小さな国だった物語~

よち

文字の大きさ
73 / 78

【73.精一杯】

しおりを挟む
夏の太陽は、沈みそうに見えても、なかなか沈まない。
夜の闇に抗い続ける恩恵を受けたトゥーラ城では、グレンとライエルの二人の将軍が、負傷した国王付きのラッセルの見舞いをする為に、大広間へと足を運んでいた。

「え? あの人、そんなに偉い人だったの?」
「ライエル様のお知り合いだったなんて…優しくしておけば良かった…」

二人の来訪を遠巻きに眺める女中たちの多くは、この時初めて、薄い顔の尚書に対しての認識を改めたのである。


「わざわざ、ありがとうございます」

二人の姿が現れて上半身を起こしたラッセルが、やつれた顔に浮かんだ細く沈んだ瞳を下げながら、静かなお礼を口にした。

「なに。ちょっとイジれる相手が居ないと、寂しくてな」
「私の立ち位置って、どんなんですか…」

グレンの冗談とも本音とも付かないような発言に、ラッセルが細い瞳を預けて精一杯の抵抗を表した。

「慕われているんですよ」

二人の発言を眺めたライエルが、整った顔立ちに頬を緩めながら励ました。

「お前が言っても、説得力無いけどね…」

大広間の壁沿いには、ライエルの一挙手一投足を逃すまいと、女中たちが恋に落ちた少女の瞳を向けている。
眉間に皺を寄せ、細い瞳でざっと周囲を見やったラッセルは、心の底から卑屈な物言いをしてやった。

「だいたい、なんで裸なんだよ!」
「夏の真っ昼間に外で働くなら、裸が一番ですよ。遅くなっては悪いと思って、そのまま来ちゃいました」

もちろん上半身だけではあるが、引き締まった鋼のような肉体に、若々しい素肌がコーティングされている。
美将軍は左右に流した金髪の前髪を後ろで縛り、悪気なく、少年のような屈託のない笑顔を浮かべた――

「裸族かよ…」

何を言っても空しいだけだと観念をして、薄い顔の尚書は視線を右下に逸らして吐き捨てた――


「はあ…」

思いもしなかった二人の訪問に恐縮をしていたが、やがて肩の力が抜けたころ、ラッセルは大きな溜息を吐き出して、ぼそっと言葉を続けた。

「グレンさん…また、何もできませんでした…」
「……」

やってきた声色に、四角い顔に備えた太い眉毛をピクッと動かすと、グレンは一つを思い起こした――

それは春を過ぎたころ、アストラッテ公国で行われた同盟調印式へと向かった夜に、小さな焚火の前で彼が吐露をした、弱気な心情である。

「くそ…」

言いながら、ラッセルが右手の親指を強く握った。

またもや皆が大地に足を置き、前を向いて歩みを始めているにも関わらず、自分は一人、悔しそうに眺める事しかできない――
それも今度は、ベッドの上で…

「慰める訳では、無いがな…」

沈んだ姿を前にして、グレンが静かに口を開いた。

「ワシらのように、武器を持って戦う事だけが、戦いではない。おぬしだって、立派に一人を守ったではないか」
「……」
「敵をいくら倒そうとも、一人を守ることが何倍にも勝る…そんな事は、有って良い」
「……」
「それぞれの誇りや、矜持の問題だがな」

グレンの穏やかな発言は、小さな焚火を前にして託した、切なる願いと通じている――
そんな機会が訪れることは想像したくもないが、一人を守った彼の行動は、間違いなく称賛されるべきものである。

「……」

大将軍の諭すような発言を、ラッセルは静かに聴いていた――


無いものを、人は求める。
他人に対しても、自身に対しても…

己の足りないものを備えた人に、人は惹かれ、好意を抱く。
同時に自身もそうありたいと敬愛し、背中を追う。或いは、共に歩むのだ――

やがて反発を迎えることはあっても、無関心で無い限り、歩みを看取ろうとする、仲間とも言えよう。


「できる事をやった。という事でしょうか…」

背中を眺める中にあって、遠く及ばない…

冷静なる自覚を抱いても、彼は精一杯を為したのだ。

「そうだな…」

背中を丸めるラッセルに、グレンの包み込むような優しい声音が届いた――


「ラッセルさん」

続いて、ライエルが静かに口を開いた。

「私なんかでは、女の子を抱えて守るなんて、とてもできません」
「そりゃ、そうだろ…」

武芸に優れたお前なら、自慢の槍を手にして女の子の盾となり、敵と対峙する背中を堂々と誇り、やがて敵を討ち果たし、悠々と微笑みを浮かべながら戻ってくるのだろう…

呆れたラッセルが、眉をひそめて上半身が裸の男を見やった。

「いえ、そういう事ではなくて…」
「どういう事だよ」
「小さな女の子にとっては、ラッセルさんの方が、安心したと思います」
「……」
「そうかもしれんな…」

若い部下の発言に、上司のグレンが助け舟を渡した。

実際の場面では、ラッセルが抱えた女の子は、民家に飛び込んでスグに腕からこぼれて、ライラの手元に置かれた…

しかしながら、ライラは必死にラッセルの意思を汲んだのだ。
戦う姿、これから起こる凄惨な場面を見せまいと、やがて女の子が泣き声を上げようとも、小さく震える身体を、華奢な二本の腕で、ただただ包み込んでいた――

「そう…なのでしょうか…」

労い… 慰め… 励まし…

薄い顔の尚書はそんなものを確かに心に灯すと、腑に落ちない部分は残しながらも、今は素直に優しさを受け入れようと、静かな声を吐きだした。

「そういう事に、しときましょう」
「おい」

伏し目になって呟いたライエルの軽口に、ラッセルが短く突っ込んだ――



「お城の外は、片付きました?」

夜がやってきて、城の女中を束ねるアンジェが自宅に戻ると、夫と二人だけの食事の席で、グレンに問い掛けた。

「それがな。ロイズ様が動いて下さって、ほとんど終わった。あとは土を運んで、埋めるだけだ」
「それは凄いわね…まだまだ暑いから、臭いもヒドくなるし」
「そうだな」

立ったまま、青銅色に蝶の紋様が施された水差しを両手で支え、テーブルに用意された木製の丸椀に紅茶を注ぐアンジェに対して、グレンは安堵の表情で状況を伝えた。

「……」

二日間に渡る戦いは、激しいものとなった。
元々が前線に建てられた要塞で、戦続きのトゥーラとはいえ、四方を敵に囲まれての戦いは初めての事である。

弓矢、強弩、投石器。
侵略軍を落とし穴へと誘ってからの、焼き払い…

火計の砲弾を投じた直後、高い都市城壁の向こうから聞こえてきた阿鼻叫喚は、今でも怨嗟の声となって耳に残っている…

一方で生き残った自分たちは、清々しい朝の空気の中に足を置き、彼らの嘆きの声を、むくろを、両手で耳を塞ぐように埋めてしまうのだ――


「そっちは、どうなんだ?」
「……」
「何か、あるのか?」

長年連れ添った愛妻が、ふっと視線を落とした事に気が付いて、グレンは優しく手を差し伸べるように声を送った。

「これは…あなたの耳に入れて…よい話なのか迷うけど…」

言いながら、アンジェはそっと椅子を引いて腰を下ろすと、ふっくらとした身体を背もたれに預けた。

「ワシにも、話せない?」
「ええ…でも、あなたも知っているかたの事なので…話す事にします…」
「いったい、誰のことだ?」
「……」

ゆったりとした、重々しい妻の口調。
察して低い声音になったグレンから催促の言葉が注がれると、観念したようにアンジェが口を開いた。

「王妃様です」
「王妃様? リア王妃?」

予期せぬ名前が飛び出して、瞳を開いたグレンが改めて訊き返す。

「はい…」
「王妃様が、どうかされたのか?」

姿勢を正すと、改まって身体を前にして、続きを促した。

「今…療養中なのです…」
「な、なに? 御病気なのか?」

予想外の言葉と深刻な妻の雰囲気に、焦ったグレンが更に前のめりになって口を開いた。

「……」

二日間に渡る戦いが終わったにも関わらず、太陽が沈んでからも妻は随分と忙しそうだった。
果ては一人娘のメイまでも、女中の家に預けたと言ってきた。

有無を言わさぬ物言いに、何故だと訊き返す事はできなかったが、理由が届けば合点がいった。

「今朝までは、意識も無かったんです…お昼の暑さに、どうなるかと思いましたけど、目を覚まされました…もう大丈夫かと思いますので、あなたに話すのです」

夫と妻ではあるが、今の彼女の物言いは、王妃に仕える女官から、国の重鎮への申し送りである。

「んん? ちょっと待ってくれ。ロイズ様は今日、私達と一緒におられたぞ?」
「ええ…」

思い出したような夫の問いかけに、冷静さを保ってアンジェが認める。

「ご病気…ではありますけど、原因は分かっているんです。ですから国王様も、ご心配だとは思いますけど、私たちにお任せして、指揮を執られているのだと…」
「原因が、分かってる?」
「ええ…実は、それがちょっと引っ掛かっていて…陽射しを長い間浴びられて…」
「陽射し? どこで?」
「城の、屋上です」
「屋上…」

小さく呟いたグレンの瞳が、次の瞬間ハッと大きなものに変わった。

戦闘の二日目。屋上に居たのは尚書のラッセルだった。彼からの報告で、南側から向かってくる、侵略者の情勢を把握できたのだ。

…では、初日は?

国王の側近であるラッセルが担っていた重責を、いったい誰が果たしていたというのか――

「……」

夫妻と共に食事をした夜、今は空いている左斜め前の木組みの椅子に、赤みの入った髪の毛と、華奢な肩を覗かせる少女のような王妃が座っていた…

民を想い、戦う姿勢について論じる、少し変わったところのある女性であった――


しかし彼女は、論じるだけではなく、実戦に参加をしていたというのか――

一人きりの屋上で、体を壊すまで…


「なんてことだ…」

愛娘と目線を合わせて穏やかに微笑んでいた彼女が、どうして戦場に立ったのだ…

一言を悔しそうに呟くと、軍事を司る将軍は、テーブルに置いたままの左手に、自責の宿った怒りのこぶしを作り上げるのだった――
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

豊臣ハーレム❤『豊臣秀吉、愛と政の合間にて──天下を取ったらハーレムがついてきた件』

本能寺から始める常陸之介寛浩
歴史・時代
「草履一枚から始まった、どえりゃーモテ期! 天下人のハーレム戦国ラブコメ、ここに開幕だがね!」           物語全体のあらすじ(名古屋弁バージョン) わしの名前は、豊臣秀吉っちゅうんやけどな―― 元はちんちくりんな百姓の息子、日吉丸いうて、尾張の村で泥んこまみれで生きとったんだわ。 女にはモテんし、家は貧乏やし、親父は早よ死んでまって、母ちゃんと二人で必死に飯食うとった。 せやけどなあ、 「いつか、でっかい城に住んで、いっぺんに女三人くらい侍らせるんや!」 ――そんなアホな夢、ほんまに叶えてまったんやて。 信長さまに草履温めて認められて、戦場では槍一本で大出世。 ねねと夫婦になって、茶々に惚れられて、気ぃついたら女に囲まれとるがね! でもな、モテるっちゅうのはええことばっかやない。 女子(おなご)同士の争い、嫉妬、泣いたり怒ったり、そりゃあもう修羅場の連続よ。 「正室はわたしや!」とか「殿下、今夜は私と…」とか、やかましいわ! それでも―― 女の涙を背負って、戦に出て、世を治めて、人を救って、 わしは「天下人」って呼ばれるようになったんや。 けどなあ、 ほんとは今でも夢みたいだがね。 ……だってわし、ただの草履持ちやったんやて? これは、 貧乏村からのし上がった男が、恋と戦と女に振り回されながら、ほんでもって“モテまくってまう” どえりゃあ一代記―― 『天下取ったら、モテてまったがね!』 はじまり、はじまり~!

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...