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第二章 死んで灰になりました
9.私のお披露目
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この日は夜会だった。
結婚式の日取りが決まり、出席してくれる貴族に挨拶回りをする。そんな社交の場。
私がファーブリック侯爵家に来て、もう何日経ったのだろう。随分と長い時間を過ごした気がする。
頭が重く、時折思考に黒い霧がかかる。脳が巨大な牢獄に囚われてしまったみたい。
ぼーっとしている時間が増えてしまった。仕事が落ち着いてきたからだろうか。
まだキルエンとの関係は改善されていない。彼は外で何かしているらしく、家を空けることが多くなった。
手伝えることがあればと何度か声を掛けてみたけれど、いつも「君には関係ない」と冷たく突き放されてしまう。これで夫婦としてやっていけと?
もう一つ不安がある。モルガンお母様のことだ。
女性同士、この家に嫁いだ同じ身の上として、力になってくれるかもしれない。キルエンと上手くいっていない現状について相談に乗ってもらったのだが……。
――マーガレットさん、政略結婚とはそういうものですよ。もっと夫に花を持たせないと。余計なことはせず、頑張ってね、いってらっしゃい……そう言って夫を送り出すだけでいいではありませんか。あなたはただでさえ……いえ、まあそんなところです。他に何か?
どこか棘のある、こんな言葉が返ってくるなんて。
ただでさえ。この後に何が続くのか、私は知っている。
政略結婚だなんて聞いていない。それに、あのときのモルガン夫人の顔。笑いをこぼさないよう我慢しているようだった。
私の心を抉る深い傷を付けるには十分すぎる。わざとやっていたとしたら大したものだ。
親身になってくれるのは、ダグルドお父様とサーシャだけ。
「どうしたマーガレット、浮かない顔をして。緊張しているのか? 大丈夫、なにがあっても私が守ってやる。今日の主役なんだ、笑顔を振りまいてやりなさい」
私に向けられた青い瞳が優しく細められた。
ダグルドお父様に差し出された上向きの手のひらに、そっと指を乗せる。
エスコートされるまま進んでいく。
扉が開かれると、そこはファーブリック侯爵家の大広間。階下の赤いカーペットには、いくつもの丸テーブルが並べられている。
その横では、料理をつまみながら談笑する貴族たち。王都の流行を取り入れた上品なドレスに身を包む。
豪華なシャンデリアに照らされて、踊るワインに輝くグラス。まるでおとぎ話のなか。少女が夢見る別世界だ。
貴族たちはグラスを置き、拍手喝采で迎えてくれた。
私とダグルドお父様、その後ろにキルエンとモルガン夫人。注目を浴びながら、ゆっくりと階段を降りていく。
一番下で足を止めると、横にキルエンが並ぶ。そこに給仕がやってきて、ワインが注がれたグラスを手渡された。
大広間が静寂に包まれる。
「まずは、お集まりいただきありがとうございます。息子、キルエンの妻として、ノブルス子爵家のマーガレット嬢を迎え入れました。本日は、そのご挨拶とお披露目をさせていただきたく存じます。結婚式の前祝いとして、盛大にお楽しみください。――乾杯!」
ダグルドお父様の挨拶が終わり、動きを揃えてグラスを掲げると、再び拍手喝采が巻き起こる。
私たちは、それに答えるように深く頭を下げた。
ここからは挨拶の時間。キルエンとモルガン夫人の二人と別れ、テーブルを一つ一つ回っていく。
「こちら、軍事の主に戦術を担当するトップ。グリクセン侯爵家のボルグくんだ」
お父様がきっかけづくりに紹介してくれる。
それほど歳が違わないように見えるお二人。けれど、同じ侯爵なのに力関係がはっきりしているらしい。
金の刺繍が施された白の軍服が、軍事関係者であることを示している。短くまとめた緑の髪に、銀色の瞳。筋肉質で、顔までゴツゴツとした偉丈夫だ。
ボルグ様の放つ威圧感に怯んでしまいそう。でも、負けじと一歩前に出る。
「マーガレットと申します」
パーティーの主役ではあるが、多くを語るべきではない。
ただ名乗り、頭を下げるだけ。これが嫁いだ妻として気を付けるべきお披露目のマナーだ。
「ボルグ・グリクセンです。あなたがあのマーガレット嬢か。いやはや、想像とは違い可憐な……」
「あの、とはなにかな。ボルグ・グリクセン? 自慢の娘について、言いたいことがあるなら私が聞こう。マーガレットの優秀さを、ちょうど誰かに話したいと思っていたところなんだ」
頭の先から足元まで、私をじっくり観察した後に口を開いたボルグ様。
老婆令嬢の噂についてのことだろう。まさか面と向かって言われるとは思わなかったが、ある程度の覚悟はしていた。
「い、いえ。誤解を生むような言動をとってしまったこと、ここに謝罪いたします。マーガレット嬢、すまなかった」
「そんな、私にはなんのことだか。お顔を上げてください、ボルグ様」
お父様が庇ってくれた。私にはそれで充分だ。
物知らぬ小娘のふりをして、この場をやり過ごす。
「はっはっは! では、次の席へ行こうか。楽しんでくれたまえよ、ボルグくん」
ボルグ様の背中をポンと叩いたお父様は、私の肩に手を添えて歩きだす。
一人目からこれだったのだ。親密さを見せつけることで、私を守ろうとしてくれているのだろう。
それからは何事もなく……というわけではないが、全てのテーブルで挨拶回りを終えた。
主に夫人会に所属する方々が、あえて視線をそらして私を見ないようにしたり、オススメの化粧品を紹介してきたりと、軽い嫌がらせを受けただけ。
キルエンは、私のそばに寄ることもなく、仲のいい貴族と楽しそうに喋っている。
「ふぅ……」
慣れない挨拶で少し疲れてしまった。
こうやってため息をつくことも多くなったように感じる。
夜風でも浴びてこよう。
屋敷の外に出ようとしたところで、数名の女性の声が聞こえてきた。
その内容に驚き、足を止める。
「運のいい女だわ」
「えぇ、本当に。なぜキルエン様はあんな老婆を選ばれたのかしら」
「あらみなさん、ご存じありませんの? この結婚に愛などなく……聞いたところによると、いずれあの老婆令嬢は捨てられる……と」
胸が締め付けられるように苦しい。
呼吸が自然と荒くなる。景色が横に縦に小さく弾みながら揺れる。膝から崩れ落ちてしまいそう。
ここで倒れるわけにはいかない。歯を食いしばり、なんとか意識をつなぎとめる。
そして、扉の陰に隠れながら、片目だけを出してそっと外を覗く。
夜闇に紛れてよく姿は見えないが、おそらく三人。
……あの方はたしか。
そのうちの一人、かすかに見えた。真っ直ぐ伸びた桃色の髪。ヴァランティン公爵家のマリス様だ。
「まあまあまあ! それはいい気味ですわ!」
「藤の貴公子にふさわしくありませんもの。そうなって当然よね。しかし、そんな情報いったいどこから?」
「ふふっ、それはもちろん……キルエン様ですわ!」
気づいたら、走っていた。
体ごと自分の部屋に飛び込んで、存在を消すように扉を閉める。
その場に崩れ落ち、うずくまってしまう。
悔しくて、悔しくて、流れ落ちる涙を止めることができない。
爆発した感情が、痛いくらいに頬をしびれさせていた。
結婚式の日取りが決まり、出席してくれる貴族に挨拶回りをする。そんな社交の場。
私がファーブリック侯爵家に来て、もう何日経ったのだろう。随分と長い時間を過ごした気がする。
頭が重く、時折思考に黒い霧がかかる。脳が巨大な牢獄に囚われてしまったみたい。
ぼーっとしている時間が増えてしまった。仕事が落ち着いてきたからだろうか。
まだキルエンとの関係は改善されていない。彼は外で何かしているらしく、家を空けることが多くなった。
手伝えることがあればと何度か声を掛けてみたけれど、いつも「君には関係ない」と冷たく突き放されてしまう。これで夫婦としてやっていけと?
もう一つ不安がある。モルガンお母様のことだ。
女性同士、この家に嫁いだ同じ身の上として、力になってくれるかもしれない。キルエンと上手くいっていない現状について相談に乗ってもらったのだが……。
――マーガレットさん、政略結婚とはそういうものですよ。もっと夫に花を持たせないと。余計なことはせず、頑張ってね、いってらっしゃい……そう言って夫を送り出すだけでいいではありませんか。あなたはただでさえ……いえ、まあそんなところです。他に何か?
どこか棘のある、こんな言葉が返ってくるなんて。
ただでさえ。この後に何が続くのか、私は知っている。
政略結婚だなんて聞いていない。それに、あのときのモルガン夫人の顔。笑いをこぼさないよう我慢しているようだった。
私の心を抉る深い傷を付けるには十分すぎる。わざとやっていたとしたら大したものだ。
親身になってくれるのは、ダグルドお父様とサーシャだけ。
「どうしたマーガレット、浮かない顔をして。緊張しているのか? 大丈夫、なにがあっても私が守ってやる。今日の主役なんだ、笑顔を振りまいてやりなさい」
私に向けられた青い瞳が優しく細められた。
ダグルドお父様に差し出された上向きの手のひらに、そっと指を乗せる。
エスコートされるまま進んでいく。
扉が開かれると、そこはファーブリック侯爵家の大広間。階下の赤いカーペットには、いくつもの丸テーブルが並べられている。
その横では、料理をつまみながら談笑する貴族たち。王都の流行を取り入れた上品なドレスに身を包む。
豪華なシャンデリアに照らされて、踊るワインに輝くグラス。まるでおとぎ話のなか。少女が夢見る別世界だ。
貴族たちはグラスを置き、拍手喝采で迎えてくれた。
私とダグルドお父様、その後ろにキルエンとモルガン夫人。注目を浴びながら、ゆっくりと階段を降りていく。
一番下で足を止めると、横にキルエンが並ぶ。そこに給仕がやってきて、ワインが注がれたグラスを手渡された。
大広間が静寂に包まれる。
「まずは、お集まりいただきありがとうございます。息子、キルエンの妻として、ノブルス子爵家のマーガレット嬢を迎え入れました。本日は、そのご挨拶とお披露目をさせていただきたく存じます。結婚式の前祝いとして、盛大にお楽しみください。――乾杯!」
ダグルドお父様の挨拶が終わり、動きを揃えてグラスを掲げると、再び拍手喝采が巻き起こる。
私たちは、それに答えるように深く頭を下げた。
ここからは挨拶の時間。キルエンとモルガン夫人の二人と別れ、テーブルを一つ一つ回っていく。
「こちら、軍事の主に戦術を担当するトップ。グリクセン侯爵家のボルグくんだ」
お父様がきっかけづくりに紹介してくれる。
それほど歳が違わないように見えるお二人。けれど、同じ侯爵なのに力関係がはっきりしているらしい。
金の刺繍が施された白の軍服が、軍事関係者であることを示している。短くまとめた緑の髪に、銀色の瞳。筋肉質で、顔までゴツゴツとした偉丈夫だ。
ボルグ様の放つ威圧感に怯んでしまいそう。でも、負けじと一歩前に出る。
「マーガレットと申します」
パーティーの主役ではあるが、多くを語るべきではない。
ただ名乗り、頭を下げるだけ。これが嫁いだ妻として気を付けるべきお披露目のマナーだ。
「ボルグ・グリクセンです。あなたがあのマーガレット嬢か。いやはや、想像とは違い可憐な……」
「あの、とはなにかな。ボルグ・グリクセン? 自慢の娘について、言いたいことがあるなら私が聞こう。マーガレットの優秀さを、ちょうど誰かに話したいと思っていたところなんだ」
頭の先から足元まで、私をじっくり観察した後に口を開いたボルグ様。
老婆令嬢の噂についてのことだろう。まさか面と向かって言われるとは思わなかったが、ある程度の覚悟はしていた。
「い、いえ。誤解を生むような言動をとってしまったこと、ここに謝罪いたします。マーガレット嬢、すまなかった」
「そんな、私にはなんのことだか。お顔を上げてください、ボルグ様」
お父様が庇ってくれた。私にはそれで充分だ。
物知らぬ小娘のふりをして、この場をやり過ごす。
「はっはっは! では、次の席へ行こうか。楽しんでくれたまえよ、ボルグくん」
ボルグ様の背中をポンと叩いたお父様は、私の肩に手を添えて歩きだす。
一人目からこれだったのだ。親密さを見せつけることで、私を守ろうとしてくれているのだろう。
それからは何事もなく……というわけではないが、全てのテーブルで挨拶回りを終えた。
主に夫人会に所属する方々が、あえて視線をそらして私を見ないようにしたり、オススメの化粧品を紹介してきたりと、軽い嫌がらせを受けただけ。
キルエンは、私のそばに寄ることもなく、仲のいい貴族と楽しそうに喋っている。
「ふぅ……」
慣れない挨拶で少し疲れてしまった。
こうやってため息をつくことも多くなったように感じる。
夜風でも浴びてこよう。
屋敷の外に出ようとしたところで、数名の女性の声が聞こえてきた。
その内容に驚き、足を止める。
「運のいい女だわ」
「えぇ、本当に。なぜキルエン様はあんな老婆を選ばれたのかしら」
「あらみなさん、ご存じありませんの? この結婚に愛などなく……聞いたところによると、いずれあの老婆令嬢は捨てられる……と」
胸が締め付けられるように苦しい。
呼吸が自然と荒くなる。景色が横に縦に小さく弾みながら揺れる。膝から崩れ落ちてしまいそう。
ここで倒れるわけにはいかない。歯を食いしばり、なんとか意識をつなぎとめる。
そして、扉の陰に隠れながら、片目だけを出してそっと外を覗く。
夜闇に紛れてよく姿は見えないが、おそらく三人。
……あの方はたしか。
そのうちの一人、かすかに見えた。真っ直ぐ伸びた桃色の髪。ヴァランティン公爵家のマリス様だ。
「まあまあまあ! それはいい気味ですわ!」
「藤の貴公子にふさわしくありませんもの。そうなって当然よね。しかし、そんな情報いったいどこから?」
「ふふっ、それはもちろん……キルエン様ですわ!」
気づいたら、走っていた。
体ごと自分の部屋に飛び込んで、存在を消すように扉を閉める。
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