あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ

文字の大きさ
1 / 7

1.

しおりを挟む
「離婚しよう、アインス。」

「......は?何を言っているの?」

 僕ーーシューン・トアは、アインス・キールと結婚して六年目の節目に、最愛の夫へ離婚を切り出した。

 ーーどうか、僕の願いを聞き入れて欲しい。大好きだったよ、アインス。

「っ!シュー......」

「そういうことだから。じゃあ。」

 僕はアインスの返事を待たず、一方的に離婚届を机の上へ勢いよく押し付け、執務室を後にした。それぐらいしないと、僕の気持ちがもたなそうだったからだ。

 あの時のアインスの顔は、戸惑いと怒りに満ちていたと思う。それもそうだ。理由も告げずにいきなり執務室に押しかけては、「はい、これ」とでも言うように離婚届を突きつけたのだから。

 自室に戻ると、疲れがどっと押し寄せてきた。

 ーーはぁ、頑張って言ったよ、僕。
心の中でそう呟き、自分で自分を褒め讃えた。これで、これでよかったんだ......。と、自分自身に言い聞かせた。

 没落した子爵家の令息である僕と、お国の宰相の息子。はじめから不釣り合いな関係だったんだ。

 ベッドにぼふっ、とうつ伏せで飛び込む。目を瞑ると、アインスと出会った頃の記憶が鮮明に蘇ってきた。

***

 僕とアインスが出会ったのは、ハインリヒ王国の王都にあるローウェル王立学校だった。

 この学校は身分や親の役職を問わない。その代わり、すべてが完全実力主義の学校だ。だから王立学校とはいえ、今では平民となった僕でも入学することができた。

 まぁ、かなり勉強して、入学するのには苦労したけどね。

 アインスとは、親同士が仲が良かったとか、学科が同じだったとか、寮の部屋が一緒とかーーそういった理由で距離が縮まったわけではなかった。

 侯爵家の人間と、ただの子爵家の人間。普通であれば、決して交わることのない間柄だ。

 僕は新作の本を読むためだったり、授業で習った内容を忘れないようにするためだったりで、よく図書館に足を運ぶことが多かった。

 だから当時は、アインスと話したこともなければ、「雲の上のように遠い存在の人だなぁ。」と思う程度だった。

 急にアインスと絡むようになったのは、二年生の頃だ。僕がいつも通り図書館で本を読んでいると、アインスが隣にやってきた。

 この時、僕はまだアインスのことをファミリーネームで”キール君”と呼んでいた。

「ごめん!ちょっと隠れさせてほしいんだ。」

 静かにそう呟くと、アインスは僕を隠れ蓑にするようにして、身体を小さくしていた。隣にきたキール君からは、ふわっとラベンダーのような爽やかな香りが漂ってきた。

「あれ~?アインス様。こっちに来たと思うんだけど......」

「気のせいなんじゃない?」

「いや!絶対ここにいるはずよ!」

 なるほど。キール君がここに来たのは、熱烈な追っかけから逃げるためだったのか。......いや、だとしても僕を盾にするのはやめてもらいたいな。さっさと本の続きを読みたいし、ここは仕方ないけど協力してあげるか。

「はぁ......。キール君、体を縮めるのではなく、このまま机に突っ伏してもらえますか?」

 耳元で小さく囁くと、キール君は無言で頷き、俺の指示通りに動いてくれた。僕は着ていたカーディガンを脱いで、キール君にそっと被せた。

 これなら、仮にこっちに来ても顔は見えないし、たぶん安全だろう。

 それにしても、僕はこんなに穏やかで落ち着いた日々を過ごしているというのに、これほど顔が美しい、整っているともなると、毎日が大変そうだ。心の中で、思わずアインスに同情してしまう。

「ねぇ!そこのあなた?ちょっといいかしら?」

 ......あ、やっぱりこっちにきた。

「......図書館では、静かにした方がいいと思うよ。」

「ちっ!どうせ平民のくせに、生意気ね。まぁいいわ。ここでアインス様を見なかったかしら?」

 上から目線で僕のことをゴミを見るような目で見つめ、質問してきた。なんだかめんどくさそうな人だし、この場合は、知らないふりをするのが吉だろう。

「......アインス様?それって、どんな人かな?」

「なっ!アインス様を知らないなんて!なんて無礼な......いえっ!人生の半分以上を損してるわね。」

 名前も知らないその女性は酷く慌てふためいていたが、こほん、と一つ咳ばらいをすると

「まぁいいわ。アインス様は、美しく、そして高貴な方よ。」

 と、次の瞬間には冷静に告げられた。

「そ、そうなんだ?」

 まぁ、隣に突っ伏している方は確かに美しく綺麗ではあると思うけど......その言い方だと、見た目と地位しか見ていないようで、何とも言えない。

「あ~......その人かは分からないけど、綺麗な男の人は図書館の奥の方に行ってた気がするーー」

「そうなのね!ありがとう!平民のくせにやるじゃない!あなたたち!行くわよ。」

「はい!アンナ様!」

 僕の返答を最後まで聞くことなく、三人組の女の子たちは僕の前から去っていった。平民、平民って......まったく忙しい人たちだな。令嬢たちが完全にいなくなったのを確認してから、僕はキール君に声をかけた。

「キール君。あの人たち、どこかへ行きましたよ。」

「ごめん。本当にありがとう、助かったよ。」

「いえいえ、僕は特に、これといって何もしていませんから。」

 僕は簡潔にそれだけキール君に伝えると、再び読みかけだった本へ視線を戻し、自分の世界へ入っていった。




























しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

グラジオラスを捧ぐ

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
憧れの騎士、アレックスと恋人のような関係になれたリヒターは浮かれていた。まさか彼に本命の相手がいるとも知らずに……。

《一時完結》僕の彼氏は僕のことを好きじゃないⅠ

MITARASI_
BL
彼氏に愛されているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。 「好き」と言ってほしくて、でも返ってくるのは沈黙ばかり。 揺れる心を支えてくれたのは、ずっと隣にいた幼なじみだった――。 不器用な彼氏とのすれ違い、そして幼なじみの静かな想い。 すべてを失ったときに初めて気づく、本当に欲しかった温もりとは。 切なくて、やさしくて、最後には救いに包まれる救済BLストーリー。 続編執筆中

彼氏の優先順位[本編完結]

セイ
BL
一目惚れした彼に告白されて晴れて恋人になったというのに彼と彼の幼馴染との距離が気になりすぎる!恋人の僕より一緒にいるんじゃない?は…!!もしかして恋人になったのは夢だった?と悩みまくる受けのお話。 メインの青衣×青空の話、幼馴染の茜の話、友人倉橋の数話ずつの短編構成です。それぞれの恋愛をお楽しみください。

帰宅

pAp1Ko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

好きで好きで苦しいので、出ていこうと思います

ooo
BL
君に愛されたくて苦しかった。目が合うと、そっぽを向かれて辛かった。 結婚した2人がすれ違う話。

お決まりの悪役令息は物語から消えることにします?

麻山おもと
BL
愛読していたblファンタジーものの漫画に転生した主人公は、最推しの悪役令息に転生する。今までとは打って変わって、誰にも興味を示さない主人公に周りが関心を向け始め、執着していく話を書くつもりです。

寂しいを分け与えた

こじらせた処女
BL
 いつものように家に帰ったら、母さんが居なかった。最初は何か厄介ごとに巻き込まれたのかと思ったが、部屋が荒れた形跡もないからそうではないらしい。米も、味噌も、指輪も着物も全部が綺麗になくなっていて、代わりに手紙が置いてあった。  昔の恋人が帰ってきた、だからその人の故郷に行く、と。いくらガキの俺でも分かる。俺は捨てられたってことだ。

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

処理中です...