春風の香

梅川 ノン

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8章 留学

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 部屋にこもって食事もしない彰久を、雪哉は心配する。高久は、今日の出来事と、彰久に話したことの全てを、己の夫に話して聞かせた。
「そうか、そんなことが……それだけ彰久は蒼君のことを好きなんだよな……思えば、小さい頃からただ懐いてるって感じじゃなかった。僕は、やっぱりあの二人に運命を感じるけどな。蒼君も少なからず彰久への思いがあるように思える。あるからこそ、ここへも来ないんじゃなくて、来られないんだと思うんだよ」
「私もそれは思っている。二人は運命の仲の可能性が高いだろうと……。蒼君も未だ誰とも付き合ってる気配もないのだろ?」
「そうなんだよな、僕も気にかけてるけど、気配も感じられない。だから思うんだよ、蒼君も彰久を……って。辛いよな……思い合ってるのに、言っても仕方ないことだけど、つり合いのとれる歳だったらなあ」
「ともかく彰久の出す結論を待とう。今の我々にはそれしかできない」

「父さんと、母さんに話があるんだけど」
 休日の午後、彰久は両親に声を掛ける。
「ああ、書斎で聞こう」
 三人は書斎で向き合った。彰久は椅子へ浅めに腰掛けて、手を膝にのせている。その姿勢で、彰久の思いが知れる。
「僕、アメリカへ留学します。それに向けて勉強を進めたいと思っている。父さんたちには、諸々手続き等、よろしくお願いします」
「そうか、決めたのだな」
「あれから、自分でも色々調べたんだ。最短八年、僕は最短コースを狙うよ」
「ああ、お前が本気を出して頑張れば、十分可能だ、頑張りなさい。手続きなどの手配は、父さんに任せなさい。早速アメリカの知人にも連絡して助力を頼もうと思う」
「ありがとう……母さん?……」
 二人のやり取りに、雪哉は胸が一杯になり言葉がなかった。彰久の出した結論は立派だ。八年は長い、しかしあえて彰久はそれを選んだ。息子が男として、アルファとして成長している、それが母として嬉しいのだ。
「うん……お前の成長が嬉しくて……」
 彰久は、自分の出した結論を両親が肯定的に受け止めてくれたことに力づく思いを持つ。彰久は、この結論に至るまで悩んだ。八年もの間、蒼に会えないのだ。それは、どうしようもなく辛い。けれど、それを耐えて堂々と蒼に番うことを申し込みたい。
 ただし、懸念はある。心配と言っていい。
「それでなんだけど、父さん母さんにお願いがあるんだ」
「なんだね」
「僕がアメリカに行ってる間、あお君のこと守ってあげて欲しいんだ。この間父さんから聞いたことが心配で」
 彰久は、蒼がどこかのアルファに襲われたり、無理矢理番にされることを恐れているのだ。もしそんなことになれば、自分の努力は水の泡だ。そうならないように守ってもらうのは、両親しかいない。
「それは、父さんたちも最大限気を付けて見守ろう。特に母さんは今までも気を配ってきただろう」
 同意を求める夫に雪哉も頷いた。
「うん今までもね、蒼君を危険な目に、理不尽な目に合わせるわけにはいかないと思ってね。これからも、それは同じだよ」
「ありがとう、そうだよね、だからこの間は父さんに注意されたんだよね。これからもよろしくお願いします」
 両親に頭を下げる彰久。それは、アルファとして、自分のオメガを守って欲しいと願う姿だった。
「留学のことあお君に直接伝えたいんだ。それで、留学するまでに一回でいいから会って話す機会を作って欲しんだ」
「そうだな、確かにお前から直接伝えることが、蒼君には誠実な態度だと母さんも思う。場所は家がいいよな、なんとか来てもらうように頼もう」
 高久も同意見なので、蒼を食事に強く誘い、その折に彰久が直接伝えることに決まった。

 蒼は、雪哉から食事に誘われた。今までも何度か誘われたが、いつも断っていた。結局出向いたのは彰久の卒業祝いの時だけだった。雪哉も断るとあっさり引いたので、そうなっていた。ところが、今回はいつになく強引に誘ってくるので、断り切れなかったのだ。
 彰久に会い、自分のオメガ性が反応するのは怖い。蒼は、強めの抑制剤を飲んで北畠家へ向かった。

「彰久いいか、今日はあまり蒼君に抱きつくな」
 雪哉が心配して、彰久に注意する。彰久もそれは分かっているので、素直に頷いた。その時、彰久はぴくっと反応した。玄関へ向かって走る。
「あっ、彰久!」
 呼び止めようと思った時には、彰久の走り去った後だった。
 彰久が玄関を開けると、会いたかった人が立っていた。
「あお君……」
 彰久は何とか、理性を保ち抱きつきそうになるのを、寸前で堪えた。ただ蒼の手を握った。
「あお君、来てくれてありがとう」
 蒼も彰久の手を握った。お互いの手からお互いの温もりが伝わる。それは、心にまで染みていくようだ。
「中へ入って、母さんが色々作ってるんだ、結惟も手伝ってる」
「蒼君いらっしゃい、君の好きな肉じゃが作ったんだ」
「わあーそれは楽しみです。雪哉先生の肉じゃが大好きです」
 尚久と結惟も出てきて、皆で蒼の来訪を歓迎する。蒼は嬉しかった。北畠家の人は、こんなに不義理を続ける自分に、皆温かい。
 皆でお茶を飲みながら暫し談笑した。
「そろそろ食事の準備をするか、結惟手伝って」
 雪哉と結惟がダイニングキッチンへ行くと、高久が彰久へアイコンタクトをする。
「あお君パンジーが咲いてるんだ、見に行かない」
 彰久は蒼を、かって蒼が暮らした離れに面した庭へ誘った。パンジーが慎ましやかに咲いている。
「きれいだ、今も咲いてるんだね」
「うん、毎年咲いてるよ、ちゃんと定期的に手入れもしてるからね」
 四季とりどりに花を楽しめるように、庭師を定期的に呼んでいたが、日頃の手入れは彰久もしていた。蒼が住んでいる頃、手入れをするのを手伝っていて、蒼がいなくなってからも一人続けていた。蒼の好きだった花を、毎年咲かせたい思いからだった。
「あき君も手入れしてくれてるんだろ」
「うん、きれいに咲くとあお君を思い出すからね。あお君が手入れするのをいつも横で見てた。花よりあお君の方がずっときれいだって思いながらね。今もやっぱり、花よりあお君の方がきれいだ」
 花よりあお君の方がきれい、彰久が小さい頃もよく言われた。聞きなれた言葉だけど、今は気恥ずかしい。
「あお君、僕ねアメリカへ行くよ。留学するんだ」
 留学の言葉に、蒼は息をのむ。高校卒業後の進路はどうするのだろうとは思っていた。そうか、留学か……確かに高久も留学している。在りえない選択ではない。だけど、留学という言葉に物悲しさを覚える。当然そうなれば、彰久とは別れなければならない。
 今でもめったに会わないが、留学となれば、その距離は絶望的に遠い。
「留学して、誰もが認める立派な医師になって帰ってくる。だから待てて欲しいんだ」
「あき君……」
 なぜこんなにも真摯に、思いを告げてくるのだろう、これでは抗えないじゃないか……嬉しい。嬉しさがこみ上げてくる。どれだけでも待つ。いくらでも待つと蒼は思う。だが、それを言っていいのだろうか、それを言う資格が自分にあるのか……蒼の思いは乱れた。
「そ、卒業してすぐに行くの」
「うん、すぐに行くよ。入学は九月だけど、その前に行って準備したほうがいいって父さんが。しっかり準備して、大学は最短で終わらせたいからね。最短でも八年。だけど、絶対に最短で終わらせるから、八年って長いけど待ってて欲しい、お願いあお君」
 蒼は、否とも言えないが、はいとも言えない。僅かに頷いた、それが精一杯だった。彰久にはそれでも十分だった。蒼は頷いてくれた。それは明らかに了承の気持ちだととらえた。
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