婚約破棄された令嬢は氷の公爵に拾われ、気づけば溺愛されていました~見下してきたあなた、後悔してももう遅いわ~

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第21話 氷の心が砕けた瞬間

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朝靄が残る凍結谷の聖堂跡。  
崩壊した柱の隙間から新しい光が差し込み、雪の粒に反射して黄金のように輝いていた。  
夜を越えた冷気がまだ残る中、レティシアはアランの傍に膝をつき、彼の名を呼び続けていた。  
「アラン様……お願いです、目を開けて。」  
白い息が空へ消えていく。そのたびに胸が締め付けられる。  
腕の中の彼の体温は確かにまだそこにあった。だが、血の匂いが濃すぎた。  

周囲には崩れた瓦礫と、かつて賢者が立っていた場所の焼け跡が広がる。  
魔法陣の痕跡は残っておらず、僅かにそれが放っていた異様な力だけが空気に漂っていた。  
遠くで風が唸る。孤独な谷に、彼女の祈りの声だけが響いていた。  

「……泣くな。そんな顔をするな。」  
その声を聞いて、レティシアの肩がびくりと震える。  
「……アラン様!?」  
かすれた声。だが、その目がゆっくりと開いた。瞳の色は薄く、いつもの冷たい青ではなく、曇り空のような灰色に見えた。  

「まだ……終わっていない。お前には、帰る場所がある。」  
「帰る場所なんて、あなたのいない場所に意味なんてありません!」  
レティシアの叫びに、アランが微かに苦笑した。  
「……そういう言葉は、もう少し生き延びてから言え。」  
「生き延びても、約束してくれなければ……私も行きません。」  

彼女の言葉を聞いて、アランは静かに視線を逸らした。  
その表情に、僅かな迷いと哀しみが見えた。  
「俺は……戻れない。」  
「どうしてそんなことを……!」  
「この身体では長くはもたない。賢者の呪が血に残っている。おそらく、王妃の呪いもな。」  

レティシアの胸に冷たい感覚が走った。  
確かにアランの体表にはうっすらと青い文様が浮かび、血管のように光を放っていた。  
それが、魔法陣の残滓。  
「治療をします。まだ助かるはずです。わたくし、少しですが回復の術を学びました……!」  
レティシアは震える手で光を生み出す。掌に宿る淡い光が、彼の胸を照らした。  
だがその光は、彼の中に入ると同時に消えた。まるで闇に飲まれたように。  

「……無駄だ。」  
アランの声が静かに響く。  
「俺の中には、罪と血が刻まれている。それを癒す光は、もうこの世にはない。」  
「そんなこと……言わないでください。」  
「俺はこの国を背負い、何人も切り捨ててきた。お前の母も、その中にいた。言葉を尽くしても、贖える罪じゃない。」  

レティシアの喉が詰まる。  
昨夜、彼が語った過去の断片が脳裏をよぎる。  
彼は自ら剣を振るい、罪を抱えて今を生きてきた。けれどその剣があったから、彼女も救われた。  
「……あなたがいたから、私は立ち上がれたんです。それだけで、十分贖っています。」  
「違う。」彼がかぶりを振る。  
「お前を救ったのは、俺の罪悪感だ。人を守るふりをして、俺は自分を守っていた。」  
「それでも、そんな優しさに私は救われました。」  
「優しさ……?」  
「ええ。あなたが投げつける短い言葉、突き放すような冷たさ。その全部が、誰よりも温かいのです。」  

アランの瞳が揺れた。  
レティシアは彼の胸に顔を押し当て、小さく息を吐いた。  
「だから、あなたに許しを与えるのはわたくしです。」  
「……それは、俺が望んではいない。」  
「でも、わたくしはそうしたい。」  
「お前は本当に、厄介だな。」  
アランは小さく笑うと、片腕を上げて彼女の背を抱き込んだ。  
「俺が氷のように閉ざしてきた心を、お前は勝手に踏み込んで砕いていく。」  

沈黙の中で、風の音が止む。谷の雪が舞い上がり、朝日が東から上がった。  
弱い光だったが、それでも聖堂の残骸に黄金の色を与えた。  

レティシアは涙に濡れた頬を拭い、彼の手を取る。  
「帰りましょう。まだ命はあります。王都ではあなたを待つ人がいる。」  
「……俺を?」  
「マリーも、セバスチャンも、あなたの仲間たちも。……そしてわたくしも。」  
アランはゆっくりと瞼を閉じ、しばらく沈黙した。  
そして静かに息を吐くと、肩の力を抜いた。  
「そうか。……なら、少しだけ信じてみよう。」  

レティシアが微笑む。  
「そうです。その微かな“信じる”が、あなたを支えるのです。」  
「昔の俺なら笑っていただろうな。」  
「笑えばいいじゃないですか。氷の公爵でも、笑うことを禁じられてはいません。」  
「――お前は本当に、いい女になった。」  

レティシアの頬がぽっと赤く染まった。  
だがすぐにその笑みが曇る。  
アランの視線がどこか遠くを見ていることに気づいた。  

「アラン様……?」  
「……すまない。光が強すぎて、少し眩しい。」  
「そんな、早く……!」  
レティシアは再び彼の腕を握り、懸命に声をかける。  
アランは微かに苦笑した。  
「強情なところも変わらんな。」  
「黙ってください! 今度こそあなたを死なせたりしません!」  

彼女の言葉に応えるように、アランの手がかすかに動く。  
「……レティシア。」  
「はい。」  
「人は変われる。本当にそう信じられる気がする。」  
「ええ。あなたはもう変わりました。」  
「なら、俺の代わりに――」  

言葉の途中で、アランの手が力を失った。  
その瞬間、レティシアの胸を鋭い痛みが貫く。  
「アラン様……っ!」  
彼の名を叫びながら、彼女は彼を抱きしめた。  
まるで体温を戻そうとするように。  

涙が頬を伝い、彼女の唇が彼の額に触れる。  
朝の光が天井の穴から差し込み、二人を包んだ。  
氷のように固く閉ざされてきた心が、今まさに砕け散る。  
その破片が、柔らかな温もりとなって彼女の胸に刻まれた。  

「アラン様……あなたは、永遠に私の中で生きています。」  
小さな声が静かな聖堂を満たした。  
雪が舞い、光の中で白い花弁のように揺れた。  

やがて、彼女は立ち上がった。涙の跡を拭い、震える足で出口へ向かう。  
門の外には夜がすでに終わりかけた空。  
その青の中に金色の光が滲み始めている。  

「……見ていますよね。公爵様。」  
彼に誓うように呟き、レティシアは背を伸ばした。  
その歩みはもう、かつての絶望の令嬢ではなかった。  
彼が残した想い――冷たさを溶かす優しさ。それを胸に刻んで。  

そして、谷を抜ける風が彼女の髪を揺らした。  
まるで失われた彼の息が、そっと背を押しているようだった。  

続く
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