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パン屋の売り子をする公爵様
しおりを挟む「そろそろパン屋に行く時間ね。アルジェール、お靴を履きましょうか」
「うん!」
小さな足に靴を履かせてあげると、愛する息子はご機嫌で走り回る。
彼が健やかに育っている事が何よりの幸せだった。
大きな幸せなどなくていい。
もうあんな苦しい想いはしたくないから……この小さな幸せを守って二人でひっそりと生きていきたい。
それだけが望みだった。
「じゃあ、行きましょうか!」
「しゅっぱーつ!」
いつものように戸を開け、外へ出ると雲一つない空が広がっていた。
「いい天気ね」
「そうだな」
私の言葉にどこからともなく返事が返ってくる。
振り返ると、戸の後ろら辺に待機していたのか、レブランド様が立っていた。
「レブランド様?!どうしてここに?」
「わぁぁぁきしさまだ!」
アルジェールは憧れの騎士様が迎えに来てくれたとあって、嬉しそうに駆けていく。
そんな息子を愛おしそうに抱き上げ、微笑みかけるレブランド様。
「おはよう。君たちを迎えに来た」
「おはようごじゃいます、きしさま!」
「よく眠れたか?」
「あい!」
ああ、二人はやはりよく似ている……親子なのだから当たり前なのだけど、あまりに似ていて、彼を愛していた自分が思い出されて胸が苦しくなる。
レブランド様にとっては実の息子であり、公爵家の嫡男なのだから可愛いわよね。
彼の愛が私に向く事はない。
でもそれはもう踏ん切りがついているからいいとしても、アルジェールの心まで私から奪わないでほしい。
私には息子しかいないのだから――――
「カタリナ」
「?」
レブランド様は私に手を差し出した。
「え……っと……」
「何が起きるか分からないので、パン屋まで繋いで行く」
とても自然に差し出された手に、私の方が動揺してしまう。
「繋ぎません!それにこんな狭い村でそんな事は起きません!手を繋いで歩いていたら、どんな噂になるか……」
「私は一向に構わない」
「私は困ります!」
「分かった。じゃあこうしよう」
「え……」
彼の長い腕が私の肩を抱き寄せ、そのまま歩こうとする。
どうしてそうなるの?!
「ちょ、ちょっと待って!この方が目立ちますから……!」
「じゃあこっちの方が良さそうだな」
先ほどのように手を差し出すレブランド様は、ほんの少し笑っていて、私は揶揄われたのだと理解した。
「……~~~っ!」
二度も拒否出来なかった私は、その手を取って歩くしかなかった。
レブランド様がこんなに意地悪だったなんて……!
「今日だけですから」
「そういう事にしておこう」
「おててつないでなかよしね!」
アルジェールが無邪気に笑う姿に色々と脱力し、諦めてそのままパン屋へと向かった。
途中で何人かの村人に見られそうになり咄嗟に手を離したけれど、すぐに手を引かれ、そんなやり取りを繰り返しながらようやくパン屋へとたどり着いたのだった。
~・~・~・~・~・~
「お兄さん、このパンを包んでおくれ!」「次は私!」「私もよ!!」
レブランド様が店頭に立ち、お客様の相手をしていると、女性客が次々と彼の前に行列を作っていく。
今日はもちろん鎧を着ていない。
平民姿でも彼の魅力は隠し切れないわね。
顔も小さく野性味のあるお顔だけれど整っているし、鍛えられた肉体は隠し切れていないから……何だか色気を放っているようにも見えるわ。
隣にラルフも立っているけれど、彼も背が高いのにレブランド様はその二回りくらい大きい。
愛想は……良くないのは仕方ないわね。
でも一生懸命お仕事しようとする姿は、彼の誠実さを物語っている感じがする。
『どうして賭けをする必要があったの?何を賭けていたの?』
今でもくすぶっている疑問――――冷静に考えてみれば何を賭けていたのかも話していなかったし、その理由も聞いていない。
でもあの時はとにかく自分がここにいてはいけないと思って、すぐに邸を去った。
レブランド様が大好きだったから、これ以上真実を知って傷つきたくない気持ちが大きかったのもある。
でもそれ以上にどんどん彼を信じられなくなっていて、何が本当で何が嘘なのか分からなくなってしまっていた。
今ならちゃんと話が出来るのかしら。
そんな事を考えながら仕事をしていると、レブランド様目当ての女性たちの中で諍いが起き始めている事に気付く。
「ちょっと、私が先だったんだけど」
「私よ!横入りしたのはあなたじゃない!」
「なんですって?!」
これはまずい……なんとか騒ぎが大きくなる前におさめようと声をかけた。
「お客様、落ち着いてください。順々にお渡ししますので」
「なによ、うるさいわね!」
「邪魔よ!」
極力刺激しないように声をかけたつもりだったけれど、全く効果がないどころか突き飛ばされてしまう。
「きゃっ!!」
床に尻もちを……つくと思ったのに、大きな腕が私を受け止めてくれていた。
「レブランド様……」
「大丈夫か?」
「は、はい!ありがとうございますっ」
すぐに立ち上がり、お礼を伝えた。
カウンターの中にいたのにすぐに助けに来てくれたなんて、すごい身のこなし……ドキドキするのは怖かったから?
自分の心臓を落ち着かせながら彼の方を見ると、何やらとても凄い圧を放っていた。
これはモンテスト様の時のように怒っているのでは?
すかさずラルフが間に入り、女性客へと対応をした。
「店内は狭いですし並び順が分からなくなってしまいますよね!今度から床に線でも描いておきますので!」
「え、ええ。そうしてもらえると助かるわ」
「そうね。その方が分かりやすいものね!」
さすがラルフ……長年の経験のなせる業だわ。
こちらを見て親指を立てるので、クスリと笑ってしまう。
「レブランド様、ありがとうございます」
「いや……私は何も」
「レブランド様?」
なんだか視線を合わせてくれないような感じがするので、顔を覗き込む。
「店の中で様は付けない方がいいのではないか?」
「え……そういえばそうですね!気を付けます」
それだけ言い残してカウンターの中へ戻って行った。
どうしたのかしら。
ほんの少し様子がおかしいような気がしたけれど、その理由が分からないまま、レブランド様のパン屋勤め一日目は無事終わった。
王国の公爵様であり騎士団長でもあるお方なのに、意外にもパン屋の仕事をちゃんとこなしていて、優秀な人は何をしても優秀なのだなと舌を巻いたのだった。
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