婚約破棄された令嬢は氷の公爵に拾われ、気づけば溺愛されていました~見下してきたあなた、後悔してももう遅いわ~

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第16話 王太子の罠

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夜が明けても、ルミナス公爵邸には安堵の色はなかった。  
夜の告白が胸の奥で燻るように暖かい一方で、レティシアもアランもどこか落ち着かない心を抱えていた。  
敵は去っていない。王妃と王太子が城の地下に幽閉されたとはいえ、その背後に控える貴族たちはまだ健在だ。  
沈黙は嵐の前触れであり、静けさは爪を研ぐ音だった。

朝の光が庭の白薔薇を照らす。  
レティシアは窓辺で一輪の花を手に取った。夜気に濡れて冷たい。  
「こんなに美しいのに、傷を隠して咲くのですね。」  
呟いた声に背後から返事がした。  
「薔薇は傷を隠さない。ただ、誇り高く見せようとするだけだ。」  
振り向けば、アランが立っていた。いつもの黒衣だが、瞳の奥には疲労の影が見えた。  
彼は机の上に封書を置く。  

「王都軍務省からの通達だ。今夜、王城にて“王国再編”の協議会が開かれる。王妃の失脚後、次代の王政を定める名目だ。」  
「つまり、新しい体制を決める場……ですか?」  
「ああ。表向きは王国の安定。実際には、残された貴族たちが新たな権力争いを始めるだろう。」  
レティシアは唇を引き結んだ。  
「では、公爵様も出席されるのですね。」  
「当然だ。……だが、誘い方が不審すぎる。」  

アランは手紙を開き、その一節を読み上げた。  
「『国の再建に貴殿の知見を賜りたく、王太子殿下より代理を以てお達し申し上げる』」  
「王太子殿下から……?」  
その名を聞いた瞬間、レティシアの瞳が大きく開かれた。  
「でも彼は幽閉されているはずです。城を出られる状況では……」  
「だから怪しい。王妃派の残党が彼の名を騙っているのかもしれん。」  
アランの声は低く沈み、唇に険しい影が走る。  
「だが、もし本人の意思なら――あの男はまだ終わっていない。」  

沈黙が落ちた。  
レティシアは拳を握り、覚悟を決めるように問う。  
「ご一緒してもよろしいですか?」  
「駄目だ。」  
「ですが――」  
「今回は違う。」  
アランは彼女に背を向けたまま言う。  
「これは俺の戦だ。お前を危険に晒すわけにはいかない。」  
「危険なら今までも同じです。何度も死にかけたのに、一度も後悔しませんでした。」  
レティシアの声には揺るぎない意志があった。  
アランは振り返り、わずかに目を細める。  
「……お前は本当に、恐れというものを知らんな。」  
「違います。恐れより、信じる気持ちの方が強いだけです。」  
彼女の瞳に見つめられ、アランは何も言い返せなかった。  

やがて柔らかく息を吐き、肩を落とす。  
「……分かった。だが、絶対に俺の後ろを離れるな。」  
「はい。」  
その一言で、二人の間に再び静かな絆が結ばれた。

────

夜。  
王城の大広間にはかつてない数の灯がともっていた。  
高い天井を飾るシャンデリアの下、集まった貴族たちはそれぞれに顔を見合わせ、恐る恐る囁き合っていた。  
中央には、長く空席となっていた玉座が置かれている。だが、そこに座るべき王の姿はない。  
代わりに、その前方の階段に一人の男が立っていた。  

エドワード――王太子。  
薄い軍装を身につけ、青白い顔に不気味な笑みを浮かべていた。  
「王太子殿下は幽閉されたと聞いていましたが……」  
「何故ここに……あれは噂だったのか?」  
会場全体がざわめく中、エドワードの声音が静かに響く。  
「皆、驚いたかな。母上は疲れてお休みだ。今日からは私が王政を担う。新たな王国の時代を迎えるのだ。」  

不自然なほど穏やかな笑み。その声の裏には狂躁の色が見える。  
遅れて会場に入ったアランとレティシアは、隅でその光景を見つめていた。  
「……幽閉は偽りだったのね。」  
「いや、脱出した可能性が高い。母親が用意した逃げ道を使ったのだ。」  
「それなら、今日ここで何をするつもり……?」  
アランは答えず、ただ周囲の警備兵を観察する。普通の近衛ではない。全員、王太子直属の兵だ。  
罠の匂いがした。  

壇上でエドワードが手を広げる。  
「そして皆に紹介したい人物がいる。」  
視線が一斉に向けられる。彼が指した先、側面の扉が開き、一人の女性が現れた。  
その姿を見た瞬間、レティシアは息を呑んだ。  
「ミリア……!」  
華やかなドレスに身を包み、かつての伯爵令嬢ミリア・ハートリィが歩み出てくる。  
処分されたはずの彼女が、今はまるで王家の姫のような微笑を浮かべていた。  

「レティシア様、ご無沙汰しております。」  
レティシアは震える指先で言葉を探した。  
「あなた……どうして。」  
「誤解ですの。わたくし、殿下に赦されましたのよ。真実を話したら、全てを許してくださって。」  
「真実?」  
エドワードが芝居がかった声で応える。  
「そう。彼女は告白したのだ。“すべてはルミナス公爵とグランベル令嬢の陰謀でした”と。」  

会場がどよめいた。  
「何を……!」  
アランが一歩前に出ようとしたが、すでに周囲の兵が彼を囲んでいた。  
「殿下は貴方に命じます。下がってください。」  
「殿下、貴方こそ正気を――」  
「黙れぇっ!」  
狂気が露わになった。エドワードの声が響き渡り、剣が一斉に抜かれる。  
「お前は俺の冠を奪った! 母を陥れた! 民は笑っている、王太子がただの愚か者だったと!」  
「事実だからだ。」アランの言葉は冷ややかだった。  
「何だと……?」  
「お前が王家を腐らせた。自らの欲に耐えきれず、母の傀儡と化した男だ。その王冠は腐った果実だ。」  

その瞬間、弓矢が放たれた。  
レティシアの悲鳴。だが、矢は空を裂き、アランの肩を掠めただけだった。  
「アラン様!」  
「大丈夫だ!」  
すぐに彼は剣を抜き、兵の間を裂くように進む。  
その動きは獣のようにしなやかで、誰も触れることができない。  
レティシアの耳に、怒号と金属の音が混ざり合って響いた。  

混乱の中、エドワードは背後の出口へと逃げようとした。  
「逃がすか。」  
アランが追おうとした瞬間、ミリアが彼の前に立ちはだかる。  
「お待ちください、公爵様。」  
「そこを退け。」  
「退けません! 殿下は傷ついているだけなのです!」  
ミリアの瞳には涙が浮かんでいた。  
「わたくし、間違いを犯しました。けれど今度こそ、殿下を救うのです……!」  
「救いようなどない。」アランの声が低く響く。  
「それでも、愛しているのです!」  

その叫びに、レティシアが足を止めた。  
視線が交わる。かつての敵でありながら、今は彼女にもまた運命の形が見えていた。  
「彼女はまだ、戦っているのね……」  
誰もが過ちから逃れられない。レティシアは唇を噛んだ。  
だが次の瞬間、ミリアの背後から再び矢が飛ぶ。  
アランが瞬時に反応し、レティシアを庇った。  
音もなく、矢が空を裂く。肩の傷が広がり、血が滴った。  

「アラン様!」  
「平気だ。行け、レティシア!」  
「でも――」  
「行け!」  
叫びに押され、レティシアは駆け出す。  
玉座の間の奥、逃げるエドワードの背を追いかけて。  

「殿下、お待ちください!」  
長い回廊を抜ける。扉の向こう、彼の姿が消える。  
息を切らしながら、彼女はようやく辿り着いた。  
そこは――王城の頂上、ガラス張りの回廊。  
月が差し込み、風が吹き荒れる。  

「レティシア……! 来たな。」  
エドワードの手には短剣が握られていた。  
「お前さえ現れなければ、俺は王になれた。俺は正しかった……!」  
「誰かを傷つけて得た王冠に、価値はありません!」  
「黙れぇぇっ!」  

叫びと同時に短剣が閃く。  
レティシアの足がすくむ。だが、切っ先が届くよりも早く、黒い影が割り込んだ。  
アランだった。  
剣がぶつかり、金属音が月光に響く。  

「お前は……っ、何故いつも邪魔をする!」  
「それが俺の役目だからだ。」  
刃と刃が激しく擦れ合う。  
次の瞬間、エドワードの剣が弾かれ、宙を舞った。  
足を滑らせた彼は、崩れたガラス片の向こうへと倒れ込む。  

「殿下っ!」  
レティシアが思わず手を伸ばす。  
ギリギリのところで、アランの腕が彼の手首を掴む。  
「アラン様!」  
だが、エドワードは虚ろな目を向けて言った。  
「俺は……母上のようには生きられなかった……」  
その手が力を失い、闇へ落ちていく。  

静寂。  
ただ風の音だけが残った。  

アランは息を整え、レティシアを振り向いた。  
「……すべて、終わった。」  
レティシアは何も言えず、その場に崩れ落ちた。  

夜明け前の空に、ひとすじの光が走る。  
長い戦いの終わりを告げる、まだ青白い希望の光――。  

けれど二人の物語は、まだ終わらなかった。  
残された王妃、沈黙する王、そして壊れた国をどう導くのか――。  

アランは傷付いた肩を押さえながらつぶやいた。  
「次は……再生の番だ。」  

レティシアが微笑み、彼の手を取る。  
「ええ。そしてその始まりは……ここからです。」  

続く
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