利用できそうな材料がいくつか動いている。」
アランは数枚の紙を差し出した。王都の新聞草稿と密偵の報告書。
そこには信じがたいほど歪められた記事案が並んでいた。
『元令嬢、嫉妬で虚偽の証言か? 王太子一派、新証言を入手!』
『ルミナス公爵、謀略の影。公爵家の政治的介入か?』
レティシアの顔が引き締まった。耳鳴りのように動悸が高鳴る。
「……また、私を使って嘘を重ねようとしているのですね。」
「奴にとってお前は“利用するための駒”だ。破滅させるための駒でもある。」
「……許せません。」
その言葉を吐いた瞬間、レティシアの瞳が燃えるような光を放った。
アランは僅かに唇を歪める。
「その目だ。怯える顔よりもずっと似合っている。」
「でも、どう戦えば良いのでしょう? この王都には真実よりも噂のほうが力を持ちます……!」
「戦う方法ならある。奴らが嘘を使うなら、こちらは“真実”を形にすればいい。」
「真実を……形に?」
アランは引き出しから一枚の古い地図を取り出した。
中央には王宮を中心に描かれた線。そこに「記録塔」と記されていた。
「記録塔?」
「王城の奥深くにある古文書庫だ。すべての議案、通達、発令、封印文書が保管されている。無論、王太子が当時交わした“婚約関連の記録”もあるはずだ。」
「それを探すというのですか?」
「そうだ。正しい契約と破棄の証が残っていれば、王家の横暴を暴ける。」
レティシアは息を呑んだ。
「ですが、記録塔は限られた者しか入れません。今のわたくしでは許可など……」
「俺がいる。ルミナス家は王室顧問位を持つ。書庫閲覧の権限もある。」
「……本気なのですね、公爵様。」
「ああ。お前を完全に救うためなら、王城の奥底にでも踏み込む。」
その言葉は大げさではなく、事実だった。
アランの瞳は真っ直ぐ。凍りつくような冷静さの底に、確固たる信頼が宿っている。
レティシアの胸の奥で、何かが強く鳴った。
もはや彼の背を追う覚悟はできている。
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翌日。
王都ではもう一つ、別の噂が広まっていた。
「ルミナス公爵が女一人のために動いているらしい。」
「らしい? 実際に護衛を増員し、屋敷に近づく者まで制限しているというぞ。」
「それほどの女なのか……。」
まるで火に油を注ぐように、この噂が貴族たちの間で広まっていく。
レティシアは窓の外からそれを耳にしていた。遠くで笑い声が聞こえるが、心は波立たない。
「……みんな自由に言えばいいわ。どうせ真実は知らないのだから。」
彼女の声は静かに沈んでいた。
そこへ侍女のマリーが入ってくる。
「レティシア様、午後の来客です。レオナルド侯爵家の令嬢が……どうしてもと。」
「レオナルド家……?」
レティシアの頭に、かつての学園時代の記憶が蘇る。
侯爵令嬢クララ・レオナルド。かつて友人だった人だ。だが婚約破棄の件以来、一度も会っていない。
応接室に通されると、クララは緊張した面持ちで立っていた。
「久しぶりね、レティシア。」
「ええ。本当に久しぶりです、クララ。」
「……昨夜の舞踏会、見ていたの。あなたが殿下に言葉を返した瞬間、泣きそうになったのよ。あれほどの勇気、わたしには絶対にできないと思った。」
「ありがとう。でも、私にとってはあれが唯一の道でした。」
クララは少し躊躇ってから、小さな紙片を差し出した。
「これを……あなたに渡せと言付かってきたの。」
「これは……?」
レティシアは紙を開いた。そこには見覚えのある筆跡があった——デリック・ノア男爵の。
【“汚名を雪ぐために王城へ来い。お前に語るべき真実がある。”】
短い文面。その意味は明瞭だった。
アランを遠ざけ、再び王城の中へ誘い込む誘導文。
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紙を睨みつけるレティシアの目が鋭く光る。
クララは心配そうに言った。
「罠かもしれないわ。あなたはもう王太子一派の怒りを買っている。どうか慎重に……」
「ありがとう、クララ。でも大丈夫。必ず公爵様と共に行きます。」
────
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「……なるほど。」アランの目が細くなった。「やはり動いたか。だがこれは好機でもある。」
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「……。」
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夜風が頬を撫でる。
氷のような月が二人の影を重ねた。
アランが歩み寄り、レティシアの肩に手を置く。
「良い答えだ。明日の朝、準備を整えろ。俺たちは“真実の記録”を奪いに行く。」
その言葉に、レティシアは静かに頷いた。
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それは誓いの証のように、美しく散った。
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