婚約破棄された令嬢は氷の公爵に拾われ、気づけば溺愛されていました~見下してきたあなた、後悔してももう遅いわ~

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第12話 初めての微笑み

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王城を後にしたアランとレティシアは、沈黙のまま馬車に揺られていた。  
早朝の街並みは霧を帯び、人々の姿もまだまばら。蹄の音と車輪の軋みだけが響く。  
だがその静寂の裏で、二人の胸の中ではさまざまな思いが渦巻いていた。

レティシアは、膝に置いた両手を強く握りしめていた。  
記録塔で目にした“王妃の署名”。  
婚約破棄を仕組んだ黒幕が王太子ではなく、王妃本人だったという事実が、まだ信じ切れなかった。  
操り人形のようになった殿下、そして母親に利用され続けた自分。  
すべてがひとつの線で繋がり、それが余計に胸を締めつける。

「……本当に、悪夢のようです。」  
ようやく声を発したレティシアに、アランが短く応じた。  
「悪夢なら、今はまだ夢の途中だ。目を覚ますのは、真実が語られたときだ。」  
「真実……そんなもの、彼らは決して受け入れないでしょう。」  
「なら、叩きつけるだけだ。逃げ場のない形で。」  
アランの瞳は氷のように冷たく、それでいてその奥に燃える何かがある。  
その光を見ると、レティシアの心の震えがすっと鎮まるのを感じた。

しばらくして、彼女は窓の外を見つめながらそっと呟いた。  
「王妃陛下が……わたくしを憎む理由、きっと“血”なのですね。」  
「血?」  
「ええ。母が平民の出だったことをご存じでした?」  
アランがわずかに眉を動かす。レティシアは静かに頷いた。  
「母は貴族社会に馴染めなかった。けれど、父はそんな母を心から愛していました。けれど王妃は、そんな“混ざりもの”を心底軽蔑していたそうです。王家に嫁ぐ家として不適格と……私、生まれた時から嫌われていたのかもしれません。」  
彼女の声には、どこか諦めにも似た響きがあった。  

アランはそれを聞き、わずかに息を吐く。  
「お前の血に誇りを持て。出自を指して蔑む者は、己の弱さを誤魔化しているだけだ。」  
「……公爵様、そんなふうに言ってくださるなんて。」  
レティシアは少しだけ微笑んだ。でもその顔にはまだ、わずかに翳りがあった。  
「それでも、王妃陛下に立ち向かうのは怖いです。母のことで見下されるのは慣れていますが、今度ばかりは命を奪われるかもしれない。」  
「死ぬのは簡単だ。生き延びて勝つほうが、よほど難しい。」  
「……勝つ、ですか。」  
「そうだ。お前が生き抜くことが、王妃にとって最大の敗北になる。」  

その言葉に、レティシアの心が少しずつ温まる気がした。  
アランの声は冷たいのに、不思議と胸の奥で灯りをともす。  
沈んでいた景色が、少しずつ色を取り戻していくような感覚だった。

馬車が屋敷に戻る頃には、太陽が街を照らし始めていた。  
門をくぐると、マリーが裾をつまんで駆け寄ってきた。  
「お帰りなさいませ! ……本当にご無事でよかったです!」  
「ただいま、マリー。」  
レティシアは柔らかく微笑んだ。彼女が人に笑みを向けたのを、マリーが見るのは久しぶりだった。  

アランは軽く顎を引き、使用人たちを下がらせた。  
「今日一日は休め。今夜以降、王家の方から何らかの使者が来るはずだ。」  
「わかりました。でも公爵様は?」  
「これから騎士団本部へ行く。」  
レティシアが驚いたように目を見開いた。  
「また危険なところへ……?」  
「必要な準備だ。ギルバートにも報告しなければならない。」  

アランは踵を返して歩き出す。その背を見つめながら、レティシアが小さく口を開いた。  
「公爵様。」  
彼は立ち止まり、静かに振り向く。  
「気をつけてください。あなたがいなければ、私は戦えません。」  
その言葉に、アランは一瞬だけ視線を和らげた。  
そして短く告げる。  
「……笑っていろ。その顔があれば、俺は負けん。」  

────  

アランが屋敷を発ってしばらくして、レティシアは書斎に籠もった。  
机の上には、アランが残していった紙の束——王妃が署名した書簡の写し、その裏に走り書きされた調査メモ。  
読み進めるうち、彼女の手が止まる。そこには、アラン自身の筆跡が残されていた。  

【王妃の行動原理:息子への執着。王統の純血を守ることが至上命題。  
だが裏で、東方商会との密貿易に関与している可能性。資金流入の証拠を探す。】  

「……密貿易?」  
知らぬ間に息を呑んでいた。  
白々しい権力の裏で、王妃が汚れた金を動かしている。  
もしそれが本当なら、王族の体面を守るどころか王国の根幹を揺るがしかねない。  

レティシアは思わず立ち上がり、机の上の書類を両手で包み込んだ。  
「公爵様……あなたは、そこまで見ていたのね。」  

彼女は窓の外を見た。青空の端に、騎士団の旗が揺れているのが見える。  
その先に、氷のように冷たい人影。――けれど今では、頼もしく、眩しい存在。  

「私も強くならないと……。」  
小さく呟いて、視線を落とす。その時、扉がノックされた。  

「レティシア様、使者が参りました。」  
扉の向こうからマリーの声。  
胸騒ぎが走る。  
「使者、ですって?」  
「はい。王妃陛下の侍従を名乗っておられます。」  
「……やはり、来たのね。」  

レティシアは大きく息を吐き、姿勢を正して扉を開けた。  
入ってきたのは、白髪の老臣。王妃付き侍従長アルベルト。無表情のまま、両手に巻簡を掲げる。  

「陛下の仰せにより、こちらをお届けします。」  
差し出されたそれには、金色の印章が押されていた。  
王妃自身の紋章――白百合の刻印。  

レティシアはそれを受け取り、慎重に開いた。  
封書の中からは、たった一枚の手紙。筆跡は優美で、内容は簡潔だった。  

『王家の威信を守るため、王妃として私的に対話したい。  
今宵、王城の温室にて待つ。周囲には知らせぬように。――エリザベート』

罠だ――と、すぐに分かった。  
けれど同時に、これを逃せば永遠に真実を直接突きつける機会は訪れない。  
夜気の中に、冷たい覚悟が芽生える。  

レティシアはゆっくり封書を折り畳み、胸元に入れた。  
「王妃陛下……あなたと、終わらせましょう。」  

────  

その夜、王城の温室。  
色とりどりの花々の香りが漂い、蝋燭だけが灯る幽かな空間。  
月明かりが差し込み、床に絡み合う影が揺れる。  

レティシアが静かに足を進めると、奥の椅子に一人の女性が座っていた。  
蒼いドレス、銀の髪、そして涼やかな瞳。王妃エリザベート――高貴と冷徹を併せ持つその姿に、レティシアは息を呑んだ。  

「来てくれたのね、レティシア・グランベル。」  
「ええ。陛下のご命令とあらば。」  
「素直で結構。……あなたが私の前に現れる日が来るとは思わなかったわ。」  

王妃は指先でワイングラスを傾ける。血のように赤い液体が揺れる。  
「あなたは愚か。でも、恐ろしいほどの執念を持っている。女としては感心するわ。」  
「それは誉め言葉と受け取ってよろしいでしょうか。」  
「ええ。だからこそ、ここで終わらせてあげるの。」  

その言葉に、レティシアの背筋が凍る。  
静かに立ち上がる王妃。その唇が弧を描く。  
「“氷の公爵”があなたにどれほど入れ込んでいるか……噂は聞いているわ。でもね、私の息子に盾突いた時点で、あなたの運命は決まっている。」

足音が響いた。  
温室の入口に鎧の兵が立っていた。王妃直属の親衛兵。  
その視線が鋭く光り、レティシアを取り囲む。  

「ご安心を。死ぬほどのことはさせません。ただ、少し眠ってもらうだけ。」  
王妃の声は微笑むようで、氷よりも冷たかった。  

だがその時――。  
突風が吹き込み、温室の蝋燭が一斉に揺らいだ。  
暗闇の奥から、鋭い声が響く。  

「……王妃陛下。客をもてなす方法としては、少々品がありませんな。」  

現れたのは、黒い外套の男。目にかかる銀の髪、月光を受ける氷の瞳。  
アラン・ルミナス。  
その登場に、兵たちの視線が一斉に動いた。  

王妃が片眉を上げ、くすりと笑う。  
「やはり来たわね。あなたなしでこの子が動くと思って?」  
「もちろんだ。だが、万一に備えて先回りさせてもらった。」  
アランの剣が鈍く光る。  

レティシアは一歩前に出た。  
「陛下……もう、誰も操らせはしません。」  
王妃の笑みがわずかに歪んだ。  
「ならば見せてごらんなさい。本当に王家に刃を向ける覚悟があるのかを。」  

緊張が満ちる温室。  
咲き誇る花々が微風に揺れ、まるで次の血飛沫を待っているかのようだった。  

続く
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