春風の香

梅川 ノン

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10章 春のざわめき

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「兄さん、いよいよ帰国だな」
「ああ、やっとだ。さすがに八年は長かったよな。我ながらよく耐えたと思うよ。お前もあと三年頑張れよ」
 彰久の三歳下、ゆえに留学も三年遅れの尚久は、あと三年残っている。
「ああ、僕も兄さんのように最短でけりをつけるつもりでいるから……兄さん、あお君のことどうするんだ?」
「勿論、番になってもらう。結婚も申し込むつもりだ。僕はそのためにこの八年を耐えたんだからな」
「やっぱりかあー、僕はあお君にはきれいなままいて欲しいんだけどなあ」
「いや、別に僕の番になったからって、あお君はきれいだよ。むしろ、番を得てよりきれいになるはずだ。番のいないオメガが不安定なのは事実だからな」
「純潔なままでいて欲しいって意味だよ、鈍いなあ。兄さんの手で汚されるって、ああ、嫌だ!」
「お前なあ……お前があお君を慕う気持ちは分かるがなあ。あお君が僕と結婚したらお前にとってあお君は兄になる。弟として兄を慕うのは僕も許すよ。本当は誰にも触れさせないで囲っておきたいけど、さすがにそれは出来ないし、寛容じゃないとな」
「当たり前だよ、許すって偉そうに。独占欲丸出しは嫌われるぞ。だいたいが、家の家族にとってあお君は、みんなのあお君なんだよ」
「まあ、それは否定しないけど、あお君は僕のオメガ、唯一の大切な人だ」
 尚久も蒼を慕っている。蒼に憧れ、恋にも等しい気持ちだ。故に、大学進学は悩んだ。本音は憧れの人がいる日本で学びたかった。日本の大学なら、六年で医師になれる。違う学部なら、四年と更に短い期間で社会へ出られる。だが、それで蒼に振り向いてもらえるとは思えなかった。
 尚久にも蒼の気持ちは気付いていた。兄が、どうして渡米したかも分かっている。その中で、自分が側にいたからといって、どうにかなるのか? 難しいだろうと思ったのだ。
 兄への対抗意識もあった。例え蒼の気持ちが兄であっても、兄には負けたくない。それに、進路はやはり医師しかない。他の職業は考えられない。自分も医師になる。両親や兄に負けない、立派な医師になる。その思いで渡米した。
 やっぱり、兄は蒼を番にするんだな、まあ分かってはいたけどな。
「なんか悔しいよな、単に歳の差だけだもんな。僕が年上だったら僕の番にできた。三歳の差は大きいよ」
「そういうことにしといてやるよ」
「なんだよ、勝者の余裕ぶって、腹立つなあ」
「ははっ、そうひがむな。で、結婚式には一時帰国するか?」
「気が早いなー、まだプロポーズこれからだろ」
「そうだけど、結果は分かっている。こっち来る前に、八年待っていて欲しい、帰国したら番になって欲しいって申し込んで、承諾を得たんだぞ。それで、僕も安心して渡米できた。そして、父さんたちにも僕のいない間、あお君を守って欲しと頼んできた」
 そうかそこまで手回ししてきたのか……やっぱりこの人には敵わない。悔しいけど、蒼は兄のものになる。認めないとな、悔しいけど……。
「手を打って来たんだなあ、感心するよ」
「当たり前だ、どこの馬の骨とも分からん奴に、あお君取られるわけにはいかない。あお君の気持ちは分かっているからな、心配はそれだけだった。その点父さんたちは最強だからな。二人がいれば心配いらない」
「そうだな、特に母さんが付いてれば安心だよ。あお君も母さんみたいに強くなるのかな。女やオメガは結婚すると強くなるって言うだろう」
「それは結婚じゃなくて、母になったらだよ。僕は、あお君の年齢からいって、子供は望んでない。子供よりあお君の体が大事だから」
「そこまで考えているのか、まあ、とにかく結婚式には僕も一時帰国して参列するよ。あお君の晴れ姿見たいから。さぞきれいだろうな」
「ああ、うっとりするほどきれいだろうから、お前も是非帰ってこい」
 と、何故か二人の眼は揃ってハート型になり、兄弟の別れの挨拶は終わった。
 この地で共に五年を過ごした。無論、お互いに忙しい身のため、二人ゆっくりと過ごす時間などはほとんどなかった。だが、しかし血を分けた兄弟が身近にいることは、思いの外心強かった。
 彰久は、後まだ三年残る尚久のために残してやれるものは残してやり、親しくなったアメリカ人へ、心配りを頼みもした。兄として、弟への思いだった。蒼を譲ることは絶対にできないが、それとこれは別のことだった。
 尚久も彰久の思いは感じていた。同時に、蒼のことも吹っ切れる思いでいた。尚久には、この物理的距離が幸いした。アメリカへきて五年。蒼が彰久の番になるのを悔しいけど認められるところまできた。その意味でも、アメリカへきて良かったと思う。あと三年頑張る。そして堂々と帰国する。
 その前に、蒼の晴れ姿きれいだろう。それを想像すると、眼はハート型になる。ウエディングドレスだろうか? さすがにそれは無いか……でも似合うと思うけど。一人残った尚久の妄想は募るばかりだった。

「ママ、明日あお君も来るの?」
「ああ、早めに来るように言ってある。それから皆で空港まで彰久を迎えに行こう」
 結惟も彰久の帰国は、妹として嬉しい。八年ぶりに会う兄。変わっているのだろうか……。
 記憶にある兄は、正直あまり印象が無い。同じ兄でも、年の近い尚久の方が、様々な思い出がある。喧嘩もしたけど、それだけ触れ合った思い出がある。反して彰久とは、喧嘩もしなかったが、じゃれ合ったことも無い。思い出が少ないのだ。
 尚久が渡米して以来、一人っ子のように過ごしてきた。当然両親の愛は独占してきた。そして、蒼のことも。
 結惟にとって蒼は、小さい頃はよく懐き、可愛がってもらったが、いつの間にあまり来ない人になった。あの、きれいで優しいお兄ちゃん、来ないかな。来てほしいなと思っていた。
 それが、彰久の渡米以来、時折来るようになった。嬉しかった。渡米した兄のことなど忘れるほどに。
 尚久が渡米して、自分だけ残ってからも特段淋しくなかった。蒼が時折来てくれるなら、それで嬉しい。結惟にとって、蒼は自分だけのあお君だった。
 蒼も、尚久が渡米してからは、心掛けて北畠家を訪ねるようになったのだ。一人残った結惟が淋しくないようにとの蒼の気遣いだった。
 優しい蒼に結惟は懐いた。最初は子供が、懐き慕う思いだった。それがいつしか恋心になっていった。いつから恋心になったのか自分でも分からない。気付いていたら恋だった。そしてそれは、必ずこの人の嫁になるとの思いになった。私の結婚相手はあお君だと決めた。
 彰久の渡米前の、兄と両親のやり取り。さらには両親と蒼のやり取りを知らない結惟は、両親の蒼に対する信頼も自分に好都合に解釈していた。つまり、蒼は両親のお気に入りの医師だから、自分の結婚相手として認めてくれるだろう。
 女医や看護師を規制するために病院まで行ったことも、両親からは「仕事場に行くのは控えなさい」とは、言われたが厳しく𠮟責された訳ではない。蒼もにこやかに付き合ってくれた。
 だから良かったと思う、現に今年のバレンタインデーのあお君へのチョコは明らかに減って、少しほくそ笑んだ。確実にライバルは減った。あお君の相手は自分なの。そう思った。
 しかし、結惟は、今なぜか不安だった。この不安はどこから来るのだろう……分からない。
 明日蒼に会えるのは嬉しい。けれど、何故かいつものようにただ嬉しいという気持ちになれない、どうしてだろう。

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