春風の香

梅川 ノン

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10章 春のざわめき

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 小児科病棟を訪れた若い女性。患者ではないが、保護者とも思えない。
「あの……すみません。あお、西園寺先生はいらっしゃいますか?」
「西園寺先生は回診中ですが、先生にご用ですか?」
「いえ、回診中ならいいです。そこで待っています」
 聞かれた看護師は了承したが、首を傾げた。西園寺先生に何の用だろう? そもそもこの女性は何者? 見た所女子大生って感じだろうか……社会人ではないな。その疑問はナースステーションにいる看護師全員へ伝播する。皆、興味津々で視線を送る。
 そこへ、蒼が回診からっ戻ってきた。
「あお君!」
「結惟ちゃん! どうしたの?」
「あお君がお医者さんしてるところ見たかったの」
「何それ、一人で来たの? 院長室案内しようか? 今日は在院されてるから」
「パパやママには毎日会ってるからいいの。あっ、これ皆さんへどうぞ」
 結惟は看護師たちへの手土産を渡す。
「えっ、それはありがとう。こんなに一杯なんだろう?」
「パイなの、甘いの、甘くないの色々入ってるのよ」
「結惟ちゃんは気が利くね。下でちょっとお茶でも飲もうか」
 蒼は、病院一階にあるカフェへ誘う。
「申し訳ないけど下のカフェへ行ってくるから。これは、あの院長先生のお嬢さんからの君たちへの手土産、皆で食べて」
 ナースステーションの看護師へ声を掛け、パイを手渡した。
 受け取った看護師は、二人を呆然と見送った後、がばっと振り返った。
「ちょっと聞いた!」すると、皆「聞いた、聞いた」と口々に言う。皆色めき立つというか、騒然とする。
「院長先生のお嬢さんだったのね! でも何で西園寺先生訪ねて来るの?!」
「だからつまり、西園寺先生も独身解消ってこと!? 恐れていたことが!」
「ショック! 相手が院長先生のお嬢さんなら勝ち目ないじゃん」
「いやねえ、あなた参戦するつもりだったの」
「いや、さすがにそこまでうぬぼれてないけど、ショック……」
「分かるわよ、自分がどうのとは思わないけど、西園寺先生には一人でいて欲しかったっていうか、孤高の人ってのが魅力なんだよね」
「そうなんだよね、でもいつかはこういう日が来るとは思ってたよね。相手はアルファの男性なのか、女性なのかとは思っていたけど」
「女性かあー、あのお嬢さんいくつなんだろう」
 などと話していると、師長が入ってきた。
「何を騒いでいるの! 皆で仕事中に井戸端会議!」
 師長は怖い。はっきり言って医者より怖い。というか、看護師たちには医者は怖くない。
 皆、姿勢を正してこれまでの経緯を説明して、手土産のパイを渡した。
「院長先生のお嬢さんが……こんな気を遣っていただいて申し訳ないわね、私からも院長先生にはお礼を申し上げておくは。せっかくだから皆で分けて」
 
「結惟ちゃん何にする? あっ、ケーキもあるよ」
「ケーキかあ、美味しそう、食べたいかも……あお君も一緒に食べてくれる?」
「うん、そうだねそうしよう」
 二人はケーキとコーヒーを持って窓際の席に着いた。この時までに既に何人もの医師や看護師に目撃され、興味津々の視線を送られているのを結惟は気付いていた。無論蒼は全く気付いていない。
「それにしても今日は急でびっくりしたよ、お土産にお金も使わせたし」
「それは大丈夫、後でパパから回収するから」
「ふっ、全く……僕からも院長先生にはお礼を言っておくね」
「あお君の白衣姿初めて見た、素敵だよ」
「それはありがとう」
 結惟は女性目線で言っているのだが、蒼は妹から褒められたような感じだ。
「あお君もてるでしょう? 来月のバレンタインデーも凄い集まると思うよ」
 実際相当な数が集まる。
「僕のはみんな義理チョコだよ、病院の人達は義理堅いからね、あっ、今年もチョコもらってくれる」
 実は毎年蒼は集まったチョコの始末に困っていた。義理チョコと言えども、皆病院関係者なので、病棟の子供たちに上げるわけにはいかない。上げた人が知れば失礼だと思うからだ。
 北畠家へ行った時に、ふとその話をすると結惟が「私が食べてあげるから持ってきて」と言って、引き取ってもらうようになった。
 結惟からすると、その義理チョコとやらが気になったのもあるし、蒼には自分からのチョコだけを食べて欲しい気持ちもあった。
「勿論、今年もあお君の義理チョコは私が食べてあげる。あお君は、私のチョコ食べてね。今年も美味しいの選ぶから」
 結惟は義理チョコの義理を強調した。が、実際は毎年どの義理チョコも、とても義理とは思えない品だった。かなり、高級で吟味して選んだろうと察せられる。つまり、義理と認識しているのは蒼だけ。蒼には、昔からそういうところには疎い。
「ありがとう、楽しみにしているよ」
「それでねあお君、今年は外で渡したいの、デートみたいでちょっと素敵かなって」
「デートって、結惟ちゃんからしたら、僕なんておじさんだろ」
「そんなことないの、あお君素敵だから、外の洒落たお店で渡したいの、だめ?」
 と甘えられたら断れない。蒼にとって結惟は、大恩ある方の子供であるが、小さい頃から知っている妹も同然なのだ。妹を甘やかす兄の心境だった。
「分かった、じゃあそうしよう。あっ、ごめんね僕そろそろ行かないと」
「うん、お仕事中ごめんなさい、今日はありがとう。今度楽しみにしてるからね」
「ああ、こちらこそありがとう。気を付けて帰るんだよ」

「よっ! 蒼!」
 食堂で昼食をとっている蒼に、吉沢が声を掛ける。
「お前、凄い噂になってるぞ」
「噂?」
「院長先生のお嬢さんが昨日パイを持ってお前を訪ねてきたって、そしてカフェで一緒にケーキ食べてたってな」
 蒼は思わず吹き出しそうになった。昨日の今日で、そこまで知られているのか。パイはともかくケーキ食べてたって、誰か見てたの……。
「えらく情報が早いけど、それでなんで噂になるんだ」
「やっぱお前自覚ないよな。だから、その年まで独身を貫いてきたお前がついに結婚かっ! てこと」
「結婚! 誰と誰が?」
「はあーっ全く、お前と院長先生のお嬢さんでしょ」
「はあーっ! あのね、結惟ちゃんはそんなんじゃないよ! 馬鹿馬鹿しい」
「結惟ちゃんって言うんだ。とにかくお前の相手がどうなるってのは、ここの女性職員すべての関心事なんだよ。アルファの男性なのか、それとも女性っかってね。そんな所へ院長先生のお嬢さんが訪ねてきたらそりゃ大騒ぎだよ。昨日の夕方には全女性職員が知ってた。俺もなんかざわめかしいと思ってたから、家で晴香に聞いて納得した」
 蒼は絶句した。なんだそれ……わけがわからない。
「あのさ、結惟ちゃんはね僕からしたら妹みたいな人だよ。結惟ちゃんだって、僕はおじさん? まあ良くて兄さんかな。だいたいいくつ違うっていうんだよ」
 やっぱり自覚が無いんだと吉沢は思った。おじさんだの、兄さんだのって思う人の所に、わざわざ来るか? それも看護師への手土産持って。私が嫁候補だってアピールだよ。実際だから大騒ぎになった。まあ、無自覚なのは昔から、全然変わっていないけどね。

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