小さな国だった物語~

よち

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スモレンスクとの激しい戦いが終わってから、二日後。
昼から降り出した雨は、本降りとなって、小さなトゥーラの国を濡らしていた――

予定通り午後からは、国王ロイズの提案により、一部の女中を除いて、殆ど総ての者に休息の時間が与えられていた――


「部屋まで、用意してくれるとはね」

笑顔で口を開いたのは、トゥーラ側から小さな空き家をあてがわれた、捕虜となったスモレンスク兵の一人である。

「なんでも牢屋は、倉庫として使ってるらしいぞ」

短い金髪頭との雑談からもたらされた情報を、盛り上がった肩の筋肉を覗かせたブランヒルが得意気になって披露した。

「俺たちの輜重隊から奪ったヤツを、溜め込んだらしい」
「……」
「まあ、そりゃそうでしょうね…」

屈辱の感情が湧いてくると同時に、諦めの感情もやってくる。
固い土床に腰を置き、胴長の背中を石壁に預けたベインズが、手のひらを上にして仲間の心中を表した。

「俺らの国じゃ、牢屋なんて一杯だけどな」
「そうですね…」

ブランヒルの皮肉交じりの呟きに、仲間の一人が苦笑した――


名門リューリク朝の流れを汲む大国であり、キエフとの強い繋がりを維持するスモレンスク公国。
前の領主であり、キエフ大公でもあったロスチスラフⅠ世の崩御により、スモレンスクに籍を置いていたムスチスラフがキエフ大公の座に就くと、正式にスモレンスクを治める事となったロマン・ロスチスラヴィチは、やがて近隣諸国の諍いに対して干渉を図る事が多くなっていった――

スモレンスクの城市に腰を据え、従兄が就いたキエフ大公の後ろ盾となることで、キエフ大公の座を巡って争い、遠征を繰り返した前国王との違いを鮮明にして、若くとも一国を治めるに足る人物であると国内外に知らしめたのだ――

地に足をつけた彼の戦略は、確かに一定の成功を収めた。
しかしながら転がり出した腹心たちの野心は、崩れ始めた雪崩のように、容易に止まる事をやめなかった――

次なる利益を求めて、新たなる願望を提供していく――

当然、他国に犠牲を強いる形で。


肥大した権力という甘美には、死肉に集うハエのように人が寄ってくる。

それらの殆どは、若々しい蜜壺に取り付いて、己の欲望を成し、邪心を果たそうと企む輩であった――


醜い欲望のぶつけ合いは、当然のように他者を蹴落とす事に労力が注がれる――

故に欺瞞や怨嗟、捏造といった、恐らく国家の統治にとっては足枷としかならないようなものが蔓延っていく。
やがて収賄罪や横領罪が法廷を賑わし、反逆罪、侮辱罪といった、およそ真偽の程が定かではない罪状によってまで、牢屋が埋まっていったのだ――



彼らがあてがわれた家屋は、質素な立方体の、石壁で覆われた土床の住居であった。
東西の壁の目線の高さには、突き出し窓が二つずつ設置されていて、雨音と共に、外の光が控えめに内部を照らしている―― 

両の手首と足首は、それぞれが太い麻紐で繋がれていたが、肩幅程には余裕があって、かなり自由に動き回ることが可能であった。
囚人というよりは、労役者といった扱いである。

しかしながら、槍を手にした5人の監視兵が住居を囲み、突き出し窓から数分単位で内部を覗いていた。
石造りの住居で戸口が一つ。囚人を収容するには、申し分のない造りであった――


「ブランヒルという者は、誰か?」

雨音に誘われて、労役後の疲れた身体が眠りを欲したところに、戸口の方でかんぬきを外す音がやってくると、やがて雨雲を突き抜けた薄い明かりを供にして、野太い声がやってきた。

「……」

突然の呼び掛けに対して、住居の固い土床で、掘り起こされたカブトムシの幼虫のようになって転がっていた男たちの中から、むくっと一人が身体を起こした。

「俺だが」

ブランヒルが立ち上がると、麻縄によって繋がれた足首ではあったが、足元で転がる幼虫たちを器用に避けて、戸口の方へと足を進めた。

「聞きたいことがある。外へ来てくれ」

戸口の扉の手前には、二本の鎖が上下に張られ、外側には、急ごしらえの木製のかんぬきが設けられていた。
それらを全て外した状態で声を掛けたのは、いかつい体に四角い顔を覗かせるトゥーラの大将軍、グレンであった。

「…分かった」

目の前の男と戦場でやり合う事は無かったが、前日の労役の際には、槍を交えた、若く整った顔立ちの男が敬意を表していた。

これが祖国なら、国の中枢を担う人物が、自ら囚人の元へ出向くなんて事はあり得ないが、官職の少ないこの国では、普段通りのことなのだ――
落ち着き払ったグレンと瞳を合わせると、ブランヒルは静かに了承を口にした。


「国王様が、話をしたいらしい」
「……」

早くも水たまりを生み出している雨の中を、二人の足が前後になって進んでいく。
二人の両側を、三名ずつの鎧を纏った近衛兵が、揃った足並みで、護衛の任に就いていた。


「ここだ」

ブランヒルが案内されたのは、トゥーラの南側にある、戦闘中には救護所として使われていた家屋であった。

「お連れしました」

戸口で一行の脚が止まると、先ずはグレンが屋内へと足を通すなり、一つの報告を発した。

「入れ」

続いたグレンの声に、先ずは二人の兵士がススッと屋内へと足を進めると、促されるようにして、ブランヒルが戸口を潜った。

「……」

通された石造りの家屋は二階建て。縦15メートル、横10メートル程の長方形の倉庫のような空間であった。
室内では奥から隙間無く、壺の入った木箱やぱんぱんに膨らんだ麻の袋が背丈以上に積み上がっていて、ブランヒルはそれが一目で自軍の兵糧である事に気が付いた。

「やあ」

足を踏み入れて左側、声の掛かった方に顔を向けると、ほんのり柿色に染まった薄手の衣服を着た若い男が、まるで長年の知己とでも会うように、穏やかな表情を浮かべて椅子に座って右手を小さく上げていた。

「……」

なんと応じるのが、適当だろうか…
目線の先に居る、壁のように積まれた分捕られた兵糧と、石造りの壁の間に挟まれるようにして座る端正な顔立ちの持ち主は、威厳の欠片も感じないが、この国を統べる者らしい。

足を止めたブランヒルは、しばらくのあいだ表情を生み出すことをすっかり忘れ、やがて正気に戻ったところで視線を合わせると、静かに一歩を踏み出した。


「聞きたいのは、スモレンスクの内情です」

壁の向こうからの雑音は、高い灰色から、零れ落ちるように降り注ぐ雨音が消していた。

積み込まれた兵糧により、幅3メートルの通路のようになった部屋の奧で、質素な木組みの椅子に腰を下ろしていた国王が、眼前に用意した同じ木枠の椅子にブランヒルが腰を下ろしたのを確認すると、先ずは一言を静かに告げた。

「……」

二人の間は約2メートル。隔てる物は皆無で、向かい合う形で座っている。
護衛の兵士たちは全員が外へ出て、雨の中、家屋を囲うように屹立をしていた――

カタッと音が鳴って、グレンが傍らに用意された年季の入った木製の丸椅子を手に取ると、ブランヒルの背中から三歩離れた平らな土床にそっと備えて、立会人となるべく静かに腰を下ろした。

「というのも、ここからは、スモレンスクとの交渉になりますので」

ブランヒルの背後に座った立会人を認めて、ロイズが続けて口を開いた。

「無事にあなた方を国へ還すためにも、協力して下さい」

そして、真摯な瞳で訴えた。

「……」

手首同士、足首同士を麻縄で縛られた捕虜に対して、あくまでも対等な立場であろうとする姿には、恐縮すら覚える…

「分かった。部下を無事に帰すのも、俺の役目だ」

墨色の瞳を上げて、ロイズと真っすぐに視線を合わせると、ブランヒルは落ち着いた口調で了承を伝えた。
尤も、虚偽の報告をしたところで不信感を植え付けるだけであり、何らかのメリットが生じるとも思えない。素直に従うより他に無いというのが正直なところであった――

「それで、何を聞きたいんだ?」

突然の呼び出しに不信感を抱えるも、真摯な態度の国王に、警戒を宿していたブランヒルの背中が丸くなっていく。
二人の会話を彼の背後から眺める事になったグレン将軍は、改めて自身が仕える若い国王の立ち振る舞いに感心をして、この会談の行方が、明るいものになる事を予感した――


「皆は勝ったと騒いでいますが、実際には守っただけ。トゥーラはあなたが見ての通り、小さな国です。私としては、これ以上の戦いは避けたい。そこで先ずは、あなたにお願いをしたいのです」

落ち着いた声色で、組んだ両手を太ももの間に置きながら、ロイズが少し前のめりになって口を開いた。

「…何をだ?」

思えば、目の前の男と初めて会ったのは、捕らえられた直後であった――

『勝ったかどうかは、事後処理次第』

耳にした当時の発言が、彼の脳裏には浮かんでいた――

しかしながら、捕虜となった自分にいったい何が為せるのか?
ブランヒルは、訝しそうに次の言葉を求めた。

「これから、あなたたち捕虜の帰還を遂行するにあたっては、交換条件の話し合いをする事になるでしょう」
「まあ、そうだろうな…」

捕虜となった時点で、兵士は非戦闘員とみなされ、その後の殺傷は許されない…事にはなっている。
なってはいるが、現場の状況や、指揮官の判断に左右され、守られている訳ではないことは、現代でも同様である――

しかしながら行き過ぎた殺戮や残虐非道な行いは、後の世へと必ず伝わるものだ。
即ちそれは、国としての信用を貶める歴史となる。
力なき国家に於いては、絶対に戒めるべき事象であろう。

だからこそ、戦闘の二日目――

都市城壁を越えて市中へと侵入を果たしたスモレンスク公国の兵卒ダイルを捕らえたカデイナに対して、国王ロイズは彼女の祖父が目の前で殺されたにも関わらず、生かすようにと告げたのだ――

紛争の区切りがついた段階で、互いの捕虜を交換するのがこの時代の習わしであり、捕虜の数や対象人物の階級によって、交渉の上、敗者が賠償金や物資を届ける事になるのである。


「グレン将軍」

ロイズがおもむろに首を伸ばすと、薄着の麻の衣服からはみ出しそうな筋肉を覗かせる人物の向こう側、住居の入り口付近で会談を見守っている、この国で現在、最も頼りにしている男の名前を口にした。

「なんでしょう?」
「今のトゥーラに、不足しているものはありますか? スモレンスクとの交渉の際に、議題に上げるようなもの…」
「そうですな…」

国王からの問いかけを受けたグレンは顎の下へと左手を伸ばすと、しばらくの時間を置いたが、結局困ったように口を開いた。

「正直、兵糧もこんな状態ですからな。武器も、手に入りました。金銭を得たところで、使い道に迷うところです」
「…という訳です」

積まれた兵糧の壁に困惑するように、端正な顔つきをしたロイズが苦笑した。

「……」

ブランヒルは、返す言葉を失っていた。

そうであるならば、一体自分に何を為せというのか…
皆目、見当が付かなかったのだ。


「そこで考えたのですが、和平案を呑むように、勧めて欲しいのです」
「……」

予想外の発言に、ブランヒルの眼光が一段と鋭くなって、目の前の男に向けられた。

「無益な争いは、僕らはしたくないのです。どうでしょう。難しいでしょうか?」
「……」

目の前から流れてくる言動は、希望である。

来たるべき会談での要求は、金銭や物資ではなく、この先の数年、あるいは、更なる未来――

勿論、ブランヒルにそれらを決する権限は無い。それでも実際にトゥーラの城内を見た者として、祖国へ戻った暁には、意見は求められよう。

その際に、長期の休戦を進言してくれ、という訳だ――

「……」

しかしながら、覇権を掲げる国王が、重臣達が、小国相手の軽微な敗戦で、すんなり停戦を受け入れるとは到底思えない――

多数を占める好戦派は、むしろ躍起となって、自ら攻め込んだにも関わらず、親の敵とでも言わんばかりの大きな獲物として、改めてトゥーラを見据えるに違いないのだ――


「私は以前、リャザンに居ました。官吏に就いて早々に、スモレンスクの国王が亡くなられ、その対応を任された時期があります。とはいえ下っ端で、先輩方の小間使いでしたが…」

ロイズが当時を懐かしむように、柔和な表情になって口を開いた。

「その時に書面を交わしていた、重臣の方のお名前を最近耳にしないのですが…もしかして、お亡くなりになったのでしょうか?」
「それは恐らく…フリュヒト様の事ではないか?」
「確かに、そんな名前でした」
「前の国王ロスチスラフ様が亡くなられ、要職から外された…そんなところだ」
「そうですか…」

スモレンスクやトゥーラ。間にあるカルーガの村。それらを行き交う商人達から、様々な国の内情や、噂話といった類のものがやってくる。
ロイズの切り出した話は、それらの確認作業であった。

「ここからは、私が認識している話です」

ぽつりと言葉を放つと、ロイズが続けた。

「今の国王になってから、スモレンスクは近隣への干渉を強めるようになりました。訓練と称して国境へと軍を派遣したり、弱体化を図るために、他国へ間者を放って人心を惑わす情報を流したり…そんなものは、見据えるものがあるからこそ、起こすのです。やがて時間の経過とともに人々の心はいつか衝突を起こすだろうと思い始め、やがて起こっても仕方が無いだろうへと、変貌を遂げていきます」
「……」
「こうなれば、土台の出来上がりですね。引き絞った矢を放つ理由なんて、何でもいい。放つしか、なくなるんです」
「……」

経験者のようなロイズの語り口に、ブランヒルは押し黙る――

「最初は、スモレンスクの西側でした。ヴィテプスクという城市に干渉したのが始まりです。今のトゥーラと、リャザンのような関係ですかね。ですがあなた方は、ヴィテプスクに攻め込んだ」
「……」
「間違いないですか?」
「ああ」
「理由は、お分かりですか?」
「…さあな。だが、想像はできる。守ってもらう立場のくせに、意向を聞かなかったからだろうな」
「そうですか…」

ブランヒルの尤もらしい発言に、ロイズは呆れたような一声を投げつけた。

「交渉するのが、面倒になっただけでしょう」
「……」
「次には、ヴィテプスクへの侵攻に警戒を表した国々を、敵意とみなして、攻め込んでいった…」
「……」
「結託を恐れたのでしょうが、自分で蒔いた種でしょうに…」

前屈みになったままの国王が、肩を揺らして、大きな溜息を吐き出した――

「一通りの結果を出して、今度は東を向いた…ですが、リャザンは大国です。前線都市のトゥーラを落とせば、中間に位置するカルーガも、手中に収めたも同然と考えたのでしょう」
「……」
「でも、トゥーラは遠すぎましたね。カルーガの協力を得なければ、補給に支障が出る。トゥーラが落ちれば村がどうなるか…結局住んでいる人たちは、分かっているのです。我々が何かをしなくとも、カルーガの人々。いえ、ヴァティチの方々は、協力的でした」
「……」

カルーガに住まう育ての親、ルシードに協力を願った春先の戦いは勿論。此度の戦いに於いても、偵察隊のメルクから、住民から差し入れを頂いたり、オカ川を渡ってスモレンスク側へと足を伸ばし、侵攻の気配を探ったりしてくれた、との報告を受けている――


それらに加えて――

この会談を設ける直前、新たな報告が、カルーガの村より齎されていたのである――
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