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第28話 失った時間を取り戻す手
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冬が近づくにつれ、王都は静かな輝きを帯びていた。
雪こそまだ降らないものの、冷たい風が街路樹の葉を払い、舗道には色褪せた秋の残り香が漂っている。
それは、ひとつの時代が確かに終わろうとしている証だった。
フェルナンド家の屋敷に朝の光が差し込む。
火炉のぱちぱちと弾ける音を聞きながら、リディアは手紙を整えていた。
手紙といっても、ほとんどが王国内外から寄せられた感謝や祝辞。
改革を支えた功績を称えるものばかりで、王弟補佐官であるオーウェンと共に送られてくる報告は後を絶たなかった。
だがその積み重ねられた手紙の山を前にしても、彼女の心には不思議な静けさがあった。
「……ようやく、すべてが落ち着いてきたのね」
呟きに答えるように、暖炉の火が一段と明るく燃えた。
扉が控えめに叩かれ、エリサが入ってくる。
「お嬢様、殿下がお越しです」
「殿下が?」
思わず立ち上がる。
冬の朝にしては珍しく、彼が訪れることを予告する知らせはなかった。いつもであれば王弟の儀礼や政務の打ち合わせが続いている時間のはずだ。
扉が開き、冷たい空気とともにオーウェンが姿を現した。
「リディア、邪魔してしまいましたか?」
「いいえ。いつでも歓迎いたしますわ」
微笑む彼女を見て、オーウェンの瞳がやわらいだ。
その手には小さな包みがある。
「北の商会で見つけたんです。あなたが好きだった百合の花弁を使った香り袋。……手にした時、あなたを思い出しました」
「まあ……覚えていらしたの?」
「忘れるわけがありません。あなたが初めて涙を見せた夜にも、この香りがしていた」
彼の言葉に、リディアは微笑んだ。
運命に翻弄され、失ったときの中で何度も消えそうになった彼との記憶。
そのすべてが、確かに香りとなって蘇ってくる。
「殿下……あの頃の私は愚かでしたね。過去に縛られて、前を見られずにいた」
「愚かなんて言わないでください。あの夜があったから、今のあなたがいる」
二人はしばし沈黙した。
リディアが暖炉の火を見つめながら静かに言う。
「殿下、あなたは今が幸せですか?」
「幸せです。あなたが隣にいるから」
「でも、殿下は多くを失った。王の座も、父王の期待さえも」
「それでも、あなたと出会えた。……それに比べたら何を失っても惜しくない」
その言葉を聞いて、リディアの心が一瞬強く締めつけられた。
失ったものは彼だけではない。
自分もまた、過去に多くのものを置き去りにしてきた。
時間、絆、そして自由。
彼が救おうとしてくれたそのすべてを、今度は自分の手で取り戻したかった。
リディアは立ち上がり、両手で彼の手を取った。
「殿下。過去はもう取り戻せません。でも――失った時間を、別の形で積み重ねることはできます。
もう“王と臣下”ではなく、同じ人生を歩む者として」
オーウェンの目が見開かれる。
「……それは、あなたの決意ですか?」
「ええ。わたくし、これからの時間をすべて殿下と共に過ごしたいのです。
名誉も、富も要りません。ただ、一緒にこの国の未来を見届けたい」
一瞬、沈黙。
暖炉の火が二人を照らし、静寂の中で互いの鼓動だけが響く。
オーウェンはゆっくりと手を重ね、彼女の指を握った。
「リディア……あなたに言わなければならないことがあります」
「……なんでしょう?」
彼の声が少し震えた。
「近く、兄上は正式に譲位の時を迎えます。
その際、私は次代の公会議を設立し、王国を“王”ではなく“民と共に治める代表”の形に変えるつもりです」
「驚きませんわ。殿下らしいお考えです」
「ただ、新しい制度に王家の血を維持しようと、周囲はわたしに結婚を求めてきている」
リディアの胸が締めつけられた。
噂でそのことを聞いていたが、改めて彼の口から聞くと現実の重さが違う。
「……殿下、それは」
「当然の話です。国のことを考えれば、血の安定が必要だ。ですが、その相手を“誰にするか”で、すべてが変わる」
彼が近づき、そっとリディアの頬に手を当てた。
「私はもう迷いません。すべての批判を受けても、あなたを選びたい」
リディアは苦しく笑った。
「それは易しいことではありません。王国中が反対するでしょう」
「構わない。私はもう自分の道を恐れない」
部屋の中の空気が変わる。
リディアの背筋が自然と伸びた。
「……ならば、殿下。その覚悟を、わたくしが試しても?」
「試す?」
「昔、殿下はわたくしに“信じる覚悟はあるか”と問いましたね。今度は、わたくしが殿下に問います。
わたくしが転んでも、泣いても、迷っても……それでも、隣を歩んでくださいますか?」
オーウェンの瞳に反射する火の光が、真紅の炎を宿す。
「――ええ。どんな時も」
その一言に、リディアの瞳から涙が落ちた。
それは悲しみのものではなく、長い時間を超えて届いた幸福の涙だった。
「殿下。あの夜から、わたくしは貴方に救われてばかりでした。でもこれからは、救う側にもなります」
「あなたに救われていない人間など、この国にいませんよ。もちろん、私も」
彼女はそっと笑い、彼の胸に額を預けた。
外の風が窓を叩く。遠くで鐘の音が響き、新しい一日が始まる。
「この手を離しません。……殿下、いいえ、オーウェン様。今この時から、私の愛を貴方へ誓います」
「そして私の心を、永劫あなたへ捧げます」
互いの誓いの言葉が重なった瞬間、長い時を経てようやく報われた“約束”が果たされる。
二人はゆっくりと手を繋ぎ、窓を開けた。
朝日が昇る。
かつて失った時間を取り戻すように、光が金の髪と銀の瞳を照らした。
オーウェンが言う。
「これから先、どんな時代になっても、あなたと歩むこの瞬間を忘れません」
「殿下と過ごす未来こそ、私が生きた証ですわ」
風に香り袋の匂いがふわりと漂う。
甘く懐かしい花の香りが、再び二人を包み込んだ。
――失った時間など、もうどこにもない。
彼らの手の中には、これから歩む永遠の季節が確かに宿っていた。
続く
雪こそまだ降らないものの、冷たい風が街路樹の葉を払い、舗道には色褪せた秋の残り香が漂っている。
それは、ひとつの時代が確かに終わろうとしている証だった。
フェルナンド家の屋敷に朝の光が差し込む。
火炉のぱちぱちと弾ける音を聞きながら、リディアは手紙を整えていた。
手紙といっても、ほとんどが王国内外から寄せられた感謝や祝辞。
改革を支えた功績を称えるものばかりで、王弟補佐官であるオーウェンと共に送られてくる報告は後を絶たなかった。
だがその積み重ねられた手紙の山を前にしても、彼女の心には不思議な静けさがあった。
「……ようやく、すべてが落ち着いてきたのね」
呟きに答えるように、暖炉の火が一段と明るく燃えた。
扉が控えめに叩かれ、エリサが入ってくる。
「お嬢様、殿下がお越しです」
「殿下が?」
思わず立ち上がる。
冬の朝にしては珍しく、彼が訪れることを予告する知らせはなかった。いつもであれば王弟の儀礼や政務の打ち合わせが続いている時間のはずだ。
扉が開き、冷たい空気とともにオーウェンが姿を現した。
「リディア、邪魔してしまいましたか?」
「いいえ。いつでも歓迎いたしますわ」
微笑む彼女を見て、オーウェンの瞳がやわらいだ。
その手には小さな包みがある。
「北の商会で見つけたんです。あなたが好きだった百合の花弁を使った香り袋。……手にした時、あなたを思い出しました」
「まあ……覚えていらしたの?」
「忘れるわけがありません。あなたが初めて涙を見せた夜にも、この香りがしていた」
彼の言葉に、リディアは微笑んだ。
運命に翻弄され、失ったときの中で何度も消えそうになった彼との記憶。
そのすべてが、確かに香りとなって蘇ってくる。
「殿下……あの頃の私は愚かでしたね。過去に縛られて、前を見られずにいた」
「愚かなんて言わないでください。あの夜があったから、今のあなたがいる」
二人はしばし沈黙した。
リディアが暖炉の火を見つめながら静かに言う。
「殿下、あなたは今が幸せですか?」
「幸せです。あなたが隣にいるから」
「でも、殿下は多くを失った。王の座も、父王の期待さえも」
「それでも、あなたと出会えた。……それに比べたら何を失っても惜しくない」
その言葉を聞いて、リディアの心が一瞬強く締めつけられた。
失ったものは彼だけではない。
自分もまた、過去に多くのものを置き去りにしてきた。
時間、絆、そして自由。
彼が救おうとしてくれたそのすべてを、今度は自分の手で取り戻したかった。
リディアは立ち上がり、両手で彼の手を取った。
「殿下。過去はもう取り戻せません。でも――失った時間を、別の形で積み重ねることはできます。
もう“王と臣下”ではなく、同じ人生を歩む者として」
オーウェンの目が見開かれる。
「……それは、あなたの決意ですか?」
「ええ。わたくし、これからの時間をすべて殿下と共に過ごしたいのです。
名誉も、富も要りません。ただ、一緒にこの国の未来を見届けたい」
一瞬、沈黙。
暖炉の火が二人を照らし、静寂の中で互いの鼓動だけが響く。
オーウェンはゆっくりと手を重ね、彼女の指を握った。
「リディア……あなたに言わなければならないことがあります」
「……なんでしょう?」
彼の声が少し震えた。
「近く、兄上は正式に譲位の時を迎えます。
その際、私は次代の公会議を設立し、王国を“王”ではなく“民と共に治める代表”の形に変えるつもりです」
「驚きませんわ。殿下らしいお考えです」
「ただ、新しい制度に王家の血を維持しようと、周囲はわたしに結婚を求めてきている」
リディアの胸が締めつけられた。
噂でそのことを聞いていたが、改めて彼の口から聞くと現実の重さが違う。
「……殿下、それは」
「当然の話です。国のことを考えれば、血の安定が必要だ。ですが、その相手を“誰にするか”で、すべてが変わる」
彼が近づき、そっとリディアの頬に手を当てた。
「私はもう迷いません。すべての批判を受けても、あなたを選びたい」
リディアは苦しく笑った。
「それは易しいことではありません。王国中が反対するでしょう」
「構わない。私はもう自分の道を恐れない」
部屋の中の空気が変わる。
リディアの背筋が自然と伸びた。
「……ならば、殿下。その覚悟を、わたくしが試しても?」
「試す?」
「昔、殿下はわたくしに“信じる覚悟はあるか”と問いましたね。今度は、わたくしが殿下に問います。
わたくしが転んでも、泣いても、迷っても……それでも、隣を歩んでくださいますか?」
オーウェンの瞳に反射する火の光が、真紅の炎を宿す。
「――ええ。どんな時も」
その一言に、リディアの瞳から涙が落ちた。
それは悲しみのものではなく、長い時間を超えて届いた幸福の涙だった。
「殿下。あの夜から、わたくしは貴方に救われてばかりでした。でもこれからは、救う側にもなります」
「あなたに救われていない人間など、この国にいませんよ。もちろん、私も」
彼女はそっと笑い、彼の胸に額を預けた。
外の風が窓を叩く。遠くで鐘の音が響き、新しい一日が始まる。
「この手を離しません。……殿下、いいえ、オーウェン様。今この時から、私の愛を貴方へ誓います」
「そして私の心を、永劫あなたへ捧げます」
互いの誓いの言葉が重なった瞬間、長い時を経てようやく報われた“約束”が果たされる。
二人はゆっくりと手を繋ぎ、窓を開けた。
朝日が昇る。
かつて失った時間を取り戻すように、光が金の髪と銀の瞳を照らした。
オーウェンが言う。
「これから先、どんな時代になっても、あなたと歩むこの瞬間を忘れません」
「殿下と過ごす未来こそ、私が生きた証ですわ」
風に香り袋の匂いがふわりと漂う。
甘く懐かしい花の香りが、再び二人を包み込んだ。
――失った時間など、もうどこにもない。
彼らの手の中には、これから歩む永遠の季節が確かに宿っていた。
続く
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